恋が一変に冷めることがある。こうあってほしいと相手に勝手な想像をし、それに酔うのが恋だ。その想像と相容れない姿を垣間見ると、恋心は一瞬にして消える。
それは淡い恋であったことになるが、相手の実相を見抜けなかった自分を嫌悪したくなるので、なおさら恋心を消してしまおうとする。であるから、「恋や恋なすな恋」なのだと言えば、この映画の内容をまるで反対に捉えていることになる。それは後述するとして、「なすな恋」は「恋するのではないぞ」の意味だ。この映画の題名「恋や恋なすな恋」は文楽や能、清本で有名と言われる「恋よ恋われ中空になすな恋」を縮めたもので、「われ中空に」を省いている。「われ中空に」は「自分をうわの空に」であるから、「恋よ恋われ中空になすな恋」は「恋よ恋、自分をうわの空にさせるな」の意味となって、「なすな恋」の「恋はするな」とは少し意味が違って来る。だが、「中空」を「中途半端」と捉えると、「いい加減な恋をしてはならない」で、こっちの方が正しいように思える。映画の題名として「恋よ恋われ中空になすな恋」は長過ぎる。また「恋や恋なすな恋」で充分に公開当時の人たちには元ネタがわかったのだろう。「恋よ恋われ中空になすな恋」には続きの文句がある。この表現が出て来るオリジナルは世阿弥の『恋重荷』で、その後半に「恋よ恋 我が中空になすな恋 恋には人の 死なぬものかは 無慙の者の心やな」とある。「恋には人の死なぬものかは」は、「死なぬ」であるので「恋で人は死なない」の意味に思う人が多いだろうが、「ものかは」は反語だ。そのため、「恋で人は死ぬものではない」を否定し、「恋によって人は死ぬこともある」との意味だ。となれば、「恋よ恋われ中空になすな恋」は「いい加減な思いで恋などはするなよ」で、「なすな恋」の「恋はするな」と意味が通じる。このように微妙な日本語が英訳されると、途端に味気なくなりそうで、言葉の違う国同士が理解し合えることには限界があると思ってしまう。また、この映画は昭和32年(1962)の制作で、当時筆者は11歳、映画館で見ても理解出来なかった。子どもという理由のほかに、大人になった現在の筆者はこの映画の元ネタをよく知らず、つまり大人になる過程で日本の古典芸能に関心を持たなかった、あるいは持てない時代であったので、英訳された映画を見るのと同じようなもどかしさと、あれこれ調べてそれなりにわかる面白さの両方をこの映画に感じるからだ。古典芸能に関心を持たなかったことを時代のせいにするのはおかしいという意見があろう。能や歌舞伎、文楽ファンは戦後世代でも10代や20代に大勢いるはずで、そういう人から言わせると筆者は単に教養不足で、そのことを筆者は否定しない。
わが家の数軒隣りに能を個人教授している人が住む。岡崎の観世会館での公演に何度か招かれ、二度見たことがあるが、能にさっぱり詳しくないので半分も理解出来なかった。そんなこともあって、いつか能の世界に踏み込もうと思いながらそれを果たしていない。それはさておき、その人との話の中で、能は必ず亡霊が出て来ると聞いた。『恋や恋なすな恋』は17日に京都文化博物館で鑑賞したが、今月のシリーズの題名は納涼を思っての「モノノケのささやき 怪異と恐怖の映画特集」で、『恋や恋なすな恋』もその範疇に入れられた。さて、まず世阿弥の『恋重荷』を簡単に説明すると、山科の菊守りの老人が身分も年齢も違う女御に恋をし、重い石を隠した錦の包みを持って庭を百度回れば姿を拝ませると言われる。ところがあまりの重さに死んでしまう。そして亡霊となって女御の前に現われ、自分を少しでも弔ってくれるならば末永くお守りしますと語る。老人の恋が重い石であるとのたとえは見事だ。恋患いという言葉があるように、恋をすると塞ぎがちになることもあるし、心にいつも相手のことが重くのしかかる。その思いが遂げられないのであれば、体が石のように固まってしまうというのは誰しも同意出来るのではないか。ましてや老人が身分違いの若人に恋する場合は最初から絶望感や悲壮感があって、石の無言さには一飛びの距離だ。それはともかく、一個の大きな石は、この映画の最後に生かされている。恋人である榊の前が死んだことで発狂した阿部保名が、榊のキモノをまとって舞ううちに倒れ込んでうずくまり、その形のままに石と化する場面だ。これは『恋重荷』の菊守りの老人が抱えようとした石の包みが暴かれた格好で、内田吐夢監督は最後で世阿弥に敬意を表した。ただし、この映画は老人の若い美女への恋物語ではない。