零下30度の雪山で撮影されたこの映画、レニ・リーフェンシュタールの主役ということを以前から知っていたが、2週間前に右京図書館にあるのを見つけて借りて来た。新しくTVを買ったからではないが、最近DVDを見る機会が増えた。
以上まで書いて1時間半経った。その間ずっとパソコンと格闘していた。ネットをせず、WORDソフトだけ起動してこれを書いているのに、一語反応するのに10秒ほどかかる。ウィンドウズ95の何倍も遅い。昨日まではよく動いたのに急に調子がおかしくなった。パソコンを再起動させると、更新プログラムを3つインストールするのでスイッチを切るなとの表示が出た。そしてそれから40分もそのままだ。ネットの画面を見ていないのに、どういうプログラムをインストールするというのだろう。VISTAは性能がWIN95よりはるかにいい分、よけいなことを勝手にするような仕組になっているのだろう。文章だけスムーズに打ちたいのに、たった2行を書くのに2時間近くもかかっているのでは、何のための性能のよさかわからない。インターネットの一時ファイルを削除し、ディスクのクリーンも行ない、ローカル・ディスクの空き容量が100GB以上もあるというのに、一語反応するのに10秒もかかるとは、全く信じられない。呆れ果てて再起動ではなしに一旦終了させたところ、また更新プログラムをインストールするとの表示が出て、30分もディスクがジリジリという音を発しながら作業を続けた。頭に来て何度もスイッチを押すなどしたが、強制終了出来ない。それでこの文書はWIN98のパソコンを使って書いている。そうそう、VISTAのパソコンにはメモリーは1GB積んでいるが、先日買った2GBは相性が合わず、反応しなかった。いずれ4GBにしたいが、そうしてもなおWORDの文章を打つのに、一語入力に10秒もかかるとなれば、別のところに問題があるのだろう。この買ったばかりのVISTAは、ほとんど動画を見ず、もっぱら毎晩こうして文章を書く程度で、ディスク容量はWIN95の100倍もあるが、反応は100倍遅い。まるで漫画だが、そこで思ったのは、たとえば、筆者がもっと巨大な容量のパソコンを使っても、おそらくWORDしか使わないのであれば、その反応はWIN95より遅いのではないかということだ。それはおそらく、原始的な作業はより原始的な能力のパソコンにこそふさわしいからだ。WORDだけ使うのであればWIN95の方がかえっていいに違いない。それを感じていたのでWIN95を使い続けているが、調子がおかしくならないどころか、WIN98よりよほどすぐれている。また、VISTAには洒落た機能がいろいろとついているが、それらは別になくてもいいもので、パソコンの性能はもう頂点に達しているのではないか。その頂点は筆者にすればWIN95で充分といったところだ。
さて、上記のように、今までうまく事が運んでいたのに、それが何らかの事情で疎外された時、ストレスが一気に増す。命にかかわることならば、そのストレスはどれほどだろう。今日取り上げる映画は、後半部がそういう問題を扱っている。氷点下30度の雪山で遭難し、助けを待つ若い男ふたりと女ひとりの行動だ。これは実話を膨らまして脚本が書かれた。遭難して丸4日間、テントもなく、また現在のように防寒具も充分でない時代に雪山に閉ざされると、たいていは死ぬが、この映画では男女ふたりが助かる。それは実話ではなく、人間ドラマを盛り込むために脚色がなされた。だが、それは不自然ではなく、全部実際にあったことに思える。その前になぜこのDVDを借りたかを書いておく。2年ほど前になるが、たまたまネット・オークションでレニのDVDが格安で売られていることに気づいた。1枚1円のスタートで、同じ商品を同じ業者が数十枚は売っていた。もちろん落札価格は数百円になったが、それでも安い。買おうと思いながら、そのうち出品がなくなった。おそらくその業者は過剰生産されて倉庫に長らくあった商品をまとめて買ったのであろう。それだけレニの人気は昔の一時期はあった。NHKが10年かもっと前にレニの特集をしたことがある。80代の高齢にもかかわらず、スキューバ・ダイヴィングの資格を取り、水中世界の美しさを撮影したことでまた有名になった。その前は80年代だったか、アフリカのヌヴァ族の写真集を出して健在ぶりを示した。レニは100歳を超えてから死んだが、その美意識は誰もが認めるものであったろう。だが、戦前のベルリン・オリンピックの記録映画を撮り、ナチスに協力したと考える人がドイツには多く、今なお正当にその芸術性が評価されているとは言い難いところがある。