芹沢銈介展はほとんどどうでもよかったが、京都文化博物館のフィルム・シアターで上映される映画を久しぶりに見たくなったので出かけた。
先日書いたが、5月19日の土曜日に目指す映画を見ようと思って館の前まで行くと、午後3時から始まっていて、もう上映が終わる頃であった。樋口一葉の『にごりえ』で、当日を逃せばもう見ることが出来なかった。同フィルム・シアターは同じ映画を日を改めて2日間、昼と夕方の計4回上映する。昼の部はほとんどいつも満員らしく、筆者はたいてい夕方の部を見る。ともかく、『にごりえ』が駄目となれば次に何がいいかと調べると、5月31日と6月3日に志賀直哉の『暗夜行路』があった。それで木曜日は家内の仕事が午後4時で終わるというので、四条河原町の高島屋で待ち合わせをし、大丸まで歩き、そして北上して文化博物館に行った。展覧会は午後6時までで、映画は6時半からだ。30分前からシアターに入場することが出来るが、すでに10名ほど列を作っていた。上映直前には6,7割の席は埋まったのではないだろうか。見憶えのある顔があり、年配の常連が多いだろう。ところで、『にごりえ』は読んでいないが、だいたい内容は知っている。『暗夜行路』は10代で読んだので、ほとんど記憶は薄れているが、一応は読んだことからすれば、原作を知らない『にごりえ』を見るよりかはいい。ということは、先月19日に館の前まで行って引き返したことはよかったかもしれない。また、この機会に『にごりえ』を読んでおくのもいいだろう。昨日の『魔弾の射手』といい、大昔から気になっているものを少しずつ片づけて行こうという思いになっている。それでも、気になることは無限にあるので、土台無理な話だ。人生は尻切れトンボのような形で時間切れになるのは目に見えている。そう何でも悔いを残さぬように気がかりであり続けたことを全部処理するわけには行かない。それに、こうして気がかりな物事に切りをつけるかのように書いたところで、その対象をすっかり忘れるかと言えばそんなことはない。それどころか、新たな悔いを生むのが関の山だ。一番いいのは、悔いがあるということを忘れて何もしないことだ。その最適な方法が老人特有のボケで、これは周囲からは哀れに見えても、本人はくよくよせずに済んで幸福と言えるのではないか。いずれ筆者もそうなる。
この小説は長編で、題名のように全体に暗い印象が強いが、10代後半の筆者には主人公の小説家の時任謙作が出生の複雑さはともかく、経済的には恵まれていて、こんなに優雅な暮らしをして生きて行く人もあるのだなと、冷やかに見た。おそらく『にごりえ』とはその点は正反対であろう。志賀は白樺派を代表する小説家で、お坊ちゃん育ちだ。社会のどん底にいるような人々の生活を実感することはなかったから、それを描くことは無理な話で、正直なところ、筆者は志賀や武者小路実篤の小説をあれこれと当時読んだ割には夢中になることはなかった。そういう思いが、今回映画化を見てどう覆るかと半ば期待したが、小説を読んだ40数年前の思いがまざまざと蘇り、時任のお坊ちゃんぶりが鼻についた。志賀と時任を同一視するのはよくないが、長年にわたって書き続けられたこの作品は、主人公の大半は志賀の思いの投影と見てよい。それは育ちがそうであるというのではなく、志賀が時任のような立場にあればどう行動するかという意味だ。さて、小説は大正末期の頃を描いているのに対し、映画は昭和34年(1959)の撮影で、筆者8歳の頃だ。途中で戦争をはさんでいるから、撮影場所の変貌ぶりに困ったと想像するが、昭和34年は高度成長が始まる直前でもあって、日本は大正末期とさほど変わらぬたたずまいをしていたのではないだろうか。この映画を見る気になったひとつに理由は、尾道が舞台として登場することで、それは小説を読んだ時から知っていた。一昨年尾道に行った時、志賀直哉記念館を訪問し、その写真を少しこのブログでも載せた。