皺やシミが増え、腰が曲がって動くのが億劫になって行くことを想像すると、誕生日は来ない方がいいと思うが、時は止まってくれない。

今日は61回目の誕生日だ。暑い盛りに生まれたので夏は強いと自負しているが、それでも猛暑は誰にとっても同じで、今年は汗疹をたくさん作ってしまった。それが収まる頃には秋風が吹いて寒い冬が来るのはいやだなと思っている。だが、冬になるとまたそれはそれでよい。ということは老人であっても生きていることはいいということだ。生をそのように肯定的に思わねば人生に敗れることであり、敗者を認めるのがいやならば、とにかく生きている間は楽しくやるのがよい。家内が昔から言うには、筆者は女に悪いことをしなければ95歳まで生きるらしい。だが、悪いことをしたから無理だろう。それを家内に言うと、済んだことはいいので、これから心すればよいとのことだ。何ともいい加減な話だ。この家内の話を年上の女性に話したことがある。その時の答えが奮っていた。女に悪いことをするという意味を全く正反対に捉えればいいではないかというのだ。つまり、女の方は迷惑ではなく、喜ぶかもしれず、自制する必要はないとの意見だ。これには笑った。20そこそこの若い女性ならいざ知らず、もっと年上の女性はそんな思いで男との出会いを待っているのかもしれない。ま、そんな話をしていた頃の筆者は若かったが、今はもうアホなことをしている場合ではない。そう言いながら、まだまだ現役だぞという思いもある。定年のない仕事を選んで来たのであるから、収入面でも無理やり現役でどうにか働かねばならない。そう言いながら、いっこうに「はた羅漢」ぶりの日々で、しかもそのことに危機感がなく平気であるのは、長年の間に精神が鈍化して図太くなったのかと思わないでもない。やはり年齢は正直なものだ。心に皺やシミが増える。これを整形手術で除去出来るだろうか。またその整形手術とは具体的にどういうことか。何事も若返りがいいとされる時代で、心の皺やシミは若い人と話をしてエネルギーをもらうといったことで消えるとも考えられている。キャバクラやホストクラブはそういう目的のためにある。だが、若い人は老人に接近されるのがいやなのはあたりまえで、これは自分が若かった時を思い出してもわかる。それで筆者はあまり若い人とは接するのではなく、年配の人に接近して喜んでもらう方がいいと考える。地蔵盆に自治会内のたくさんの老若男女が集まっている時、筆者が進んで話をするのは70代から80代のおばあさんだ。彼女らと対話するのが一番楽しい。その次は2歳くらいの子どもだ。今年は2,3人そんな子を相手に遊んだが、すぐそばでその様子を見ていた奥さんはけらけら笑っていた。筆者がまるで2,3歳の子と同じように見えたのだろう。自分でもそう思う。話を戻して、若い人からエネルギーをもらうという表現は好まない。こっちが若い連中にエネルギーを与えてやるという思いの方が強い。もちろん体力はないから、これは気力のことだ。
今日取り上げる曲は誕生日のために選んだのではない。ここ1か月ほど、ほぼ毎晩ブログの文章を書きながらYOUTUBEでこの曲を聴いている。フリートウッド・マックという男女5人のグループが『噂』と題するアルバムを1977年に大ヒットさせた。当時盛んにこのアルバムはラジオから流れた。筆者はその頃ザッパの音楽ばかり聴いていたので、『噂』の噂は充分知りながら、その全体にソフトな音のどこがいいのかさっぱりわからなかった。ジャケットはなかなか洒落た写真を使っていて、左に立つのはフリートウッド・マックのリーダーであるイギリス人のミック・フリートウッドだと思うが、彼はドラマーだ。その右に天使のような服を着て妙な格好で写るかわいい女性が、今日取り上げる曲を書き、また歌うスティーヴィー・ニックスだ。フリートウッド・マックはどことなくABBAを連想させるが、音はアメリカの鄙びた感じが強い。