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●『世界遺産・博物館島 ベルリンの至宝展』
今年と来年、「日本におけるドイツ」という名目のもと、たくさんの展覧会が日本各地で開催されていることはすでにこのブログでも何度か書いた。その中でも最も大規模なものがこの展覧会と言ってよい。



●『世界遺産・博物館島 ベルリンの至宝展』_d0053294_15531233.jpg1990年に東西ドイツが統一し、その2年後に『東西ドイツ統一記念 ベルリン東洋美術展覧会』が東京や京都で開催された。ドイツ各地の美術館や博物館から収蔵品を借りて日本で展覧会を開くことはこれまでにも何度もあったが、ベルリンからの作品をまとめて展示する例はあまりなかったと思う。『ベルリン東洋美術展覧会』は旧西ベルリンのベルリン東洋美術館と旧東ドイツのペルガモン美術館の所蔵品から構成したもので、今回の展覧会の序と言ってよいものだったかもしれない。そして今後予測される展覧会は、ベルリンの博物館島にある5つの大きな美術館、博物館を単独に紹介するものだが、今回はひとまず博物館島全体からそれぞれ特徴ある作品をピックアップして概要を示すべく企画された。それでも何らかのテーマがなければ、膨大なコレクションから適当に選択して並べた、ただの味気ない総花的な展覧会になってしまう。そこはチラシにあるように「聖なるもの」をテーマにして約150点の作品が選ばれたのだが、「聖なるもの」は人によって思いがまちまちであるから、作品の選択基準としては曖昧なものにならざるを得ない気がする。「聖なるもの」をテーマにするのであれば、展覧会の名称にそれを副題として示すべきだが、チラシ裏面の文章の中にごく小さく1回しか登場せず、このテーマに気づく人は多くないことだろう。今、京都市立美術館では『ルーヴル博物館展』が開催中で、日本では2、3年ごとにルーヴル展があるのではないかと思わせられるほどだが、その次に多いのが大英博物館展で、フランスとイギリスが誇るこのふたつの施設は、日本からはヨーロッパ芸術の総本山に思える。そこに新たに殴り込みを仕かけて登場して来たのがドイツで、東西統一によって旧東ベルリンにあった博物館島が再編整備され、しかも世界遺産にも登録されて、いよいよルーヴルや大英博物館に比肩するドイツの誇るコレクションの全容が姿を現わすに至った。博物館島の5つの館の全部の整備が完成するのは2015年の予定だが、その年にはさらに大規模な宣伝がなされ、ベルリンへの観光客誘致にも一役買うことだろう。
 ベルリン市街を東西に隔てる壁の位置は今のベルリン市街の地図を見ても図示されていない。行ったことのない街の様子を知るには地図に頼るのがよいが、どの街でも大体中央部に大きな川が走り、それに沿って中心となる街路や王宮の施設、それに隣接して公園や美術館、図書館、それに大学などがあるもので、ベルリンの博物館島も大体ベルリン市街の中央部にあると想像しても間違いない。ベルリンは旧東ドイツにあった都市で、そのベルリンがさらに壁によって東西に分け隔てられていたからややこしい。つまり、西ベルリンは東ドイツの中に飛び地として存在していた。東西が統一されれば、ベルリン市内を東西に分割する意味はないから、東西ベルリンに散在していた美術品をある特定の場所にまとめて展示しようとする動きが生ずるのは当然だ。博物館島はブランデンブルク門から東北に1キロほどの距離で、ブランデンブルク門そのものが東ベルリン側の壁際にあったから、博物館島全体は東ベルリンに位置していた。島というのは、ベルリン市内を東西に流れるシュプレー川の中洲であるためで、大阪では中之島を思い浮かべればよい。だが、大阪市では財政難からいつまで経っても近代美術館が建設されず、中之島がベルリンの博物館島のような芸術の本山になるのは夢のまた夢だ。バブル期に美術館のひとつやふたつは簡単に建ったのにそれを優先しなかったところがいかにも商都の大阪らしいが、バブルはじけて美術館なく、買った美術品はさまよい続けるでは情けない。民主主義は確かにいいが、都市の数百年先の将来を思えば、専制君主がいて、それを手なづけて芸術に理解を示させる人材があった時代の方がよほどいいかもしれない。ベルリンの博物館島も元をただせばプロイセンの王宮があったために基礎が出来た。そういった基盤がない状態から出発して美術館を造っても、現代ではたかが知れている。作品の新収蔵どころか、補修費すら捻出不可能なあり様で、戦後日本経済はドイツと並んで目ざましいものがあったとはいえ、日本は世界遺産に認定されるような博物館島があるドイツとは全くお話にならないほどにおそまつだ。ちなみにドイツに世界遺産の文化遺産指定は30件近いが、これは日本の何倍に相当するのだろう。国が豊かであるというのはお金を貯めることではなく、お金では得られない世界に誇る文化遺産を持つことと考えてもよいから、戦後の日本が本当に豊かになったかどうかはかなり怪しい。高速道路やゴルフ場、ダムなどによって、ただただ徹底して破壊し尽くしたと将来思われないとも限らない。世界遺産が観光にも役立って、それが国の宣伝にも、また収入にもつながることを思えば、ベルリンの博物館島の整備は大いに役立つものを示唆している。
