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●『第五福竜丸』
五福竜丸と聞いてピンと来る人は今はどれほどいるだろう。今日取り上げる映画を昨日午後5時に京都文化博物館でひとりで見た。夕方の部は空いているはずが、上映間近にはほぼ満席になった。



新藤兼人監督の作品で、昭和29年3月1日、太平洋のビキニ環礁で行われた水爆実験で被爆した日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の事件を、その5年後に再現したドキュメンタリー的な内容だ。娯楽映画とは言えないこうした地味な作品が当時よくぞ撮られた。昨年の福島の原発事故が3年先にこの映画のように俳優を使って映画化されるかどうかはわからないが、原発内部に監督や俳優、カメラは入れないもどかしさ、つまりまだ事故が収束したとは言い難いことから無理な気がする。だが、避難民はまだ大勢いるし、その立場からはいくらでも映画向きのドラマはある。一昨日だったか、NHKで津波直後の福島原発内部の様子を再現したドラマがあった。それからわかるように、映像で原発事故の真相を広く知らせようとの思いはあるが、今は映画の時代とは言えず、TV番組が代わりを担うのはやむを得ない。NHKはすでにTVドキュメンタリーやドラマによって、原爆によって苦しい生活を送ることになった子どもたちに焦点を合わせた新藤監督の『原爆の子』を思い出させるような番組を放送しているが、そうした作品が『原爆の子』のように数十年後に鑑賞されるだろうか。TV番組を永遠に保存する動きはあるし、NHKは過去の番組を料金を支払って見るオン・デマンド方式によっていずれすべて整えるだろう。それらTV番組が名監督が撮った劇場用の映画のような評価が与えられ、静かな反響を人々に及ぼし続けることになるのかどうか、二、三十年経ってみないことにはわからない。事件は毎日起こり、古いことは順に忘れ去られる。ニュース番組とは違う創作映画も同じように過去のものとなって行くとしても、監督や俳優の力によって作品は時に名作となって人々に記憶され続ける。それには娯楽寄りでは駄目で、事実を声高に叫ぶのではなく、淡々と過去を再現し、あたかも実際そうであったようなドキュメンタリー風がよい。無料で見られるTV番組はその点、いかにも軽く、娯楽でなくてもすぐに消耗されて行く確率は大きい。映画であれば、ビデオやDVDという商品になる。ニュース番組は基本的にはそうではない。使い捨てだ。その意識が人々にすっかり染み込んでいる限り、どれほど高尚なことを高尚に描こうが、映画より軽く見られるだろう。そうさせないためにもオン・デマンドでいつでも好きな時に見る態勢が整おうとしているが、それは新聞の縮刷版のようなもので、大きな力になることは考えにくい。映画作品となると、監督や俳優の名声というものが残っているから、『第五福竜丸』や『原爆の子』のような社会的で地味な内容のものであっても、日々消費されるマス・メディアのニュースとは同列に思われない。新藤監督は昨年の地震をどのように映画化出来るかを考えていたであろう。もっと若ければ映画にしたはずで、そういう気概を持つ才能が今あるのかないのか、3年後を待ってみたい。もしないとすれば、日本の映画、また人々の意識がすっかり変質したことを示す。そのように想像すれば、『第五福竜丸』は淡々と描きながら、よくぞ撮ったと思わざるを得ない。前から次々とやって来る想像を絶する事件を前に、それを可能な限り素早く映画にしておくという新藤監督の思いは、映画人でなくても見習うべきことは多い。表現するタイミングというものがある。早過ぎても遅過ぎると周囲の注目を集められない。そう思えばまさに去年の大地震は表現者にとっては思いをぶつけるのに最適なめったにない機会であったが、あまりに事件が大きく、うろたえるか無視するのが実情かもしれない。
 第五福竜丸の事故は筆者が2歳半の時だ。記憶していると言えば嘘になる。ではどこで知ったのか。昭和30年代はまだ原爆と一緒に第五福竜丸の被爆が言われていた気がする。原爆の次に懲りずに繰り返される水爆実験がうるさく言われていたし、その実験の被害をまた日本が受けたことは水爆禁止を唱える者にはよい材料になった。筆者が小学生の頃は「死の灰」という言葉がよく使われていた。それは第五福竜丸絡みであったはずだ。また、「ビキニ環礁」が水着の「ビキニ」と同じなのがなおさら第五福竜丸事件は記憶に残った。筆者でもそうあるから、昭和30年代はまだまだこの事件は忘れ難いもので、事あるごとに新聞が取り上げたのではないか。そうでなくなり始めたのは、東海村で原子力発電が行われ始めた頃ではないだろうか。それは昭和38年(1963)で、ビートルズが日本で紹介される頃だ。好景気に沸き始め、もう過去のことをしつこく思い出すより、未来の豊かさを目指すべきという考えが勝った。原発の推進者の大立者は読売新聞の正力松太郎だ。