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●金沢にて、旅館
まるのはホテルがいいか和風の旅館がいいか。若い人はホテルが多いだろう。金沢駅前に背丈の高い、有名なホテルがあちこちにょっきりと見えた。



また、兼六園に向かう際、その北西部に若い女性が好みそうなホテルがあって、その前を通りがかった時に20歳前後の女性ふたりが出て来るのに出会った。筆者はネットで予約した。あれこれ探すのは面倒だ。予算を決めれば後はたいてい同じレベルのはずだ。そう思って最初に表示された旅館にした。小さな玄関の写真だけでは不安であったが、思ったよりゆったりしていて、女将はとても気さくで親切であった。翌日の朝食時に小1時間ほど話したが、その旅館もまた駅前ホテルも、平日は半分入ればいいとのことであった。金沢はどうやら宿泊施設はかなり余裕があるらしい。筆者らが泊まった日、他の客は西洋人のカップルが1組だけであったと思う。荷物を置いて散策し、夕食後に宿に戻ると、玄関を入ったところで彼らの姿を見た。というより、男は筆者が玄関を入り、靴を脱いで上がるまでずっと見ていた。50歳くらいだろうか、赤に横縞のポロシャツを着て、頭はかなり禿げていた。日焼け顔をにやにやさせて、あまりいい気はしなかったが、浴場でも会わず、顔を二度と合わさなかった。チェックイン時の宿帳への記入では、筆者らの直前の行に彼らの住所氏名が見えた。オランダからのカップルであった。女将が言うには、金沢に来るのは世界遺産の白川郷や五箇山を回った後で、金沢に一泊して翌日は京都に出るというのが代表的なルートとのことだ。筆者らが泊まった旅館はそういう客がかなり多いらしく、チェックアウトする土曜日の夕方には中国人のグループが来るとのことであった。その後の尖閣問題によるデモ騒動によって、日中関係は急速に悪化し、収入源である中国人観光客は激減しているのではないだろうか。そうならば気の毒だ。ともかく、ホテルも旅館も土日祝しか盛況ではないらしい。泊まった旅館名をここに書いてもいいが、泊まった部屋の写真を載せるのでそれで熱心な人はどこかわかるかもしれない。どんな部屋を予約したのか忘れていたが、通されたのは玄関を入ってすぐの廊下の突き当たりで、30畳ほどであった。今日はその部屋で撮った3枚を載せる。最初は床の間の横手奥、金庫の隣にあった九谷焼きの唐獅子だ。同じようなものは土産店でよく見かける。2枚目は紙表具の牡丹の掛軸。季節外れで安価なものだが、味気ない印刷絵が額縁に入っているよるはるかにましだ。また、壁面の濃く鮮やかな弁柄色がいかにも金沢らしくてよい。3枚目は布団に横になって見上げた天井の網代。襖を開けると隣にも部屋があっテーブルと椅子2客が置いてあった。必要ないのでそこは使わなかった。また、使ってはいけなかったのであろう。布団が敷かれたのは10人ほどは寝られる大部屋で、いくら宿泊客が少ないとはいえ、ふたりで占有するのは申し訳ない気がした。部屋の長辺が庭に面し、全面雪見障子であった。冬場は布団のような雪が見えるだろう。そう思って女将に雪のことを訊くと、温暖化のせいで近年は昔ほど降らないらしい。兼六園の有名な雪吊りの光景は観光客向けで、ほとんど不要とも言う。てっきり11月には雪が降り積もると思っていたのが拍子抜けした。2月はさすがに降るが、道路はすぐに除雪するので不便はないらしい。金沢に行くなら晩秋はもう雪で不便だろうと思っていたが、それは大きな間違いであった。その代わりと言えば何だが、裏日本特有の空で、晴れでもだいたいどんよりしているそうだ。宿は兼六園のすぐ近くで、それが便利かと判断した。これは正解であった。駅前のホテルではかえって名所を散策するのは不便だ。バスに乗る手もあるが、筆者は歩きたい。何度も書くように自分の足で歩き、疲れを感じてこそ印象に残る。
●金沢にて、旅館_d0053294_2116321.jpg

