弘田三枝子が先日TVで歌っていた。彼女の顔を見るたびに家内は過去の整形がむごい結果になっていることを指摘する。弘田のデビュー当時を知っている人は現在60近い年齢になっているが、日本で美容整形が盛んになり始めたのは弘田がすっかり違った顔でTVに出るようになってからではないだろうか。
弘田の最初の整形は西洋人形のようにかわいらしかった。今では全くの別の顔になっている。彼女が2年ほど前に『徹子の部屋』に出演した時、黒柳徹子は彼女のデビューから現在までの数枚の写真を示しながら、「はい、今はこうですね」などと、整形したことには触れずに話題をすぐに変えていた。顔はやはりいじるものではないと思うが、整形はもともと戦争で負傷した兵士の顔を復元することから急速に技術が進歩し、アメリカの芸能人が美容目的で行なうようになった。美容であるから口元、すなわち歯並びも含み、整形が駄目というなら歯科矯正もとなる。つまり、ほとんど誰もが美容整形をしていることになって、顔が売りの芸能人を謗ることは出来ない。それに日本は戦後アメリカ文化を貪欲に摂取し、美容整形をする一般人が出て来たのは当然の成り行きだ。今では就職のために男もプチ整形をするが、日本ではまだ整形は大っぴらに他言出来ない雰囲気が強い。それもあって韓国における整形美人については批判が目立つ。韓国のメディアは人気芸能人の手術前と後の写真を暴露紹介するなど、芸能人には容赦ないところがあって、日本と同じく、整形は特殊な職業である芸能人には仕方ないこととしても、あまり褒められたことではないというのが一般人の考えだろう。ただし、日韓とも若者はそうではないかもしれない。それはたとえば日本の若者が刺青をすることに抵抗が昔ほどにはなくなっていることからも言えそうだ。弘田三枝子の顔が昔とは全然違ったものになったとしても、一般人はそれを芸能人特有の悲劇と捉え、そういうことにならずに済むことを内心喜ぶ。また一方で、芸能人は自分の惨い姿を晒すことを帳消しにするほどの喜びをTVの全国放送に出演して歌うことによって得るから、何も問題は生じない。つまり、芸能という特殊な世界でのことで、韓国の女優が仮にことごとく整形しているとしても、夢を売る商売としてはそれは根性の座ったことと思えばよい。日本でもそうだ。蟻のように大量に湧いて出て来る10代のアイドルはみな、顔のどこかをいじくって整形前の写真と比べると同一人物とはにわかにわからない。先日見終えた韓国ドラマ『いばらの鳥』では、TVドラマ監督が新人を採用する場面があった。履歴書の写真を見ながらその監督は、「どれも整形美人で同じ顔に見える」と叫んだ。それは一般人の素朴な思いを代弁しているだろう。結局そういう新人は人気が出ず、出てもすぐに業界から消える。美人は個性が大切で、それは整形で得られない。むしろ整形するほどに個性が減り、惨さが晩年になるほど現われて来る。それでも老齢の惨さよりも今の美しさを女は選ぶ。刺身のように賞味期限のある女は、30代まではとにかく平均以上の美しさをどういう手段を使ってでも欲し、そのことで異性の心もつかみ得ると信じている。それは世界中どこでも大差ない。女をそういう行為に駆り立てるのは世界が男社会であるからと言えば短絡的過ぎるだろうか。あるいは女が男並みに強くなったので、整形も平気、とにかく男をどうにか騙して自分を高く売ろうとするのか。
美容整形の話になったが、今日取り上げるドラマのヒロインであるユン・ウネの顔を見るたびに家内は、彼女の唇は異様に膨れていて、きっと整形手術をしたか、ヒアルロン酸などの注射を打っているに違いないと言う。筆者はそれに反論する。顔全体にその厚い唇がバランスが取れているからだ。分厚い唇が美人の絶対条件とは言えないし、彼女の唇はそれのみ取り出して見れば、決して美しくはない。つまり、わざわざ彼女が唇を分厚くする必要がない。分厚い唇で思い出すのは一昨日書いた嵯峨三智子だ。彼女は小さくてきれいな口元をしていたが、晩年に唇を整形した。写真で見る限り、タラコのような分厚さに変貌した。それが残念で、なぜそんな手術をしたのかが理解出来ない。占い師に頼って改名もしたから、他人の意見にしたがったのか。あるいは母との間に葛藤があって、母に似た部分を改変したかったのか。ユン・ウネは10代の太っていた頃の写真が紹介されていて、それを見るとどこにでもいそうな子だ。