ベルリン・オリンピックのその映画は、東京オリンピックを撮った市川昆にも影響を与えたであろう。また、ヌヴァ族の男性たちの肉体美に惚れ込んで写真集を出したことは、もともとレニには人間美を謳い上げる思いがあったことがわかる。それはレニが最初はダンサーであったことから説明出来る。体を使った芸術がレニの目指すところで、それが怪我によってダンサーを続けることが出来なくなった後、映画俳優となったことにも表われている。また、女優には美しい顔も求められる。レニはかわいいという表現は当たっておらず、背も高くていわゆる美女という表現がぴったりな冷たい顔をしている。それをレニは自覚していたであろう。
レニを俳優として最初に起用したのは、アーノルト・ファンク博士だ。彼は地質学を学んでアルプスに心酔し、一方では映画にも関心を抱いて、山岳映画の開拓者となった。ファンクが最初にレニを起用した映画は1926年の『聖山』で、レニは24歳であった。この映画の3年後に『死の銀嶺』が公開された。脚本作りにレニは意見し、より深い感動ものとなって、当時大ヒットした。筆者は前知識なしで見たが、あまりの迫力に久しぶりに映画の面白さを感じた。今はCGを使って経済的に途方もない映像を生み出すことが常識化しているが、そういう映画はどれもつまらない。映画はもともと作り事だが、映像を加工し過ぎると真実味が失せる。その意味で、『死の銀嶺』は零下30度の山中でどのようにして撮影したのか、その疑問だけでも別格的な作品に思えて来る。すでに特殊撮影の技術はあったが、この作品はほとんどそれを感じさせない。もちろんカットをつないで実際にあったことのように錯覚させる手法を採っていることは言うまでもないが、カメラ位置を考えると、ちょっと信じ難いカットがたくさんある。それは山を知り尽くしたファンク監督がいてこそ可能であったはずで、事故が起こり得るぎりぎりのところで撮影したに違いない。そういう撮影の困難は今ではCGで済ますというのがハリウッド方式だ。だが、それでは映画の性質が根本的に変わってしまう。観客を心底驚かせるには、映像に迫力が必要だ。それには安易なセットを使ってはならず、観客に実際の冬山にいるかのような気分にさせるために、俳優も撮影隊も山に登らねばならない。この映画はそれをしている。筆者は登山には無縁で、なおさらこの映画の撮影を想像するだけで縮み上がるが、登山をしない人なら誰しもであろう。また、登山を好む人は、山の美しい遠景や、山肌に張りつく人たちなど、映像美を堪能して登りたくなるだろう。つまり、この映画は山岳映画を切り開いたと同時にその最高峰となって、今後も凌駕されることはないに違いない。こう書けば何をおおげさなと思う人がきっとある。今は軽くて防寒効果抜群の衣裳はふんだんにあるし、撮影機材も小型で性能がよいが、この映画はまだ1920年代のことだ。フィルムを使い、また機材は今では信じられないほど重いはずで、その労苦は勘案されねばならない。ヘルツォークの映画に『彼方へ』という山岳ものがあって昔見たが、彼はきっとファンク監督の作品を熟知しながら、そのドイツ映画の伝統上にどういう山岳作品を撮ればいいかを考えたであろう。だが、この映画を見れば、『彼方へ』は軽く吹っ飛んでしまう。
物語は単純で、登場人物も少ない。そのことが映像と舞台の迫力となって、この作品を忘れ難いものにしている。20代のヨハンネス・クラフト博士は愛妻のマリアを伴ない、インスブルックの山岳案内人クリスチアンと一緒にピッツ・パリュー山に登る。クリスチアンが雪崩れの危険を示唆したにもかかわらず、高をくくっていたクラフトは眼前にマリアがクレヴァスに落ちてしまうのを目撃する。助けに下りるがザイルが無残にちぎれて底にたどり着けない。そうしてクラフトはマリアの助けの声を耳にしながら、氷の中で死なせてしまう。それが1925年10月6日のことだ。それからちょうど3年経った同じ日、レニ演ずるマリアと、その婚約者のハンスが山小屋へとやって来る。その目の前にはピッツ・パリューがそびえている。この景色が何度も映るが、雲の動きや小雪崩れなど、山好きにはたまらないだろう。マリアとハンスは雪を投げつけ合ったりしてルンルン気分で、ふたりだけの時を満喫する。山小屋には1冊の備えつけのノートがあり、それを開いたマリアは3年前に同じ名前の女性が遭難死したことを知る。そして、その夫のクラフトがどうしているかをハンスに訊ねると、愛妻を亡くしてからは幽霊のようになってピッツ・パリューをさまよっていることを知る。