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●『草迷宮』
異と恐怖の映画特集が8月まで京都文化博物館の映像シアターで上映されている。節電のために同シアターは9月7日まで入場無料で、より涼しさを味わってもらおうと恐い映画を取り上げる。



子どもの頃、お化けが出る映画が恐くて、映画館の中で手で目を塞いでいた。その記憶があるので今も好まず、この夏、同シアターに頻繁に行くことにはならないが、ぽつぽつと見たいものはある。それはさておき、1か月ほど前、右京図書館で寺山修二が監督した『草迷宮』のDVDを見つけた。映画を見る前に原作をと思い、小説も借りた。それを読み終えてからDVDを見た。この小説は泉鏡花が書いた。寺山はそれを映画化したが、結論から言えば内容は全く別物だ。映画はそれなりに面白いが、小説の驚きには及ばなかった。それで今日は映画ではなく本のカテゴリーに投稿する。この小説にはお化けが出て来るので、寺山の映画は「怪異と恐怖の映画特集」に含められるべきだが、文化博物館はフィルムを所蔵していないはずだ。映画はフランスのピエール・ブロンベルジュという人から依頼を受けて1977年に作られ、フランスでは他の二作家の作品とともにオムニバス形式で上映された。そのため一作当たりの上映時間は1時間に満たない。そのために原作より物足りなかったかと言えばそれが理由ではない。小説の映画化はひとつのジャンルがあるほどに普通のことだが、鏡花の原作を読んで思うに、とても映像化は無理と思える。夢の描写と言ってよいほどに突飛で、またある部分はきわめて鮮明だ。アメリカが巨費を投じてコンピュータで映像を作るのであれば可能かもしれないが、それをすれば子どもが喜ぶような漫画になる。寺山は映像を加工せず、化粧や衣装、小道具などに凝って撮影した。あまりに前衛的であるという理由で生前は蔵入りしたままで、没した1983年に追悼の形で上映された。おそらくその時のはずだが、TVの「11PM」という番組でこの映画の紹介があった。ごくわずかな場面であったが、強く印象に残った。その後、友人のFと一緒に飲んでいてこの映画の話題になった。正確に言えば、筆者が切り出した。映画通であったFならビデオに録画して持っていると思ったのだ。数年後にまた同じ話題が出たものの、相変わらず見ることはかなわなかった。ほとんど30年ぶりにDVDで見得たことは、筆者の思いは数十年単位で実現するようで、今年興味を抱いたことに実際に触れるのは生きている間にはもう無理という計算になる。そう考えれば、先日来しばしば書くように、昔から気がかりであったことはひとつづつ意識的にこなして行くに限る。何事も待っていては向こうからはやって来ない。こちらから出かけることで手に入る。泉鏡花の小説にしてもそうだ。昔から気がかりでありながら、読むものはたくさんあるので、つい後回しになる。そこで『草迷宮』のDVDを見がてらに本を読む機会が訪れた。思い切れば即日それはかなう。この小説は借りて来た翌日に読破した。岩波の新編の鏡花集は分厚いのが10冊あって、第5巻の中ほどに『草迷宮』が収められ、厚さでは4分の1ほどだ。「全集」ではないので実際はわからないが、少なくても鏡花は『草迷宮』の50倍は書いたことになる。つまり、筆者は多く見積もっても50分の1しか読んでいない。これでは何か書く資格はない。
 溝口健二監督の映画には鏡花の小説を原作にしたものがある。無声映画の『日本橋』や『瀧の白糸』で、昨日取り上げた『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』で紹介された。鏡花の名前はそのようにあちこちで目に留まる。金沢生まれだが、東京の日本画家との関係も深かったので、江戸好みの作家の印象が強い。それもあって寺山修二は『草迷宮』を好んだのだろう。寺山と関西は馴染まない。それはさておき、『草迷宮』という題名は一度耳見れば忘れない。この題名ひとつで鏡花の才能がわかると言ってよいほどだ。そう言えば、雑草だらけのわが家の夏の庭を見ていると、この題名を思い出す。