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●『ニューヨーク・バーク・コレクション展』
若冲の「月下白梅図」の著色画がやって来るというので、初めて岐阜県立美術館にまで行くことに決めた。いつ行こうかと思っている間に、ふと気がつけば会期の最終日が3日後に迫っていて、すぐに高速バスの券を予約し、日帰りで行って来た。



●『ニューヨーク・バーク・コレクション展』_d0053294_22204492.jpg岐阜には初めて訪れる。駅前のビルに中学生時代の友人で今はプロのシャンソン歌手になっているのがいて、時間があれば連絡して会うのもよかったが、あいにく始発のバスで行って最終のバスが帰って来ることにしても、岐阜での滞在時間は6時間を切る。その間に美術館を観て食事をし、中央郵便局に行って、金華山に登りと、いろいろと予定を立てるとそれだけで時間が足りない。結果的に大体予定したところは観終えたが、炎天下を5、6キロも歩いたりで、汗をびっしょりとかいて、上に着ているシャツは汗でずっと濡れたままであった。この10数年、それほどの汗をかいたことはない。天候は不純で、晴天かと思えばすぐに黒い雲が湧き出て、雷雨が来そうな気配もあった。傘を持っていないので、雨なら予定を切り上げてバス・ターミナルで時間を潰す羽目になったが、そうならずによかった。名神の京都深草バス停から岐阜までちょうど2時間、予定どおり午前11時半頃に県庁前に着いた。ところが、慌てていたためにネットで調べて印刷した地図を持参するのを忘れて、県庁から美術館までの詳細な道がわからない。当てずっぽうで北東に20分ほど歩き、どうにか辿り着いた。市内中心部からやや外れたところにあって、市バスも本数がごく限られ、交通の便は全くよくない。地下鉄でも走っていれば、美術館前といった駅があるはずだが、大都会ではないので市バスに頼るしかない。タクシーもあるが、それならテクシーの方が街の雰囲気がわかって楽しい。みんなどのようにして来ているのか、館内は比較的人が多かった。1時間ほどで観終えた後、JR岐阜駅に出ようとしたが、バスがなかなかやって来ないようなので歩いた。結局、1日でも最も暑い時間帯を、県庁からJR岐阜駅まで数キロを歩いたが、買ったばかりの重い図録や荷物のために、思った以上に辛い道のりであった。これ以上は別の話になるので、早速展覧会の印象を。
 この展覧会のチケットを入手して間もなくのことだが、てっきり関西には巡回しないと思っていたのに来春MIHO MUSEUMにもやって来ることがわかった。それならば岐阜まで交通費を使ってわざわざ行くこともなかったが、少しでも早く観ておくに越したことはないし、こういった機会がなければ岐阜の街はまず訪れることがないので、観光がてらに行くことにした。図録は丸背糸綴じの立派な造本で、目当てである若冲の「月下白梅図」が全面に印刷されている。2300円と安いこともあって買った。若冲のこの作品はチラシやチケットにも目立つようにデザインされているが、若冲ブームを狙ったデザインとも言える。だが、今回のバーク・コレクションはこの若冲の作品だけが目玉でないことはよくわかった。会場に入ってすぐ、説明パネルを読むと、20年前に日本の5つの会場でバーク・コレクション展が開催されたという。これは全く知らなかった。京阪神の美術館には巡回しなかったのではないだろうか。古本屋で図録を見たことがないからだ。今回の展覧会はその後に収集された作品を加えての決定版と言ってよいもので、岐阜県立美術館がかなり積極的に動いたようだ。岐阜県美はルドンの作品所蔵で有名だが、静岡県美と比べてもかなり面積は小さく、決して大きな美術館とは言えない。それに常設展示がなかったのは意外であった。大抵の地方の美術館は企画展以外に常設展示のコーナーがあるものだが、県展のようなコンクール展が開催されていた。あるいは2階があって、そこで常設展があったのかもしれな。観終わった時、昼食によい時間であったので館内のレストランを覗いたが、とても安いメニューはいいのだが、店内が小さく、何人もの人が待っていて、当分順番が来そうにもないので諦めた。田舎の美術館の印象は免れないが、こうした施設に足を運んでいる人を眺めるのはいいもので、田舎ではあっても美術館は重要だと改めて思った。美術ファンであっても、そういつも東京や京都まで足を運ぶことは出来ない。地方でも名品に接する機会があるのは必要だ。
