裕福でないとザッパのアルバムを全部買って聴くことが出来ないと言ってよい。YOUTUBEではたとえばザッパのアルバム『フリーク・アウト』が丸ごと投稿されているので、CDを買わなくてもザッパの音楽は楽しめる。その気になれば無料同然なのかもしれない。
妻ゲイルがYOUTUBEに夫の音楽が載せられることに対して訴訟しているのかどうか知らないが、自分たち家族に1セントも入って来ないのに、作品が無料で公開されていることを苦々しく思っているのは間違いない。それもあって、手変え品変えしてザッパのアルバムを発売し続けるのではないか。これは金儲けの側面とは別に、夫の作品を考えられる限り、合理的網羅的に世に送りたいとの思いによるだろう。ファンは後者を思えばこそ、買い続ける。さて、YOUTUBEのほかにも自分が所有する音楽をファイル共有ソフトを使って他人が無料でダウンロード出来るようにしている人は無数にいるはずで、取り締まるにしてももはやほとんどなす術がない。CDの売れ行きが年々悪化するのは当然で、もはや音楽は無料とでも若者は思っているのかもしれない。そうなればCDはダウンロードにはない何かを付加価値とするしかない。それは手に取って見える形を持つ「モノ」であって、また通常のプラスティック・ケースを用いたCDではなく、より手製の匂いのある紙ジャケCDに人気が集まるのは必然であろう。それはLPを知らない世代にはLPの味わいが感じられるし、LP世代はコレクターズ・アイテムのようにもっぱら眺めて愛玩する。ならばいっそのことLPが復刻されればいいが、それは元が取れる名盤では今も行なわれている。たとえば筆者がここ数か月夢中になっている女性ヴォーカリストは、全作ではないが、CDとLPで新譜を発売している。LPは6000円近く、CDの3倍ほどの価格だ。それでもLPが売れることは、音楽をCDのような掌サイズではなく、胸の抱えるほどの大きさで実感したいからだろう。それだけ自分にとって大きな存在であると思いたいのだ。また、そうしたモノとしての思いとは別に、アナログの音の優しさに魅せられもするからだ。カセット、そしてCDで音楽を聴くことがあたりまえになってからは、音楽がそのサイズに見合ってますます小さなものとなった。ダウンロードして聴く人はさらに、飽きればすぐに別のものをと、音楽を空気のようにただただ消費するものと思うのではないか。LP時代では、針が摩耗することもあって、レコードを聴く行為は一種聖なる様相を帯びていた。その聖性が限りなく減って来て、CD時代、ネット時代に生まれた人はそういう観念を持たないかもしれない。音楽は目に見えないから、同じように限りなく目に見えない道具を使って聴くのが理想的と思うだろう。だが、重さのある身体を持つ人間は、同じように目に見えて重量を感じることの出来るものに愛着を抱く。それが本であったりレコード、CDであったりする。頭が覚えていることとは別に、手触りの感触というものがある。それはCDよりLPが多い。
8月上旬にザッパのリイシューの輸入盤『HOT RATS』をアマゾンで買い、その感想をこのカテゴリーに書いた。お盆過ぎてすぐ、京都三条の十字屋を覗くと、10年前より品揃えが閑散として、もはやCD店の体をなしていないように感じた。次に四条河原町のタワー・レコードに行くと、リイシュー盤はどれも完売していた。そのため、『HOT RATS』以外まだ手に取って見ていない。アマゾンで予約すれば1枚ものでは1500円ほどと安いが、ザッパが生前に発売した60作となると合計で10万円ほどになる。経済的余裕のある中年ならまだしも、若い人は一度には買いにくい。また、60点のアルバムを全部じっくり味わうには、1作1週間でも1年以上かかる。これはザッパの音楽はマニアになることを強いていると言ってよいが、毎年湧いて来る若い世代のどの程度がザッパのCDを全部買うのかとなると、ファン・クラブがあるわけでなし、誰も調べたことがない。また調べようもないのでわからない。一時期ファンであったが、今はすっかりやめているという人もあるが、好きで聴けばいいだけのことで、他人のことはどうでもよい。