舗装された道をマラソン・ランナーが走っている時、アスファルトの無様な継ぎ当て箇所が目立った。ロンドン・オリンピック開催に際して全面的に舗装し直さなかったのは明白だ。

これは東京や大阪で開催される場合には考えられない。イギリスは普段のままの姿を見せても失礼に当たらないと考えたのだろう。毎年道路を掘り返し、舗装し直す日本の方が異常と言うべきだ。そのように公共事業を減らさないことが経済の成長にはいいと信じている。それはともかく、マラソン・コースのあちこちに畳一枚に満たない長方形のやや黒いアスファルトが見えたことに、人間的なロンドンを感じた。同じコースを4周するのであるから、舗装部分を全部新たに工事してもさほどの費用にはならなかったはずだが、オリンピックが終わればまた掘り返さねばならない箇所が出て来るであろうし、舗装の継ぎはぎ具合は永遠につき合って行かねばならないものだ。この舗装の継ぎはぎは、日本では驚くべき正確さで行なわれる。道路をカッターで切り目を入れることから始まるが、それはちょうど絵画の下絵であって、そのとおりに掘り返し、その通りに最後に舗装する。誰しも普段はその継ぎ目部分には注意を払わないが、いざ自分の家の止水栓が壊れるなどして玄関前が掘り返されると、いやでも新たな舗装は目につく。たいていは長方形に切り取られるが、斜めの線が引かれることもままあり、そういう場合は舗装の新旧のパッチワーク具合はより複雑になって面白い。道路上の日影と日向の三角形に注目している時、舗装の継ぎ目も気になった。そこで富士型に見えるものをわが家の近くで探した。その多さはかえって普段は気づかないほどだが、その多さ分と同じ回数だけ道路が掘り返されたことを思うと眩暈がして来る。掘っては貼り、掘っては貼り、掘っては貼り、掘っては貼り、掘って掘っては貼り貼り、貼り貼り掘っては、掘り掘り貼るで、永遠にこれが終わることはない。そのため、仕事がないと文句を言っている者は今すぐ道路工事人夫になればよい。一生食いはぐれがない。そうして日本中の舗装道路を細かくもにぎにぎしい継ぎはぎ状態にし、その模様の妙を世界に誇って観光客誘致に努めればなおよい。そしてそんなド派手な道をマラソン・コースにすると、TV中継をまた違った目で楽しむ人も出て来る。『日本はさすがアジアでは最も道路の舗装率が高く、しかもその継ぎはぎ状態は1センチ単位の正確さを持った道路上の厳密な製図だ。それがわずか100メートルの間に100か所も継ぎが見えるほどで、それらは舗装された年月の差とアスファルトの品質の差によって微妙に色合いが違い、全体としてはきわめて美しい手仕事の美を呈している。それは、何気ないところにも日本人の繊細さと美意識が見られることの一例で、外国人にはさまざまな意味で驚きに値するものだ。残念なことに年に一度はそれら美しいパッチワーク模様は全面的な新たな舗装によってすっかり消されてしまうことがあるが、惜しがる必要はない。ものの10日もすれば絶対にそのすっきりときれいな舗装のどこかがまた掘り返され、新たなパッチワーク模様が生まれる。この驚くべき新陳代謝の速度は、それだけ日本経済のよさを背景にしているが、景気が傾きつつあることは明らかで、いずれその速度が鈍化し、無数のパッチワークが見られないことになるかもしれず、今のうちに日本に行って撮影し、YOUTUBEにその映像を投稿するのもよい。ただし、そのことを最初に日本の象徴である富士山になぞらえて「継ぎ富士」の題名でブログに写真を投稿した人物がいることを報告しておかねばならない。高さの異なる線状の富士が4つ撮影され、そのうちの1枚は、鉄の蓋のかけらが太陽のようにも見える面白さだ。以下にその投稿のURLを紹介しておこう。
http://uuuzen.exblog.jp/16668226/#16668226_1』

