華の字面がこの映画をまるで中国のものと思わせるが、戦前の大阪を舞台にした溝口健二監督の作品だ。「なにわひか」ではなく「なにわえれじー」と読む。去年95歳で亡くなった山田五十鈴が主演だ。
題名からわかるように悲劇だが、「悲歌」はたぶんにアメリカのブルースを意識している。山田演じるアヤ子はしばしば口笛を吹く。何の曲かと思って調べると、「セントルイス・ブルース」だ。戦前の日本でこの曲が映画に使われていたとは面白い。そして戦争は何であったかと思う。口笛はあまり行儀がよくない。ましてや若い女ではなおさらだ。アヤ子の性格づけがこの口笛からよくわかり、実際そのことから連想されるような人生を歩んで行く。だが、それは家の犠牲であって、簡単に言えば金と身を交換せざるを得なかったためだ。同じ構図は現在でもあるだろう。新藤兼人の『悲しみは女だけに』はこの溝口監督の作品あってのもので、新藤が『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』を撮った理由がわかる。山田は田中絹代より8歳若い。そのため、この『浪華悲歌』は田中では無理であった。この映画は若くして家庭の事情から社長の2号になるOLの物語で、しかも最後は身ひとつになって夜の大阪を徘徊する。当然予想されるのは売春婦だが、そこまでは描かない。だが、アヤ子はそんな自分を嘆いて自殺しようと考えたりしない強い女であることは映画の中ではっきりと描かれる。そういう気丈な女を山田は好演しているが、田中とは違った迫力があるのは、顔つきの差と背が高いからであろう。山田は大阪南区の生まれで、大阪弁はお手ものであった。そのことがこの映画では絶大な効果を上げている。大阪生まれでない女優はいくら頑張っても味のある大阪弁を駆使することは出来ない。それどころか、現在のTVや映画からもわかるように、気持ちの悪い発音にぞっとする。また、この映画での大阪弁は現在のそれとは質が違う。どぎつさがはるかに少なく、相手を罵倒しても柔らかだ。大阪が変わったとすればその言葉が最初であろう。ふんわりとした大阪弁を壊したのは大阪の周辺から出て来たお笑い芸人だ。この映画は東京が舞台でもよかったはずなのに、なぜ大阪が選ばれたのだろう。義理人情ということをどうにか盛りたかったからではないか。アヤ子はそういう古い価値観を一方で持ちながら、身内から理解されないどころか疎んじられる。そこが悲劇なのだが、それは時代のせいでもある。この映画と同じ脚本を使って時代を現在に置き換えて撮り直すことが出来るだろうか。まず不可能だ。何事も金次第、またアヤ子のように女の立場が弱いことには変わりがないが、アヤ子のように家族のために身を売って大金を工面する女性はいるだろうか。戦前に比べると現在はもっと女は働き場所が多く、また生活保護も整っているので、2号になるしか選択肢がない状態は考えにくいのではないか。今でも2号になる女性は戦前と同じほどか、あるいはもっと増えていると思うが、その理由は自分の贅沢のためというのが一番ではないか。いや、それは戦前も同じであったかもしれない。つまり、この映画が戦前の溝口の代表作とされるのは、女の社会的な地位が何ら変わらないことを見通していたからだろう。
さて、戦後の山田の顔はよく知っているが、この映画の撮影時は19歳だ。しかも結婚して嵯峨三智子を産んでいた。7月に京都文化博物館のフィルム・シアターで『ある映画監督の生涯』を見た時、溝口の戦前の代表作がこの『浪華悲歌』と、翌年の昭和11年(1936)の『祇園の姉妹』であることを知った。うまい具合にこの2本は9月7日までの無料期間中に上映されることを知り、心待ちしてまず『浪華悲歌』を見た。71分のモノクロで、音はきわめて悪い。全体に雑音が大きく、半分は何を話しているか聞き取れなかった。無声映画のように味わうしかなかったが、それでも内容はよくわかった。DVD化されているはずだが、音はどうなのだろう。同シアターが所蔵するフィルムだけが劣化が激しいのであればいいが、おそらくそうであろう。というのは、『祇園の姉妹』は雑音がなく、セリフはみなよく聞こえたからだ。71分はTVの1時間番組と大差なく、内容のうすいものを思いがちだが、各場面は凝縮され、見応えがあった。何が一番かと言えば、まず大阪の今はない景色が面白かった。それに匹敵するのが山田の演技か。今では同じような演技をする俳優は珍しくないかもしれないが、山田の才能あっての成功で、また山田の才能を引き出した溝口が偉大であったと言わねばならない。