今回映画を見てわかったが、まさに同じ家で、映画撮影時には志賀が滞在した時のまま保存されていたことになるし、今も変わらない。ただし、千光寺辺りから見下ろす尾道の町は、今はビルがあちこち目立つのに、昭和34年ではほとんどが木造で、まだ大正時代と変わらぬ様子であったのだろいう。ついでに書いておくと、先日書いた昭和35年の映画『裸の島』でも尾道の町は登場する。尾道の海から少し山手に、海岸に沿って長い商店街があって、今はアーケードがついてとてもさびれているが、『裸の島』ではアーケードがなく、またとても活気があるように見えた。半世紀経たずして尾道はさびれてしまった。それはさておき、この映画『暗夜行路』で尾道がどの程度映るかと期待したのに、ごくわずかであった。昭和30年代前半はまだ旅行ブームには遠く、映画で有名な観光地を写すことは観客に大いに歓迎された。その点でこの映画は、主人公が東京の本郷生まれとしながらも、同地はほとんど家の中しか映らず、もっぱら尾道、そして時任が結婚して住むことになる京都南禅寺界隈、そして時任が苦悩を紛らわすためにひとりで登る鳥取の大山が舞台となっていて、京都に住む筆者にとっては、昭和30年代半ばの京都を見ることが出来て面白かった。
文学の名作の映画化は珍しくないが、志賀はこの映画をどう見たことか。映画の後、感想を家内と語り合いながら、時任を演ずる池辺良は適役で、今なら誰が担当出来るかという話になった。ふさわしい人物は浮かばなかった。それほど俳優の才能が枯渇したと言えるし、また人々の俳優に求める雰囲気が激変もした。「イケメン」という言葉が今ははやっているが、TVなどでそう評される男たちのどこが格好いいのか筆者にはほとんどさっぱり理解出来ない。知的さのかけらもないような男がイケメンとしてもてはやされているのを見ると、女も落ちたなと思うが、実際いつの時代でも男女は釣り合って存在している。であるから、池辺良のような俳優がいないことは、この映画に登場する重要なふたりの女である山本富士子や淡島千影のような女優もいなくなったことで、ま、昔は昔、今は今でいいのだが、この小説の映画化がよくぞ昭和30年代半ばになされたと思う。もう数年遅れていても駄目で、また今ならもっと不可能だ。町並みをコンピュータで再現する方法もあるが、そこまでしてこの映画の内容を現在改めて紹介する必要があるとは思えない。それは、この映画に描かれるような小説家が今はもういなくなったであろうし、いたとしても文豪といった形で世間から一目置かれるような存在でもない。それはさておき、、原作の小説を140分の映画としてまとめるのは、誰がどうなってどうなるかというストーリーだけを端的に知りたい人には便利だ。小説は小説の面白さであって、志賀がこの小説を書き上げるのに大いに苦労したことは、主人公がどのようになって行くかという物語ではなく、きれいな文章といった文筆家としての技巧性であるのは言うまでもない。それは映画とは全く別の事柄であり、その意味で志賀はこの映画を自作とは何の関係もない他人の解釈による別作品と思っていたであろう。その点をこの映画の鑑賞者は自覚しておく必要があるが、映画を見た後で小説を読もうとする人がどれほどあるだろう。幸いと言おうか、筆者は小説を先に読んだが、それは大昔のことで、今読むとまた思いが違うかもしれない。だが、それを言い出すと、いつ読んでも、また何度読んでもそうであって、同じ小説を二度読む気にはなかなかなれない。筆者がこの映画を見たいと思ったもうひとつの理由は、これもかなり昔のことだが、ある女性が卒業論文にこの小説を取り上げたからだ。彼女はこの小説のどこに着目し、何を書いたのだろう。そして、筆者ならどう書くか。その思いでとにかくこの映画を見て、映画の感想を通じてこの小説の中心となる主人公のことについて思いを馳せたいと考えた。