今月は展覧会をたくさん観ているので、このカテゴリーに投稿する機会があまりなかったが、月末になると切り絵作りの時間が必要で、長い文章を書く時間がない。おまけに仕事も詰っているとなると、ますますブログがおろそかにならざるを得ない。そんな時、昔書いた文章で間に合わせるこのカテゴリーはとても便利だ。
●「CD解説を再構成するに当たっての思案」MSIから日本盤を出すに当たっては、当初は日本盤独自のジャケットにするとか、かなり自由なところまでグラフィック面に関しては、ザッパから認められるかもしれないとの思いがあった。結果的に日本で慣例になっている背の帯に関してだけは、MSIの自由なデザインとなり、ヘタクソながらいくつかは任されて描いた。CDの盤面デザインに関してはH氏は大胆なアイデアがあったりしたし、ジャケットに関しても独自の方向性はあって、依頼によって試みに描いたりしたが、ノー・ギャラでもあり、またオリジナルのアメリカ盤がやはりいいという意見やその他の理由のために、日本盤のみ特別なものという考えは現実的でなくなって行った。これはアーティストとして当然であろうが、ザッパ側からの指示は非常に厳密なもので、写真を使用した宣伝のためのポスターやグッスといったものの製造はもちろん、解説にさえ写真やイラストの勝手な使用は許されなかった。同じ拘束は現在のビデオアーツ・ミュージックにもあって、勝手にザッパの写真を使用することは許されておらず、宣伝に使用していい写真はわずか2、3点のようだ。その他の写真に関しては最初から絶対に駄目で許さないというのではなく、望むのであればすべて許可を受けてからということであった。ところがそれは大変な時間を要する。いつまで経っても日本盤が発売できない事態になっては、商売上まずい。原則としてザッパの写真やイラストの使用は一切考えない方針を採らざるを得なかった。またバーキング・パンプキンから届いたCDブックレットに誤字があって、それをMSIが訂正したことも少なくなかったが、そういう場合でさえも先方に許可を得てからというものであった。ザッパのLP時代の解説はかなり自由に写真やイラストの使用がなされていたことを思うと、これらの指示はそうとう厳格に過ぎる。それはMSIが比較的小さな会社で、ワーナー・ブラザーズやCBSといった大手のレコード会社とは位が違うといったことではないだろう。大会社であっても、ザッパは訴訟を起こしているし、相手が大きいとぺこぺこして、弱小だと横柄になるということはない。これは海賊レコードや無許可で製造されたあらゆるグッズ、ザッパについて書かれた本など、自分の知らないところでザッパという名前を使用して金儲けしようとする現象が急激に増加し、それに対して憤っていたザッパが、何事も自分の目を通した許可が必要だとの考えを強化していったことが原因だろう。この場合、目を通すというのはザッパ本人が無理であるならば、ザッパが認めた人物を通すということも含めている。そしてMSIからバーキング・パンプキン発売の日本盤CDが出るのであれば、日本語を理解するサイモン氏に歌詞対訳のチェックを担当させようとの白羽の矢が立った。
以上の経緯でMSI発売のもので、ライコディスク・レーベル以外の正式なザッパCDについては、サイモン氏の名前は「大ザッパ御用達語義精密検査員:才悶・プレンティス(O-Zappa Semantic-Scrutinizer,by Appointment:Simon Prentis.)」のクレジットで、歌詞対訳の最後に印刷された。これはザッパの指示に従ったもので、冗談で記載されたものではない。また当時サイモン氏はファックスで「大山さんの解説は素晴らしいです」とMSIに感想を語り、実際に会った時には「大雑把論以降、よほど書きたいことが溜まっていたのですね。……大山さんの解説をまとめて、それに歌詞対訳もいくつかつけて本を出しましょうよ」とも話してくれた。『大ザッパ論』はおそまきながらも、その夢の実現になる。したがって解説内容に関するサイモン氏の訂正要求は、紛らわしい表現を直す以外一切生じず、文章内容が認められないという事態はなかった。これは明らかな間違いということを別にすれば、解説というのは解説者の個人的考えであって、歌詞内容を正しく翻訳することとは別次元にあるという理由からであった。