溝口は浅草の生まれだが、関東大震災を機に京都に移住し、大阪や京都を舞台にした映画を撮った。『ある映画監督の生涯』では『大阪物語』を撮ろうとしていた矢先に亡くなったことを伝えていたが、これは大阪出身の者からすれば嬉しい。大阪は西鶴や近松を生んだ。溝口はそれに敬意を表したのであろう。そのことは『浪華悲歌』からもうかがえる。1時間少々の作品であるのに、途中で文楽の場面が少々長いかと思わせるほど続いた。だが、時間にして2,3分か。その文楽を鑑賞する場面が映画の内容とどう関係するのか、文楽への知識がない者にとってはもどかしい限りだが、ネットで調べると簡単にわかる。『新版歌祭文』の上の巻後半の『野崎村の段』が映し出された。溝口がなぜこの段をやや長いと思わせるほどに映画に挿入したかは、まずあらすじを読まねばわからない。それは後述するとして、映画に映る文楽劇場内部は現在の千日前にあるものとは違って、京都南座に似た重厚な雰囲気をたたえる。これがよい。大阪はまだまだ文楽を鑑賞する人がいたのだ。それが戦後は市長から努力が足りないと文句を言われる始末で、特殊な人だけが見るようなものになった。それはともかく、今はない戦前の文楽劇場がこの映画で見られるのは、溝口にすれば何か予期したものがあったからか。映画は人間物語を楽しむ以外に今はない建物や街並みを見せてくれる。大大阪と呼ばれて先進的な建物があちこちに出来た大阪のモダンさも、いずれすっかり変貌することを溝口は念頭に置き、それをフィルムの記録性に委ねたのではないか。それは建物や街並みが変わっても変わらない人間というものがあることを示すにはよい。となればアヤ子のような悲しい女は今もいるし、これからもなくならない。
ロケ撮影で面白いのはまず地下鉄だ。御堂筋線のどの駅だろう、アヤ子が妹の幸子とたまたま出会って口論になる場面はプラットホームが舞台だ。構内は現在のように明るくないが、御堂筋線であることはすぐにわかる。またアヤ子が地上に出てビルを眺める場面がある。淀屋橋界隈と思うが、御堂筋がかなり広く感じられるのは車がはるかに少ないせいでもある。アヤ子が勤務する会社の社長の2号になった時にあてがわれる住まいは、玄関がホテルのような立派なマンションだ。どこにあったかわらないが、本町周辺であろう。ホテルのボーイのような形で割烹着を着た賄い係のような女性がいて、アヤ子など住人の用事をこなしている。アヤ子の住まいは部屋がいくつかあって、壁面の装飾はほとんどリチ・上野・リックスのデザインかと思わせ、現在よりセンスがいい。アヤ子が訪れる心斎橋のそごう百貨店1階の売り場もそうだ。そのエレヴェーターの扉がやはりモダンな様式による漆絵だ。それは現在は新しいものに取り代えられ、この映画に映るものは以前展覧会で見た。そごう百貨店の1階エレヴェーター付近は戦前のまま現在も使用されていて、その豪華でレトロな空間を味わうだけでも大丸百貨店を訪れる価値がある。そのほかに大阪らしい街角が映ったのは、何と言っても道頓堀だ。グリコのネオンはすでにあったはずだが、撮影角度が違うのか、花王石鹸の広告がはっきりわかった。道頓堀のネオン群は現在のような派手さはないが、それでも当時は日本一目立ったのではないだろうか。淀屋橋に今でもある牡蠣船も映った。そこでアヤ子は社長と会いながら、自分を安売りしないぞばかりにひとりで出て行き、残された男は鍋から牡蠣を箸でつまんで2,3個ぱくつく。モダンさは金蔓を得てから派手になるアヤ子の洋服からもわかる。モガのそれで、2号になったために一気に派手になった様子がわかる。また社長の妻はいつもキモノ姿であるのに対し、アヤ子が洋服であるのは世代の差を表わしている。これは『祇園の姉妹』ではもっと顕著になる。このキモノ対洋服はまだ戦前は互角に等しかった。それが戦後はすっかりキモノは特殊になった。そうなると、アヤ子のような女性が増えたのかもしれない。溝口の時代、アヤ子以上に悲惨な若い女はたくさんいたろう。江戸時代ならもっとだ。溝口がそういう身を売るしかない女に同情的であったのは『ある映画監督の生涯』で証言されていた。