マリアは雪の中で凍っているマリアを思い浮かべ、どこかうっとりした表情を浮かべるが、ここは無声映画であるので、表情は大事だ。マリアはクラフトに関心を抱き、失意に沈むクラフトの手をそっとにぎって遭難事故のことを聞き出す。そこから観客はこの映画がどう進むかの関心がかき立てられる。話を少し戻すと、ハンスが「幽霊のように」と言った瞬間、山小屋のドアが開いて風が入る。驚いたハンスとマリアはその方向を見ると、クラフトが外に立っている。この場面はとても印象的で、無声映画ならではのところがある。さて、ここで書いておくと、この映画にはオーケストラの音楽が絶えず鳴り響いていて、その音質のよさにびっくりさせられる。デジタル処理したとしても、あまりにもいい音で、そのことが映像とは合っていない。後でわかったが、この音楽は1998年に新たに作曲されて添えられた。それで納得した。各場面にあまりにもぴったりと合っていて、たとえばピッケルで氷柱を叩き折る場面が2,3度あるが、氷が折れる瞬間にきれいな音でその様子を表現する。そのシンクロ具合は全く見事で、無声映画時代にすでにこのオーケストラの音楽があったとすれば、映画音楽は1920年代に完成し切っていたことになる。この音楽はそれだけを聴いてもちょっとした交響詩で、実際そのようにして聴きたい思いにさせられるほどだが、それほどに主題もはっきりとしており、また変化にも富んでいる。その変化として、たとえばラヴェルの「ボレロ」そっくりの音楽が使われている。それが気になったので、映画を見終わって調べた。「ボレロ」は1928年の作曲で、翌年にはヨーロッパ中で有名になっている。ということは、この映画にその引用的なことが行なわれていたならば、当時最先端の音楽を用いたことになる。なるほど大ヒットしたのは、そういう音楽の先進性もあるかと思った。だが、実際は音楽は1998年につけられた。その際、作曲者はこの映画が発表された1929年にどういう音楽が評判になっていたかを調べてラヴェルの「ボレロ」を知り、それにきわめて似た音楽を挿入することで、当時の雰囲気をなおのこと強調しようとしたのだろう。それは都会のキャバレーのような場所が映った場面でも言える。その1分そこそこのカットには、チャールストンが使われた。それも1920年代の音楽だ。このように、この映画は音楽がとてもよい。そうなると公開当時はどういう音楽であったかが気になる。おそらくピアノ伴奏だろう。その楽譜を元にオーケストレーションしたのかもしれない。
話を戻して、ハンスは山小屋に入って来た男がクラフトであることに気づき、クラフトを交えて山小屋で食事をする。就寝時間になった時、窓際は寒いので、真中に寝るようにクラフトはハンスに提言する。男ふたりに挟まれた形でアンナは寝るが、そのことを拒まず、すぐに寝入る。その姿にクラフトは妻の面影を見たのか、アンナの方を向いて眠らない。そして腕をアンナの頭に伸ばすと、アンナはその手の中に頭を置く。その姿を翌朝ハンスは目撃する。この男ふたりに女ひとりの図式は『聖山』にも使われた。井上靖の小説にもあったと思うが、それはファンクの映画を参考にしたものだろう。それほどにファンクの山岳映画は世界に影響を及ぼした。そうそう、インスブルックはチロルにある。北数十キロがミュンヘンで、オーストリアやミュンヘンと言えばヒトラーを思い出すが、この映画のクリスチアンはヒトラーに少し似ていて、ちょび髭は全く同じだ。この映画の公開当時、まだナチスは政権を得ていなかった。この映画でレニを見たヒトラーが数年後にはドイツで一番有名な人物になり、やがてレニとも会い、また自分たちの政党を宣伝する映画を撮らせることになる。さて、一夜明けてクラフトは山小屋のノートに山行きを記す。その時、寝入っているふたりを見つめながらやや迷いの表情を見せ、そして意を決してalleinと力強く書く。つまり、ひとりで登ることを自分に言い聞かせる。ところが目覚めたハンスは同行を乞い、クラフトはそれに同意する。するとアンナも目覚め、自分も一緒に行きたいとクラフトに懇願する。クラフトは拒絶するが、執拗に食い下がるアンナの前で考えを翻す。こうして3人でピッツ・パリューに登ることになった。それはちょうど3年前と同じだ。観客はまた同じ悲劇が繰り返されるのかとハラハラさせられる。以上までが映画の4分の1ほどだ。残りは登山、そして遭難、救出と物語が続く。遭難と救出の場面は、前述したように下手すれば撮影隊も遭難するではないかというほどに氷の崖の這い登ったり、また深いクレヴァスを下りたりする。それらがCGではないという事実だけでも圧倒的なものがある。レニは5メートルの高さに宙吊りされた状態のまま、頭上でファンクがダイナマイトを爆発させて生じさせた雪崩れに飲まれ、顔を含め全身あざだらけになって、発狂寸前の精神状態まで行ったそうだが、監督を殺してやりたいほど憎んだレニは、この映画の大ヒットによって名声を不動のものにし、その後自分が監督した映画を撮るなどした後、ナチスに見出される。それがレニの才能にとってよかったことは確かであろうが、ナチスと組んだという汚名は生涯ついて回った。
