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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●金沢にて、兼六園その1
六園を訪れるのは25年ぶりだ。息子が幼ない頃、妹の家族と一緒に車で金沢に一泊旅行に出かけた。先日ネットで調べると、1987年に出来て数年前に閉鎖になった。



●金沢にて、兼六園その1_d0053294_1623829.jpg温泉つきの遊戯施設で「ルネスかなざわ」という。出来てすぐに訪れた。金沢駅からかなり遠いと思っていたところ、北西にさほどでもなかった。雑魚寝のような形で一泊した記憶がある。子どもが喜ぶだろうと考えて出かけたのであって、筆者は金沢市内をゆっくり観光したかった。ところが一泊した翌日に兼六園をざっと見ただけで、高速道路で京都に帰って来た。と言いながら、道路にはさっぱり詳しくない筆者で、当時金沢に高速道路があったかどうかは知らない。帰りは敦賀に立ち寄って、気比神社の鳥居近くの寿司店で食事した。その時も気比神社を見たいなと思いながら、便乗させてもらっている手前、筆者の好みを言うことははばかられた。そうなると、欲求不満が長年解消されない。今でも気比神社に機会があれば行ってみたい。ところが車に乗らないとなれば、なかなかそんな機会はやって来ない。どうせなら家内と一緒であるし、仕事を持つ家内の休暇を考えて計画を立てねばならない。これがなかなか難しい。年に2,3回あるかどうかだ。その時に筆者のつごうもつけばいいが、筆者もそれなりに多忙だ。そして計画は筆者の役割で、いつも数日前に決める。先月8,9,10日は家内の夏休み最後の3連休で、そのことが2週間ほど前に決まった。その3日間を全部使うか、2日だけ使うかを考え、11日は出勤することを思えば10日は家でゆっくりした方がいいと判断し、金沢に行くことにした。旅館を予約したのが4,5日前だ。今日からしばらくはこの金沢への一泊旅行記を、集中か断続かわからないが、書くことにする。写真の整理は数日前に終わり、後は文章を書くだけだ。見て回った順に投稿すべきだが、筆者の頭の中では記憶はそのように収まっていない。それで趣向を変えて、思いつくまま順不動で載せる。それもまた面白い。先に書いておくと、気比神社は金沢からの帰りに立ち寄ろうとしたが、もうその気力がなかった。いつかはと思うものの、そのいつかがいつやって来るか。気比神社から東の天橋立や城崎を回って京都に戻って来る旅行もいいかと思うので、数年後には実行しているかもしれない。だが次に訪れたいのは福岡だ。昔から気になっているところを訪れたい。何だか死土産のようだが、「いつまでもあると思うな余命」だ。気がかりなことは順に消化して行くに限る。昨日副会長から電話があって、副会長のすぐ近くのある人が63で亡くなったことを聞いた。今日は午前中にその知らせの文章を書いて自治会内に配布した。63歳と聞いて驚いた。筆者ならもう2年しかない。残り2年と言われればどう過ごすだろう。その人は肺が悪く入退院を繰り返していたという。それでは旅行どころではない。元気な間に、動ける間にあちこち行っておくに越したことはない。
●金沢にて、兼六園その1_d0053294_16220347.jpg
 旅行の目的は珍しいものを見ておいしいものを食べることにあるというのが世間の相場だ。筆者もその部類だが、おいしいものはあまり関心がない。最も体験したいのは町並みの空気を味わうことだ。それも自分の足を使うことに限る。なぜ金沢に行きたかったと言えば、25年前はほんのわずかしか見ていなかったからだ。前に書いたと思うが、その25年前、兼六園を見た後かその前か記憶が判然としないが、兼六園からさほど遠くない場所で車をわずかに停めた時間があった。その理由を覚えていないが、たぶん何か買い物か、トイレに誰かが駆け込んだ。車に乗ったままの筆者もふと外に出てみたくなって、ドアを押してひとりで外に立った。すぐ目の前に路地があった。突き当りまで20メートルほどか。そこを入った。地面は濡れていた。晩秋で、昨夜は雨が降ったようだ。落ち着いた木造の家が並んでいて、突き当りに「趣味の切手 ○○」と書く小さな看板が見えた。その家並みがいかにも金沢らしくて気に入った。突き当りまで行ってすぐに車に戻った。もうみんな車に戻っていて出発せねばならなかったからだ。それが大いに不満であった。その25年前の懐かしいような路地にまた立ってみたいという思いが25年くすぶり続けた。それでついに9月にその場所を再訪しようと決めた。ごく普通のどこにでもあるような路地に入ってみたいのは、観光とは言えないだろう。名所旧蹟でもないところをなぜわざわざ見たいのか。理由はひとつ。長年気になっていることを解消したいだけだ。旅館を予約する前にまずネットで金沢の地図を調べた。25年前とは違ってとても便利だ。旅館の予約から名所の場所確認まで何でも即座に用を足せる。「金沢 趣味 切手」で検索し、ここは脈があると思える場所を2,3調べた。それをプリンターで印刷した地図に記した。だが、25年も前のことだ。ごく普通の古い家並みがそのまま保存されているだろうか。家は建て替えられ、昔の空気はなくなっているかもしれない。そうなれば同じ路地に立ってもわからない。それに筆者の脳裏にある光景は写真で言えばわずか2,3枚だ。しかもあちこちぼやけている。ぼやけながらも気配だけ濃厚に刻印されている。記憶は不思議なものだ。大切なのは映像ではなく、空間に立った時の気配だ。これは写真はあまり意味がないことを意味する。二次元の写真は眼前にある光景を切り取るだけのことだ。そこに写らない横や後方の空気を感じさせない。やはり人間はその場に体ごと立たねばならない。体感だ。体感写真はあり得ない。あるとすれば自分の脳に記憶される画像だ。25年前にたまたま立った金沢市内の路地は予期せぬ出会いで、写真を撮らなかったからこそ、記憶が鮮明になった。これは面白い。写真など意味がないことをさらに知らせる。ケータイ電話が出現して恋人たちは誰にはばかることもなく、いつでもどこでも会話出来るようになった。その便利さを覚えるともう手放せないだろう。だが、ケータイがなかった時代の恋人たちが不幸であったかというと、そうではない。むしろ便利さがなかった分、思いは募った。もどかしさは価値を高める。また、今頃どうしているだろうといった思いは、前回に会った時の余韻を反芻、持続させ、次回に会うことの期待を膨らませる。それが恋というものだ。筆者はケータイを持たない。そんな昔の恋をまだしたいと思っているからではないが、便利さは時として迷惑にもなる。筆者が車を乗り回すのであれば、25年も待たずにとっくの昔に金沢を再訪している。そういう人生もいいが、25年待つのもいいではないか。また、金沢のとある路地をもう一度見たいというのは、25年も待てるだけの些細なことだ。その些細なことがしばしば人生の最も重要なことになり得る。人間ははかないもので、ほんのわずかに現生に影を留めるだけの存在だ。些細な人間が些細な記憶をたどろうとする。これは美しいことではないか。さて、今日は兼六園で撮った筆者と家内の写真を載せる。気まぐれ、例外だ。筆者はめったに自分の姿を撮らない。1年に1回もない。旅行中筆者の姿を家内に撮らせたのは下の1枚のみだ。スーパーのビニール袋をぶら下げるのはいつものことで、金沢まで来て同じ格好をしている。
●金沢にて、兼六園その1_d0053294_16231169.jpg

by uuuzen | 2012-10-02 18:51 | ●新・嵐山だより
●嵐山駅前の変化、その251(... >> << ●金沢にて、兼六園その2

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