繋という漢字はパソコンではすぐに出るが、紙に書くとなると、筆者は辞書を引くかねばならない。それもあってこうしてパソコンで書く時でも必ず「つながる」と平仮名で書く。
ほかにも決めている漢字の開き方はあるが、元来語彙が少ないのでそのこだわりもわずかだ。それはさておき、このブログはなるべく話題をつなげたい。意識せずとも自然にそうなっていると思う。いずれ使おうと思っている写真は1,2か月寝かした方がかえって予想外の文章とつながってよい場合がある。今日の写真がそうだとはあまり言えないが、昨日の親子蛙の石像とつながっていることを思う。そのように予定したのではないのに、自然とそうなっている。それは偶然か、たまたま筆者が石像によく目が行くだけのことかわからないが、石像つながりでなくても今日の投稿は昨日の続きとしてはよい。さて、先日の投稿『王朝文化の華 陽明文庫名宝展』では、駅で近所の医者に出会ったことを書いた。昔から知っている人だが、縁と言えばいいか、この1年の間にある出来事を通じてよく話すようになった。その人はよく京都駅に行くそうで、いつもは自宅からタクシーを利用する。さすが経済力のある人は違う。その医者がその日電車を利用したのは、前回タクシーを使うと、渋滞に巻き込まれ、電車を使った方が早かったからだ。それで電車で四条烏丸まで出て、そこからタクシーに乗るとのことであった。四条烏丸からすぐ地下鉄に乗り換えれば二駅目が京都駅でてっきりそうすると思って尋ねると、地下鉄の京都駅はJRの改札から遠いので利用しないとのこと。筆者にすればすぐ近くだが、日頃タクシーを使っている人は感覚が違う。筆者がタクシーに乗った最後はもう10年ほど経つのではないだろうか。最終電車に乗り遅れて桂からタクシーに乗らねばならない時でも徒歩で帰宅した。50分ほどで、さほど遠いとも思わなかった。ただし、深夜なので、変な若者がたむろしていたり、何となく物騒だ。下手すれば事件に巻き込まれる恐れがある。だが、そんなことを考えていれば昼間でも同じだ。ま、タクシーに頻繁に乗る経済力がない身分なので、交通費はなるべく少なくて済むように行動する。そのため、先の医者とは違って、四条烏丸から京都駅に行くのに歩くことが多い。25分ほどで着くし、また仏光寺あたりから同じように駅目指して歩く人が何人も合流し、けっこう同じ考えの人が多いことに気づく。歩くのは疲れるが、ものは考えようだ。歩きながら目に留まるものを撮影し、ブログのネタにする。それに歩くのは運動にもなる。交通費をけちっていると思うと惨めになるから、違うように捉えればよい。もちろんタクシーに乗れば乗ったで筆者はまたブログのネタを得るはずだが、誰かと待ち合わせいているでもなし、時間はたっぷりとあるから、あちこちきょろきょろしながら歩く。今日の写真はそんなぶらり散歩気分で見つけた写真だ。
仕事帰りの家内とよく待ち合わせをして京都駅に出る。家内は京阪電車を利用するので、京阪七条で待ち合わせをする。そこから京都駅へと歩く。その前に筆者は国立博物館で展覧会を見終えている場合もたまにある。同博物館にはバスを使うが、四条河原町から歩くこともある。その時は必ず大和大路通りを南下する。その道は最近車の暴走で数人の死者が出てよく知られるようになった。道幅が狭いのに車が走るのは、どことなく歩行には物騒だが、車が走るのは松原通りより北からが多いように思う。だいたいはのんびりとした道で散歩には持って来いだ。ただし、幅が広い五条通りが途中をさえぎっているのが玉に瑕で、それ以外は江戸時代のままの狭さではないだろうか。耳塚辺りまで行くとなおさらそんな気分になれる。鴨川沿いを南下するのもいいが、両脇に家並みが迫る道を歩く方が楽しい。タクシーではそういう気分は味わえない。何度かこのブログに書いたように、この道は毎年1月10日かその前日には歩く。ゑべっさんの縁日があるからだ。夕がたから夜が多く、また境内はいつも人で溢れているから気がつかなかったが、『王朝文化の華 陽明文庫名宝展』を見るために博物館に向かってこの道を歩くと、門を入ってすぐ右的に鯛を脇に抱える石像を見つけた。門をくぐろうとした時、向こうからTシャツ姿の30代半ばの男性がふたり歩いて来て筆者を見つめた。そして中国語で話しながら、一眼レフ・カメラをかまえて門を撮ろうとする。筆者はそれにかまわずにさっさと石像の前に立ったところ、すぐ眼下に光るものを見つけた。古びた5円玉だ。像から2メートルほど前、しかも正面だ。拾って像の横の賽銭箱に入れると、金属音がした。その像から本殿により近いところに、もう一体のゑべっさんがある。黒ずんで扁平、そして古様だ。それがあまりに年月が経ったので門に近い方に新しい像を据えたのだろう。どちらが出来がいいかとなると、古い方が特徴があり、また古い分、貴重な感じがする。新しい方はどことなく中国で作られた雰囲気があるが、これも100年も経てば同じように黒ずんで貫禄が出るだろう。そう思ってまた眼下を見ると、何とやはり像から2メートル、真正面に古びた5円玉が落ちていた。たくさんの人に踏まれたためか、あちこち擦れが出来ているのは先ほどのものと同じだ。それも同じように、像の傍らに置いてある賽銭箱に入れた。気配を感じたので振り返ると社務所の人がこちらを見ているような気がした。落ちているものを入れるだけではけちくさいと思われたか。また、神社では毎日地面を掃くはずで、5円玉が落ちていることに気づかないはずがなく、あえて落としているのかもしれない。筆者にすれば落ちていたものを賽銭箱に入れるのであるから損も得もないが、恵比寿像の前で5円玉を相次いで見つけたことは縁起がよい気分だ。そんな珍しい偶然はめったにない。そのためにも神社側がいつも5円玉をあえて地面に1個ずつ落としていると思いたくなる。そんなことをして神社が得することはないが、訪れる人の気分をよくさせる演出とすれば、大きな宣伝になって結局得する。石像の撮影後すぐに門を出た。中国人ふたりはまだ門から中に入らず、神社のことを話しているようであった。そうそう、忘れるところであった。「キミドリ社」の
「キミドリさんとペンギン君」は、めったに他人のブログを見ない筆者が稀に見るもののひとつで、そこに2週間ほど前に書き込みをした。その時、今日掲げる写真について、いつブログに書こうかと考えた。その御縁がようやくあった。