脇役だが、ハンスとアンナの友人として複葉機のパイロットであるウデートが前半と後半に登場し、重要な役を演じる。その姿はどことなくサン・テグジュペリを思い出させるところがある。3人が遭難したことを新聞記事で知り、キャバレーで休んでいたウデートは救出に駆けつける。遭難して4日目の朝だ。前日の夜には寒さからハンスは発狂し、クラウスとアンナは彼をザイルで縛りつけるが、その騒動の中、クラウスは足を骨折する。クラウスの態度、すなわち他者を助けることはこの映画の一番重要な主題になっている。命をかけて他者の命を守る。また、村人たちが遭難者を二次遭難を恐れずに救出に向かい、そうした力のない者はひたすら祈るという人間愛が、この映画を美しいものにしている。それはたとえばヘルツォークのような戦後のドイツ映画には見られない。また、この命を賭してという部分は、ふたつの大きな戦争のはざまの気分を伝えているだろう。その中からナチスが国民に熱狂的に迎えられることにもなる。さて、ウデートの飛行機が雪山のピッツ・パリューの間近を飛びながら3人の姿を探す場面もまた撮影の妙味をよく伝える。ようやくのことウデートは3人の居場所を知り、食料などを落下傘で何度も落とすが、どれも間近には落ちない。そしてまた吹雪の夜がやって来る。3人は空腹と極寒の中で震え上がりながら、結局遭難場所に辿り着いたのはクリスチアンであった。遭難した3人の中でクラフトのみが冷静で、しかもハンスとアンナを守りながら、灯りで下界に信号を送り続ける。主役はレニとなっているが、実際はクラフトだ。クラフトはふたりを助けるために凍え死ぬが、妻が亡くなったのと同じ山で眠ることは、幽霊のように山をさまよった苦しい3年に終止符が打たれたことであって、死は本望であったろう。クリスチアンからクラフトの遺書を読み聞かせてもらったアンナは、クラフトの妻が氷の中で凍結している姿を想像したのと同じように、クラフトが氷の中で眠っている姿をまじまじと思いの中で見つめる。映画の最後はくどくなく、クラフトの凝固した姿とアンナのまんじりともしない正面顔を交互に映す。クラフトはアンナが無事に助けられることを思って姿を隠したが、そこには当然、亡き妻をレニのアンナに重ねたところがある。ハンスが重みのない人物として描かれているのに対し、クラフトは落ち着いて頭脳明晰な男であった、アンナがクラフトにほのかに魅せられたのは確実で、その淡い恋心が、雪山の白さと共鳴し合って、この映画をロマンティックなものに仕立て上げている。だが、主役は男女の恋ではなく、非情な雪山だ。その硬質性が実によい。
レニはこの映画の当時26,7歳で、一番美しい頃だ。レニことマリアが氷の中で死んで眠っている静止映像が一瞬映った。特殊撮影と言うか、加工映像なのだが、とてもリアルでまた美しかった。レニはこの映画の後、『青い光』という映画を撮る。それはノヴァリスの『青い花』を連想させる。『死の銀嶺』という邦題はあまりよくないが、原題を直訳すると「ピッツ・パリューの白い恐怖」で、死を連想させないでもない。だが、「死」を含むと、誰かが死ぬという筋立てがわかってしまう。これはよくない。「ピッツ・パリューの白い恐怖」の方が、まだロマンティックさもある。この映画がドイツ・ロマンの伝統を受け継いでいることは、映画の半分ほどを占める氷と雪の映像がロンン主義の代表的画家のフリードリヒの絵画を思わせるものであることからも誰の目にも明らかだが、ドイツが他のヨーロッパ諸国にはないこうした映画を戦前に撮ったことは、映画の歴史の中では永遠に記憶されるだろう。そして、戦後無数の映画が莫大な費用を費やして撮られ来ているにもかかわらず、美しくも真に背筋が凍るようなリアリティのある作品は、こうして1920年代に完成していることを思わないわけにはいかない。戦前の無声映画を退屈と思っている人は試しに見るがよい。そうそう、山岳で思い出した。ナチスに頽廃芸術家とみなされたキルヒナーは晩年アルプスに隠棲し、その風景をたくさん描いて死んだ。キルヒナーはこの映画を見て、ドイツ・ロマンの系譜に連なりたいと思ったのではないだろうか。