その結論は先に書いたように、時任は暗い過去やまた現在に苦しんではいるが、経済的は何の問題もない。その恵まれたお坊ちゃんの悩みを見て、優雅な生活の方により目が行ってしまう。小説とはもともとそういう暇も時間もある人のためのものなのだ。悲惨な生活を描いたものの方が面白いとは言わないが、読み手の中にはそうした生活を強いられている人も多く、そうした人に希望を与える作品をより歓迎するとしても、それはその人の自由だ。文学部の学生は今もこの『暗夜行路』を卒論のテーマとしているはずだが、それはこの小説に時代を越えた普遍性があると一般に認められているからであって、その普遍性は、物語そのものよりも、やはり文体など、文章の技巧などにあるためではないか。それは映画には描かれにくいもので、映画はその点、小説よりかなり俗っぽいものになりやすい。言葉を変えれば軽い。したがって、この映画によって原作を云々するのは差し控えた方がいいだろう。だが、一方で、純文学のつまらなさとでもいうようなものが、この映画によって明らかにされるところがあるとも言える。そのつまらなさとは、やはり言い変えれば、「お上品」ということだ。それゆえに、大学生が卒論のテーマにしやすい。だが、その「お上品」さが、『暗夜行路』の原作の物語のどこにどのようにあるかは、人によって思いが違い、この小説はかなりきわどいことを主題にしていると思う人も多いだろう。
時任の悩みは、まず出生の秘密だ。それを時任は長らく知らなかった。好きになった女性に求婚すると、その母親は体よくそれを断る。そこでようやく自分が、父がドイツに留学している間に、祖父が母に孕ませた子であることを知る。知らないのは自分だけであったのだ。周囲の者は時任を憐れに思って、出生の秘密を言わなかったのだ。祖父も母もなくなり、時任は祖父の妾のお栄に育てられるが、父は鷹揚なところがあって、財産分けは時任にすでにしている。学者の父とは違って時任は当時の小説家らしい小説家で、自由気ままに生きており、お栄と一緒に住みながら、彼女と結婚したいとも思っている。お栄は淡島千影が演じる。実に適役で、妾らしい色気をたっぷりと表現する。お栄と時任の間柄は、長年一緒に暮らしたことがあるので、肉親のように親しくなっていて、時任はお栄のためならば金を使うことも平気で、家族としての優しさを見せる。これは現在ではなかなか考えにくいのではないか。親兄弟でも金のこととなればいさかいが生ずる。ところが、時任は結婚してからもお栄の身を案じ、一緒に暮らすほどで、それを妻の直子もお栄もさほど気にしていない。妾がここまで認められた存在であったのが大正時代と言われればそれまでだが、戦後では同じことは考えにくいだろう。さて、時任は京都に旅をした時、御所でひょんなことから美しい女性に見惚れる。現実はそれで終わることが多いが、その女性を後日鴨川のほとりで見かける。そして彼女が投宿しているのは時任の宿の数軒隣であることを知る。時任は友人を介して自分が結婚したい意志を伝え、人柄が認められて同意を得る。出生の悩みを抱えていたことからすれば、理想の相手を見つけることが出来て幸福の絶頂に登った形だ。ところが、せっかく生んだ最初の子があえなく病で死んでしまい、新たな試練を迎える。一方、時任が結婚することを知って、お栄はいよいよ身を引く決心をし、人に誘われ天津に行くことにする。酒を提供するような商売で、他の女たちと一緒に行くが、身ぐるみはがれ、時任が結婚した後、日本に舞い戻る。これは当時よくあった話だろう。時任はソウルに住んでいたお栄を引き受けに行き、そして帰国する。時任の住居は南禅寺のすぐ近くで、映像からその正確な場所がわかるが、今ではその付近はすっかり変わり、映画に見える木造建築は皆無だ。また、時任の家は庭が広く、よほど収入が多い文豪であることがわかる。