米の研ぎ汁を庭木にやることをいつ知ったか。京都に来てからは特にそういう場面によく出会った。先日のTVでも京都人のそのような無駄をしない心が取り上げられていた。

筆者は2日に一度は米を研ぐ。3度研いで、大きなボウルに溜め、それを表や裏の草木の根本にぶちまける。油粕の粒は牡丹の根本には年に2,3回たくさん埋め込むが、それ以外に肥料と言えばこの米の研ぎ汁だけだ。それが植物に役立っているのかどうかは知らない。牡丹のすぐ隣には25年ほど前に鉢から直植えしたグミの木があって、そこにも米の研ぎ汁は行っているはずなのに、年々元気がなく、この5,6年はさっぱり実をつけなくなった。10年ほど前は100個ほど親指大の大きくて真赤な実がついたというのに、それっきりとなった。毎年花は咲くが、その直後に勢いよく直立して伸びる若い枝を全部切り落とす。それがいけないのかもしれない。このグミは母の兄が生前かわいがっていたものだ。その置き場所が困るというのでわが家にやって来た。そのため、枯らしたくはないが、今のままでは数年後にはすっかり枯れるだろう。3日ほど前、風が強かったため、わが家の近くに家の前に数百の黄色い実が地面に落ちていた。いったいこれは何かと思って見上げると、赤いグミが無数に実っていた。3分の1ほどは落下したようだが、まだ数百から1000個は実るだろう。この木の実は小指の先ほどの大きさで、わが家のグミとは違う品種で、おそらくかなり酸っぱいだろう。それを植えている人が収穫している様子を今まで見たことがない。鑑賞用なのだ。わが家のグミもせめて毎年数十個ほど実をくれるといいが、どうすれは樹勢がよくなるか。筆者にはさっぱり植木の才能がない。ムーギョへの道のり、数人の70代の男性がごくごく狭い前庭の植物によく手を入れている。そうした人の顔立ちがみな共通していて、あまり知的に見えない。それどころか、若い頃はかなりやんちゃをしたような凄味がある。そんな顔をした人が、植物を愛しむように毎日数時間は家の外に出てああでもないこうでもないと手入れをしている様子が面白い。畳1枚ほどの狭い土地に実にうまく花を咲かせていて、趣味としては金もほとんど使わず、また静かでもあって、いいのではないうか。筆者も10年後にはそういう仲間になっているかどうか。おそらくそれはない。今と同じで、枯れて行く植物に首をひねりながら、米の研ぎ汁を根本にぶちまけている。

金閣寺について少しは書かねばならない。金閣寺のよさは、金ピカのその建物にあるのは言うまでもないとして、本当はそれを取り巻く庭がよい。これを忘れているのが現代の日本で、どの新築の家屋もまず庭を設けない。そんな余裕があればガレージにするか、あるいは家を建て増しする。庭など手入れが大変だけで、何の役にも立たない。そう考える人が多い。筆者も手入れは大いに苦手だが、自分の庭があることは何となく豊かな思いだ。気に入った植物ばかりではないが、縁あってわが家に来たものであるから、近所迷惑にならない程度にそれなりに大事にはしたい。また、庭の手入れの苦労を思って寺社の庭を見ると、その維持管理の労力に驚くことばかりだ。金閣寺は毎日大量の観光客が押し寄せる。いつ庭師が作業をするのだろう。庭師の姿が見えたところで観光客はさほど気に留めないが、それでも無意識の中で目ざわりだ。それを知ってか、寺社では庭師の作業は人々に見られない時間帯に行なっているのだろう。その縁の下の力持ちは、職業としてはなかなかよい。京都に寺社がある限り、そうした職業はなくならない。植木職人を描いたTVドラマの影響だったと思うが、友人のMが40代の頃、何度も植木職人に転職したいと言っていた。「思い切ってなれば」と答えたが、Mにはその勇気がなかった。ほとんどいやいやながら、また家族を支えるために卒業後に就職した会社に勤務し続けていたのに、50歳の頃にリストラに遭って退職させられた。そうなるとわかっていれば、もっと強く植木職人に鞍換えすることを意識した方がよかった。後悔しても始まらない。また、40代でどこかの造園業者が雇ってくれるだろうか。よほどの熱意とコネがなければ難しい。体力の問題もある。職人になるには一歳でも若い方がいい。いつどんなことでも思い立った時から事は始まるし、またモノになると言うが、それはほとんど夢だ。現実はそう甘くない。気づいた時にはもう手遅れであることが多い。本物の職人になるには、思い切りが肝心で、さっさと行動に移す必要がある。また、職人は同じ作業の繰り返しで、傍目にはいとも簡単な作業に見えることが多いが、実際そうであるだけに奥が深い。これは俳句を思えばよい。小学生でも作ることが出来るが、芭蕉級になれる人はとんでもなく少ない。ともかく、金閣寺の庭は金閣寺の建物の印象とは違って99パーセントの人は記憶に留めない。だが、そこには金閣寺を引き立てるための大勢の庭師の地道な作業がある。今は雑草が日に十センチは生える時期で、金閣寺でも同じだ。それを1本の雑草も見せないように気を配るところに、京都の貫禄がある。嵐山の天龍寺も、建物は何度も火災に遭って歴史は浅いが、方丈前の庭は夢窓国師が作った当時の姿が保たれているという。とはいえ、700年ほども前のことであるから、当時の写真はなく、本当に当時の姿であるとどうして証明出来るのだろう。庭木は盛んに成長し、庭師が手入れをするから、毎年姿を変える。700年も同じ状態であることはあり得ないではないか。

