是が非とも賞を取りたいと思った溝口健二監督の作品で、この映画の俳優がどれほど息詰まる演技をしたかは、3日前に書いた『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』で田中絹代が語っていた。
それもあったので、やはり是非見ようと予定し、今日の昼ひとりで京都文化博物館の映像シアターに行って来た。会場20分前に10人ほどが並んでいた。続々と人が並び、いつもより5分前に扉が開いた。その時にはもう100人ほどがいたが、見わたすとみな60以上、大半は70代半ばばかりで、こういう光景が今後の日本では増加する一方だろう。待っている間、手提げ袋からペット・ボトルを取り出して温泉水を一口飲んだ。九州から通販で買ったもので、それを500ミリリットルの小瓶に小分けして持参した。飲み終えるや否や若い女性係員が飛んで来た。飲食はするなということだ。それは知っているが、シアター内部ではないからいいと思ったのだ。同館の1階のエレベーターのすぐ横には冷水を飲ませる機器が置かれているし、確か映像シアターのある3階にも設置されている。筆者が飲んだ位置からそこまで30メートルはない。係員にすれば水を飲むならそこまで行けということなのだろうが、暑い中を歩いて来た身にもなってもらいたい。彼女たちは終日冷房の効いた館内にいてそんなことはわからず、杓子定規に飲み物は駄目と言う。だがこっちも気にしながら、背を向けてこそっと飲む。それをみんなが注目する中で注意するとは、いかにも役所仕事だ。先週は100人ほどがシアターの扉前に溢れたので、いつもより少し早く開場してはどうかという声が上がった。それもあって今日は3分ほど早く開いたと思いたいが、飲み物も多少は目をつぶればいいではないか。老人はちょっとしたことで椅子や床を汚し、その清掃を誰がするのかという考えもわかる。ところが、そんなことはほとんど起こらない。起こるにしてももっとほかの事故に比べるとどおってことのないレベルだ。先日の、待っている人が多いので5分や10分くらい早く開場してもいいではないかという意見が出たその直後、筆者の後方で大きな音がした。老人がよろめいた拍子に高さ2.5メートル、底辺は1メートル四方の木製の広告塔が倒れたのだ。倒れた場所は展覧会会場への出入り口で、それを塞いだ。ちょうど誰もいなかったからよかったが、小さな子どもが歩いていれば確実に圧死したか大怪我をした。小柄な老人は待ちくたびれてそこにもたれかかったのだが、そのくらいで倒れるものなら設置すべきではない。係員がこういう危険を把握していないおそまつさは恐い。それと持参した水を一口飲むことのどちらが重要であろう。ともかく、筆者は注意されて少々憮然とし、「あ、そうでしたか」と答えた。それは、劇場内部では飲食が許されないことは知っているが、その外ではいいではないかとの思いだ。今日は上映中、筆者の右に座った70歳ほどの男性はセロファンの音をカシャカシャと鳴らしながら飴を3個食べた。またひとつ置いて左の婦人は水筒に入れて来たお茶を飲んだ。暗いから誰にもわからないという思いだ。筆者もどうせ飲むなら座ってからの方がよかったわけだ。それを正直に扉の外で飲んだから、不愉快な気分にならされる。正直者が馬鹿を見るとはこういうことを言う。ついでに書いておくと、女性係員は人数が多過ぎる。半分でもまだ多い。その人件費を映像シアターは年中無料にするために回せばよい。
さて、期待して見始めた途端、即座に前に見たことを思い出した。それがいつかわからない。3,4年前と思うが、それならこのブログに感想を書いているはずなのに、そうではないところ、ブログを始める前かもしれない。二度目であるので面白くなかったと言えば、半分ほど忘れていたので新鮮な気分で見た。また、溝口や田中のことを最近は幾分知ったので興味深かった。このことはある問題を提起している。それは、『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』を見なかったのであれば、今日はこの映画を見に行かず、また以前見たことも忘れたままで筆者にとって縁がなく、しかもさして面白い内容ではなかったことになる。つまり、知識の有無によって同じ作品が違って見える。この知識というものは必要だろうか。映画をそのように楽しむ人は稀だろう。どっち道娯楽であり、より楽しみ、理解するために知識を吸収するというのは、映画でうさ晴らしをしたい人にはどうでもいいことだ。この映画を以前に見ながら、てっきり見ていないと思い込んでいた筆者もそれと同類だ。