夏の草花はこの小説にも出て来る。それは人が住んでいない古くて大きな屋敷、そして上田秋成の『雨月物語』をも連想させる。それは間違っていない。つまり、「草迷宮」の言葉から誰しもある一定のムードを連想することが出来る。それは日本そのものと言ってよいが、寺山の映画では迷宮のように生い茂った草むらは描かれなかった。先月からこっち、わが家の裏庭に3日に一度くらい出て雑草を抜く。その割合でちょうどよく、雑草は背丈50センチほどになって引き抜きやすい。1日で10数センチ伸びるから、屋根を覆うほど伸びるのに一夏あればよい。狭い庭でそうであるので、大きな庭を持つ屋敷では手入れが大変だ。植木職人を常時雇うだけの資力がればいいが、数十年の間に世の中の景気は一変し、屋敷を同じ状態で保てなくなる家は少なくない。四条河原町に向けて阪急電車が桂川をわたる直前、土塀が続く大きな屋敷があった。それがここ2年ほどですっかり姿を消した。出来たのは細かい建売住宅で、すべての土はセメントで覆われて草の1本も生えず、内部はどの部屋も灯りが点され、翳りがなくなって幽霊の出る幕はない。日本中そんな家屋ばかりが建つ時代になって、泉鏡花の小説は今後どれほど歓迎されるだろう。だが、『草迷宮』を読む限り、鏡花は文明開化の新しい文化に背を向け、もっぱら江戸時代の情緒を大切にしたから、発表時でさえも読者は現実を克明に写生したものとは思わず、頭の中で映像が動き回ることに楽しみを覚えたのではないか。明治41年に発表された『草迷宮』には片仮名の外来語が確かひとつかふたつしか出て来なかった。ひとつは「テニス」だ。ハイカラなそれが出て来た時には一瞬違和感を覚えたが、明治ではそれも当然と思い直すことが出来た。ちょうど洋館を描く明治の浮世絵を見るのと同じ感覚と言ってよいが、『草迷宮』は江戸時代の小説と言われると納得してしまうところがある。そうそう、鏡花は若い頃に鏑木清方と知り合い、挿絵を描いてもらう間柄になった。その清方の名作に重文になった三遊亭圓朝の肖像画がある。その圓朝の代表作に『真景累ヶ淵』がある。これを元にした映画が最初に書いた「怪異と恐怖の映画特集」で上映される。『真景累ヶ淵』は血生臭い話が続く新作落語で、文字で読んでもそのリズムが心地よく、一気に読んでしまいたくなる。そのことを『草迷宮』を読み始めてすぐに思い出した。
 鏡花の書く文章にはルビが振られている。これは本人の指示による。ルビがなければ読めない漢字が多いというのではなく、必ずこう読んでほしいという意図があって、それはすらすらと読んで行くリズムを重視する思いによる。たとえば「慄然とするほど」は「ぞつとするほど」、「最些と」は「もうちつと」で、普段の話言葉にわざわざ漢字を宛てていると言ってもよい。この漢字の混ざり具合とすべての漢字にルビが振られること、そして改行が多く、なおさら読みやすく工夫されている。その点が『真景累ヶ淵』を思い出させる理由だが、『草迷宮』はちょうど前半は圓朝にどこか似るが、後半は様相を一変させる。それは圓朝には望めない色彩豊かな美の幻想性だ。それを紡ぎ出す言葉の連続は、筆者は初めて知った快感ないし驚愕であった。文字でこれほどのことが出来るかという畏怖と言ってよい。その一方で古い屋敷で次々に起こる怪奇現象は、案外レーモン・ルーセルの『ロクス・ソルス』のように後でみな合理的な種明かしが述べられるかと思いきや、そうとはならずに美しい女の幽霊が出て来てその仕業であったことがわかる。ルーセルと鏡花は同時代を生き、フランスと日本で同時に幻想小説が生まれたことが面白い。ルーセルも鏡花もシュルレアリスムの運動を知らず書いたが、やがて時代がシュルレアリスムを生むように動いた。寺山修二の『草迷宮』はシュルレアリスムを咀嚼したうえでの作品で、フランスでもそのように見られたであろう。その時、鏡花がルーセルと同じようにシュルレアリスムの先駆者であったと認識されたかどうか。それはいいとして、鏡花の『草迷宮』はシュルレアリスムを軽く超えてもっと凄味と美しさを持っている。その出所はひとつは仏教の宇宙性のように思う。先に幽霊と書いたが、そのような言葉は出て来ない。