金閣寺の写真の代表的角度があって、観光客はみなその付近に立って背後に金閣寺を写し込む。4月7日は筆者らもそうした。そういう写真はどれも平凡で、他人に見せる価値はない。当日筆者が気になったのは、その絶好の撮影場所の背後に、2,3か所立て看板があった。営業用の写真撮影は許可を得るべしというのだ。つまり、しかるべき料金を支払わねばならない。著作権、肖像権と同じで、勝手に絵はがきなど作って売られてはたまらないということだ。その立て看板は、おそらく勝手にそういう行為に使用した連中が過去にあったからだろう。最近話題になっているように、中国が勝手に日本にあるさまざま名称を登録商標することから思えば、「金閣寺」の名前を使った「金隠し」つきの便器が販売されるかもしれない。中国のトイレ事情はすこぶる劣悪で、金隠しのない便器も多い。そこで日本のように金隠しつき、しかも金色に塗ったものを「金閣寺」の名前で販売すれば、爆発的に売れる可能性があるかもしれない。そういうことになった時、本家の金閣寺は中国に抗議をするだろうか。そして、中国の行為が違法であることが認められるであろうか。難しい問題がそこにはある気がする。それはさておき、次から次へと観光客が金閣寺を背景に記念撮影をし、なかなかシャッター・チャンスがない。そこは多少図々しく割り込まねばならない。必ず触れ合って写ってしまう他人の肩は、後の画像加工で切り落とせばよい。そう考えながら、筆者と家内はお互い2,3枚ずつ撮り合った。その後さらに道を前に進むと、すぐに扉があって向こうには進めないようになっていた。庭師のみが出入り出来る様子だ。また、その扉の向こうから見る金閣寺は、裏手ではないが、背後に山が見えず、次々とやって来る観光客の姿が目に入り、借景が今ひとつなのだろう。その扉の向こうを見ると、赤い椿の花がいくつか落ちていた。庭師はそれらを夕暮れには全部拾うのかもしれない。扉の隙間から手を伸ばすと、1個取ることが出来た。金閣寺のものであるから持って帰ってはならない。その代わり、それを扉の桟に置き、そして写真を1枚撮った。筆者がそんなことをしていることは他の客は知らないが、稀にその扉の前まで進んで、筆者が置いた椿の花に気づく人があるか。それなれば、梶井基次郎の「檸檬」と同じ行為となって面白いではないか。そうそう、金閣寺には桜はなかったと思う。禅寺であるので、あまり華々しい花は似合わない。東福寺と同じ考えでそうしているのかもしれない。だが、金ピカの金閣寺の周囲に豪勢に桜が満開になっている図もいいではないか。外国人は特に喜ぶ。おまけに贋舞妓でもいいので、毎日舞妓さんが金閣寺を撮影する絶好の場所の近くに待機してくれるのもいい。それくらいのサービスをしても世界遺産の名は汚れないと思うが。