ところが無料をいいことに見た『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』によって、溝口に興味が多少湧いた。そしてこの映画を数年ぶりに見ると、前とは違ったものが見えた気がした。溝口はこの作品をヴェネツィアの映画祭に出品して受賞を期待した。それは批評家の目にかなう自信があったからだ。批評家は知識の塊だ。だが当時の外国の映画評論家は日本映画についてはさほどでもなかっただろう。その物珍しさから受賞したと思ってみたくなるところがあったが、今日抱いた思いは、珍しさの向こうに時代や国を超えた人間性が認められたゆえの受賞に違いないということだ。『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』で語られたことの中に、溝口は戦争反対などという主張をかざすことはなかったが、この映画がちょうど戦国時代を描いたものであったので、戦後の復興がようやく本格的になり始めた1953年では、一種の反戦映画と読み取ることが出来た点が受賞に幸いしたところがあるといった意見があった。映画の最初に紹介されるように、この映画は上田秋成の『雨月物語』を原作としながら、「蛇性の婬」と「浅茅が宿」のみを選び、その二話をうまく合体させたものだ。そのため、『雨月物語』という題はふさわしいとはあまり思わないが、秋成の小説の持ち味はあまり損なっておらず、映画としてはとても面白く仕上がっている。それは秋成の短編をよくぞここまでうまく内容を膨らませたという思いと、小説を読んで想像するのとは違って、スクリーンに映写する映像を撮ることの困難さを思うからだ。カメラ、照明、大道具小道具、建物、俳優など、すべての力が合わさっての賜物だ。風俗考証を日本画家の甲斐庄楠音が担当したが、たくさん登場するキモノにどうしても注目してしまう。大半は時代考証をよく踏まえているが、中には戦国時代にしてはかなり早いと思わせられる友禅染があった。これはこの映画に限らず、どの映画やドラマでもそうで、染織研究家をもっと動員すべきだ。
この映画は北近江に住む二組の夫婦が主役となる。それに若くして死に、亡霊として現われる姫がいる。若狭という名前で、朽木に住んでいたという設定であるから、若狭湾に近い場所だ。若狭は京マチ子が演じ、田中絹代が演じる陶工の妻よりはるかに目立っている。そのため、ヴェネツィア国際映画祭に行く際、溝口は田中ではなく京マチ子を連れて行くべきであったと思うが、そうでなかったところが溝口の田中への思い入れを感じさせる。前回見た時と同様、この映画はほとんど京マチ子の印象のみが強く残る。ところがよく考えてみると、田中の役割の方が重要で、そこに溝口のこの映画で言いたかったものがある。そのことを今回ようやく実感し得た。田中が演ずる宮木の夫の源十郎は、戦国時代をいいことに、焼き物をたくさん作って売れば一財産出来ると考える。源十郎には弟藤兵衛がいて、藤兵衛に子はないが妻の阿浜がいる。藤兵衛は、戦国の世であるので自分も兵に加わりたいと思っている。言うなれば立身出世だ。一攫千金のそうした夢をいつの時代でも男は抱く。藤兵衛は農作業に身が入らず、妻はそのことをいつもたしなめている。ある日、源十郎は大八車に焼き物を積んで縁日に売りに行く。それが飛ぶように売れて宮木のきれいなキモノや大金を家に持ち帰る。そうなると欲が出る。たいての夫婦はそうだが、この映画ではふたりの妻はそんな欲を持たず、夫が無事で顔の見えるところで仕事をしてほしいと思っている。女は家にいて、男は働くという図だ。これは昭和30年代の日本ではどこの家でもそうで、そういう日本古来の価値観を溝口は肯定している。だが、幸か不幸は、今は共稼ぎでなければ食べて行けなくなりつつある。それでもこの映画が言わんとする夫婦像はいつの時代でも誰でも納得するものだろう。源十郎は宮木と藤兵衛に手伝わせてまた大量の商品を焼く。その最中にかねてから恐れていた羽柴軍勢が村を荒らしにやって来る。もう一息で焼き上がるというのに身を潜めねばならない。ここでも思ったが、武士とは全くヤクザか泥棒と同じで、女を犯し放題、食糧は奪い放題だ。近江の国の農民は信長や秀吉のためにすっかり疲弊していたことを描くが、本当はもっとひどかったかもしれない。兵士の目を盗んで村に降りて来た源十郎は、武士によって窯が荒らされて焼き物が捨てられているのを目撃するが、焼き上がりは申し分なく、早速荷を作って長浜に売りに行こうとする。船出すると、夕闇に向こうから一艘漂って来る。引き寄せると瀕死の男が寝転んでいて、向こうに行くには危ないと諭す。それを聞いて4人は方向転換し、岸辺に宮木と幼子、それに阿浜を上陸させ、ふたりで琵琶湖に漕ぎ出す。