それはお栄を迎えに行って帰って来た時の土産からも想像出来る。小説ではどう書いてあるのか、ともかく志賀の白樺派ぶりがよくわかる描写で、李朝の面取りの染付壺が1個混じっていた。これとは別に時任の兄が京都に来た時、時任の書斎で絵を見つけて誰の作かと訊く。時任はマイヨールと答えるが、その背後にはロダンの「考える人」の彫刻のデッサンもある。いかにも白樺派で、そういう細部を見ることが楽しい。ともかく、妻は朝鮮の土産の中から染付の壺がほしいと言い、それを後で風呂に入った時に洗いたいと言う。時任は、骨董品であるので、汚れも価値のうちといったことを言っても、妻は同意しない。ここはなかなかうまい設定だ。妻は白い肌の壺の汚れを落としたいと言う行為に、自分の身の汚れを重ねている。
時任と一緒に風呂に入ると言いながら、妻は入らない。それを不審に思ったことからやがて時任は自分がお栄を朝鮮まで迎えに行っている間に、いやな出来事があったことを悟る。妻の腕に誰かに強くつかまれて出来たあざを見つけたためだが、その理由を問いただし、ようやく妻は告白する。直子には幼ない頃からよく遊んだ従兄がいて、幼ない頃に人目につかない田畑で性的な悪戯をされていた。そして時任が朝鮮に行っている間に、その従兄はふたりの友人を伴って直子の家に遊びに来た。徹夜で花札遊びをし、ふたりは深夜帰ったものの、従兄だけは帰宅しなかった。そして、肩が凝るので按摩を呼べと言いながら、直子はそれをなだめるために部屋に入り、自分が肩を揉んでやる。すると従兄は豹変し、直子を強引に犯してしまう。そのことを知った時任は苦しむ。そしてやがて妊娠、出産した直子の子が、自分の子ではないかもしれないなどという思いにも囚われるが、これは月日の計算からそうではないことを知る。それより前、時任は直子との間がぎくしゃくして、直子をまともに抱くことが出来ない。そこで従兄とはどうであったかなどと直子に問いただしてますます直子は頑なになったりもする。これは男としてはよく理解出来る話だ。時任は妻を許すか、あるいは離婚しかない。後者となれば、この小説の名作の評価はなかったであろう。その祟られたような暗い人生の先に光を見るという結末しかなく、時任は妻を許す。その許すことになるまでがまた一苦労で、時任のような人格者でなければ、たいていの男は相手のその従兄に復讐するのではないか。それがそうならないところに、この小説の上品さがある。だが、時任は妻をいじめる。物を投げつけるなどの暴力の場面は、一回撮りのような迫力があって、大半はカメラ・ワークのうまさのおかげだが、池辺も山本もいい演技をしている。自分の不在中に妻が他の男と関係を持ったことに対して、時任はほとんど離婚せんばかりの気持ちになり、やがて妻から一時離れることを望み、ひとりで鳥取に旅をすると言う。ひとりになって物事を冷静に見つめたいとの思いは、時任が小説家で、いつでも各地を旅することが出来る身分であることが幸いしている。とはいえ、そのようによく家を空けるから、男がやって来て妻と関係を持とうともする。そのため、妻の過ちは時任にも多少の責任があるだろう。大山に登った時任は、6号目辺りで根を上げる。ここで翌朝まで待っているからと言いながら、案内人と他の登山人を先に行かせる。日の出を見て気分が解き放たれた時任だが、風邪を引いてしまい、宿としている寺で寝込む。そこに妻がやって来て和解するところで映画は終わる。この映画では小説をそのまま読み上げる箇所が最初と最後のわずか部分のみある。それと売春婦と寝た時に発する有名な「豊年だ、豊年だ」も加えていいが、暗夜行路と言うだけに、長い小説を読む方が、時任の苦悩ぶりがよくわかる。それでも映画は映画のよさがあって、時任は池辺良以外には考えられないし、また今はもうない古き町並みが貴重な記録となっている。小説はいくら言葉を尽くしても、そういう映像にはかなわない。