また「凄味」や「美しさ」といった陳腐きわまる言葉も断じて鏡花は使わない。そのため、こうして書きながらもどかしさを痛感するばかりだが、一語ずつに神経を配り、全体を錦織のように作り上げる才能は、物書きは書き言葉だけが命と思うところから育まれたものだ。それは小説に限らず音楽でも同じで、創造する者にとってはあたりまえのことだ。だが、『草迷宮』は構成も迷宮のごとく込み入っており、読み進みながらどの場面も明瞭でありながら、予想だにしないところに導かれて行くため、自分の意思ではどうにもならない睡眠中の夢を見ている気分に陥る。それでいて実際は夢ではなく、つじつまがそれなりに合ったひとつの物語であり、最初と最後が円を閉じるように文章が置かれている完成度に驚く。
 中編小説で、登場人物はさほど多くない。相模湾に面する逗子から葉山あたりの大崩と呼ばれる海岸が舞台となっている。海岸には大きな丸い石がたくさんあって、それは子産み石と呼ばれて若い女性が拾って帰ったりする。その海岸を法師が通りがかり、茶店で休むところから物語が始まる。茶店の婆さんと爺さんは子がおらず、爺さんは腕を火傷して不具者になっているが、それは後に理由がわかる。法師は婆さんからいろいろと地元の話を耳にしている間に夕闇が迫り、次の町まで行くには野宿をせねばならないことになる。そこでどこか泊まる場所はないかと訊ね、村一番の金持ちの鶴谷家が隠居のために贅を尽くして建てた別邸で一夜を明かすことになる。別邸はかつて鶴谷家の跡取り息子が嫁がいるにもかかわらず東京で知り合ったお嬢様を夏休みに住まわせたことがある。それは出産させるためであったが、すぐに息子は亡くなり、その後お嬢様、そして息子の嫁もいったように、葬式が五つも続いた。茶店の老夫婦はその別邸に僧を泊めることにするが、どうせ誰も使わないままになっているうえ、隠居もたまに人が寝起きして風を通す方が家にはよいと普段から考えている。僧より先にひとりの書生が別邸に逗留している。昔聞いた童歌を正確に聞きたいと思って旅をしている。寺山の映画はこの書生に焦点を合している。この書生が主人公と言ってよいが、書生と僧の前に美女の幽霊が現われ、書生は最後に念願の童歌を聴くことが出来る。旅の僧が美女を見送るのは『雨月物語』の最初の話「白峯」を思わせる。さて、部屋の多い別邸に泊まる僧と書生はさまざまな怪奇現象に出会う。これは物語の後半が充てられる。時間軸に沿って物語は進展せず、後半は特にわかりにくくなり、屋敷中でお化けが大暴れといった状態になるが滑稽さばかりを狙ったものではない。次々に書かれる色と音の饗宴といった感じの名詞群に頭の中はイメージの洪水を来たし、たぶん薬物でこういう精神状態になるのではないかと思わせられるほどに、他の文章では味わったことのない幻が溢れ返る。最後に近い箇所を引用する。「袂を支うる旅僧と、押揉む二人の目の前へ、此時、づか、と顕はれた偉人の姿、靄の中なる林の如く、黄なる帷子、幕を蔽ふて、廂へ掛けて仁王立。大音に、「通るざふ、」と一喝した。「はつ、」と云うと奇異なのは、霄に宰八が一杯――汲んで来て、椽の端近に置いた手桶が、ひよい、倒斛斗に引くりかへると、ざぶりと水を溢しながら、アノ手でつかつかと歩き出した。其の後を水が走つて、早や東雲の雲白く、煙のやうな潦、庭の草を流るゝ中に、月が沈んで舟となり、舳を颯と乗上げて白粉の花越しに、すらすらと漕いで通る。大魔の袖や帆となりけむ、美女は船の几帳にかくれて、」。天に帰る美女を大魔人が護衛している図で、漫画的と言えばそうなのだが、筆者はこの引用部分を読んだ時、涙が出た。明治の文章であるから、当時の人にとってはさほど異質でもなかったのかもしれない。「幻想」というこれも陳腐な言葉しか使えないが、『草迷宮』は言葉の組み合わせの妙によって頭をこうも刺激する文章は明治でもなかったのではないかと思わせる。翻訳不可能で、日本語で味わう代表的絶品だ。
by uuuzen | 2012-07-24 23:59 | ●本当の当たり本
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