養老院で暮らす元役者たちのドラマを描くこの映画については、『北ホテル』の感想を書いた時に少し触れた。先日右京図書館にDVDがあったので借りた。
『北ホテル』の翌年の1939年にフランスで公開された。筆者は30年ほど前に見て以来二度目、あるいは三度目で、結末はよく覚えていた。今日はこの映画について書く。さすがの名画で、昔見た時の感動はそのまま蘇った。フランスがこういう映画を撮っていたことに改めて芸術を大事にする国を思う。家内にも話したが、日本ではこのような映画はまず作られない。フランスより圧倒的に芸術への理解や意識が低いからだ。韓国ドラマの感想にもしばしば書くように、筆者は芸術家が登場する作品を好む。そういうものはあまりにも日本は少ない。ほぼ皆無と言ってもよい。最近の韓国ドラマは、物語や俳優よりも室内のセット、特に絵画や置物に凝ったものがさりげなく配置されていて、そこに日本との文化的な差が見えて面白い。どちらが文化度が高いかというのではない。趣味の差だ。韓国ドラマではしばしば韓国の現代絵画と呼べる絵が背景に映り込む。そのセンスは日本にはないもので、アジアは広いと感じる。置物にしても同じだ。先日の韓国ドラマでは変わった形の洒落たスピーカーが映った。ネットで根気よく調べると、アメリカ製と思っていたものがイギリス製であった。思った以上に韓国にはヨーロッパのものが入っている。それはさておき、韓国ドラマは画家や音楽家がよく登場する。日本のドラマはほとんど見ないので知らないが、昔からそういうものは少ない。それが悪いと言いたいのではないが、美術や音楽に関心のある者からすれば日本は何と芸術家に冷淡で、また一般人とは縁のない存在とみなされているかと思う。そんな筆者であるから、この『旅路の果て』はその物語の設定からして驚く。舞台役者が現役を退いた後、養老院で余生を過ごせるようになったのは、イタリアのヴェルディが引退したオペラ歌手などの音楽関係者のための養老院を作ったことからして、フランスでもあったことだろう。ということは、それまで音楽家や役者は貧困にあえいで悲惨な死に方をしていたことを示す。吉本興業は抱えるお笑い芸人が貧困に陥って哀れな死に方をしないように、会社が金を蓄え、働けなくなった芸人の生活を保障する考えを持っているそうだ。それが実現すれば、日本のお笑い芸人もヨーロッパの芸術家並みの存在となって、日本文化の誇りと言うべきことになる。そうかもしれない。というのは、芸術と呼ばれる音楽家や画家、彫刻家などは、芸術大学を卒業し、やがてその先生として迎えられるから、老後の心配は無用だ。最低限の生活どころか、名誉も金にも困らない。つまり保護されている。それに比べると明日どうなるかわからないお笑い芸人こそが日本を代表する芸術家と言える。フランスは案外そのように日本を見ている。ビートたけしの人気を見ればそれはわかる。そして、日本はついに世界に誇るべき音楽家や美術家を輩出することが出来なかったと認めなければならない。日本のドラマに音楽家や美術家が登場しないのはもっともなことなのだ。
『旅路の果て』の原題を直訳すると『日の終わり』で、『死』を意味する。そして、この映画は元役者のカブリサードを墓に埋める場面で閉じられるから、カブリサードが主人公と考えてよい。この元役者は正確に言えば元代役だ。俳優が病気などで演じられない場合に急きょ舞台に上がる。そのため、全く同じように稽古をし、セリフを覚える。ところが運悪くと言うか、一生チャンスが訪れないままに老齢になる場合があったのだろう。カブリサードはそういう役柄を演じる。彼は多弁で肥満体型、そして顔も醜いのに気位は高い。この気位の高さはこの映画の養老院に住むすべての元役者に言える。カブリサードは結婚の経験がなく、また舞台に一度も上がったことがないので、捻じれた性質は人一倍だ。それでもどこか憎めないところがある。彼のそういう側面は、院の近くの林にボーイ・スカウトの集団がやって来てキャンプをする時に見られる。その中の隊長クラスの男子とは20年ほど前からの知り合いだ。カブリサードはその男子からの手紙を毎日心待ちし、わが子のように思っている。また心優しい男子はカブリサードを慕っている。カブリサードは彼がキャンプを切り上げて引き上げる直前にたまたま院で催されることになった慈善公演の舞台にどうにか立って、彼に雄姿を見せたいと考える。ところがこの思いは無残にも打ち砕かれ、大根役者の汚名のまま死ぬ。死後遺書が発見される。それはあまりにも自分を美化した内容で、弔辞を読み上げる役を担った同僚のマルニーは途中で口をつぐんでしまう。マルニーはあまりにも律儀で、学者タイプだ。自分に正直なあまり、いくら遺書に書かれた自己賛美であってもみなの前で嘘はつけないと考える。