『恋重荷』を出発として歌舞伎や文楽などが別の物語を生み出したが、そうしたいくつかの作品をもとに脚本が書かれた。また映画は大衆が見るものであるから、美男美女を主役にせねばならない。ここではまことに初々しい大川橋蔵と、ぞくっとさせる色気を発散させる嵯峨三智子が起用された。このふたりあっての見事な完成で、嵯峨の代表作となった。大川橋蔵の映画は子どもの頃から盛んに見たが、名前だけ知る嵯峨三智子の演技を見たのはこの映画が初めてだ。この映画以降、あまりいい作品に恵まれなかったようで、薬物中毒にもなって東南アジアで死ぬが、まだ60前であった。大女優の山田五十鈴の娘という重圧がつきまとったのか、惜しい才能であったと思う。それはこの作品のみを見ての感想だが、この一作で充分な気もする。それほどに彼女のオーラは女っぽく、またほかには見ない。顎が尖がった卵型の顔をしていて、似たタイプに東ちづるがいるが、筆者好みの顔立ちだ。ところが嵯峨は東とは正反対で、何を考えているかわからない隠微さがある。その点がこの映画にぴたりで、榊、その妹の葛の葉、そして狐が化けた贋葛の葉の三役を演じ分けるが、最も彼女らしいのが贋葛の葉で、狐が化けたことを納得させる演技はいかにも妖怪らしい妖艶さをたたえる。
筆者がこの映画を最初に見たのは10数年前だ。京都会館で開催された映画祭で特別にニュー・プリントで上映された。ワイドな画面に明快な日本の色彩の氾濫で、度胆を抜かれた。その思いを当時手紙などに綴ったが、最も印象深かったのは嵯峨三智子の艶めかしさであった。よく覚えているのは贋葛の葉が保名と接吻する場面だ。お互い唇を離した時、贋葛の葉は口を半開きにして舌を覗かせたままだ。それはディープ・キスの後ということを知らせるが、本当のディープ・キスを見せずにその後のしぐさでそれを暗示させる。同じエロティックな印象は、切られた保名の傷跡を贋葛の葉がしきりに舐めて癒す場面にもある。贋葛の葉は少ししつこいほど血で滲んでいる箇所を舐める。それは狐であるから当然かと思いながらも、嵯峨の顔立ちから人間のエロを感じる。白狐が化けた贋葛の葉が登場するのは、弓矢で傷を負った老婆を保名が助けたからで、老婆は老白狐でその恩を保名に返すために孫娘の白狐を葛の葉に化けさせて匿うことにする。その時、くれぐれも人間の保名に惚れるのではないぞと言われるのに、美女になった娘白狐はたちまち保名に惚れて身ごもってしまう。そして子が生まれてから山中の一軒家で世帯を持つが、本物の葛の葉が両親とともにその家を訪れ、贋葛の葉は保名のもとを去らねばならない。そこは最大の山場でまた悲しい。赤ん坊を抱きながら口に筆をくわえ、障子に歌を書き連ねる場面がある。障子の反対側では保名が泣き崩れながら贋葛の葉の書く姿を見つめ、やがて書き終わった歌を保名が読み上げた途端、家は一瞬にして草むらに変化する。その時、白狐の縫いぐるみが踊り出て舞台の上へと消え去る。その漫画的な表現は、後述するアニメーション場面とは釣り合いが取れている。つまり、作りものと最初からわかりながらも、その物語の真実味に浸るのが日本の伝統的な舞台劇で、ロケをして写実に徹したならば感動は少なかったであろう。ともかく、もう一度見たいために17日に家内と訪れた。残念なことに、文化博物館の映像シアターは画面が小さく、フィルムの両端と上下が切れた状態での映写で、しかもフィルムは昔のものか、全体にざらつきがあった。それでも昔と同じように感動し、昔よりは理解出来て楽しめた。大衆が見る作品だが、能や歌舞伎、文楽からの要素も取り込んでいるので、外国人が英訳版を見ても感動するだろう。それは言葉を超えた普遍的な感情をこの映画が描いているという監督の自信のなせる技で、映画の強みや面白さを熟知しながら、古典芸能への尊敬を忘れないその態度が、この作品を見る者にさらに感動を与える理由になっている。似たことは先日書いたビリー・ワイルダーの『サンセット大通り』にもあった。演劇から映画へという時代の変化は欧米に限らず日本でも明らかとなっていたが、『恋や恋なすな恋』は映画でありながら舞台芸の面白さを描き、映画ばかりが圧倒的な勝利を収めたのではないことをほのめかしている。むしろ内田吐夢は映画の限界を感じながらこの作品を撮ったようにも思える。それほどに映画らしくなく、舞台劇をそのまま撮影したものと言ってよいほどで、不要なものは一切映さないという厳格な美意識が見られる。それは能を思わせ、世阿弥の世界にかなわないと監督は思っていたのではないか。