筆者が桂川の砂州やそのほか、三角形を呈しているものを撮影するのは、どこか尖がっているためかと思う。「目を三角にして怒る」という表現にもあるように、三角形はあまりいいたとえには使わない。怒れば本当に目が三角になるのかどうか、筆者は鏡を見ながら瞼が年齢とともに下がって来て目が三角形に近くなっていることに気づく。ということは、老齢になると誰しも怒っているように見えるということか。瞼が垂れるのは自然であるから、老人が怒っているように見えることも自然で、老齢になると、とかく尖がった態度を見せればいいではないか。これが好々爺などとおだてられていつも笑顔になっている必要はない。老人が穏やかというのは、若い者がそうして世間から隅の方に追い払いたい思いに発してのことで、老人は若者に騙されてはならない。年々性質が尖っても、その方が案外自然に沿ったことであって、健康で長生き出来そうだ。変に人が丸くなると、もう半分以上はこの世にいてもいなくても同じ存在だ。ただし断っておくと、この「尖がった性質」というのは、たとえば人をいじめたりする暴力的なことではない。他者に迎合しないことだ。自分は自分という信念だ。それが先日書いた「色気」の素にもなる。ま、大多数の老人は筆者と同じように思っているはずで、であるから老人ホームで女を巡って喧嘩や殺し合いになることもある。それを冷ややかに見て、『いい歳した老人が何といやらしい』などと思う向きは勝手でも、若いのに悟ったような口調で他者を非難するより、老人が自己主張して命を張っている方がよほど健康だ。ところで、「おれおれ詐欺」に引っかかる老人がまだいて、関西では最近その数が増加中という。この詐欺で思うのは、老人が逆に若者をカモにすることだ。そんな老人がいてこそバランスが取れる。『もしもし、あのなー、わしや。』『もしもし、誰?』『わしや。』『??』『こらアホ。お前は父親の声がわからんほど電話もかけてけえへんし、実家にも戻ってけえへんことわかってるやろな。』『すまん、親父』『今頃わかったか。よー耳の穴ほじくって聞けや。あのな、わし金ないねん。』『??』『聞こえたんか?』『う、うん。』『金欠やからちょっと金送ってくれや。』『アホ言うなよ親父。おれが金持ってるはずないやん。』『ふざけたこと言うな。アホ! 今まで誰のおかげで大学まで出さしてもろたんや。ちっとも大人の自覚もせんと遊びほうけやがって、それで世間をわたって行ける思ってるんか!』『そんな言うてもほんまにないんや。』『せやからどうや言うんや。』『出されへん。』『アホやなあお前。 親を扶養する義務は子どにもあること知ってるやろ。』『そう言うても親父は年金もろてるからおれより収入多いやろ。』『せやからどやいうねん。なくなってしもたんや。』『嘘やろ? どこに使うたんや。』『そんなもんわしの勝手じゃ。お前にいちいち報告する義務はあらへんど。』『自分の収入の範囲内で生活すべきや言うたんは親父やぞ!』『そんなもんわかっとるわ。今はないから出せ言うんや。友だちに借りるなりして今から50万振り込めや。』『そんな大金!』『どうせわしの住んでる家はお前のもんになるやろが。』『そんなボロ家いらんわ!』『ま、それはええから、1時間以内に50万円振り込めや。どうせやったら55万5555円でもええぞ。さあ、さっさとATMへゴーゴーゴーや。』 こうして息子は見知らぬ老人に騙されて50万を巻き上げられ、おれおれ詐欺の深刻さを実感するとともに三角形に尖った老人の存在を知るのでありました。

老人がどんどん増えて若者ひとりが老人ひとりを支えねばならない時代が半世紀後かもう少し先に来る。今からそのことに着目し、老人相手の商売を始めている人は多いだろう。何しろ老人は若者より金を持っている。であるのに、それを使わない。溜まったままになって淀んでいるお金を循環させなければ日本の経済に悪影響を及ぼす。誰しもせっせと金を使い、道路工事人夫の仕事が途切れないようにし、アスファルト舗装における100メートル間の100か所の継ぎはぎ状態を保たねばならない。そして、中にはその継ぎはぎから「継ぎ富士」や「線富士」あるいは「尖り富士」と名づけて写真を撮って、
ブログに載せる尖った老人もいることだろう。老人から金を巻き上げることの最初の前兆が「おれおれ詐欺」であるとみなしてよい。その進化形が若者を食い物にする老人による「わしわし詐欺」だ。それがもっと進化すると、老人が老人を騙すことになる。これは笑えないだろうか。老人ホームで女を奪い合って殺し合いをするほど尖っているのが老人であるから、老人対老人の騙し合いは今後急速に増加するに決まっている。どうせ余命は短いから、騙して金を巻き上げても空しいだけではないかという意見は間違っている。騙すという尖った思いをまだ自分が持っていることに老人は感激し、奪った金は貧しい老人にくれてやる。あるいは貧しい女学生でもよい。それは援助交際で不純と言う意見が出るが、かまうことはない。『貧しい者にただ与えるのであるから、それのどこが悪いんじゃ、このアホ!』と尖って食ってかかってやればよい。『タマヨさん、ちょっと少しばかし用立ててもらわれへんやろか。』『あら、タマオさん、珍しいわね。お金のことなんか今まで一度も口にしはれんがったのに。』『いやあ、それがねえ。友人がおれおれ詐欺に遭ってしもてね。』『あらま、ひどいこと。』『そうでっしゃろ。今時の若いもんは無力な老人を食い物にすることしか考えてへんからね。ひどい世の中になったもんや。』『ほんま、そうですわね。』『それで、タマヨさん、来月わし銀行の定期解約して返しまっさかいに、すんまへんけど300万ほど用立ててもらえまへんか。』『えらく大金ですこと。』『何をおっしゃいますか。タマヨさんほどの資産家がそんなこと言ったらバチ当たりまっせ。』『ま、タマオさんのめったにないお頼みですからによって、わかりました、300万用意させてもらいまひょ。』『おおきに、おおきに、さすがタマヨさん、肝っ玉が違いまんな。』『ほほほほ、タマオさんの玉々もそんな噂ですよ。』『はははは、見られてしもたな!』『さすがタマオさんやわあ。友人のために一肌脱ぐなんて男っぷりがよろしいこと。』『いやあ、褒められるのはタマヨさんでっせ。こんなわしにポンと300万貸してくれはんねんから。』『この歳になると、お金もええけど、もっとええのは頼り甲斐のある人がそばにいることやからね。』 同じ手口でタマオ尖り爺は老人ホームの少なくても数人の老婦人から多額を巻き上げ、姿を一夜にしてくらましました。その大金を持ってどこへ行ったのでしょう。地図で確認出来るのですが、きれいな二等辺三角形を結ぶことの出来る市内の3か所にそれを施しました。女子高生と病気がちの老齢の乞食、そして動けなくなった元道路工事人夫です。年齢も性別もさまざまですが、みな生活保護にかかれない貧困者です。お金に添えた手紙には「尖り続けろ!」とだけ書かれていました。その後のタマオ尖り爺は神出鬼没で、各地の金持ち老婦人が被害に遭っていますが、誰も被害とは思っておらず、いいことが出来たと感謝すらしています。『タマオさんみたいな面白くて恰好よくて尖った人は初めてやった。あんな人と出会えてわたしの人生はよかったわ。』