ま、高校生の頃はまだ大人の女に脱皮せず、もっさりとした感じであるのは誰しもで、それが芸能界に入った途端、急速に磨きがかかる。ユン・ウネもその例に漏れないが、現在でも彼女はちょっとした弾みに10代のように初々しい、困ったなという笑顔を見せる。それが何ともいい。筆者は韓国の女優では好きな顔が2,3あるが、ユン・ウネは全体の雰囲気がいい。彼女はどちらかと言えばがっちりした体形で、普通の生活を続けているとでっぷり太るタイプと思うが、TVドラマでまだまだヒロインを演じられる年齢であり、そのためには絶食してまでも痩せる必要がある。そしてその無理してスリムな体型を保っている現在の姿が美しく、またその陰に並みならない努力がうかがえ、その根性を買いたい。それは芸能人であれば誰しもで、ユン・ウネを特別視するのは単なるファン心理だ。そういうミーハー的な思いを抱きながら韓国ドラマを見るのもまた楽しい。ドラマは作品だが、結局は人間の魅力に支えられ、その生身の華々しい様子を見て誰しも生きている実感を思い起こさせられて楽しい。よけいなことを詮索せず、ドラマを見て笑ってそれでおしまいという典型的な他愛ない娯楽はいつの時代も必要であるし、そういう作品にもっぱらユン・ウネが出演していることに、半分はうれしくもあり、また半分はやがて人気が衰えてでっぷり太ってしまう姿を想像してさびしくなる。そして、そんな一種のハラハラ感をいつも発散させている彼女は、本当は平凡な素人娘とほとんど大差ないように思わせ、そこがまた彼女のよさとなっている。それは整形してまで芸能界で上り詰めるという、がつがつした根性といったものが見えないと感じるからだが、実際の彼女がどういう決意を持っているのかは知らない。『いばらの鳥』で映画プロデューサーは、今の韓国は若い俳優を消耗させ過ぎで、人気がなくなると見えればすぐに使わなくなって忘れられて行くといったことを語っていた。2年にひとつはドラマの主役をしているユン・ウネは今のところはそういう生き残りレースでは優秀な成績を収めているが、これからが正念場だろう。
ユン・ウネのドラマはだいたい見ている。『お嬢さんをお願い』は3年前の作品か、当時から知っていたこのドラマをようやく見ることが出来た。調べると、すでにこのドラマ以降ふたつのドラマに出演している。『お嬢さんをお願い』はさほどヒットした作ではないと聞いていたが、とても楽しい作品で筆者は堪能した。悪役が登場せず、ドロドロした愛憎劇には至らないので、元気が出る。それを見越しての主題曲で、力強いその女性ヴォーカルは一度聴くと忘れられず、選曲がうまい。見ものはユン・ウネが演じる財閥のお嬢様カン・ヘナで、どこで撮影したのか知らないが、彼女の住まいは小高い山が間近に見える郊外で、邸宅はまるで一流ホテルだ。慶州あたりにそういうホテルが出来たのかもしれない。いくら財閥とはいえ、部屋数が100や200もあるような邸宅でヘナとその祖父のみが数人の執事やメイドと暮らすのはあまりにも非現実的だ。また、その大邸宅になぜ祖父である会長とヘナだけが暮らし、彼女の両親がいないかは描かれない。筆者は初回を見逃したので、そこでその事情が明らかにされているかもしれない。それはともかく、会長の最も近い身内は孫のヘナで、ふさわしい結婚相手を見つけてやりたいと考えている。しかも会長は深刻な心臓病を抱え、その手術のために渡米するが為す術がない状態で帰って来る。そういう状況であるのでますますヘナの結婚をと焦る。そうして出会うのが執事となったソ・ドンチャンだ。彼はそれまでホスト・クラブの売れっ子で、後で明かされるが母の病のために大金が必要で、それを高利貸しから借りたはいいが、返却が滞ってヤクザから追われる身となっている。そこで考えたのが、たまたま交通事故で知り合ったヘナの邸宅の執事として就職し、甘言でヘナを落とし、大金を巻き上げることだ。ドンチャンは花屋の手伝いもしていて、そこの娘ヨ・ウィジュからはオッパと呼ばれて慕われているが、ドンチャンは彼女を女としては見ない。男女2名ずつの若者が出るのが韓国ドラマの鉄則であるから、もうひとり男性を紹介せねばならない。それは弁護士イ・テユンで、彼は正義感が強く、国選弁護士など、あまり儲けにならない弁護をもっぱらしていて、大企業の味方ではない。これもドラマの初回にあったはずだが、ヘナはテユンと出会って惹かれる。