 旅館はネットでは金沢駅からバスで10分ほどと書いてあった。地図で場所を確認すると、どう見ても徒歩15分だ。バスはきっとあちこち回って旅館の最寄の停留所に行くのだろう。バスに乗るのも徒歩も時間がほとんど変わらないとなれば、誰でも歩くのではないだろうか。ネットで探した時、家内には言わなかった。温泉と豪華な料理つきを希望するからだ。それでは温泉地に行かねばならない。夜はどこか別の場所で食べるとして、翌朝の食事だけを頼んだ。そして食堂に呼ばれ、食事の後、女将と話が弾んだ。暇なようで、いくらでも話に乗ってくれる。こっちもゆっくりした旅であるから、そんなことで時間をつぶすのはかまわない。これは詳しく書かないかもしれないが、今回の旅ではもう少し長く話した人と出会った。無言であちこち回るより、人と話すのは思い出になる。話を戻して、女将は筆者と同じほどか少し若いかもしれない。整った顔だ。金沢にまた行くことがあれば同じ旅館にしたい。親から継いだ店のようで、手入れの行き届かないところや古い備品が目についたが、昭和レトロと思えばそれも味だ。筆者が見た限り、当日はひとりで切り盛りしていた。たぶん土日祝の宿泊客の多い日は手伝いの人が数人来るのだろう。筆者らは土曜日にチェックアウトしたから、ちょうど入れ替えに賑やかになったと思う。駅から旅館に行く途中、道路をわたって向こう側に市場らしきにぎやかな場所が少し見えた。そういう場所を歩くのは大好きだ。それで20メートルほど戻って信号を待ち、その通りに入った。アーケードがあって、「近江市場」とある。近江商人が始めた市場なのだろうか。兼六園には近江堅田の松から育てた松が植わっている。近江人は京都にもたくさん出て来ている。北に出た者も多いのだろう。金沢で「近江」の文字を見ると、京都に近い場所であるとの思いがする。帰宅後に「近江市場」のことを従姉に言うと、有名な魚市場とのことであった。それは歩けばすぐにわかった。右も左も鮮魚店だらけで、すし屋も目についた。その商店街を抜けると歓声な街並みだ。そのまま東に向かって歩くと金沢美術倶楽部の古風な建物が左手にあった。最近この美術倶楽部についてある人と少し話したので、『ああ、ここだったか』という思いで見た。全く予期していなかったのに、気になる建物に遭遇出来た。京都美術倶楽部のような鉄筋コンクリートではなく、またその3分の1程度の大きさだが、古い建物を手入れしているので黒光りの重厚さがある。そういう貫禄は鉄筋コンクリートでは出にくい。また、その付近の木造は屋根がみな漆を塗ったように黒光りしている。京都ではそんな屋根はひとつもない。京都は今は淡路産の瓦を使っていると思うが、金沢やその周辺では釉薬を使って磁器の光沢を出している。1枚当たりの単価は淡路産の倍はするのではないだろうか。ただし、より重いかもしれず、地震が心配だ。この黒光りする瓦屋根は金沢の風情に大きな役割を担っている。そういう趣のある建物が両側に並ぶ道を歩くのは楽しい。さらに進むと目の前に郵便局が現われた。土曜日は閉まっているが、横手の窓口は開いているはずで、そこで風景印を捺してもらうことは出来る。スケッチの道具を持参したので、描く気になれば、また時間があれば何か描いてそこで捺印してもらうのもいい。結果を言えば、1枚も描かなかった。いくらでも題材はあるが、描く時間がなかった。描いて間、家内はしびれを切らして黙っていないだろう。
●金沢にて、旅館_d0053294_21171058.jpg

 夜は女将から聞いて近江市場に食べに行った。宿から5分ほどだ。高価な回転すし屋の前に行くと満員だ。外人がそこそこ入っている。カウンター席では落ち着かない。それであちこち歩き回って、近江市場内のビルのとある割烹料理店に入った。そこから眼下に市場内の暗い道が見えた。掘り炬燵式の席に着くと、すぐに突出しが2鉢出た。無料ではない。ほんの一口分だが、ひとり300円をつけてあった。せっかくなのでビールを頼んだ。近江市場内であるので新鮮な魚を食べないわけには行かない。家内も筆者もこれ以上入らないというほどに満腹になった。食べ始めた頃、隣の同様の席に男子高校生と夫婦の3人がやって来た。品のいい家族で、3人とも静かであった。それとほとんど同時に反対の隣の席には大学教授らしき男性が3人座った。距離から言えば教授群の方が筆者らに近く、おそらく筆者の右50センチにひとりが座っている。透けない密度の高い簾が垂らしてあって、お互い顔は見えない仕組みだ。話は丸聞こえで、その内容が面白いので、耳が吸い寄せられた。名刺交換の自己紹介から始まり、まず去年の地震の話題になった。専門用語が出るので、原子力関係か放射能関係の学者のようであった。そのうち、経済問題から日韓併合の話題になった。創氏改名や李王朝を廃させたことなど、日本がいかに韓国人に対してひどいことをして来たかを力説する者がいた。声は比較的若かった。その意見に他のふたりは同調し、今度は世界対日本といった話になった。学者は本をよく読んでいるから、比較的客観的に物事を見て意見するだろう。酒が入ったためか、3人の話はますますヒートアップし、陽気になって声が大きくなった。そのため、耳をそば立てる必要はなかった。そこに筆者も加わりたかった。もしそうなっていれば話はどこに進んだであろう。3人は日本政府に批判的であった。本音はどうかわからないが、大学の教授は他者と話す時はだいたいそうではないか。これは翌日兼六園の中を歩いていた時のこと。背後で大きな男の声が聞こえた。「チョーセンはみな死んでしまえ!」 何事かと思って振り返ると、野球帽を斜めに被り、ダボダボのズボンにTシャツ姿の30半ばのだらしない男が、白のチュニック姿の田舎じみた彼女と手をつないでいた。男はヒップホップのDJか。日焼けして逞しい身体からはたぶんダンプの運転手か日雇いの労務者だ。兼六園の中では異様に見えた。彼女との話が弾んで、竹島問題から韓国を嫌悪し、激高したのだろう。その男と割烹店の隣に座った大学教授らしき3人を思い合わせてみた。学歴の差なのか、育ちなのか、とにかく両者の知識には雲泥の差があるだろう。愛国心はどちらが上かとなると、たいていの人は日本を批判する者はそれがないと考える。だが、それは間違いだ。愛国を唱える者ほど実際はそれとは正反対なことに加担していることに気づかない。大学教授がヒップホップ野郎より賢いと言うつもりはない。ただし、育ちは隠せないし、そのことを知らないことは悲しい。
●金沢にて、旅館_d0053294_2117098.jpg

by uuuzen | 2012-10-06 21:17 | ●新・嵐山だより
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