マルニーからすればカブリサードは取るに足らず、断固として役者とは言いたくない。だが、墓穴を取り囲む人々の中で彼は遺書を途中からは読まずに、自分の言葉で弔いの言葉を贈る。それはこの映画の最後の場面で、最も感動的だが、何とマルニーはカブリサードを「偉大な魂」と呼ぶ。ここで筆者は泣いた。養老院で暮らす元役者たちは、誰しも自分は一般人とは違う芸術家としての栄光の日々を送って来たと信じている。そのため、院の経営が思わしくなくなり、閉鎖が決まって全員がフランス各地の一般人が住む養老院に分散されることが決まった時、全員がそれを拒むほどだ。たとえば、毎日ピアノでショパンを弾いている男がいる。彼は別の養老院に送られることが決まった時、真っ先にそこにピアノがあるかと院長に訊く。ないとの返事に憔悴するが、そこにはピアノさえ持つことが出来なかった貧しい音楽家の姿がある。
マルニーが自惚れの強いカブリサードを「偉大な魂」と呼ぶのは、半分以上はマルニー自身とそして演劇という世界に向けてのことだ。この映画では「人生は劇だ」というセリフもある。これは「劇こそが人生だ」と同じで、その劇と人生の区別がつかなくなった元役者たちが一緒に暮らしている。その恐ろしくて、喜劇でもありまた悲劇でもある状態は、高齢化を早めている現在の日本でも同じで、この映画は元演劇人を主題にはしているが、人間の普遍性を扱っている。話を戻すと、マルニーがカブリサードを最後の最後で讃えたのは、役者として全く陽の目を見ることのなかった人生ではあるが、役者の誇りを忘れなかった点を見てのことだ。カブリサードは芸術に殉死した。そこが尊いとマルニーは思うのだが、これこそがこの映画が最も言いたかったことだ。昨夜ビリー・ワイルダーの『サンセット大通り』について書いた。その中でワイルダーが無声映画時代のドイツ・ユダヤ系の監督シュトロハイムを尊敬して『サンセット大通り』に起用し、おまけに監督を演じさせたことについて触れた。シュトロハイムはワイルダーとは比べものにならないほどの大きな才能だが、ワイルダーは敬意を表した。それとよく似た思いがマルニーにあったということだ。『サンセット大通り』は流行遅れになった無声映画やその俳優へのオマージュだ。『旅路の果て』は無声映画の登場によって流行遅れになった舞台劇へのオマージュだ。昨日書いたように舞台劇から無声映画、そしてトーキーという歴史的推移があって、このふたつの名画は、後に出たものは先のものを尊敬すべきという、文化における伝統のあり方を主張している。舞台劇と映画とでは全然違う芸術ないし娯楽と言えるが、演じる者なくしては存在し得ない点では同類の文化だ。そういう一連の文化のつながりが日本では温存されて来ているだろうか。橋下市長が文楽のよりどころを理解せず、そのほかの人形劇と同じように考えているところは、舞台劇から映画という推移を思えば一笑に付すことの出来ない言葉と言えるかもかもしれないが、文楽から全く新しい人形劇を生んで行こうという機運が大阪の若人の中から芽生えるには、まず今の文楽をもっと盛んにする必要があり、橋下市長の考えとは正反対に数十倍の援助金を出すべきだ。話を戻す。カブリサードの人生が努力を怠ったゆえの悲劇と見るのは大間違いだ。カブリサードと同様、代役を常に抱えながら上演する劇というものは、それほど舞台を神聖視し、観客を大切に思っている。舞台は神域と同じなのだ。それを汚さないためには、一生陽が当たらないかもしれない代役が常に大勢必要だ。そして、カブリサードはそういうことをよく知りながら、いつか機会が巡って来るかもしれないと考え、主役と同じセリフをいつでも言うための練習を欠かさなかった。そういう無名の人の多くの涙で支えられているのが華やかな演劇だ。それは美術界でも音楽界でも同じだ。その芸術に生涯を捧げたカブリサードはやはり「偉大な魂」と呼ぶしかないではないか。それを芸術を理解しない人は嘲笑するが、理解出来ないのであるから仕方がない。芸術は理解出来る人のためだけのものだ。それをこういう映画で描くところに、芸術を賛美するフランスの腰の据わり方を見てうらやましい。