そして会長もテユンならば結婚相手としてふさわしいと考えるが、ヘナのそばに常にいるドンチャンに次第に魅せられて行く。題名が『お嬢さんをお願い』であるあから、筆者はてっきりこれはいろいろあった挙句、執事としての身分をわきまえ、ドンチャンがテユンにヘナの面倒を見させると予想したが、最終回ではヘナはドンチャンと一緒になる。そうなれば残されたテユンとウィジュがどうなるかだが、ちゃんとふたりはお互いまんざらでもないことがほのめかされる。また、会長は当初ドンチャンを信用してヘナの執事にしたが、手をつけられたとなると許しはしない。一旦諦めたかに見えたヘナだが、彼女がドンチャン恋しさに書いた手紙が屑かごに捨てられているのを見出した女執事長はそれを会長に読ませ、会長はヘナの恋心を許す。そうして息耐えるが、もうひとつの問題は会長の会社だ。それは親類から奪われる寸前になっている。商売に関心のないヘナをドンチャンは陰で支え、アイデアを提供して役員会議などでヘナの実力を認めさせる。つまり、ドンチャンがヘナの夫となれば、文句なしに会社を守って行くだろうという予想が出来る。
ヤクザやまた会社を乗っ取ろうとしている連中もみな徹底したワルではなく、お茶目な演技を見せる。喜劇であるからそれは当然だが、同じ物語をシリアスなものに仕立てることも出来るだろう。ただし、そうなればヘナ役はただただわがままな娘となって、彼女が堅い弁護士ではなく、元ホストに魅せられて結婚することは周囲からの反対もあって、その後会社の経営が思わしくなくなるといった不幸が待っている筋書きがふさわしい。いや、シリアスなドラマでなくても、世間知らずの大金持ちの娘がホストをしていた貧しい青年と一緒になる設定は絶対にあり得ない。そのあり得ないことをありそうなこととして描くのは、男シンデレラ物語と思えばい。ドンチャン演ずるユン・サンヒョンは鼻の下にうっすらと髭を生やしてそれが見方によってはとても薄汚いが、元ホストであるからにはそれも似合っている。そういう野生味にヘナは惚れた。ドンチャンとは正反対なのが弁護士のテユンで彼は化粧すれば軟な女性に見える。その体格はヘナよりスリムかもしれない。配役は可能な限り、物語が現実であると納得させるように選び抜く必要がある。実際韓国ドラマは中年のベテラン脇役以外は、無数同然に毎年湧いて来る新人からいくらでも脚本にふさわしい才能を選ぶことが出来る状態にあると言ってよい。また、韓国ドラマの面白さはあちこちの作品に頻繁に顔を出す脇役を見ることと、あまり見慣れない若手の男女4人を見ることにあって、その境目がどの役者にもあるはずで、ユン・ウネが10年もすれば脇役に回るかどうか、そこが楽しみでもあり、またさびしくもある。一番あり得るのは、大金持ちと結婚して芸能界を引退することだ。その大金持ちは芸能人ではまず考えられず、会社の経営者に限る。そして、そういうことを見越してこのドラマはユン・ウネを財閥の娘に起用したのかと思ってしまうところもある。彼女は1984年生まれでこのドラマ時は25歳だ。30まではどうにかこのドラマのような役は出来るが、やはり年齢は隠せず、娘というよりすっかり大人になったことを感じさせた。それは演技がうまくなったことでもあって喜ばしい反面、女の老いやすさを実感もさせ、ちょっぴりさびしい。このドラマではお嬢様らしく、毎回3回は服装を変え、その突飛でゴージャスな身なりはどれも彼女と財閥令嬢という役柄に似合っていた。話を戻すと、カン・ヘナがドンチャンのようないわゆる遊び人タイプと結ばれるという設定は、ドラマと現実を限りなく違和感のないものにするために俳優を選ぶということと照らすと、ユン・ウネは真面目な優男では駄目で、どこか危険な匂いのする男の方が似合うと思われていることになる。これはユン・ウネがどういう男と結婚するかを見届ける必要がある。筆者の予想は、あまり評判のよくない男と結婚して苦労する彼女の姿だが、そうなったとしてでっぷり太って生活やつれを見せてほしくない。彼女の一番素敵な表情は、このドラマの最終回の最後の場面、ドンチャンが変な笑いをしたと言って、演技ではなく、素で笑う時だ。それは本当は没となるべきものだが、あまりに自然な彼女の表情が、ドンチャンにすっかり心を委ねた女に見えるということで監督はあえて採用したのだろう。それは整形とは無縁の素朴さで、彼女が垣間見せたその苦笑さ加減に筆者はころりと参ってしまう。