 話がそれた。手元に『週間朝日百科 世界の美術』がある。1979年(昭和54年)6月17日発行の64号の表紙3(裏表紙の内側)には、「西ドイツの美術館2」として『西ベルリン、国立美術館絵画館』が紹介されている。表紙3には毎号日本や世界の美術館の紹介があって、西ドイツからは11か所の美術館が取り上げられているが、東ドイツの美術館の紹介が全くない。つまり、ベルリンの博物館島の5つの館についての情報がなく、まるで東ドイツには有名な美術館が存在しないかのような誤解を与える。東西統一以前であるので仕方のない話かも知れないが、岩波書店が統一以前に確か博物館島の施設を網羅する豪華な画集を出していたから、どうにかすれば情報は得られたであろう。それでも統一以前に観光で東ドイツを訪れる日本人はかなり少なかったはずで、西ドイツの美術館と同列に紹介する必要がなかったとも言える。それはさておいて、先の『国立美術館絵画館』の紹介文から少し引用する。「…東西を仕切る厚い壁を思い浮かべるであろうが、ベルリンの各美術館もまた、二分されたベルリンの姿をそのまま反映している。戦前、ベルリン中心部のムゼーウムスインゼル(美術館島)には、新・旧美術館、ナツィオナルガレリー、カイザー・フリードリヒ美術館などが軒を並べていたが、現在では、それらの美術館の所蔵作品は、東西ベルリンに分割され、東の分は、昔の面影をとどめてはいるものの、整備の行き届いていない、部分的には戦禍の跡を残したまま荒れ果てているムゼーウムスインゼルのかつての建物に、そして西の分は都心から離れたダーレム地区の美術館に展示されているのである」。ダーレム地区はブランデンブルク門から西南に15キロほどに位置し、『週間朝日百科』が取り上げている国立美術館絵画館は、このダーレム地区にあるかつて民俗学博物館の保管庫として使用されている建物を指している。『週間朝日百科』には「1970年、絵画館に接続して、民俗学博物館、アジア美術館の全く新しい建物が建てられた」とあり、最初に触れたベルリン東洋美術館はダーレムの国立博物館の新館にあるとのことだが、それはアジア美術館のことだろう。『週間朝日百科』は続けて、「絵画館は、1968年に新築されたナツィオナルガレリー(19、20世紀絵画を展示)と同じく、都心のティアガルテン付近に新築移転する予定だという。ベルリンと運命をともにしてきたこの絵画館は、そうなった時、今度は再建ベルリンのひとつの象徴となるであろう。」と締め括っているが、ややこしいのは東ベルリンの博物館島にあるナツィオナルガレリーとは別に西ベルリンもナツィオナルガレリーを建てたことで、しかもダーレムには国立博物館があり、ベルリンには一体どれだけの美術館や博物館があって、コレクションがどう散在していたのかと思う。
 結局、『週間朝日百科』が書いていたようにティアガルテンには新しく美術館は建たず、東西統一の後、博物館島の5つの施設を修復し、ベルリンにある美術コレクションの統配合をしているというのが現実だ。ひとつの街の中に美術館がたくさんあるのはうらやましいが、ベルリンにある美術品は20世紀の戦争によって消失したり、ソ連やアメリカに接収されるなど、大きな打撃を受けた。これにまつわる話だけでも1冊の本が書かれるほどだが、あちこちを放浪し続けた作品はようやく博物館島に落ち着くはずで、そうなれば人々はルーブルや大英博物館と同格のものとして認識を新たにするに違いない。また『週間朝日百科』から引用する。「ベルリンの美術館の中心であり、またその最初のものである絵画館は、1823年、ドイツ新古典主義建築の第一人者シンケルに建物の設計が依頼され、1830年に開館したが、作品を美術史的配慮に従って展示するという、近代低美術館の先駆であった」。ここで言うシンケルが設計した絵画館は、西ベルリンのダーレムにあった国立美術館絵画館とは違って、東ベルリンの博物館島にある施設で、現在は旧博物館と呼ばれている。ここに元々あった収蔵品は戦争のためにばらばらになり,それらが戦後に戻された時、東では博物館島に、西ではダーレムの国立美術館絵画館にそれぞれ収められ、それらが統一後にまた博物館島に一緒に展示されることになったわけだ。