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●「(NOT JUST)KNEE DEEP」
り気のある食べ物が好きで、山芋が安く売られていると必ず買う。河原町三条の丸亀製麺のうどん店でも山芋入りを注文する。



●「(NOT JUST)KNEE DEEP」_d0053294_2305544.jpg同じような讃岐うどん店は京都のほかの場所や大阪にもあるが、擦り下ろした山芋をトッピングしたメニューはない。ドロドロの山芋にうどんが絡むと、さらに粘っこくなる。これがいい。出来るならばそこにオクラを加え、さらに納豆も混ぜればいい。「ドロうどん」と名づければよく売れるのではないだろうか。あるいは粘っこさにも限度があって、そこまで粘度が濃いと喉に詰まって危ないか。粘り気の強い食べ物は精がつく気がする。精をつけてどうするという意見がありそうだが、ウナギでも食べて元気を出そうという蒸し暑い季節ならば、山芋+オクラ+納豆は野菜ばかりの健康食品でもあるし、しかもより安価でもっと精がつきそうでいいではないか。そうそう、筆者が通うスーパーのムーギョでは3,4年前まではマグロの削ぎ落しが驚くほど安価で売られていて、それと山芋を買っては手っ取り早くマグロの山かけ丼にして食べた。マグロの削ぎ落しが急になくなったのは、同店で鉄火巻を作って売るようになったからだ。何でもいいことは長く続かない。いいなあと思っている間が花だ。それは後になってわかる。月末の今日は思い出の曲を取り上げる番で、予定していたものと違ってこの2,3日YOUTUBEでよく聴いている曲にする。この曲はファンカデリックが1979年に発表した。このブログを初めた当初からP-ファンクの曲を取り上げるつもりでいた。その長年の思いを今日果たす。長年経ったのは、P-ファンクには名曲が多く、どれにすべきか迷い続けたことと、、さして書くことがないからだ。P-ファンクの愛聴盤の筆頭は1983年のアルバム『URBAN DANCEFLOOR GUERILLAS』だ。全曲がいいが、特に1曲目「GENERATOR POP」の12インチ・ヴァージョンか4曲目「CATCH A KEEPER」にしようかと思った。「GENERATOR POP」の12インチ・ヴァージョンはアルバムの倍ほどの長さがあって、より長くムードに浸れるのがよい。よくは知らないが、CD化はされていないだろう。YOUTUBEにはアップされている。83年の同アルバムは全体に洗練されている。それが物足りないという人があるかもしれない。それでもっと粘り気が強い70年代がいいかと思い直した。
 P-ファンクの全盛期は70年代とされる。筆者がP-ファンクの音楽を初めて知ったのは、大阪市内にいたE君に月1回ほど会ってはLPレコードを交換し合っていた頃で、80年代前半であった。まだCDが登場しない頃で、P-ファンクことパーラメントとファンカデリックのアルバムは、ジャケットがザッパのそれのようにとても凝ったイラストで、ザッパのカル・シェンケルのように同じイラストレーターに依頼していた。LPという大きさを目いっぱい使い、印刷の解像度の極限を意図したようなその細かい手書き文字や絵は、CDでは再現不可能だ。縮小印刷すると、細かさが全部つぶれてしまう。そのため、紙ジャケにしても同じで、P-ファンクのCDはジャケットだけはLPと同じ大きさで復元する必要がある。それは行なわれていないと思うが、そこがザッパ・ファンの熱度、粘度とは違うところかもしれない。P-ファンクのファンは黒人だけではなく白人も多いと思うが、その音楽は黒人ならではの伝統と革新の一体化であって、彼ら以外には模倣出来ない圧力と言うべきものがどの曲にも詰まっている。それが最初からわかっているだけに、たとえば日本では彼らに学びながら、真似する、ありは剽窃と言ってもいいが、うまく盗み取るのは、もっと一般人の口に合うファンクっぽさという程度に留めた粘着度のうすさだ。黒人の体臭のようなものをあまり感じさせず、お洒落にまとめたというものが日本では受け入れられる。山芋の擦り下ろし入り讃岐うどんがどの店にもないのと同じで、粘っこいものが好きな人はごく一部だ。日本のP-ファンクのファンもさして多くはないだろう。P-ファンクが活躍した70年代はディスコ時代であった。それが理由でもないが、P-ファンクの音楽もきわめてダンサブルで、聴いていると体が揺れる。そうしながら聴くのがふさわしい音楽だ。それでも「ディスコ」の言葉から連想する踊りとはいささか異なる。ディスコはお洒落に気を使う男女が出会いを求めて行く場所と化したが、P-ファンクにはお洒落感覚がない。あっても白人のものではない。では黒人専用のディスコで人気があったのかと言えば、そのあたりの事情は知らない。白人黒人が入り混じったディスコ・バンドもあったから、黒人テイストがディスコで敬遠されたということは全くないが、軽いノリの踊りやすくて明るいサウンドのディスコ曲とは違って、P-ファンクには一種の暗さがある。マイナー・コードが悲しみの色合いを帯びるのは当然として、その悲しみが白人のお洒落な、ちょっとばかし悲しい素振りをしてみたというのとは違って、生活の根底から滲み出ていると言おうか、やるせない気分にさせられる場合がある。「悲しみ」という言葉を使うと何だか軟な音楽を思ってしまうが、そういう部分は全くない。あくまでも粘り気の強い、逞しさを中心に持ちながら、どこかふっと悲しみを感じさせる。モーツァルトの音楽を疾走する悲しみとたとえた評論家がいた。P-ファンクのテンポの速い曲にもそれが言える。演奏に合わせながら踊り楽しみはしても、どこかに悲しみの色合いが漂っている。ベーシストのブーツィ・コリンズのソロ・アルバムにもそういう味わいがあって、80年代、筆者はきっぱりと彼の音楽を避けたことがある。
