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●『アンリ・ル・シダネル展-薔薇と静寂な風景-』
薔と間違って書くことがある。けちんぼの「吝嗇(りんしょく)」の「嗇」は薔薇の「薔」に字面が通じているが、「吝」の後に「嗇」であるために、「薇」の後に「薔」を書いてしまう。



●『アンリ・ル・シダネル展-薔薇と静寂な風景-』_d0053294_1145070.jpgまた「薇」は「微(び)」に通じていて、「薇薔」を「ばら」と読むのが正しいように思ってしまう。だが、「薔薇」は「しょうび」と音読みし、それを覚えておくと「薇薔」と書かずに済む。「薇薔」では「びしょう」で、これは微笑に通じて薔薇の花にはふさわしいが、「ばら」の反対の「らば」でどこか間が抜けている。それはさておいて、アンリ・シダネルの名は印象派が好きな人ならたいてい知っている。にもかかわらず、今まで日本では展覧会が開催されたことがなかった。そのため、この展覧会のチラシを見た時は久しぶりに珍しい画家のまとまった作品が見られると喜んだ。そして二度見た。最初は確か3月10日で家内と見た。その頃すぐにこのブログに感想を書こうとしたが、図録を買わずメモも取らなかったので後回しにした。そうこうしている間に書きそびれ、最終日の1日前の3月31日にひとりで見に行った。近年は同じ展覧会を二度見ることは珍しい。つい先日、もうひとつそのような展覧会があった。それは後日取り上げる。シダネル展を二度見てよかった。会場の外の通路にソファがあり、そこでフランスが制作したシダネルの生涯を伝える20分ほどのドキュネンタリー映像が流されていることに気づいたからだ。家内と訪れた時にはその存在がわからなかった。その映像作品はなかなかよく出来ていた。シダネルの姿などは動く映像は白黒だが、絵画の静止画像はカラーで、双方がうまくモンタージュされていた。絵画は本展に出品されていない作品がたくさん映ったのがよかった。二度目はメモを取ることとこの映像を見たことが収穫で、絵の印象は最初に見た時とは変化がなかった。二度見たからにはさぞかし書くべき内容もいつも以上にあるはずだが、感想を書くのはなぜか億劫だ。それで1か月以上も放置しておいたところがある。そうそう思い出した。出口から二番目に展示された比較的大きな作として、夜のヴェルサイユ宮殿の噴水を描いた横長の油彩画「月夜」があった。1929年の作で、亡くなる10年前だ。画面の上部4分の3は明るい夜空で、やや左寄りに満月が描かれている。下の4分の1が楕円形の噴水で、中央から垂直に水が少し上がっている。それだけの画題で、この禅画のような省略ぶりはシダネルには珍しい。だが、いかにも作家の晩年を象徴するような仕上がりで、才能を中だるみさせることなく、純化に向かって突き進んだことがわかる。その絵がとてもよかったので、シダネル展の感想は4月のムーンゴッタの前日か翌日思ったのが、結局5月のムーンゴッタは6日であったから、今日はそれから4日も経ってしまった。それほどにシダネルについて書く気があまり起こらない。
 その理由は、メモをたくさん取りはしたが、作品を堪能したことで何を言う気にならないというのが当たっている。資料的なことをここに羅列してもあまり意味がない。そういうものは図録には詳しく書かれているし、他の人がブログに書くだろう。図録にも他人のブログにもないことを中心に書かねば意味がない。それを今からあれこれ思い出して書くとしよう。まず、シダネルの作品はモネやピサロ、シスレーといったフランスの印象派に混じってたまに1,2点展示されることがほとんどで、日本での知名度は今ひとつだ。ヨーロッパでも似たようなものではないだろうか。モネのように、最晩年は抽象画に近い画面に到達したといった活力や豪放さには欠け、物静かな、そして家庭的にこじんまりとまとまっている雰囲気があって、モネを一流とすれば二流と言わざるを得ないだろう。だが、そんな世間的評価に関係なしに好きであればよいから、シダネルをモネより好む人があっても何ら不思議はない。そして、筆者はまとまった作品を見て、シダネルが描きたかったものがわかった。そして、そういう見方で改めて接すると、どの作品も実に忘れがたい名品と言うべきで、熱烈なファンを持つ画家であろうと思えるようになった。「瞑想と悟り」の画家と表現すると、どこかしっくり来ない部分もあるが、モネに比べればはるかにそうだ。モネを例に挙げるのは、モネがしばしば行なったように、同じ場所を時刻を変えて描いている作があったためだ。