このカテゴリーに久しぶりに書く。その後も夢は見ていたが、きわめて私的な内容であったり、またあまりにエロ・グロであったりしたので書かないでおいた。それに、大抵は見た後すぐにごく一部を除いて全体がぼやけてしまい、書くに足りるほどの夢の長さではなかった。そのことが書かなかった一番大きな理由だ。
なぜ以前とは違って起きたばかりですでに夢の大半の記憶が失われるのかを最近考え続けていたが、夢のこと以外に毎日書くべき内容がたくさんあると、夢もあまり見ないようであることがわかった。毎夜疲れていることも原因かも知れない。ここ2、3週間は就寝は深夜3時過ぎで、これはそれ以前より1時間半ほど遅い。そのためどうしても起きるのが朝11時近くなってしまう。熟睡はしていると思うが、充分に眠ったと身体が感じて起きた時は、見た夢もほとんど消去されているようだ。昨夜も寝たのは3時で、眠っている間にいくつかの夢を見たことだけは覚えている。だが、どんな内容かはわからない。充分眠って自然に目覚めると、きっと起きる直前に見た夢もほとんど忘れると思うが、今朝に限って10時半頃に電話の音でたたき起こされた。電話は梅津に住む従姉からで、電話の音が鳴り響いた瞬間、夢から目覚め、夢の内容が鮮明なまま記憶されることになった。それで今は午前11時半だが、早速このカテゴリーに書くことにした。久々なので何だか得をした気がする。せっかく気持ちよく眠っているところを起こされると気分はよくないものだが、7時間半も眠ればもういいだろう。とはいえ、鏡を覗き込むと、両目が赤く充血している。昨日は終日切り絵作りをし、そのため目の酷使は限界をほとんど越えていた。7、8時間の睡眠程度では目は元に戻らない。最もよいのは目を休めるためにパソコン画面や本を読まないことに限るが、よりによって見た夢が本についてなのだから、夢の内容も身体の状態と深く関係していることも考えられる。さて、夢はいつものように最初がぼやけている。それに急に起こされたため、最後も中途半端に終わっているが、夢そのものが中途半端なものなのでかまわないだろう。
商店街を歩いている。京都の三条商店街のような古いところだ。ほとんどその商店街と思ってもよい。それを東から西に向かっている。西端の出入口から150メートルほどのところで、北側の家並に近い方を歩いている。すると、ある店の前で古本が無料ですよという声が聞こえる。60歳ほどのおばさんが張り切って道行く人に声をかけている。白い半袖のシャツに下も白っぽいスカートだ。初めて見る古本屋があれば必ず入ることにしているが、本が無料とはこれはぜひとも中を覗く必要がある。こんなところに古本屋はなかったはずだと思っている一方で、そう言えば眼鏡をかけていつも神経質そうに座っていたおじさんがいたかなと思い直してもいる。現実の三条商店街に古本屋はないが、夢では暗にその商店街のような気がしている。そして店内に入る。一瞬にして8畳ほどの畳部屋に立っている。薄暗い。天井は黒く、電球がひとつ灯っているだけで、部屋の隅の方は近づかなければほとんど見えない。さきほどのおばさんはせわしなく動き回って、部屋を出たり入ったりしてはしゃいでいる。それでまずそのおばさんに「御主人は亡くなられたのですか」と訊ねてみようと思ったが、知り合いでもない人の死を質問することは無礼だなと思いとどまる。それに、古本を無料で持って行けというからには当然主人は死んだからに違いない。それにしてもこのおばさんは汗をかきながら笑顔で人に対応しているが、よほど主人の古本屋経営が気に食わなかったのだろう。無料でもいいからすぐに処分したいという気持ちがありありと見えている。それが多少不愉快だ。それでも無料はありがたい。
本棚は部屋の片隅と、それと対角線を結ぶもう片方に立っている。つまり、四隅のうちの半分が本棚で占められている。だが、あまり大きな本棚ではない。幅は150センチ程度だ。まず部屋に入ってそのまま直進した突き当たりの隅の右壁にある本棚を見る。全体に光があまり当たっていないので背表紙がどうにか確認出来る程度だ。箱に入り、また箱にかぶせたビニールがそのままなのはいいが、どの本も背表紙全体にやもりが這い回ってくっつけた糞だらけで、手に取るのはおぞましい。そのため背表紙だけ順に眺めて行く。文学全集もののバラや、美術本もあるが、どれも大体は昭和30年代かそれ以前の古いもので、中には見たことがない奇妙な本も混ざっているが、全体的にあまりほしいと思えるものではない。これなら無料は当然だ。ところがおばさんはしきりに宣伝文句を唱えている。「3000年前の本もありますからね。どれも無料ですよ」。『まさか3000年前などとはあまりにも本に無知な人だな。そんな人だから主人が亡くなっても本に愛着がなくてこうして無料で処分しようとしているに違いない。それでも本がこのような汚れた状態では売れないのがあたりまえで、そのために夫婦は仲が悪かったのかもしれない。いや、待てよ。勝手に主人が経営していた古本屋の蔵書だと決めているが、それが正しいとは限らない。この古さからしてひょっとすればおじいさんの代のものとも考えられる』などと思いつつ、さらに本の背を確認し続けると、中にはどう考えてもおかしい本がある。どんな本でもいつ頃出版されたかはすぐにわかるが、未来におけるその中の過去、つまり未来の古本としか思えないような、変わった名前やデザインの本がある。すると、おばさんの言う3000年前の本というのも当たっているかもしれないと不安な気持ちになる。『自分が立っているのは2005年ではなく、ひょっとすれば5005年かれしれない。死んだのは自分で、その魂が5005年に現われ出て、商店街をさまよっていると考えることも出来る。いいや、そんな馬鹿な。確かにこれは現在に違いない、おかしいのは3000年前の本だと言うおばさんだ』。
