脱法ハーブという、まだ麻薬に指定されていない薬物が若者に密かに広まっているらしい。ネット時代になってより容易に入手出来るようになった。麻薬は戦前からジャズ・メンにはつき物であった。
それがロック・ミュージシャンに受け継がれ、音楽ファンにも蔓延したというのが実情だろう。60年代のヒッピー文化はそのことを一気に加速化した。当時はまだ日本にはさほど利用者はいなかったが、人と物の移動がさらに活発化した21世紀からは歯止めが利かない状況になって来た。新しい合成麻薬の製造速度に比べて法律がはるかに時代遅れになり、法に触れねばよいと、麻薬に手を出す若者は増加している。一方欧米や日本ではタバコの害がうるさく言われ、税金を高くして喫煙者を締め出そうと躍起になっているが、タバコ・ファンは酒はいいのかと反論する。日本ではタバコは傍にいる人が煙を吸って癌になる恐れがあるので禁止すべきという意見が多いが、酒には寛大だ。ファスビンダーの1960年代半ばの最初期の映画を見て驚くのは、ほぼ全員がタバコを吸うことだ。そのタバコはヒッピー全盛時代になると大麻になったりもし、またビートルズがその名前を大きくしたLSDが登場して、その後次第にタバコは吸い過ぎると健康を害するとアメリカが言い始めた。筆者は酒は飲んで来たが、タバコには関心がなかった。関心のないものには徹底していて、全く近寄らず、60になるまで一度も吸ったことがない。友人のNはヘヴィー・スモーカーであったが、晩年の5年ほどはきっぱり禁煙し、タバコのかすかな煙さえもひどく嫌悪した。特に若い女性が歩きながらタバコを吸っているのを見ると、本人に聞こえる声で、「このブス!」と言ったりした。そして、「女は馬鹿な動物で、タバコが恰好いいと思ってやがる。」と続けたものだ。そのNの変わり様が面白かった。また無理して筆者は吸うこともなかったと思った。Nはやめようと決心して即座にやめた。それは意志が強いのだろうか。タバコは食物だと言って死ぬまで吸い続けたザッパは意志が弱かったとは言えないから、タバコは人によりけりだ。吸いたい人は体が衰退一途であっても吸えばよく、自由だ。酒もしかりで、国家が禁止していないものであるからには、浴びるほど飲むのも勝手だ。麻薬はどうかとなると、物によりけりで、一部認めている国もある。日本では禁止であればそれにしたがうべきで、それがいやなら逮捕覚悟、あるいは合法な国に行って死ぬほど使用し続ければよい。
なぜ麻薬を禁止するかと言えば、非生産的であるからだろう。阿片が中国で流行した時代の記録映像を見たことがある。清末期の阿片窟で撮ったもので、最初に頭蓋骨が大きく映った。阿片を吸引し続けるとそのように恐いことになるという戒めだ。次に映ったのは辮髪姿の中国人が長いキセルで阿片を吸ったり、部屋の隅でごろりと横になっている様子だ。阿片を吸うのは気持ちはいいが、何もする気力が起こらず、廃人になることを訴えていた。何もしないとは仕事をしないということだ。仕事をしないで済む金持ちならそれでもいいはずだ。実際阿片を吸うには金がかかったから、中毒になって没落するのは金持ちが多かったが、いい気分になったまま廃人になることが国家を滅ぼす原因とみなされるのは当然であろう。一方で中国では麻雀のために同じように仕事をしない人が多く見られた。阿片とは違って4人同時でしかも賭博でもあって、やはり毎日それにのめり込むことは禁忌とされる。それでも、金と暇を持てあましている人は、いくら禁止してもする人はする。そのいい例が大物ミュージシャンの薬物だ。ビートルズは解散してからも薬物とは縁が切れなかったと言われる。これとは反対に、貧乏人が生活苦を忘れるために薬物に手を出すことがある。薬物に手を出したから貧乏に陥ったとも言えるが、このように生活状態にかかわらず、薬物あるいは賭けがいつの時代にも途切れずに深刻な問題を投げかけている。酒に話を戻すと、タバコよりも害は大きいだろう。アルコール中毒は昔からよく耳にするが、タバコ中毒で入院治療したことは聞いたことがない。そう思うとタバコと同じように、酒にも「過度の飲料は健康を害します」と瓶に印刷させるべきだが、それどころか、TVでは酒の宣伝だらけだ。夏でなくてもビールの宣伝は1時間置きに見せつけられる。政府はまことに勝手なもので、自分で責任を持つから何をどう利用しようが勝手という考えが出て来るのもわかる。そうして脱法ハーブなどというものも用いられるようになって来た。タバコすら吸ったことのない筆者は薬物には興味が全くない。利用すれば気分が高揚し、視覚が聴覚が鮮やかになるそうだが、そういう経験は酒でも出来るように思う。