早い話が右翼が力づくで日本に原発をもたらし、その結果が昨年の福島原発事故だ。新藤監督が福島原発事故を題材に映画を撮るとすれば、日本の原子力委員会の設立まで遡って脚本を書くのではないだろうか。そして読売新聞やTVが事故直後、あるいは現在どのような報道をしているかを見る必要もある。そう考えると、この映画は広島と長崎の原爆、去年の原発事故との間に位置して、放射能の恐ろしさを伝える役割を担っていることになり、今こそまた鑑賞すべきであろう。そして、ドキュメンタリー風にしたのがよかった。時代はすぐに風化する。文字は残るとはいえ、映像の力は大きい。そして事件から5年しか経っておらず、第五福竜丸の乗員や関係者はまだ生きていたので、映像での再現は比較的容易であったであろう。映画は船出から始まる。焼津港からの出航場面は岸壁の家族らとテープでつながって別れを惜しむなど、比較的のんびり、長く描かれる。平和な光景で、いささか冗長だ。船長と無線長のふたりを除いて全員20代であろうか。男ばかりの20数名で、マグロを貯蔵する箱の蓋が10個ほど並んだ甲板が何度も映り、運転室やたこ部屋のような船員室、それに無線機や網など、船の構造がよくわかるように示される。マグロ漁ではあるが、それが捕れない場合は別の金になる魚を持って帰る。魚と出会うのは運頼りだ。思ったように魚に出会えず、釣れるのは大きな鮫ばかりで、釣ってはそれを包丁で首を掻き切る場面が数回映る。鮫は食用になるが安い肉だ。これで帰っては燃料代にもならない。そこで船長と無線長は船員の意見を聞きながら、北に行くか南に行くかを相談し、マグロにより出会えそうな南に向かう。そこでも地図が映るが、船はビキニ環礁に接近していて、観客は来るべき惨禍を予想して胸が痛むことになる。
 ビキニ環礁の近くまで来た時、次々に大きなマグロが捕れる。甲板に一匹ずつ引き上げては玄翁で頭を強く叩く。マグロはショック死するのだろう。すかさず鰓を繰り抜き、氷を詰めた冷凍庫にシートを被せて放り込んで行く。そうした作業は冷凍技術が進化した今もあまり大差ないだろう。船員がマグロの頭を叩く時、船長が「ていねいに扱えよ」と注意する場面がある。それほど貴重で高く売れる魚であったことがわかる。それでもマグロ漁を終えて帰国に向かう時、船長と無線長は収支がとんとんといったことを言い合う。遠洋に出かけても儲かるのは賭けであって、しかも被爆したのであるから、漁師の置かれた悲しい立場が見える。当時のアメリカはまだマグロの刺身を食べず、日本の領海というものが定まっていなかったのかどうか、日本の遠洋漁業がハワイ近くまで行ったことがわかるが、そういう自由さは水爆実験の理由にもなっている。アメリカにすれば日本の食物の重要な場所である海がどうなってもかまわなかったのだ。魚を捕るも勝手ならば水爆を破裂されても勝手ということだ。かくて魚が大幅にいなくなり、放射能が撒き散らされる。ともかく、そんな何でもありの太平洋であったことが、漁船が水爆実験に遭遇した原因になっている。実験は予め知らされていたが、何しろ実験であり、アメリカにしてもどれほどの範囲に及ぶのか予想出来なかった。この映画では描かれないが、広い海であるから、第五福竜丸だけが被害に遭ったのではない。にもかかわらずそれが大きなニュースになったのは、日本が被爆国であったからだ。当時この事件はアメリカでも話題になった。それはベン・シャーンが連作版画にしたことからもわかる。彼の人気は日本でも50年代から高く、第五福竜丸事件の記憶はその版画からもより強化されたのではないだろうか。だが、この映画は他国の船の被爆に言い及んでいない。そういう情報がほとんど当時はなかったからかもしれない。この事件は映画でも示されるように、第五福竜丸事件の無線長がなぜ無線で日本に連絡せずにそのまま10日ほどかけて帰ったのかだが、水爆実験のスパイと思われて拿捕される危険を思ったからだ。その可能性は大きかったに違いない。20人ほど乗る小さな船を当時のアメリカはどうにでも出来たであろう。水爆の閃光を目撃し、すぐに逃げるために船首の向きを変えたはいいが、網を引き揚げる必要があった。その作業に従事している間に死の灰が降り注ぎ、全員がそれを全身に浴びた。その結果肌はひどく黒ずみ、水膨れになった状態で焼津に戻った。