どうでもいいような話だが、シンケルの話をするためにちょっと書いてみた。今回の展覧会ではこのシンケルにかなりの光が当てられた。博物館島の基礎を造った人物であるので、まず最初に紹介するのは当然なのだ。カール・フリードリヒ・シンケルは建築家ではあったが、画家としての才能も非凡で、カスパー・ダフィト・フリードリヒとよく似たロマンティックな絵が今回何点か展示された。フリードリヒほどには深みがなく、現代のイラストレーターがフリードリヒを模倣して描いた場合にそうなりそうな軽い印象をどこか与える絵だが、それでも現在の建築家でこれほどの絵を描ける者はまずいないほどの才能で、そうした人物がドイツの威信をかけた美術館を建築し、そのコレクションも当時のヨーロッパのどこよりも先駆けた目があったことを示す現実を知れば、シンケルという名前を改めてよく記憶しておく気になる。
 ところで、数年前の映画『ラン・ローラ・ラン』では、この美術館島の前を女性が走るシーンがあった。映画の間、ずっとベルリン市内のあちこちが映り、いずれ訪れたい気持ちにさせたものだが、観光客誘致に映画で美術館や世界遺産を映すことは効果が大きいのではないか。今回の展覧会でも入口を入ってすぐのホールに博物館島を簡単に紹介する映像が流れていて、「日本におけるドイツ」でのこの目玉的催しによって、ベルリンにやって来てほしいという意図が見えていた。さて、博物館島(Museumsinsel)の5つの館は、旧国立美術館(Alte Nationalgalerie)、旧博物館(Altes Museum)、新博物館(Neues Museum)、ペルガモン博物館(Pergamon Museum)、ボーデ美術館(Bode Museum)と呼ばれているが、シンケルが最初設計したのは旧博物館で、そこには現在ギリシア、ローマ美術や絵画が展示されている。新博物館は1859年に開館し、エジプト、古代西アジア美術を展示し、1867年には旧国立美術館が建ち、現在はヨーロッパ近代美術を展示する。1904年に4館目のカスパー・フリードリヒ博物館が開館し、これは1956年にボーデ美術館と改称された。ビザンチンやイスラムの美術を展示する。ペルガモン博物館は1930年に建ったが、1871年からドイツは西アジアやエジプトで盛んに発掘を行ない、その成果としてヘレニズム都市のペルガモンの祭壇や古都バビロンのイシュタル門の復元を館内に展示した。ペルガモンは現在のトルコで、祭壇やそれにイシュタル門は大英博物館以上の威容を誇ると言ってよい。これらをトルコやイラクが返還を求めないのかと心配するが、合法的にドイツに持って来たのは間違いがないはずでも、遠い将来、条件が整えば返還されることもあり得るかもしれない。話が長くなっている。疲れても来たので結末に急ぐ。5つの館からそれぞれ見応えのある展示が揃ったが、チケットにもあるように、ルネサンスの絵画を期待する人が最も多いのではないだろうか。神戸市立博物館は館内全体が今回の展覧会のために全体に暗く、また室温がかなり低く設定されていて、寒いほどであったが、それらはテンペラ画などの保存のためには欠かせない措置だ。ボッティチェリの「ヴィーナス」はウフィツにある「ヴィーナスの誕生」の中央部分の大きな開いた貝に乗るヴィーナスと同じで、最初これは模写かと思ったが、板ではなくキャンヴァスに描かれていて、真作だ。背景が真っ黒に塗り潰されているのはクラナッハの絵に共通するいかにもドイツ人好みで面白いが、ボッティチェリが最初からそのように描いたのはどうも信じられない。図録を買っていないので詳しいことがわからない。珍しいところではロレンツォ・ロットの2点の縦長の油彩「聖セバスティアヌス」と「聖クリストフォロス」があったが、どちらもとてもよかった。デューラーやクラナッハなど、ドイツのルネサンス絵画のめぼしいものが来なかったのはわけがあるのかもしれない。フリードリヒの作品は「窓辺の女」が展示されていたが、これは以前にも日本にやって来て観たことがある。ベックリンやクリンガーの有名な油彩はマニア向きのサーヴィスだろうが、これだけでもこの展覧会を観る価値があるだろう。最後に展示されていたのは、印象派風のタッチでニーチェを描いた大きな絵だ。ニーチェの顔は写実的に中央に比較的小さく描かれ、その周囲は荒々しいタッチで植物が取り囲み、どことなくニーチェの狂気にも通じる雰囲気をかもしていた。ニーチェを最後に置くのは人間的至宝という意味でドイツの矜持を示すためか。
by uuuzen | 2005-08-30 15:53 | ●展覧会SOON評SO ON
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