この映画の面白さはカブリサードの末路にあるのではない。本当の主役は『北ホテル』でやくざな男を演じたルイ・ジューベだ。彼はここでは一気に老け役サン=クレールとなって狂気を見せる。サン=クレールはいわばいつの時代にも見られる生粋の芸人だ。彼は新聞で名を知られ、今まで関係した女性は数知れず、しかも儲けた金は潔く女に与えて来た。そのサン=クレールが養老院にやって来る。かつて名を馳せ、大金を得たはずなのに、なぜ人生の吹き溜まりのような場所にやって来るのかと、かつての女優であった老女たちは思うが、一方で昔彼から言い寄られたことを懐かしく思い出している。中にはサン=クレールの子を孕み、生み育てたが成人になった途端死んだことを告げる元女優もいる始末。だが、サン=クレールは彼女の名さえ覚えておらず、また息子がいたことを知ってもさして悲しまない。サン=クレールは養老院にいるのは少しの間ですぐに別のところに去ると吹聴するが、タバコを買う小銭もない。そこで目をつけたのが養老院で働く17歳の娘ジャネットだ。彼女はサン=クレールが有名であったことを新聞で知っていて、すぐに夢中になる。その心を手玉に取ろうとしている時に、サン=クレールを訪問する男がある。かつてサン=クレールが関係した女性が死に、その遺品の中にあった指輪を代理人が返却しに来たのだ。価格を訊くと10万フラン。それを金に換えて避暑地への豪遊に向かうサン=クレールをジャネットは悲しく見送る。やがて金が尽きて養老院に戻って来るが、精神に異常を来たしており、自分をドン・ジュアンを思い込んだ結果、ジャネットをピストル自殺させようと計画する。サン=クレールに魅せられたジャネットは目の色が変わって言いなりになり、死ぬことを喜びと錯覚するが、危機一髪のところでマルニーに制止される。その時、サン=クレールはすっかり気が狂い、ドン・ジュアンのセリフを朗々と述べる。役にのめり込んだ結果の発狂だ。それほどに人生と劇を同一視していた彼もまた「偉大な魂」と呼ぶべきだ。サン=クレールは典型的な芸術家像で、たとえばゴッホの姿にも重なる。金を貯め込んで豊かな老後をということなどみじんも考えていない。すっかり金に困り果てた時にかつて与えた指輪が戻って来た。通常ならそれを大事にして細々と使う。マルニーならそんな姿が似合う。ところがサン=クレールはその金で豪遊する。そして賭けで借金まで作る。そのようにして今まで生きて来たからには、老人になって直るというものではない。また、次々に女を変え、気前よく与えて来たことは、それほど金の回りのよい人気役者であったことを示す。そういう輝かしい経歴の持ち主がかつて養老院に入って来たことはなかったが、サン=クレールにすれば金を残そうとしなかったのでそれは当然だ。したがって、彼はマルニーに向かってこう訊く。「君のような才能もあり、堅い人物がなぜこんなところに入居したのだ?」これに対しマルニーはこう答える。「妻が死んでからは役に身が入らず、役者としての人気が出なかった。」
マルニーの妻はかつてサン=クレールに走り、そして自殺した。サン=クレールは一夜限りの遊びと考えたが、女はそうではなかった。マルニーは長年妻の死因を知りたく思い続け、またそれが偶然の死であることを願って来た。そしてサン=クレールを憎みながらも事故死であったと言い聞かせてほしいと迫る。これに対しサン=クレールは曖昧に逃げながらも事故死であったと告げる。マルニーの妻がサン=クレールに走ったのは、それだけ彼に魅力があったためか、あるいは単に口説き上手であったのか。そのどちらもと言うのが正しい。何しろ彼は劇と人生を同一視し、最期は発狂して精神病院に入るのであるから、稀に見る才能であったとしてよい。一方のマルニーは善人で、その芸はそれなりに熱狂的なファンを持ったが、間違って新聞に死亡記事が出るほど忘れられている。おまけにその内容は「ごく一部のファンを得ただけで一流の役者とは言えないものであった」という辛辣さだ。この記事を載せたことを記者がマルニーに謝りに来る場面がある。その時、マルニーは「自分は死んだも同じだ」と答える。忘れられた役者とはそういうものだ。だが、マルニーはそのことを受け入れ、淡々とした日々を送っている。このマルニーの姿は大部分の芸術家を代表している。平凡でしかも良識派だ。であるからその芸は大きな人気を得ることが出来なかった。それでもカブリサードよりかははるかに恵まれていた。この映画は、芸術家は誰もがいずれは養老院行きで、毎日ささやかな食事で規律を守り、静かに死を待つことを描く。それを悲惨と見るだけではよくない。誰もが死を迎えるのであって、舞台で喝采を浴びた輝かしい思い出を持つ者はまだ幸福だ。いや、そういう楽しみを知らない人はそれに代わる、同じほど大きな楽しい記憶を得るのが人生だ。そう思うと、いじめによって10代の若さで自殺する者は救われなければならない。そうそう、昨日は家内の姉が亡くなって半年で初盆の供養がてら形見分けがあった。そこで見た光景に少々ショックを受けた。大半は処分が終わっていたが、部屋いっぱいに高価な衣服や靴、キモノなどがあった。旅路の果てのひとつのしるしとなったそれらの品物はみなきれいだが、サイズが合わなかったりしてほとんどがゴミとなる。義姉は養老院に入ることなく死んだ。また、最後の数年は社交ダンスに打ち込み、家1軒分ほどの金を使った。好きなように生きた点では本当に幸福な人生であった。