ただ、LPからCD、そして紙ジャケ盤や今回のユニヴァーサル・ミュージックが発売中の再発ものなど、おおまかに見れば同じ内容の音楽が、ごくわずかな差があるといっては次々に発売されると、それらも全部揃えるのは中年でも大変なことだ。再発によって、ザッパの音楽の世界はもとより複雑であるのに、それに輪をかけて混沌として行く。さまざまなヴァージョンのLPやCD全部を所持することに決めているファンは日本で数十人いるだろうか。ま、前言にしたがえばそれはどうでもよい。筆者が想像するのは、今回の再発で驚いてはならず、数年先にはLPが再発されているかもしれないことだ。オリジナルどおりのプレスはもう不可能であろうから、新たなマスターテープを用意しての発売で、これは筆者のようにLP時代から聴いているオールド・ファンもオリジナルと聴き比べねばならないから、ザッパ・ファミリーの呪縛に死ぬまで囚われ続ける。それを「縁」と思ってとことん付き合う考えのある人が今後増えるのかどうか。いやいや、そんな心配はしても仕方がない。実は今年1月にザッパ・ファンからメールが届いた。ネットに公表しているアドレスで、めったに開かないので、返信は6月になった。メール内容は、長年愛情をかけて集めたザッパのコレクションが自分が死ねばどうなるかという思いだ。これは筆者も切実で、返答に困った。大量の本やCD、その他集めたものをいつ頃から処分すればいいか。筆者がどうにかしなければ、おそらく全部無料かお金を払ってゴミ回収業者に持って行ってもらうことになる。
『ザ・イエロー・シャーク』公演を見に行った時にフランクフルトで知り合ったザッパ・ファンは、彼女と別れた際にきっぱりとコレクションを処分し、ファンをやめてしまった。失恋の痛手の中でザッパの活力ある音楽を聴く気になれないと書いてあった。そういうファンのあり方もあると思った。音信が途絶えたが、すっかりザッパには関心がないだろう。ビデオアーツ盤の紙ジャケのデザインを担当した梅デ研のUさんによれば、20代のファンが年々少しずつでも出て来ているそうだ。彼らは今からたとえば筆者のように長年聴き続け、またLPまで揃えるだろうか。それには時間も金も多大に要する。先に書いたように、今後も旧アルバムの何とかマスター盤は定期的に企画されるだろう。CDの音質がさらに向上するとか、あるいはモノとしての形があってCDより使い勝手のよい媒体が発明される可能性もある。そのたびに大量のザッパのアルバムが装いも新たに発売されるのは必至だ。それをうんざりと思わないのがザッパ・ファンで、ザッパの名前が自分の死後も残ってほしいというファン心理から、新たに発売されるものには必ず手を伸ばしてみる。さて、『HOT RATS』の感想を書いて以降、現在『SHEIK YERBOUTI』までの24点が出ていると思うが、売れ行きが芳しくないのか、ネットで調べてもあまり情報がない。輸入盤が1500円ほどという低価格であることもあって、日本盤は出ないと思っていたが、梅デ研のUさんがお盆直後に久しぶりにメールを送って来て、そこには日本では紙ジャケとして出る予定があると書かれていた。そしておよそ1か月経った昨日、ユニヴァーサル・ミュージックから電話があり、11月下旬に15作をひとまず発売したいという話を聞いた。解説は筆者が担当する。各作とも一応4000字で、入稿までちょうど1か月間しかないから、2日に1点書かねばならない。今日はその心準備の思いがあってこの話題にした。長らくライナーを書いていなかったが、それも手伝って今までとは違う視点からと考えている。アメリカでもまだ全作出ていないので、日本盤が今後どのように出るかはわからない。アメリカと同じくプラスティック・ケースに収めて出すのであれば簡単だが、ビデオアーツの時と同じく紙ジャケ仕様で出すことになった。ジャケットはビデオアーツ盤と同じデータを使って複製するのではなく、新たにデザインするそうだ。紙ジャケCDは、ザッパがLPで発売したものではそのミニ・サイズということで妥当性があるが、CDでしか発売されなかったものをいわば無理やり紙ジャケにするのは、タイトルによっては不つごうもある。その点、今回どうなるかは未定だ。ともかく、帯つきの日本盤が出ることだけは確定したので、そのことを報告しておこう。以上で3551字で、4000字はそこそこ読み応えがあるか。