その二作は隣り合わせに展示され、それをまた見たいために二度訪れたところがある。それはシダネルが愛して暮らしたジェルブロワという村(小さな町と言うべきか)の前庭から自邸を描いたものだ。厳密に言えば季節や制作年度も違うが、1点は黄昏でまだ部屋の明かりが点っていない時刻、もう1点は灯っていて、しかも薔薇の花が垣根に絡まっている。シダネルは部屋明かりを好み、それを暖色で小さく描いた。また食卓をよく描き、それを庭に置いたり、人を一切省いて自然の中のピクニックの食事光景を描きもしたが、家庭的な明るさを、部屋からこぼれる明かりで暗示させた。シダネルの人気の秘密はそうした親密な家庭の匂いだ。それはヴィヤールやボナールなど、アンティミストと呼ばれる画家の特徴でもある。そして、ヴィヤールやボナールと違って、最初はよく人物を描いたにもかかわらず、徐々にそれを省き、ついには全く描かなくなった。となると、モネのような風景専門になったかと言えばそうでもない。先に書いたように、近景に食卓を置き、人の気配を漂わせることを忘れなかった。そのため、シダネルの作品は人懐かしいような思いにさせる。黄昏のほんの一瞬の微妙な光を描いたのも印象派に連なりながら、それとは違う繊細さがあり、また神秘性への関心もうかがえる。それはシダネルがモネより20歳ほど年下で、印象派より新しい世代に属しているためと言えるが、その時代の新しさを基準にすると、シダネルの絵画は旧世代のものに見える。たとえばその比較をわかりやすく言えば、シダネルはムンクより1歳年長に過ぎず、同世代だ。ムンクのパリに行った若い頃の作品にはシダネルを思わせるような点描風が混じるが、ムンクはドイツ表現派に大きな影響を与える「叫び」を20代の終わり頃に描いた。それに対してシダネルの同時期の作は、当時ヨーロッパで流行していた象徴主義の画風で、個性を獲得していたとは言い難いところがある。その差は、日本では誰でも知るムンクと、ほとんど名を聞いたことがないシダネルという差に表われている。結論を言えば、シダネルはムンクのように時代を大きく牽引する役割を担わず、いかにも趣味のよい、金持ちの居間に飾られる落ち着いた美しい絵を描くことに終始した。それはそれで画家の役割でもあって、ムンクの絵は飾りたくないが、シダネルならいいという人もきっと多いだろう。
 先ほどシダネルの絵をこじんまりとまとまっていると書いた。それは誤解を与えかねない。絵の世界が小さいと言いたいのではない。「月夜」という夜景の作を禅的と書いたように、シダネルの絵には絵はがきのようにきれいといったものとは全然違う何かが宿っている。それを象徴主義の流行の中でつかみ取ったのであろう。気配としか言いようのない、かすかな、目に見えないが感じ取れるものを描きたかったのであって、そのことは漠然と絵を見つめていてもわからない。何かの拍子に電気が走ったように意図がすっとこちらの内部にダウンロードされる。一旦その味わいと感動を覚えると、もう魅力の虜になっている。それがあったために筆者は二度見たいと思った。そのかすかなものは、筆者が真夏の夕暮れのごくごくわずかな時間帯に感じるものと似ている。誰しもそういう思いに浸る時はある。それが真実味と言えるものだ。人は友人と親しく語らっている時ばかりではなく、ひとりになってふと思いに耽る、あるいは啓示に似た瞬間を覚えることがある。そういう思いをシダネルは見つめ続け、それを絵に定着させようとした。そのことは簡単なようでいてそうではない。同じような絵を描き続けてしまえば、いつの間には最初の霊感は跡形もなく消えてしまい、形骸だけの絵を作り上げてしまう。先に述べた庭先から自邸を描いた二作は、同じ構図であるから、その下絵を使えば朝でも真昼間の時間帯でも表現することが出来た。だが、シダネルがこだわったのは、移ろいやすいごくわずかな時刻で、夕暮れが選ばれた。つまり、「型」の考えはあるものの、「型」を極力避けた。「型」を言えばまだモネの方がそうだ。シダネルの絵にも強固な造形性はもちろんあるが、それよりもまず鑑賞者は、誰もが抱く内面のかすかな、それでいて強くもある、思い出とでもいったものを想起する。シダネルもそれさえ伝達出来れば絵は消え去ってもかまわないと思っているところがある。シダネルが実際そのように思っていたかどうかはわからないが、何事も移ろい、永遠に変わらないのは人の内面の感情だけと思っていた意志が感じられる。そこが先に「禅」や「瞑想」という言葉を使った理由だ。象徴主義で言えば、シダネルはベルギーのクノップフの影響を受けたところがある。だが、死の静けさには関心はなく、必ず一家団欒を思わせるオレンジ色の窓明かりを描いた。それはシダネルが幸福な生涯を送ったことと関係があるだろう。