アヤ子は本来は真面目で、堅い男と結婚するのが目標であった。ここらで映画の荒筋を書こう。アヤ子は父と妹と暮らしている。風景からして今の港区か大正区だろう。木造の普通の小さな家だ。兄は大学生で東京にいる。アヤ子は女学校を出て、会社の電話係りとして勤務している。彼女は好意を抱いている独身男性に私用の電話を何度もかける。彼は電話室からすぐ見える隣室に他の社員と一緒に仕事しているから、アヤ子の行動は大胆過ぎる。そのことで彼女が良家の娘ではないことがわかる。社長はそんなアヤ子に2号になれとしつこく迫るが、アヤ子は取り合わない。社長は養子で、妻からは浮気のひとつもする勇気のない男と侮られている。アヤ子の父は会社の金を横領して家に引きこもり、借金取りに出会わないように警戒しながら暮らしている。その借金500円を返すためにアヤ子は好意を抱いている会社の同僚に訴えるが、男は結婚したいと言いながら、大金の話に口を濁す。それでアヤ子は腹を決め、社長の2号になり、豪華なマンションをあてがわれる。アヤ子は仕事を辞め、マンションに住みながらたまに社長を迎える生活をしている。ある日ふたりで文楽を見に行く。先に書いた「野崎村の段」だ。運が悪いことに、劇場に社長の妻がやって来て、夫はアヤ子を同伴していることを知られる。妻から罵倒されるアヤ子だが、咄嗟に社長の友人の株屋が割って入って、アヤ子を自分の愛人であるように振る舞う。話を戻して、アヤ子は父を救うために金の工面をしたが、父は卑怯で、アヤ子に済まないとは思わない。地下鉄で出会った妹からアヤ子は兄が学費の300円で困っていることを聞かされるが、いつも金のこととなると自分に役割が回って来ることにアヤ子は憤慨し、話を聞かなかったことにしてふたりは喧嘩別れする。ところが家族思いのアヤ子はその金を株屋から巻き上げて用意し、手紙と一緒に小切手を父に送る。父は手紙を握りつぶし、アヤ子の世話になったことをアヤ子の妹や帰省した兄に言わない。そんなことを知らないふたりはアヤ子に冷たく振る舞うが、それは株屋から金を出させた行為が脅迫に当たり、警察沙汰となったからだ。幸い初犯ということで釈放されたが、事件は新聞に載り、妹はもはや学校に通えない。一番だらしがなくて悪いのは父親だが、絶対的な権力なのか、アヤ子は自分が大金を工面したことを妹や兄に言わない。アヤ子は行き場を失い、夜の道頓堀橋のたもとにトレンチコートに帽子姿でたたずむ。そこに社長の馴染みの町医者が通りがかる。アヤ子は行き場所がないことや、不良少女という病気であることを言うが、医者は素っ気なくその場を去る。アヤ子がそのまま真っ暗な川に飛び込むのかと思っていると、そんな気弱なところを見せはしない。彼女は顔を上げて夜の街を歩いて行く。その先にどんな人生が待っているかは明らかだ。
アヤ子が社長と一緒に見た「野崎村の段」は、奉公人の久松と奉公先の娘であるお染との悲恋だ。久松は店の大金を贋金に擦り変えられ、それを養父た返してくれたはいいが、養父の娘おみつとの結婚を迫られて板挟みになる。おみつは久松と一緒に育ったが、結婚出来るのは願ってもないこと。そこに美しく着飾ったお染が現われ嫉妬に狂う。この場面を映画は映していた。それを社長は食い入るようにして見つめていたのが印象的で、自分を両手に花の久松と同じ境遇と思っていたのだろう。ところが文楽では久松はお染と心中する。この映画では社長は妻の罵りに踵を返す。したがってアヤ子はお染でもおみつでもない。だが、大金が絡むところは現代も同じ人間社会で、わずか500円や300円で好きな人から別れて身を売らねばならない。アヤ子の好きな男は、結局は弱虫で、アヤ子ひとりに罪をなすりつける始末であった。アヤ子には久松のような健気な恋人がいなかった。またおみつほどによく思ってくれる親もなかった。文楽の義理人情の世界とは違って、戦前の大阪にすでにドライな人間関係があったということだ。リアリズムの溝口であるだけに、この映画を作り物めいたものにはしたくなかった。山田を起用するに当たって山田の人生を徹底的に調べ、それに沿った脚本にしたという。当時19歳の山田は両親の生活の面倒を見ていたが、結婚に反対したのは女優としての人気が落ちることを心配したためだ。そのような両親であったことが、山田のこの映画での演技に凄みを付与した。この作品を撮って引退するつもりが逆にまた女優活動に火がつき、そして離婚し再婚するがすぐに離婚といったように、家庭的な親になることは出来なかった。そのことが娘の嵯峨三智子との関係になった。芸があって、それで名を残せた山田は、ただ身を売るしかないようなアヤ子とは違って幸福であったかもしれないが、山田もまた大きな家庭の問題を抱えながら演技をしていたことが作品の迫力を生んだ。それが命を賭けたということだ。何事もそうでなければ名作は生まれず、名人になれない。