 P-ファンクを率いるのはジョージ・クリントンというザッパと同じ世代の男だ。LP時代、どのようにステージで動くのか、よくわからなかった。それがYOUTUBEによって堪能出来るようになったのはありがたい。クリントンは80年代に入ってザッパのように自分の名義でアルバムを発表するようになり、以前のような細かい手書きイラストではなく、自分の顔写真を大きく載せることもあったので、その風貌をよりはっきりとうかがい知ることは出来たし、また海賊版ビデオによってもどういうステージかは知ることは出来たが、YOUTUBEによる隠しライヴ録音によってはるかに実情がわかるようになった。クリントンはサン・ラのような位置にあって、バンドを総括するオーラ的な存在だ。ザッパならギターを奏でながら時には指揮をするが、クリントンはステージ中央にあって楽器を用いず、歌わず、メンバーをけしかける役目を担当する。その謎めいたおっさんの雰囲気がよい。もちろん演奏を楽しむことが一番なのだが、その演奏の実態を担っていないにもかかわらず、映像ではクリントンが最も目立っている。また、白人女性ヴァイオリニストで歌いもするリリ・ヘイドンをフィーチャーした7年前のステージでは、さすが老齢は隠せず、貫録は増しているが、70年代の粘り気とは違う洗練の風味が出ていて、指揮し、またリード・ヴォーカルを一部担当して存在感をより見せている。なお、この映像ではヘイドンに向かってマイクを向けている様子がエロっぽくて面白い。ついでながら、このステージと同じ頃、ジェスロ・タルも女性ヴァイオリニストを起用していた。韓国系イタリア人のLUCIA MICARELLIで、いつも裸足で激しい演奏を披露する。ジャン・リュック・ポンティが老いた今、若手のしかも女性がジャズ・ロック界に台頭して来ている。YOUTUBEではまた、一昨日5年前の「COSMIC SLOP」のライヴ演奏を見て、最後にザッパの「I‘M THE SLIME」を演奏していることを初めて知った。ザッパは同曲の影響を明らかに受けているが、逆にクリントンがザッパの曲を部分にしろカヴァーしていることが興味深い。そのアレンジの最初がいつか知りたいところだ。
 ローリング・ストーンズが今でもツアーをしていることを思えば、ジョージ・クリントンがメンバーを集めてライヴをやるのは何らおかしくないし、そのオーラの迫力に感心するが、21世紀になって70年代のヒット曲を演奏し続けている様子は、時代に沿った新しい音を生み出し得なくなったことを思わせて一抹のさびしさが漂う。それでも人間は生きていかねばならないし、生きて行くには金も必要で昔のヒット曲を演奏するコンサートを各地で開かねばならない。その点ザッパはロック・ツアーを48歳で終えたので、ちょうどよかったのではないか。ザッパがクリントンのように現在も生きていれば、相変わらずロックをやったかと言えば、おそらくそれはない。全然違った音楽に進んでいたはずで、その年々変化する姿が眩しかった。その意味で、最後のロック・ツアーとなった1988年は、あまり重要でなはなく、ちょうど21世紀のP-ファンクと同じような味わいがある。筆者はP-ファンクの熱烈なファンではない。70年代の全アルバムを聴いたが、所有するのは半分以下だ。中古LPが80年代に高騰し、1枚1万円しているものもあったからだが、仮にもっと安価であっても全部揃えてつぶさに聴くほどにはなれなかった。ザッパと同じようにコンセプト・アルバム主義で、アルバムごとの特質とその全力投球ぶりはよくわかったが、歌詞を訳してみる気になれなかった。また基本は繰り返しを主体とするファンクで、じっくり聴き込むよりも、体を揺すりながらBGMのように聴いた。それでも特に耳馴染む曲はあって、そういうものだけを楽しめばよいと思った。YOUTUBEにアップされるのもそういう名曲が中心だろう。P-ファンクのベスト・アルバムはないはずだが、それらしきものを意図した2枚組のライヴ盤『IN HOLLYWOOD』がある。全10曲でどれも演奏時間が長い。スタジオ録音のベスト盤がないのは、このふたつのバンドのメンバー数が多く、クリントンやブーツィ・コリンズらとの関係が流動的で権利関係が複雑化し、過去のアルバムから選曲する考えが馴染まないからだろう。そのバンドのややこしさ、捉えどころのなさが、ザッパの全アルバムを聴いてやろうという思いとはいささか異なるところだ。それが悪いと言うのではない。その雑多でまとまりのつかない雰囲気こそがP-ファンクの持ち味でもある。そのことはYOUTUBEを見ればわかる。メンバーの服装や動きは好き勝手なもので、それでいて全体に怪しくもおかしい凄みが横溢している。ミュージシャンとはこういうものだという典型を見せていると言えばいいか、芸人と呼ぶにふさわしい自由さがある。もちろんそれを意識しているからだが、ではステージが終わるときちっとした、あるいは平凡な服装に戻るかと言えばそうではないだろう。ファンクに生涯を捧げる覚悟が見られるところが恰好いい。その黒人音楽の伝統を今の若手がどう引き継いでいるのだろう。あまりの粘り気は今は好まれないのかもしれない。それはそうとこの「(NOT JUST)KNEE DEEP」という題名はどう訳されているのだろう。「KNEE DEEP」には「身動きが取れない」の意味がある。その否定ということは、解放されたということか。ということは粘り気とは縁がないか。
by uuuzen | 2012-07-31 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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