 シダネルは旅好きで、特にフランス北部を転々とした。父は遠洋航路船の船長で、母はブルターニュ地方に起源を持つ船乗りの家系であった。この血筋が旅好きを説明する。10歳の時に一家はフランス北端、オランダとの国境に近いダンケルクに移住した。そして、父に才能を見出されて公立高校のデッサン・コースに進んだ。パリに出てアレクサンドル・カヴァネルの私塾に学ぶのは18歳、2年後に国立美術学校に入り、印象派の画家と知り合うが、カヴァネルの下で学ぶことを22歳まで続ける。この時期までの作は自ら破棄してほとんど残っていない。1885年、23歳で美術学校を去ってピカルディの寒村エタプルに住み、ミレー風の作を描く。今回は27歳で描いたそうした作「帰り来る羊の群れ」も並んだが、まだ模索期だ。エタプルの風景を描き続け、31歳でサロンに初出品、受賞して奨学金を得る。それで各地に取材、ベルギー、オランダ、イタリアに行く。イタリアではフラ・アンジェリコやジョットの作に惹かれ、その影響を受けた。今回最初に展示されたのは、1888年、26歳の作で、かなり大きな「孤児たちの散策」だ。これはシダネルにとって例外的な作で、それだけに印象深かった。黒っぽい制服姿の孤児たちが海辺の殺風景な場所で思い思いにそれぞれ別の方向を見て視線を合わさず、全体に孤独感が支配していた。これは人物を描くのが苦手であったことを示すのだろうか。孤児の群像を画題にしての大作は、造形的な面白さとは全く異なる思いがあったためではないか。シダネルの研究家はそうした内面にまで踏み込んで説明するだろうが、百貨店の会場ではシダネルの詳しい私生活や思いまでは紹介されない。それはともかく、32歳でアトリエをパリに移し、36歳で両親の反対を押し切ってカミーユとブリュージュへ逃避行、そこでクヌップフらの象徴主義を知る。そして、これもその影響と言ってよいが、人物を描かなくなって行く。カミーユは目がぱっちりとした美人で、両親が反対した理由は説明がなかったが、駆け落ちするほどにシダネルは情熱家であり、また常に絵のことを忘れなかったことがわかる。1900年、38歳でロダンの助言によってブリュージュからオワーズ県ポージュに移住、同県の町々に魅せられる。そして翌年ジェルブロワを見出して家族とともに移る。ジェルブロワはノルマンジーがイギリスに支配されていた中世、ボーヴェ地方の要塞としてその最前線にあり、英仏は500年の間その覇権を争った。休戦なったのは1592年で、ジャンヌ・ダルクの死から160年ほど経った頃だ。ジェルブロワに住んだシダネルは薔薇の花をたくさん植え、それが評判になってパリから友人たちが訪れた。その模様は会場外の映像で多くの場面が紹介されていた。1909年に「ジェルブロワ友の会」が出来てシダネルは名誉会長に、4年後は全国組織の「薔薇の会」の会員にもなった。ジェルブロワは現在フランスの最も美しい村のひとつに認定されている。その功績はシダネルにある。シダネルの名声はこの地に住み始めた頃からアンティミストの画家として高まり、初めて国家から買い上げもされた。「夕暮れ」「月夜」「窓」「テーブル」「食卓」「窓」といったシリーズを発表し、それらはみな様式化が見られるが、画題は相互に入り混じり、「型」にはまった量産画は感じさせない。この頃、おそらく1920年代、自邸の玄関扉の前で撮影されたシダネルのスーツ姿の写真がある。ダブルのスーツ姿で、その恰幅のよさとお洒落なダンディぶりはいかにも金回りのよさを伝える。絵がよく売れ、名声も得た絶頂期であった。この後、シダネルの画風は簡素化に向かう。各地を放したのは第1次世界大戦までで、また冬のジェルブロワは積雪が多いので、ヴェルサイユで暮らした。宮殿には関心を持たず、庭ばかりを描いた。先に紹介した満月と噴水を描いた「月夜」はその頃のものだ。また、その頃の作に「薔薇の花に覆われた家」がある。これはジェルブロワの自邸ととてもよく似ている。薔薇でジェルブロワを有名にしたシダネルは、薔薇の華やかさで記憶され続けるだろう。
by uuuzen | 2012-05-10 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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