坊さんが比叡山から戻って来て目薬を作って成功したことに因む町名という。香林坊について今ウィキペディアで調べて知った。金沢が京都に縁が深いことがわかる話だ。香林坊は北陸一の繁華街らしい。
この場所に行こうと思ったのではない。ぶらついている間に至った。四つ辻ではなく、南北に走るバス通りに東の金沢城へ伸びる道が接続している。では三つ辻かと言えば、そうも呼べない。どことなく名古屋の中心部に似た雰囲気だが、ここは坂が急で、それが京都にはないダイナミックな景観を形作って印象的であった。京都市内も北部はそれなりに坂道がある。そんな場所はしんどいので毎日歩くのはいやだが、たまにはよいし、また初めて歩く坂道は印象が強くて好きだ。香林坊クラスの繁華街で坂道と言えば大阪にもないだろう。都会はどこでも同じような景観だが、坂道があるとそうではなくなる。これは写真に撮ればあまりわからない。今日の1枚目の写真は奥に向かって下り坂だ。この奥とは北から南を見ているが、坂であることはあまりわからないだろう。実際に歩いて体感することが大切だ。香林坊が坂道であるのは、城址地や兼六園が丘になっているからで、その周辺部はみな坂だ。これは京都盆地とは反対ということになる。京都市内にも双が丘と呼ぶ丘はあるが、中心部の繁華街から外れる。筆者は繁華街が好きだ。そして商店街はなおのことよい。香林坊の大通りの西裏手に蛇行する小川がある。そのほとりの道が「せせらぎ通り商店街」となっていることを先ほど知った。その北端から少し外れたところは歩いた。ネットで「せせらぎ通り商店街」を調べると、なかなか筆者好みの場所ではないか。どうせなら歩けばよかった。前知識があまりない状態で出かけたから、見過ごしは仕方がない。それがあるからまた行こうかという気になる。だが、そう思うだけで実現はいつのことやらだ。香林坊の交差点で信号を待っていると、通りの向こうに街宣車が2台停まっていた。大きな男が車上に立って拡声器で韓国や中国との関係について語っていた。その声があまりにも響いたが、道行く人はみな無関心であった。どの街でもそうだ。信号が青に変わって通りをわたり切ると、地蔵さんの祠があった。これが香林坊の由来かと思って写真を撮ると、ちょうど通りかかった若い女性が写り込んだようだ。撮り直すべきかと思ったがそのままにした。帰宅して確認するとやはり写っている。女性の顔は見えず、長い髪が何となく美人そうで、かえって写り込んでよかった。地蔵さんは扉が開けっ放しにされているのでよく見えた。京都によくあるような石で作って顔を絵具で描いた素朴なものとは違う。本格的な彫刻で、古そうだ。そういうものが手で触れる場所に置いてある。盗難に遭わねばよいが、市民の誇りでもあってそんなことをする人はいないだろう。また、北陸一番の繁華な場所で、変なことをすれば目立つ。防犯カメラも設置してあるだろう。ということは筆者の姿も撮られたか。それはあまりいい気分ではない。今や知らない間にせっせと誰しも姿が撮影されている。それはさておき、大阪や京都の繁華街をよく知るので、香林坊に驚くことはないが、個性の差はあるから、観光に来た気分には浸れる。繁華の規模よりも個性が面白い。香林坊は若者の街らしい。これは繁華街がどこでもだいたいそうであるからだ。実際は老若男女が歩く。ただし、若者は若者しか眼中にないし、どの世代もそうだ。結局一番元気な若者が目立つから、繁華街は若者のものという見方が定着する。ま、若者はたくさん食べるし、流行に敏感でお金をよく使うから、繁華街は自然と若者相手になる。
香林坊は昔は映画館が多かったようだ。今でもあるだろうが、ビルの中のシネマ・コンプレックスといった形で、しかも老人があまり見ないような映画ばかりを上映する。娯楽の多様化で、大人がこぞって映画を見る時代はとっくの昔に終わった。映画館があるために大いにはやった商店街は、今ではシャッター通りになっている場合が多いだろう。映画に変わる集客可能な施設が生まれればよかったが、映画の後にはやったボウリングは場所を大きく取ったし、また映画ほどの広い世代の人気は出なかった。子ども相手にレーシング・カーを動かす、今で言うゲーム・センターが60年代末期に登場した。それもすぐにブームは過ぎた。今はカラオケ店が元気なようだ。これも数人のグループが個室に入って遊び、映画のような一体感はない。ま、TVが何もかも変えた。次にネットがさらに変えている。そのあげくにネット中毒者が生まれるのは、TVゲームの出現から予想出来たことで、これもTVの影響だ。このTVが視聴率稼ぎ合戦であの手この手で映画並みに大勢の人を惹きつけようとする。ところが録画して見る人も多く、家庭で絶対的な場を占めているとは言い難い。それだけ趣味の多様化が進んだ。そしてどの趣味が高尚かなど考えずに誰しも好きなことに関心を持つ。何でもお好み次第で、繁華街はそんな欲望を全部満たそうと、いつの時代でも変化を怠らない。香林坊はその名前がいい。覚えやすい。筆者でも一度で覚えた。街宣車を通りの向こう見ながら信号待ちをしていると、左手に珍しい樹木があった。それが何であったかが思い出せない。その背後のちょっとした窪んだ区画の壁にはレリーフがあったと思う。そこは筆者好みの空気が漂っていた。次にいつ金沢に行くかわからないが、せせらぎ通り商店街を往復し、香林坊周辺をくまなく歩いて店もたくさん覗きたい。香林坊を北に進むと右手に尾崎神社が見えた。有名な神社で、これはTVで見て知っていた。その付近のルイ・ヴィトンのウィンドウに草間彌生の彫刻が飾られていた。ほとんど同じものが京都大丸の向かい側にもある。以前その写真を撮ろうと思いながらまだ撮っていないが、金沢で見つけて先に撮った。ただし、車が頻繁に走るので、それが写り込む心配があった。案の定そのとおりになったが、これも撮り直さなかった。また、通りの向こう側に行ってまで撮ろうとは思わなかった。ちょっとしたスナップ写真であって、筆者が経験し、見て撮ったことが大切だ。草間彌生のウィンドウの近くで、丸い石である「ゴッタ」をいくつも並べた場所に遭遇した。その写真はもちろん撮ったが、別のカテゴリーの「おにおにっ記」でいつか載せる。ま、香林坊界隈でもゴッタを見つけて本当に何でもある繁華街を確信した。