最初の本棚の本は糞まみれでもあり、どの本もさほどほしいとは思えず、次にその対角線の反対側の本棚の前に行く。前よりは電灯の光がよく当たっている。それにどの本もやもりの糞の跡はないようだ。この中からなら選べそうだ。すでにひとりの男が本棚の前に立っている。男の右側に立ち、本の背表紙を順に見始める。相変わらず箱入りで、帯がついているのも多い。目の高さ当たりの棚に、新潮社が30年ほど前に出版した「創造の小径」シリーズがバラバラとあらこち並んでいるのを見つける。これが無料とは嬉しい。古書でも高値であるからだ。自分の持っていないものをまずゲットしようと思い、背表紙を確認する。『あれっ、アレシンスキーは持っていたかな』などと思いながら、見つけたものを急いで6、7冊抜き出す。どれも箱入りで状態も悪くない。ところが不思議なことに本は全部大きさがわずかずつ違う。これはどういうことだろうか。後でそのことを考えることにして、取りあえず本を左手の掌に積み重ねるとずしりと重たい。隣の男もこのシリーズを狙っていたようで、2、3冊はやられたようだが、ま、仕方がない。ゲットした最後はヘッセのものだ。ヘッセの水彩画が箱の表紙に印刷されている。しかし、「創造の小径」シリーズにはヘッセの巻はなかったはずなのにおかしいなと思っている。ヘッセだけは2冊あって、2冊とも確保したが、1冊はかなり箱が痛んでいる。いつかネット・オークションに出品してもいいかと、実利的なことを考えている。「創造の小径」のほかにもほしい本がありそうだが、せっかく手にした本をどこに置こうかと思っていると、背後におばさんがいるので声をかける。「あのう、これも無料ですか」「ええ、どれでも無料です。3000年前のもありますからね」「ええ、それで、この本はあっちの隅に置いたままでもかまいませか」。おばさんは部屋の出入口を入ってすぐの右壁際の、筆者の手荷物が置いてある場所を見る。そこにちょっとした資料や筆記用具類が入ったビニール袋や、風呂敷、それにもう少々別の荷物をまとめておいたのだ。それらは蛍光燈の光で明るく照らされ、畳に座って眺めているような低い視線で筆者はしばし見つめる。それらの手荷物だけで手がかなり塞がってしまうので、本をたくさんもらっても持って帰るのに苦労することはわかっている。だが、幸いなことに風呂敷があるから、それに包めばよい。筆者の手荷物を眺めた後ですぐにおばさんは「ああ、いいですよ」と答える。それでひとまず本をその部屋の隅の自分の荷物と一緒に置く。そしてまた本棚の前に戻る。
次に目をとめたのは、腰の高さあたりの段の半分ほどを占めている源氏物語のシリーズだ。これは本の厚さがいろいろの、全部で20冊ほどのシリーズで、全体を包む紙の箱に入っている。その箱の一部が見えていて、黄色地に黒の文字で目立つように価格が印刷されている。確か「セット価格298000円」だった。これは全巻予約者のための価格で、バラで買うとさらに5万ほど高い旨とその数字がその下に書いてある。それでもこんなセットものは今では誰も買わない。ネット・オークションでも2万もしないこと明白だ。無料なら持って帰るのもいいが、両手は充分塞がっていてもうその余裕はない。それでも未練がましく、1冊を手に取る。その瞬間、そのシリーズのうちの1冊がすでに抜き取られていることがわかる。20数冊がびっしりと隙間なく並んでいると思ったのは部屋が薄暗いからで、実際は右端近くの比較的うすい本が1冊なくなっていた。その分だけ隙間があるのだ。『ああ、そうか、誰か先に1冊だけ持って帰ったのだな。そうしておけばもう誰もこのシリーズには興味を示さないからな。うまい手を使う奴がいる。だが、卑怯な奴だ。セットものはセットのまま持って帰れよ』。そんな不満を思いつつ、手にした1冊を箱から出す。本はクロス装で、生地の色は濃いエンジ紫だ。それがいかにも源氏物語に似合っている。ところがよく見ると、裏表紙の下隅が丸みを帯びている。裏側の見返しを確認すると、隅があたかもローが溶けたように角が丸く減少している。虫が食ったではなく、また本を強く何かで擦って減ったためでもない。ちょうどローが火に溶けて丸みを帯びてしまうのに似て、角が1センチほどトロリと後退している。読むのに差し支えはないが、それでも一見新品に見えるシリーズ本の1冊がこうであれば、他もどんな具合になっているかはわかったものではない。先に1冊持って帰った奴も後で驚くだろう。無料というのもこういった本であるならば当然かもしれない。どの本もまともなものがないようだ。そう思って他の本を確認すると、こけしについての数冊のシリーズを始め、興味をそそる豪華な美術本などがまだまだたくさんあるにはある。さて、これらをどう確認しようとかと思い始めたところで目が覚めた。
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古本屋の夢はよく見る。今朝見たものは古本屋の主人は直接には登場しないが、心の中では顔や姿がはっきりと見えている。そして、「あのおじさんが亡くなったのか」と思っている。そのおじさんは現実に存在するのではないが、以前に見た夢の中で出て来たことがある。現実にモデルがいないわけではないが、そのモデルとはやはり全く似てはいない。夢の中で作り上げた人物ということになる。そのおじさんがどうやら死んで、家の者は古本屋を廃業したようだが、いつまた夢の中で生き返って登場するかわからない。無料で本を処分するという場面には、以前京都ドイツ文化センタで一度あった。それが反映したのかもしれない。