『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』で田中が語っていた。この琵琶湖上の場面は全体で5分ほどだろうか。霧に煙り、また波の大きさからはプールにしか見えないが、琵琶湖の満月寺浮御堂の近くでロケをしたという。また、源十郎を演じる森雅之は監督の要望に応えるための極度の緊張から、演じ終わった途端に「タバコを吸いたい」と漏らした。すると、監督はすぐに駆けつけてそれに火を点けた。溝口がそんなことをするのを田中は初めて見たそうだ。それほどに森の演技が素晴らしかった。だが、漫然とスクリーンを見ていると、森が琵琶湖上で引き返そうとする場面の真に迫った表情に気づかない。監督は1秒以下の単位で映像を完璧なものにしようとした。その熱意をどの場面からも感じ取るべきで、それには知識が必要だ。よく知るほどに感動が深くなることは映画に限らない。今はそんなことは言われない。その場だけが楽しければよく、その楽しさは明日には消える。明日には明日の楽しみがあるのでそれでも何ら困らない。かくて作品はどれも使い捨てだ。そういう砂利に玉が混じっていても、ほとんど誰も気づかないではどうでもいいことなのだ。話を戻すと、焼き物はまた売れる。そしてふたりは故郷に帰ればいいものを、源十郎は、姥と若狭から品物を後で屋敷に届けてほしいと言われ、それにしたがう。屋敷に着いた時、障子が破れているなど、明らかに荒廃した様子がわかるのに、源十郎はそれを見ず、言われるがままに座敷に通される。すると、いつの間にか屋敷は立派なものに変わっていて、そこで若狭相手の食事や風呂と時間を過ごし、有頂天になって行く。浦島太郎の話を思い出せばよい。一方、藤兵衛はかねてからの望みを達すべく、武士に面会に行くが、相手にされず、武士になるには具足が必要だと言われる。それで儲けたお金で武具一式を買い、兵士に紛れる。ある合戦の最中、ひとりの武士が武将の首をはねるのを目撃した見た藤兵衛は、槍でその武士を突き殺し、首を奪い、大将に面会を得てそれを見せる。お前のような人間に首の主は殺される相手ではないと一蹴されるが、勇気を買われて部下数名と馬をもらう。そして故郷目指して帰るが、途中の町の遊女がたくさんいる宿で一晩過ごすことにする。そこで偶然出会うのが遊女に変わり果てた妻の阿浜だ。源十郎に話を戻すと、屋敷を出て歩いていると、山伏に呼び止められ、顔に死相が出ていると言われる。全身に呪いの言葉を墨書きしてもらって屋敷に帰るが、それを察した姥と若狭は恨みを語りながら源十郎を離そうとしない。半狂乱になった源十郎は刀を振り回して暴れ、庭に転げ落ちる。翌日目が覚めると、屋敷はとっくの昔に燃え落ちたと聞かされる。それで無一文の状態で故郷に帰る。ここからはもう最後の5分といったところだ。実は宮木は夫らと別れた後、落ち武者に食糧や水を奪われ、槍で突き殺された。その場面があったので、源十郎が帰宅した時、囲炉裏で食べ物を煮て待っていた宮木の姿にほっとするが、その一方で背中に寒いものが走る。それは京マチ子の妖艶さとは違い、ごく日常的な甲斐甲斐しい妻の姿だ。源十郎は自分の家族が無事で、しかも酒の用意と暖かい食事を作って待っていてくれた宮木相手に久しぶりに幸福を感じる。ところが映画を見る者は、源十郎はまだ若狭との暮らしから完全に覚めていないのではないかという思いにかられる。予想どおり、酔って目覚めると宮木はいない。彼女は夫が帰って来ることを待ちながら、ついに帰宅した時に亡霊となってもてなしたのだ。この場面で筆者は泣いた。溝口が描きたかったのもここではないか。家庭的には幸福ではなかった溝口は田中を密かに慕った。だが、田中が言うようにそれは監督が映画の中で作り上げた田中が演ずる人物であったかもしれない。源十郎は宮木がいなくなったが、陶工の生活に戻る。藤兵衛夫婦も同じで、農作業に励む。武士と遊女から農民に戻ったこのふたりはこの作品のせめてもの救いだ。源十郎が轆轤を回す最後の場面で宮木のナレーションが入る。それは源十郎の仕事が前よりいっそうよくなったように思うといった励ましだ。その仕事に没入する源十郎の姿は仕事の鬼であった溝口とだぶる。そう言えば上田秋成は愛妻家で、先立たれた後はもぬけの殻のようになり、毎日涙ながらに妻が書き残したものを筆写した。