60年代のロック・ミュージシャンが麻薬を使用したことの一般人への影響は大きいが、60年代の大物ミュージシャンのザッパは珍しくも薬物を使用しなかった。麻薬を使うことでいい曲が書けたり、いい演奏が出来ることを信じなかった。意識がぶっ飛んだ状態でどうして名曲や名演奏が出来るのかという思いだ。筆者はこれに賛同する。名作が生まれるのは、覚醒している時だ。もっとも、麻薬を常用している者が、その薬効が切れている時を覚醒と思い、その時に名作を生むと主張することはあろうし、それは否定出来ない部分がある。ザッパが薬物を認めなかったのは、それを使用する音楽家の作品はみな似たようなものになっている、すなわち退屈であると見たためだ。薬物を常用している創作家の作品が変化に乏しいかどうかは誰も研究したことがないし、したとしても証明のしようがないが、ザッパがいわんとしていることはわかる。結局ザッパは覚醒しながら幻想に対峙し、そこ地点で創造が出来るし、それが一番だと考えた。もちろんそんなザッパは酒もほどほどで、アル中を茶化した曲を書いた。ザッパがコカインの吸引が流行していることに対して曲を書いたのは1982年だ。そのずばり、「COCAIN DECISION(コカインの決行)」という題名で、歌詞にはこんな下りがある。長くなるので訳だけ載せる。「あんたはハイ・クラスの人間。ぼくのクラスではない。あんたが今日決めるコカインはあんたの鼻がやがて腐ること以外は意味しない。あんたが鼻から引っ張り出す物など知りたくない。それがどう作用するかもね。けれども鼻に詰め込む物によって廃人になるなら、ぼくは毎日気が狂うよ。あんたのすること、言うことがそんな形でぼくの人生に影響するからね。そのたびにコカインを嫌うことを学ぶよ。」 この曲によってザッパの麻薬に対する考えがわかる。コカインは高価で、それを用いるのは医者や弁護士、映画人など、金持ちの上流階級の人間だ。彼らが勝手にコカインを鼻に詰め込んでいい気分に浸り、また鼻腔を腐させようが勝手という見方があるが、ザッパはそうは思わない。なぜなら社会的地位の高い人々たちが、コカイン吸引によって間違った判断を下せば、害をこうむるのは中流や下流の人たちだ。ここには社会の上に立つ人にはそれなりの義務があるとの考えが見られる。このようにザッパはしごく真面目だ。そういう真面目な考えと態度の産物が彼の作品だ。ザッパがこの曲を書いた頃、アメリカではコカインの使用量がそれまで以上に目立っていたのだろう。アメリカ映画を見ていると、大人の集まりで白い粉がよく登場し、高価なものだからゆっくり吸えよと言いながら、くしゃみをして吹き飛ばしてしまう場面がある。このお笑い的な扱いは、コカインが高価でしかも害のない、金持ちの贅沢な嗜好品であることを示している。こういう描き方は日本では誤解されるだろう。コカインは恰好よく、吸っても無害という考えだ。実際、映画でこういう描き方をする方がザッパの「COCAIN DECISION」よりはるかに歓迎されるだろう。それほどにアメリカは病んでいる。
「COCAIN DECISION」が作曲された年にファスビンダーはコカインの過剰摂取で死んだ。まさにザッパの曲そのままで、コカインによって廃人と化した。そしてザッパの麻薬に対する思いから今日取り上げるファスビンダーの作品を見ると、ザッパの言っていることが案外正しく見えて来る。こう書けば筆者はこの映画をつまらなく見たことを言っていることになるが、実際期待したほどではなかった。この映画はほとんど最後の作品で、この後にもう1本撮って死んだ。『自由の代償』では貧しく若い男が大金をつかむも、最後は野垂れ死にして身ぐるみはがれた。死体のそばには薬の瓶が転がっていて、それを過剰に摂取したことが暗示された。それから7年後のこの映画は、時代を1955年に戻し、また初期作品のように白黒映画として撮影し、主人公を往年の女優に設定するが、身ぐるみはがれて薬物で死ぬことは同じだ。しかもファスビンダーも同じように薬で死んだから、彼は初期から薬に溺れて破滅する運命を感じていたかもしれない。日本におけるファスビンダーの人気が存命中のヴェンダースやヘルツォークに比べて低いのは、この破滅的な人生に理由があるかもしれない。簡単に言えば不健康と見られる。そうであるかはどうか鑑賞者によって違うし、また不健康であってもそれがどうしたと見る向きがあるし、筆者もそっちに加担はする。ただし、作品の力を判断するとして、『ヴェロニカ・フォスのあこがれ』は『愛は死より冷酷』や『自由の代償』よりも独創性で勝っているとは思えない。救いようのない者を主役とすることは同じで、またそうしたいわば弱者を食い物にする人物が出て来るのも同じだが、映画の面白さとしてはあまり意外性がなく、またある場面では大きな失望感があった。