だが能は高尚過ぎて大衆には理解が及ばない。そこで色気をつける必要があり、美男美女を起用してカラー作品としたが、その色合いも現代の抽象画のような鮮やで単純なもので、その突きつめた表現がなおこの映画を忘れ難いものにしている。カラーがあたりまえの時代になった今、色彩の妙に感じ入る映像作品は少なくなっているが、この映画はカラーでなくてはならないと思わせるほどに色彩効果は成功している。そして、筆者が最初に見たニュー・プリントは今回見たものよりはるかに色が美しかった。DVDになっているのかどうか知らないが、色彩は封切り当時の鮮やかなものに調整する必要がある。
最初に絵巻物が映される。巻頭から少しずつ画面は左へと移動し、この映画の背景となった時代の京都の世相と、この映画では描かない前段としての部分を紹介する。その絵巻は実在する平安時代の作かと一瞬思わせるが、東映の美術部が描いたものだ。よほどの才能を持った人たちがいたことがわかる。美術に詳しい目からすれば平安時代の作画でないことは明らかだが、映画の小道具としては大いに力が入っている。まずその絵面から映画全体の質を推し量ることが出来るし、実際それは正しい。また、平安時代の絵巻とは明らかに異なる斬新さがあって、それはこの映画の実験的な精神を予告する。絵巻は詞の部分があるのが普通だが、この絵巻にそれはない。文字は映し出されず、語りで絵巻の内容を観客に知らせる。その絵巻を使っての予備知識の提供は、京都に近いうちに転変地異が生じる気配があるというもので、政治を左右する役目を担った陰陽師は、未の歳の未の日、未の刻に生まれた娘を貰い受けて育てるべしとのお告げを得て、早速それに該当する者を探す旅に出る。苦心の結果、和泉の国に双子の幼ない娘がいて、そのひとりの榊を京に連れ帰って育てる。絵巻のほとんど最後の方にその双子が正座して横並びになっている小さな姿が描かれていた。映画はその続きを見せようということだ。さて、平安時代の陰陽師となれば神社もある安倍晴明を誰しも想起する。この映画はその父の赤ん坊時代までを描く。つまり、晴明の父の恋物語だ。晴明の出自についてはよくわかっておらず、映画はそこにあやかった。晴明の父が大川橋蔵演じる保名で、彼は師からは一番弟子と内心思われている。ところが、もうひとりの弟子が師の妻と通じ、保名と保名が愛する師の娘の榊を殺そうとする。師が妻にも見せない秘伝の巻物を妻が手に入れ、愛人の弟子に後を継ぎたいからだが、保名の眼前で榊は師の妻が命じた拷問によって死ぬ。そして、半狂乱になりながらも、師の妻の策略を立ち聞きし、すぐに秘伝書の奪還のために争うが、その最中に灯台が倒れて屋敷は燃えてしまう。保名は秘伝書を奪い取ったはいいが、発狂し、榊の朱色を中心とした錦のキモノを羽織って、和泉の国をさまよっている。一面黄色の花で埋まる野原で保名が踊る場面がある。その幻想性はこの映画では最も見所がある。まず大川橋蔵のような美男子が今はいない。いても橋蔵のような踊りが出来ない。ちょうど半世紀前の映画だが、この半世紀で日本が失ったものはあまりにも大きい。内田吐夢のような監督が出現することもなければ、またこの映画のように自在に日本の古典芸能から引用しながら、また一編の映画としてまとめる才能もない。昔見た時に驚いたのは若干のアニメーション場面の導入だ。それが不自然でない。それはなぜか。簡単に言えば、内田吐夢は日本の様式美を描こうとした。能、歌舞伎、文楽、これらすべて様式美を味わうもので、その単純化に向かう精神はアニメにも通じている。となれば、この映画の脚本を全編アニメとして制作することが可能かもしれない。だが、それは成功するかどうか。アニメはもっぱら子ども向きとの社会通念があるし、そうでなくても線描きの人物と声優の声で恋や色気がこの映画ほどに表現出来るか。生身の人間が演じるからこそ劇や映画は面白いのであって、アニメはそれとは一線を画する。内田は恋に狂って石となった保名に自分を重ねたのではないだろうか。もちろんそれはワイルダー監督のように映画に狂うほど恋をし続けたことを後世の人に知ってもらいたかったからだ。最後に大写しになる人の体ほどの石は、この映画そのものだ。軽々しく恋などするな。これは恋した対象すべてに言える。映画でも音楽でも絵画でも同じことだ。狂い死に寸前にまで行って表現したものでなければ人を感動させない。この映画はそんなことを言っていると思ってもいいだろう。