眩しい日中はサングラスは欠かせないが、それに加えて昔買った麦藁帽を被ることにしている。まるで農家のおっさんといういでたちでも、つばの幅がもっと狭い帽子ならば、サングラスで覆う部分以外がすぐに日焼けする。
昨日は地元の小学校で自治連合会主催の夏祭りがあった。朝9時から10時半まではテント張りなどの準備、祭りそのものは夕方5時から9時までの開催であった。サングラスに麦藁帽姿で準備作業をしていると、連合会の副会長から、「あんたは色白やからそんな帽子を被らへんがったらすぐに肌が真っ赤になるな」と言われた。色白と言われたのはおそらく40年ぶりではないか。60にもなって今さら色白でもないが、そう見られていることに驚いた。他人は案外観察しているものだ。先週図書館を自転車で往復すると、曇天であったにもかかわらず、夕方家内が筆者の両方の腕が真っ赤に日焼けしているのを見てびっくりした。麦藁帽子を被っていなければ顔も同じようになった。今さら顔のシミを気にすることもないと言えばないが、連合会に集まる年配者は頬に無数の黒いシミが出ている場合が多く、それはあまり見栄えがよくない。なるべくそうはなりたくない。筆者が中学生の時、とにかく日焼けして逞しく見える体育会系の男子が持てた。筆者もそんな肌になりたいと思って、夏休みになると上半身裸で外に出て光を浴びることがあった。1か月間でかなり焦げ茶色になった年もあったが、秋にはまた白い肌に戻った。それにもともと白いので、短期間で日焼けすると水膨れがあちこち出来て大変であった。それを母が何とかローションを瓶ごと使って冷やしてくれた。ところで、今日家内がロンドン・オリンピックを見ながら、筆者の泳ぎ方があまりに無様なことを思い出した。それに対し、小中ともにプールがなかったので、義務教育としては泳ぎを教わらなかったから仕方がないと返した。小学生を卒業した翌年にプールが出来たし、中学校でもそれは同じであった。地価の高い大阪市内ではプールはまだまだ贅沢であったのだろう。高度成長期に入ったので小中ではプールはあたりまえになり、今ではそれがない小中学校は山間部でもないに違いない。小中学校にプールがなくても、泳ごうと思えば市営プールや海に行くことが出来たのは確かだが、海に連れて行ってくれる者が周囲におらず、市営プールは同年齢の男子が数人ほどまとまって行くから、筆者にまともに教えてくれる者はいなかった。ま、そんな理由で今でも筆者は泳げない。20メートルくらいは潜水か無茶泳ぎで進むことが出来るが、特に平泳ぎがさっぱり駄目だ。水泳が出来ないから日焼けする機会がなく、もっぱら夏でも白いままこの年齢まで生きて来た。TVなどでよく宣伝されるような小麦色の肌の美女というのがわからない。筆者の美女の基準には「白い肌」がが入っている。白は小麦色に焼こうと思えば出来るが、その反対はあり得ない。透き通るような白肌の女性が何と言ってもよい。これを家内に言うといつも膨れる。家内は筆者よりも肌の色は濃く、また毛深い。日焼けした肌が健康的というイメージは企業が大きくしたもので、色白の者が無理に肌を焼くと中年以降ろくなことがない。せっかくの白い肌に焦げ茶色のシミがたくさん出て来る。こんな危険を化粧品会社は無視してとにかく肌を焼くと異性に持てるかのような宣伝をする。体育が好きでない筆者が体育会系のまねをする必要はなく、自分らしくあればよいと思ったのは中学3年生頃だ。女性に持てるといっても、女もいろいろで、体育会系を好まないのもいるはずだ。その考えは今も変わらないし、また体育会系の男性がいいという女性には興味がない。
ロンドン・オリンピックは日本ではあまり前評判が高くなかったような気がする。せっかく出場するからにはメダルを取りたいと誰しも思うし、周囲も期待する。メダルの数は限りがあるのでほしくなるが、金銀銅をもらえなかった人全員に黒のメダルを授与するのはどうか。材質は黒曜石だ。金銀銅が金属であるからには、4位からは石でよい。また色としては黒しかない。「そんなもん誰がほしがるか!」という異議の声があろうが、参加に意義があるならば、全員にメダルを与えるべきではないか。予めアンケートを取り、ほしくない者にはわたさねばよい。だが、この黒メダル、よけいに惨めな思いにさせられ、侮辱と考える選手が多いだろう。光があれば影があるのは誰しも知っているが、影の中に自分がいることを認めたくはない。にぎにぎしさが好きで、その反対のじめじめやめそめその気分を味わいたくないものだ。だが、にぎにぎしい状態に自分がいるのかどうかは、思い方ひとつではないか。