 大漁を祈願して出航したのはいいが、漁獲も被爆した状態で戻った。この映画でも放射能に汚染されたマグロを食べたことに慌てる人が描かれる。同じ問題は福島原発で繰り返された。それももっと深刻な状態で、20数名どころか、今後どれほど人的被害が拡大するか想像がつかない。目に見えない放射能の恐怖、そしてそれが体に及ぼす本当の影響というものは、被爆国家であっても今なお未知の事柄が多い。そのため、福島原発がばら撒いた放射能と今後増大するはずの発癌との因果関係は証明されにくい。実は第五福竜丸でもそうで、この映画では宇野重吉演ずる無線長の久保山愛吉のみが入院し、半年後に亡くなる。そしてただちに病院で解剖されるが、映画では死因は伝えられなかった。葬式は知事が死んだほどに盛大に行なわれた。それほど世間の注目を浴び続けた入院で、最初の犠牲者となった無線長は一種の英雄扱いを受けた。それは国家を始め、さまざまな団体の思惑が作用したことも理由であろう。映画を見て疑問が湧くのは、他の若い船員が同じように次々と死んだかどうかだ。死の灰を浴びて数日して髪が抜けたり倦怠感が襲ったとの証言で、それはもう手遅れなほどに放射能を浴びたと思わせられる状態だが、半年で亡くなったのは無線長のみであった。この事実は、アメリカが船員の被爆はたいしたことがなかったと考える理由をもたらしたであろう。後は金でどう保障するかの問題だ。この映画はそこを描かない。それよりも監督は小さなものに目を向ける。それは平凡な家族の幸福だ。それは本当は小さくはない。何事もその家族の幸福に尽きる。それが守られない世界は意味がない。ところがそういうあたりまえのことが理不尽にも蹂躙される。そのことを描いたのがこの映画であり、『原爆の子』と通じている。この映画はドキュメンタリー・タッチとそうではない情の部分、つまりドラマ的な部分とが混ざるが、そのドラマ的なことも実際は監督が事実に基づいて脚色したものであろう。監督は無線長の闘病生活と並んで残された家族を描く。妻を演じるのは乙羽信子だ。信子には3人の女の子がいる。夏場のことで、3人とも半袖でちょうちん袖の揃えのワン・ピースを着ている。一番下の子は小学1年ほどか。一番上が小学5年生といったところで、みなおかっぱ頭をして素直な子だ。一番下の子が疲れて二番目の姉に抱かれて眠る場面もある。これら3人の子は新聞や雑誌には載らなかったに違いない。だが、無線長はそうした家族を残して死んで行かねばならない。被爆したことがわかった時、船員と家族が集まった前で知事が質問に答える場面がある。知事は全員の即座の入院を勧める。その時、家族の女性たちが声を上げる。生活はどうするかだ。それに対して市が全部面倒を見るとの返事を得るが、すかさず別の質問が飛ぶ。死れば誰がどう責任を取るかだ。これには知事を始め、全員が無言だ。これと同じ図が福島原発の事故以降繰り返された。
 一家の大黒柱が死ぬと残された家族はどうするか。金銭の保障はあたりまえとしてそれで済む問題か。人の心はどうするのか。そのことを語っているのが、無線長の3人の子と妻だ。妻は声を上げない。悲しみの涙も見せない。淡々としながら無限の悲しみを秘めている。それを子たちは感じ取っている。父親のベッドの枕元の鉄柱に高さ15センチほどの手足がすらりとした女の子のマスコット人形がぶら下がっていた。それがクローズアップされることはなかったが、宇野重吉の顔が見える場面で必ず映る。そういう細部に監督の思いが込められている。その人形は、てるてる坊主ではないが、3人の女の子の願いなのだ。布で中に綿が少し入れられたもので、今ではケータイ電話に同じようなものを大人でも取りつける。そういうちょっとした飾り物がすでに昭和30年代にあったことがわかるが、監督は実際の闘病写真に同様のものを見つけたのかもしれない。おそらくそうだろう。その人形に意識が引き寄せられながら見ていると、やがて痙攣が起こって無線長が死に、臨時ニュースでそのことが流れる。急いで病室に駆けつけた母や妻、子はなす術がない。医師の「御臨終です」の言葉を聞くばかりだ。そして妻はそっと枕元のマスコット人形を外す。願いは届かなかった。そして葬式の場面だ。豪華な花飾り、多くの来賓、そして大臣による弔辞、それから妻と子3人が横並びになって焼香を上げる場面が来る。3人の子はよそ行きの先ほどのワンピースを着て、妻を初めとして身長の高い者順に左から並ぶ。ちょうど20センチずつほど差があって面白い。この3人の子は監督の想像だろうか。そうではないように思う。映画化に際して極力事実を伝えようとし、その事実の中に創造以上の素材を見つけたはずだ。この映画はドキュメンタリー風でありながら、『原爆の子』に似た味わいを持つ。国家が国民のためと称して成すことは、常にこうした犠牲を強いる危険を孕む。水爆実験も原発もその点では同じだ。一家庭の小さな犠牲と全国民、全人類の益になることを天秤にかけることはおかしいという意見があろう。そうであるから原発も作られた。だが、誰かの犠牲のうえに誰かがいい目をするのは野蛮ではないか。新藤監督は声を高くせずに、3人のかわいい女の子の姿をほんの少し見せるだけでそのことを訴えているように思う。彼女たちは父が死んだことをまだ深刻に受け留めることは出来ないほどに幼ない。その後どのような人生を送ったかは誰も知らないが、3人は生きているならば60代半ばから70歳ほどだ。おそらく全員存命であろうが、彼女たちはまた悲惨は福島原発の事故を見ることになった。
by uuuzen | 2012-07-22 23:59 | ●その他の映画など
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