だが、どんな解説でもかまわないというのではまったくなく、現に別の解説者の担当した分に関しては、ザッパ側の拒否があったと耳にした。また、アルバム解説はある意味でどうにでも書いてしまえるが、ザッパの作品である歌詞を対訳したものより前に置かれるべきではないとの主張をしたところ、これは受け入れられた。さらに、文字ばかりで読みづらくなることを防ぐ意味と、解説はあくまで付録であるとの思いから、「付録」の「フ」の音を取って、解説冒頭には必ず「フ」の飾り文字を描いて使用することを提示した。厳密な許可主義ということがあったにもかかわらず、考案した「フ」の飾り文字に関しては運がよかった。イラストではなく、文字としての扱いということで許可されたのだろう。この件に関しては解説を印刷する前の版下をザッパに見せたところ、当然ザッパ自身から質問があり、サイモン氏が「フランクのフです」と答えて、ザッパも了承した。「フロシキのフです」と言うと、吹き出したに違いない。
ひとまず『「序」の息子の帰還』までの9つの章は、MSIから発売されたCDの解説用として91年10月から92年2月下旬までの間に順に書いたものをベースにしている。もしMSIから2、3枚のアルバム解説依頼だけで終わっていたならば、この本はなかった。それに、本書で採り上げたアルバムは勝手に選択したものではなく、MSIとビデオアーツ・ミュージックからの解説依頼にそのまま応じることで、たまたまそうなったものに過ぎない。もし別のアルバムの依頼があれば、本書の内容もそれに応じて変化していた。読者の便を考えると、せめてアルバムの発売順に章を立てるべきかもしれない。しかし、星座を形作る星々のどれに最初に注目すべきかのルールはないのと同様に、ザッパのアルバム解説もどれから書いてもいいと勝手に判断する。またザッパはこの世にはいないとはいえ、遺された録音テープのCD化作業は現在も続行中であり、その意味においてもザッパの音楽は過去のものではなく、誰が行なうにしても全アルバム解説を幅広く本にまとめるということが完了するのは、まだずっと将来のことだ。つまり完璧はいつまで得られず、依然として大雑把なものになるしかない。だがザッパが生前に発表した承認盤として確定しているアルバムの全解説をしたい考えは漠然とある。と簡単にはいうものの、それですら60ほどのアルバムがあり、その解説作業の幅広き道は困難な道だ。
前述したように、CD解説当時は当然のことながら原稿枚数の制限、調査不足もあって書きたい内容が舌足らずになったり、誤植や間違いも目についた。本書では、ザッパが旧作に対して施したデジタル・リマスタリングあるボーナス・トラックの追加にならうというわけでもないが、全面的に新しく内容を大幅に加えることにした。もうすでに優に5、6年前の文章であることと、やはりその間にザッパがこの世を去ったという大きな変化を経ている。それに新しく得られた情報も多い。しかし文章の量が制限なく増えるというのは当然まとまりがつかなくなる。実際最初の数章を書き改めたところ、1章当たり原稿用紙200枚を越え、わけがわからなくなってほとんど発狂しかけた。ザッパはレコードという媒体に音楽を缶詰した時、取捨選択に工夫を凝らした。それにならった何か制限が本書にも必要だ。そこで一枚もののアルバムはその演奏時間の四捨五入した分数と同じ段落数として書き進めた。各段落をほぼ似た長さにし、アルバムの演奏時間に比例した原稿量と考えた。だがCD2枚ものは当然分量が多くなるので、各章前半のアルバム総論部は1枚ものの平均を採用、後半の曲目解説部は1曲当たりの平均段落数を割り出して、その収録曲目数の合計に匹敵する段落数を決めた。これは別にどうでもかまわないことなのだが、「大雑把論」では当時の自分の年齢と同じ原稿枚数にしたことを思い出し、それに準じてこだわってみた。しかし、最終的には読みやすさを考慮して段落を分割したので、演奏分数と同じにはなっていない。いずれにしてもほとんどがMSI時代の原稿とはまったく違うものになり、その言葉のオーヴァー・ダビング行為が、冗漫過剰な屋上屋を架す結果に堕しているか否かは、読者の判断に頼りたい。どの章から読んでも差し支えないが、完全に最初から順に書き進み、ある事柄や言い回しに対する説明や注釈がそれ以前に書いている場合が多く、途中から読むと理解しにくい洒落があったりする。