閉館後と開館前に行ったので中には入れなかった。泉鏡花記念館は旅館から近かった。先月8日の投宿後の散策時はちょうど閉まった頃であった。翌朝出かけると、今度は開館まで小1時間あった。
それで諦めた。それでも鏡花が毎日歩いて呼吸した道を夕暮れと朝に歩くのは、何となく重みが違うように感じた。つまり、この記念館のオーラのせいだ。こういう日本建築があるのはよい。女将に訊くと、中はさほど見るものがないとのことであったが、そもそも鏡花についてあまり知らないようであった。そう言う筆者も同じで、7月に『草迷宮』を読んで感心したばかりだ。その感想を書いた時、鏡花は関東で人気があると記した。それは金沢が関西よりも東京に向いていることを意味する。一昨日書いたように、竪町商店街では「東京」と名のつくスーパーがあった。そういう店は大阪や京都ではまずない。関西か関東のどっちにつくかと言えば名古屋もそうだ。京都や奈良の古都に憧れはあるが、最先端の東京もいいという思いだ。それは理解出来る。金沢の文化人はほとんど東京に出て有名になっているのではないか。有名になるには東京へというのが常識になっている。京都や大阪では案外そういう気はない。大阪は特に「東京がなんぼのもんじゃ焼き!」と思っている。京都は大阪を侮蔑し、東京にも関心がない。そして金沢は東京を向いているということか。本当のところは金沢人に訊いてみないことにはわからない。『草迷宮』は逗子あたりに取材した物語で、鏡花は京都にはわずかに旅行しただけのようだ。そういうこともあって、筆者は鏡花に強い関心を抱くことが出来ない。もっと若い頃に出会いがあればよかったが、この年齢になると読書の量も限られるから、あまり縁のなさそうなものに手を出す気がしない。だがこの縁はいつどこで生まれるかわからない。ちょっとしたきっかけで充分で、たとえばたまたま出会った雰囲気のいい人が好きというだけで、それに関心を持つこともある。いやいや、それもやはり若い頃のことだ。還暦を過ぎるとそんなふうに思える人との出会いもそうない。人との出会いは多くても、光る人とはめったに会えない。それで自分の意の赴くままということになる。この意がなかなか狭くて、昔の値踏みを覆すことが出来ない。それが縁ということだ。縁は割合若い頃に使い切ってしまう。そう言い切ってしまうと夢も希望もないようでさびしいし、また瑞々しくあるためには、いつ何時新たな縁が生まれるかわからないという思いでいる方がいいに決まっている。そんなことを考えもしない状態になることは、もう生きている意味がないのと同じではないか。かといって、筆者は新たな縁を求めてサークルなどに入る気は全くない。人と話すのは好きな方だが、「気の合う人と」というただしつきだ。これは誰でもそうだ。そして「気の合う人」は年齢を重ねるほどに少なくなる。かくて縁は若い頃に使い切ってしまうかと、また堂々巡りだ。鏡花のような物書きは案外もっとそんなことを思うのではないか。小説のネタは多くの人と出会うことで得るしかないとしても、執筆は孤独な作業だ。孤独を愛する、耐えられる人しか小説家にはなれないだろう。これは小説家に限らず、作家と呼ばれる人全般に言える。

どうでもいいことで行数を使った。鏡花記念館の前に神社がある。これが実によい。この神社は鏡花が生まれる前からあったと思いたい。ところがこの記念館はあまり古さを感じさせない。生家は焼けてしまったので、その跡地に新たなに建てたものだ。そのために女将はあまり関心がなさそうに話したのかもしれない。同館を鏡花は見なかったから、鏡花のファンでなければ、外観を見てその周辺を散策するだけでもいい。となると、今度は明治時代のその付近が現在とどれほど違っているかが気になる。そうした古い写真は金沢の資料館や図書館に行けば見られるかもしれないが、まだ昔の面影は残っているのではないか。館と神社に挟まれた道を西に行くと、ほんの少し下り坂になっていたと思う。歩きながらそれが楽しかった。筆者が10歳になるかならない頃、大阪の運河の橋をわたった道がちょうど同じような感じであった。こうして書きながらある特定の場所を思い出している。そこはもう3、40年も歩いていない。道の両側の家並みはすっかり違ってしまったはずだが、それでも今歩いても昔と同じ場所であることがわかるだろう。道幅や微妙な下り坂のせいだ。それは変わらない。そういう坂はよほどのことがない限り、100年や200年経っても変わらない。道幅もそうだ。ともかく、金沢は予想したとおりで、鏡花記念館前の道は京都にはない貫禄のある古い建物が両側に点在していて、その趣を感じながら歩くのは気分がよかった。そうした歴史の蓄積なしには人間は人間らしく生きていけない気がする。これは昔TVで見た話。アメリカで長年住んだ人が晩年日本に帰った来た。歴史のなさに耐えられなかったからだ。うすっぺらい文化に年中浸っていると、神経までそのようになってしまう気がするのだろう。これは住まいや街並みだけではない。人間関係も好みの文化もだ。筆者はあまりにも教養のない人と長い間同席する苦痛は耐え難い。教養がないことは罪ではないが、そのことを当然のような顔をされることには我慢がならない。ま、生まれ育った場所は忘れ難いということで、最初からアメリカに生まれ育てば、そこが一番だと思う。あるいは開拓者精神からどんな国でもいいと思った場所には住めるアメリカ人は少なくないだろう。TV番組でたまに見るが、世界の地の果てのようなところにも日本女性は嫁いでいる。男性よりも逞しい。精神的にだ。それは順応性があるという意味で、若い女性ほどそうだろう。中年からたとえばアメリカ生活を始めると、どうしても日本と比べて、日本のよさを忘れない。そして老年に差しかかれば帰国して骨を埋めたいと思う。筆者が金沢を訪れたのは日本の古い家並みを見たかったからでもある。駅前に盛んに建つタワー・マンションを見ていると、正直なところぞっとする。地面になるべく近いところに暮らすのが人間だと思っていると、もうそれは古い考えで、金持ちほど高層に住む。その方が地表のごみごみした部分を見なくて済む。さきほどムーギョに買い物に出かけた際、小川に真っ白な液体が大量に流れ、川面いっぱいに広がっていた。夜でもよくわかり、自転車で走って来た親子も驚いていた。保育園裏手の溝から小川に流入していたので、どこが流しているかはすぐにわかるだろう。ペンキの残りかもしれない。以前にも書いたが、筆者の裏庭向こうの小川でも深夜にガソリン臭がすることがある。水量が多い時と夜の暗がりを見計らっての行為だ。タワー・マンションに住めばそんな胸糞悪い光景を目撃せずに済む。金沢の浅野川や犀川でも川を汚して平気な人がいるだろうか。鏡花はそんな人間を作品に描かなかったであろう。