もともと華やかなことが好きな人は有名になって常に他人から注目されたいと思うが、誰もがスター的存在になれるはずがなく、個人的な幸福を見出してそれに満足するしかない。そして、その幸福感はどんな苦しい状態にあっても見つけられる。ただしそれは将来実現させたい夢を持っている場合だ。その夢がオリンピックのメダルであれば、それが獲得出来なかった場合、ドン底に突き落とされた気持ちになるのはよくわかる。それでまた4年後という計画を立てる。年齢その他の事情でその次の機会がない場合は別の夢に鞍替えすればいい。それを代償行為ということを中学校で学んだが、便利な言葉があるものだと思った。筆者はその代償行為の連続で今まで生きて来たようなものだ。これが駄目ならあっち、あっちが駄目ならまた別のところへ。蜂や蝶を見ているとそのような動きをしている。これは生物にとってはごく自然な行為だ。夢が破れても悲嘆は少しの間に留めておくべきだ。それこそ負け犬思想であって、であるから金メダルに縁がないのだと言われるのはわかっている。筆者が言いたいのは、金メダルは確かに名誉なことで、めったにもらえないものだが、それをもらったからその後の人生がずっと黄金時代とは限らないことだ。メダル獲得の褒賞金はイギリスではゼロとなっている。オリンピックのアマチュア精神を重視してのことだ。マネーが前にぶら下がると頑張るというのは浅ましい。国家の名前を世界に広めるのでメダル獲得者にはそれなりの大金を授与するという姿勢がわからないでもない。だが、メダルをもらった後の有名人として活動することで得られるさまざまな恩恵、特典を思えばこそオリンピックを目指すという考えが全くないとは言えないだろう。オリンピックに出場する選手は常人には不可能な努力を重ねていることは確かとしても、努力を重ねられる状態は恵まれている。それだけでも幸運で、それを自覚すべきだ。
小学校での夏祭り、朝に準備は今までにない炎天で参った。缶入りの飲料を2本、それにスポーツ・ドリンクをコップ1杯飲んだ。夕方になっても暑かったが、太陽が隠れるだけうんとましだ。少年補導や体育振興委員、消防団など、各種団体が運営する屋台にぶら下げた提灯がともり、夜店気分が高まる。自治会長など午前の準備に携わった者には毎年おでん券と生ビール券が無料で配布される。それが夕食代わりになる。ビール1杯では足りないと思っていると、今年は連合会から余分に生ビール券が1牧配られた。ビールは中型のコップ1杯で360ccほど、2杯でも量はしれている。後は自費で飲めばよいが、去年は5時早々に2,3倍飲んで酔いつぶれ、怪我をしそうになった70歳ほど男性がひとりいた。よほどお祭り気分が楽しかったのだろう。今年4年目の筆者は毎年違う自治会長と接する。今年の新顔の隣の自治会長とはまたすぐに話に花が咲いた。見かけによらないと言えば当人に叱られるが、クラシック音楽通と知って話し込んだ。連合会の前会長や今年からの会長ともしばし話した。その話題の中に、筆者の疑問として、松尾大社のお膝元のわが自治連合会内あるいは南に隣接する松尾学区になぜ松尾大社の5月のお祭りの神輿がないのかというものがあった。祇園祭は金の神輿が3基あって、それらは松尾橋方面に走る市バスの停留所後方のお土産センターとなっている建物内部に、祇園祭の間だけは横並びに展示されて道行く人にお披露目されている。以前書いたように、松尾大社の祭礼にはその倍の6基の神輿がある。ところがどれも西京極など、桂川左岸の地区だ。これが腑に落ちない。連合会会長の話では、昔は桂川右岸すなわち地元に1基あったらしい。つまり全部で7基という壮大さであった。地元の1基がないのは、桂川の氾濫によって流されたという噂と、盗難にあったという意見があるらしく、どちらが本当かわからない。今から誂えるとなると、2000万円は下らないとのこと。またその費用を捻出しても担い手がない。まさかと思う。隣接する学区と合わせれば40代の壮年男性は数百人はいるはずだ。筆者は神輿代は松尾大社が寄付してくれないかなと冗談を言ったが、まさに冗談で大社がいくら大金持ちであってもそんなお金を出すはずがない。ま、大人がかつぐ神輿はないが、その代わり、各自治会、合計14の子ども神輿は巡行する。これはにぎにぎしさからは遠いが、祭りには違いない。夕方5時から9時までの4時間はすぐに経った。9時から早速テントや提灯、机や椅子を元の場所に収納する。これが30分ほどで終わったが、また汗びっしょりになった。祭りが終わればまた相変わらず平凡な日々だ。