それはモルヒネ中毒のヴェロニカがある精神科の女医に監禁されていることを知った新聞記者が、同棲中の女を患者に装わせて女医に診察を受けさせに行った後の場面だ。彼女は女医から処方箋を受け取る。そこにはモルヒネの文字が書かれていて、これでヴェロニカを救出することが出来ると思った女は女医の家を出てすぐに公衆電話から同棲中の記者に電話する。目論見が成功したので、その行為は理解出来ないこともない。だが、女医らは窓から女が電話をしていることを確認し、その次の場面では女は車に跳ねられて死に、バッグから処方箋が奪われる。つまり、女の演技は前半は成功したが、その後がまずかったという表現だ。これがもし、公衆電話が女医の家から見下ろされる場所にないか、あるいは女が別の場所で電話すれば殺されずに済んだ。ここにあまりにつごうよく事が運ぶ韓国ドラマのような安っぽさがある。女が殺されることで、ヴェロニカを取り巻く悪がいかに強いかが示され、結局新聞記者は事件を追うことを断念し、ヴェロニカは監禁されたまま死ぬ。
ヴェロニカのモデルとなったウーファ時代の女優がドイツにはいた。かつての名女優は今では仕事がなく、しかも薬物中毒となって、その薬代ほしさに財産をすべて失った。最初は神経痛の痛みを抑えるのが目的であったが、医者からいい鴨にされ、市価の10倍の価格でモルヒネ漬けにされた。宝石を初め、屋敷など、すべて医者の物になり、利用価値がなくなったと思われた途端に殺される。そういうことは昔からよくあったのだろう。この映画では最初の方で新聞社の内部が映り、女性編集者が俳優などみなアル中だと言う場面がある。それはファスビンダーの実感であったろう。酒だけではなく、薬物も蔓延したに違いない。そのことはザッパの「COCAIN DECISION」からもわかる。ファスビンダーが猛烈な勢いで映画を撮り続けたのは、創作への意欲は当然として、薬代ほしさであったかもしれない。先の編集者だったか、「落ち目になりかけの人物に興味がある」というセリフがある。これは「落ち目になった人物」ではない。ファスビンダーが関心を抱き、自作の主人公としたのはそういう人物であったのだろう。『愛は死より冷酷』や『自由の代償』を見る限りそうだ。そして、その「なりかけ」以降の最期は死だが、『ヴェロニカ・フォスのあこがれ』ではそこに至るまでを描いた。その死はあまりに素っ気ないが、これは死に臨んでもがくという見苦しさを表現したくなかったのだろう。ファスビンダーの急死はまさにそうだ。ベッドの上で何年も寝たまま少しずつ死ぬということなど、彼の美学にはそぐわなかった。美しいヴェロニカは部屋の外から鍵がかかっていることを知り、狼狽もせずにベッドに横になり、薬の瓶に手を伸ばす。それだけのことだ。死への恐怖がなかったのではない。眠りへの希求があるのみであった。そういうヴェロニカを誰が救えたか。正義感に燃えた新聞記者はやがて自分は無力であることを悟る。悪である女医を見て、彼女を追及したところで、ヴェロニカが立ち直れるはずはない。そこまで薬物に蝕まれた体はもはや取り返しがつかないということだが、そのことを描きながらファスビンダーがコカインをやめられなかったのは、ヴェロニカに自身を投影していたからか。ではこの映画の題名の「あこがれ(SEHNSUCHT)」とは何か。この映画では彼女はかつて自分が名女優であった時代を忘れ難く、チョイ役でもいいので映画に出演することを願い続けている。その機会が訪れるが、撮影はわずか2日で、しかも何度も撮り直しする羽目になり、結局禁断症状が出て演技不能になる。この俳優としての華々しい演技が彼女の「あこがれ」であったが、もうひとつのそれはモルヒネだ。それを買うためになり振りかまわず寸借詐欺を働く始末で、薬物がなければ生きて行けない体になっていた。このふたつの「あこがれ」は、華々しい映画人やまたジャズやロック界では当然のごとく存在するものなのだろう。ファスビンダー自身がその例に漏れなかったことは皮肉だ。この映画で面白いのは、ヴェロニカの演技を撮影する場面だ。そこには監督が姿を見せる。それをヴェロニカが演じればもっと面白かったが、その監督役の俳優やまた禁断症状からもがき苦しむヴェロニカを間近にヴェロニカは見ていたから、その眼差しを想像すると、身震いさせられるような冷徹な何かを感じる。映画を作っていた時のファスビンダーは、ステージ上のザッパと同じように、すべてを把握し、しかも透徹し切った瞳を輝かせていたに違いない。どうすれば名作を生むことが出来るか。そのことだけを考えて突っ走った人生で、その賭けのような日々の中、滅びて行く自己を見つめつつ一方で薬物に手を出したのは、真に身を削ることなしに栄光はないことを知っていたからか。