また、筆者はこのバンドをよく知らず、また知ろうとも思わないのは、ザッパのような強力なリーダーがバンドを統率支配する形ではなく、スティーヴィー・ニックの参加からもわかるように、作詞作曲出来る才能が寄り集まった混成バンドであるからだ。それはビートルズに似ながらも非なるもので、バンドとしてもまとまりがあまりないように感じるが、ただしそれはアルバム『噂』のみを、しかも1回限り聴いたことによる思いだ。ともかく、このカテゴリーの取り上げるからには、LP『噂』は所有している。買ったのは20年ほど前だ。100円ほどであったから買った。ほとんど新品で、最初に買った人は『噂』の噂によって音楽に期待したが、拍子抜けしたのではないか。筆者はともかく通して聴こうと思い、A面から聴き始めた。2曲目が今日取り上げる「DREAMS」で、以前から知ってはいたが、改めて聴くと一回でたちまち気に入った。ところが、他の曲はこの曲とは全然似ておらず、同アルバムを通して聴いたのはただの1回限りとなった。その分、「DREAMS」のみを100回は聴いた。CDは所有せず、また去年新しく買ったアンプはレコード・プレイヤーをつなぐと雑音が大きくなるので、LPを聴く気になれない。YOUTUBEで検索すると、たちまちLPヴァージョン以外に後年のライヴ演奏がアップされていることを知った。残念なのはCDプレイヤーのようにリピート機能がないことで、4分少々の演奏が終わるとまた画面に戻って画面下左端の円計矢印をクリックする必要がある。「画面に戻って」というのは、こうして文章を書いていると、映像は見られず、音楽のみをBGMとして楽しむからだ。ステレオ装置で大きな音で聴きたいのはやまやまだが、それにはCDを買わねばならない。いや、YOUTUBEにアップされている音をダウンロードしてCD-Rに焼けば済むが、その手間をかけるならばCDをアマゾンで買うかネット・オークションで落札した方が早い。結局YOUTUBEにアップされたこの曲を、100円で買った緑色に光る安物のUBS接続のスピーカーで今も聴いているが、夜間はそれで充分だ。また手元近くから音が流れて来る方がこの曲には似合う。ロックとはいえ、女性が優しく歌い、楽器の音も控えめであるからだ。
この曲が1977年の発表というのはどうも腑に落ちない。全体に暗い音の響きはもう数年遡った頃を思わせる。最大1972年といったところで、1977年にこの曲を聴くのはどこか懐かしさがあった。1977年と言えばディスコ・ブームで、もっと音が派手でテンポの速い曲がはやっていた。それに引き替え、この曲は乗りのいいリズムを使ってはいるが、フォーク調でしみじみとしている。なぜ大ヒットしたのか。曲がいいからというのが一番の理由だが、そのよさというのはどこか不思議な魅力と呼ぶべきもので、それはこの曲を書いたスティーヴィー・ニックスの才能にほかならない。彼女はこの曲を1976年にスタジオで10分で作曲したという。名曲は案外そのように咄嗟に生まれる。ただし、曲を書く前の溜まった気分というものが必要だ。それが溜まるまでにはさまざまな葛藤があり、苦しい日々を過ごさねばならない。それが一気に開放されるのが素晴らしい作品の誕生だが、それは創造者であるからで、凡人は酒を飲んで寝るか、誰かに暴力を振るうのが関の山か。スティーヴィー・ニックスという名前は女性らしくない。彼女は1948年の生まれで筆者より3歳年長、1977年では29歳であった。フリートウッド・マックは60年代から活躍するバンドで、『噂』の大ヒットによって世界中に知られ、またそれはスティーヴィー・ニックスのこの曲に負うところが大きい。となると、彼女はフリートウッド・マックに参加せずに、ひとり名義でこの曲を発売してもよかった。