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●金沢にて、姫だるま
賞に応募するためにはがきをよく買ったものだが、ここ10年近くは年賀状程度で、記念切手もほとんど気に留めなくなった。つい先日「日本郵便」という会社がまた新たに出来たようで、そのパンフレットが配達された。



●金沢にて、姫だるま_d0053294_21485487.jpg

郵政事業は民営化になってどうもややこしい。「日本郵便」は昔の名前であって、それに戻っただけと思うが、実体はよくわからない。手紙魔であった筆者が今ではめったに自筆の封書やはがきを書かないから、郵便は売り上げがずいぶん減ったのではないだろうか。そのために記念切手はやたら発売される。しかも以前なら、1シートに記念切手が20枚で、四方の余白は無地で素っ気なかったのに、今ではえらく派手になっている。戦前や戦後すぐはこの余白に記念切手の名称を時代を感じさせるレタリングで刷ることが普通で、70年代にすかり無地になったと思う。その昔の伝統をもっと過激にしたのがここ10数年の記念切手のシートだ。切手は昔の半数の10枚で、余白には切手に因む別の絵が大きく印刷され、すっかり収集家向きとなっている。切手だけ切り取って使えばいいが、余白に印刷された絵をちぎってしまうのがもったない。それでシートのまま保存ということになる。そうなれば日本郵便は儲かる一方だ。そのことをもくろんでそのようなデザインを採用している。この派手なデザインはごくたまにであれば歓迎だが、出る切手すべてとなればありがたみがうすい。かくて筆者は今では記念切手を買わない。それでも頻繁に手紙、はがきを出しても一生使い切れないほどの切手を所有している。半世紀前に母や郵便局に並んで買ってくれたものがたくさんあって、チケット・ショップに3割引きで売る気にはなれない。かといって、手紙を出すには10円切手を8枚も貼らねならず、消費税が上がるとさらに1,2枚増えて宛先と名前を書く余白がなくなる。話題を変える。今朝半年か1年ぶりに懸賞の応募にはがきを使った。昔は「官製はがき」と断ってあったが、「日本郵便」が株式会社であればそうは呼べないだろう。懸賞の応募には必ず「官製はがきを使用すること」とあったのに、今朝応募しようと思って要綱を読むと、「はがき」とだけあった。それでは絵はがきでもいいかと一瞬思ったが、目立ち過ぎていい場合とそうでない場合がある。それで年賀状のあまりから1枚選んだ。毎年3,4枚はあまる。裏は絵を印刷してあるので、表の下半分を使う。応募したのは家内が昨日もらって来た京阪電車の無料の月刊誌だ。そこにこれから開催される美術展のペア・チケットが10種近く抽選で当たることが書かれてあった。2,3年前に当たったことがあるので、たぶん無理だ。それでも年賀状のあまりを持っていても仕方がない。大阪で開催される「エル・グレコ展」を希望すると書いて送った。正確に言えば家内に持たせて通勤途中でポストに入れてもらうことにした。そう言えば今日は家から一歩も出なかった。ネット回線がNTTのフレッツ光に切り替わる工事のために家にいなければならなかったからだ。工事は1時間でもその後のパソコンの設定が予想以上に時間を要し、ネットが使えるようになるまで4時間かかった。その顛末は機会があれば後日書く。
●金沢にて、姫だるま_d0053294_21494047.jpg 2,3週間前、郵便局で年賀状の広告を見た。もうそんな季節になっている。毎年やめようと思いながら惰性で出している。それはさておき、1955年、筆者が4歳になる年度の年賀切手は加賀の姫だるまをデザインしている。この切手を初めて見たのは小学6年生だった。このデザインの面白さは、白い紙の真ん中に姫だるまを印刷し、その周囲全部が白地のままであることだ。つまり普通のデザインは目打ちが白い額縁のようになっているのに、その白さが絵の中まで入り込んで、額縁としての境界がない。そのため、姫だるまは白い雪に包まれているように見える。それがとても印象深かった。また、年賀切手は郷土玩具をその頃から毎年図案に採用するようになったが、筆者が伏見人形を集めるようになった遠因にはこの小学生時に収集し始めた切手のうち、年賀用が影響している。また、加賀に姫だるまという郷土玩具があることを知ったのに、ずっとこ後年に郷土玩具の本で見はしても、その実物は長年見ることがなかった。それが金沢に行って出会った。旅館からさほど遠くない通りのウィンドウに飾られていて、写真を撮った。年代物で、手垢で汚れた大振りなものだ。1955年の年賀切手のものとは雰囲気が違うが、加賀の姫だるまであることは変わりがない。太い蝋燭や上方には鯛夷の人形も飾られる。これらも加賀のものだろうか。説明はなかった。姫だるまはたぶん張子と思うが、鯛夷もそうだろう。落ちても割れないので高い場所に展示した感じがする。このウィンドウは伊能忠敬が昔宿泊した家のもので、伊能関係の資料が最も手前の目立つ場所に展示されていた。算盤の左手だ。だが、それを写さずに姫だるまに焦点を合わせた。伊能が泊まったことを誇りにするほどの代々続く商家で、また伊能研究家にはよく知られた家かもしれない。筆者は伊能にあまり関心がない。だいたい伊能ばかりが有名で、伊能を生む土壌を作った大阪町人の天文学者たちがあまりにも知られない。これは芸術だけでなく、学問もみんな江戸、東京が一番という風潮を関東の人間が作ったからだ。昨日京都はあらゆる工芸の源の地と書いたが、宗教でも美術でも学問でも京都大坂の上方が中心であった。また、金沢と京都の最大の違いは、後者にやたら寺社仏閣が多いことだ。これに関係して一昨日は自治会内である相談が持ちかけられた。そのこともいずれ機会があれば書く。兼六園の写真が続くのは面白くないので、今日は違う写真にした。家内の横向きの姿が反射している。それも思い出ということで。
by uuuzen | 2012-10-04 21:49 | ●新・嵐山だより
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