だが、やはりこの曲はメンバー全員が力を合わせて演奏しているところに渋さがあって、彼女ひとりが無名のスタジオ・ミュージシャンを集めて録音してもヒットしなかったであろう。単純な曲であるだけに味つけが難しく、さりげないドラムやシンバル、ギター、そしてバック・ヴォーカルが混然一体となっているところが何度聴いても飽きさせない理由になっている。たとえば、イントロのドラムとベースに続いて即座に一回鳴らされるシンバルは、これ以上のアレンジはないほどに印象的で、ミック・フリートウッドの才能のほどがわかる。エレキ・ギターはビートルズの「イエス・イット・イズ」に似たスチール・ギター風の音色で、これがこの曲のイメージを支配している。だが何と言ってもいいのはヴォーカルで、演奏は補佐に過ぎない。カラオケで聴くとわかるが、この曲からヴォーカルを取り去ると何の曲かわからないほどの単調さで、歌い出し部分もわかりにくい。今手元に楽器がないので音を拾えないが、スティーヴィーが裏声的に1オクターヴ高く歌う箇所がわずかにある。ギターがそれと同じほど高い音で奏で始める箇所もあって、このふたつはごくわずかながらこの曲を大きく支配している。それはごくわずかであるからこそよく、そういう編曲としたところにバンドの才能が光っている。
YOUTUBEでは後年のスティーヴィーがこの曲を歌う姿がいくつか見られる。年齢を重ねるので仕方がないが、キーをかなり下げ、また前述の高音の声は聴かれない。年を重ねることは声帯を太くするのだろうか。それは一概に言えないはずだが、スティーヴィーは明らかにそうなっている。おそらく不摂生のせいで、その様子は顔つきからも何となくわかる。1977年の可憐さは凄みに取って変わり、若い頃の面影からは遠い。それでも世界的第ヒットを放った才能であるから、同じように年齢を重ねたファンは生のステージを見たいであろう。筆者は女性ヴォーカルは好きだが、彼女の他の曲を聴きたいとは思わないし、ソロCDを買う気もない。才能は認めるが生理的に合わないものを感じる。それはさておき、この曲の歌詞について、英語は省いて訳のみ以下に掲げる。「また行ってしまうのね。自由がほしいと言ったわよね。で、引き留めるわたしは誰なんでしょうね? あなたには権利があるわ。感じたとおりにやるべきなのよ。けれどしっかり聴いてね。あなたのさびしさの音を。それは心臓の鼓動で、思い出の静けさの中であなたを狂わせるのよ。あなたが持っていたもの、あなたが失ったもの、持っていたもの、失ったもの」「雷は雨が降る時に起こるの。演奏家は演奏している時だけあなたを愛するの。ねえ、女性たち、彼らは来ては去って行くのよ。雨があなたをきれいに洗う時、あなたは知るわ。」「さあ、わたしも行くわ。はっきりとした夢が見えるの。それを持ち続けるわ。あなたの夢をすっぽり包んであげたいのはわたしだけよ。あなたには売りたい夢があるの? 心臓の鼓動のようなさびしさの夢は思い出の静けさの中であなたを狂わせるわよ。あなたが持っていたもの、あなたが失ったもの、持っていたもの、失ったもの」。といったように、女が去って行く男に向かって後悔するわよとの恨み節だ。これはスティーヴィーの個人的な経験がもとになっているはずで、フリートウッド・マックのファンならばそのあたりのことについては詳しいだろう。20代の若い頃の恋心をその後スティーヴィーがステージでこの曲を歌う時、どのように思い入れがあるのかないのか、可憐な声からは遠い歌いぶりを聴くにつけ、去って行った男などもうとっくに忘れたといったドライさを感じてしまう。それでも彼女は筆者と同じように顔の皺やシミを気にしながら、心のそれらはまだまだ目立っておらず、老年には老年の楽しみと頑張りがある確信しているはずだ。若い連中からエネルギーをもらうどころか、逆に与えてやるという思いで、その気力が歌詞にある「クリスタル・ビジョン」や「ドリーム」ということだ。