 この展覧会がMIHO MUSEUMに巡回する様子を館内で想像してみたが、きっと作品も映えることだろう。それでも来春MIHO MUSEUMには行くことはないだろう。今回の展覧で充分と思えた。ところで、買ったばかりの図録を見てわかったが、MIHO MUSEUMの館長は、若冲の解説でも有名な辻惟雄だ。これは以前どこかで読んで知ったはずだが、同館に実際行った後の今では実感が湧いているので、少々驚かされた。どの世界でも有名人となると、老年になってからの天下り先には困らないようで、別に文句があるわけでもないが、美術評論の世界もそれなりに大変なことがあるのだろうなと思った次第。またこの展覧会が同館に巡回するのは、バーク・コレクションの創設者メアリー・バーク夫人が同館の創立者である小山美秀子(みほこ、1910-2003)を1985年に訪問して面会している経緯もあって、少なからず同館と縁があってのことのようだ。会場では赤い帽子を被ったメアリー氏の写真があったが、なかなか洒落た感じのおばあさんで、今何歳なのだろう。図録によると、1954年に建築家グロピウスのすすめによって初めて日本を訪れ、「私は日本に恋をしてしまい…」といった感想を抱くことになるが、帰国後間もなくジャクソン氏と結婚したというから、1920代半ばの生まれであろうか。もう少し彼女の文章から引用する。「1954年の日本の田舎は、まだはっとするほど美しいところでした。模様を描く田んぼときちんと整えられた茶畑が、平野の集落を囲み、小高い丘を覆い、ごつごつした山の上まで達していました。古めかしく黒ずんでいて美しい形をした農家の家々は、青々とした畑から生え出てきたかのように見え、その畑で働く濃紺の衣服に幅広の麦わら帽子をかぶった人たちからは、帰属意識と調和が感じられました。美術はこうした人々の日常生活に大きな役割を演じていました。この国では工芸品と美術品との違いに、西洋ほどはっきりとした区別はなかったのです」。1954年は筆者が3歳の頃だが、メアリー氏のこの言葉はよく実感出来る。当時でそうであったのだから、昭和も一桁当時ならばもっと美しかったに違いない。戦後はがらりと日本が変わって行くが、まだ急激に変わる前の1954年に、メアリー氏がたとえば京都に来て桂離宮を観たのはよかったと思う。今も桂離宮そのものは変わりはないが、その周辺は著しく変貌してしまった。筆者が桂離宮の内部を拝観したのは30年少し前のことだが、当時と今では周囲の道路も建物も増え、すっかり近代的になって、美しいと呼べる情緒は皆無になった。まだ美しかった頃の普通の日本の風景が若い頃のメアリー氏の脳裏に刻まれたことが幸いであった。氏は夫が1975年に亡くなってからも日本美術の収集を積極的に続け、特に日本で展覧会が行なわれた1985年以降からはさらに拍車がかかったという。現在1000点ほどを保有するそうだが、中には白州正子が所蔵していた陶磁器もあって、どういうルートで作品を収集しているのか興味が湧く。
 今回の展覧会の副題は「日本の美 三千年の輝き」で、これはメアリー氏の日本美術のコレクションの幅広さを端的に表現している。コレクションは人柄をそのまま示すもので、わずかでも雰囲気を壊すものが混じっていると全体の雰囲気がぶち壊され、色褪せて見えてしまう。1000点全部の内容を知れば、おやっと思わせる異質なものもあるのかもしれないが、今回の展覧会では日本側が作品を指定したのであろう、120点弱の出品は、各時代から偏りなく粒揃いが選ばれたと言ってよい。会場に入って最初の部屋に、縄文土器や埴輪が並んでいるのにまず感心させられたが、平安時代の男神・女神の坐像は一体どの神社のものであったのだろうと、思わず出所を考えてしまうもので、こういった古い時代の作品までに視野を広げて集めていることに、メアリー氏の眼力の高さを思う。いくら大金持ちの家柄に生まれたとはいえ、優品が売られている場面に出会うことは大変で、収集はお金の問題と言うよりむしろ作品との出会いの運が左右する。伝快慶作の不動明王坐像は保存もよく、迫力満点の顔の表情も相まって、日本にあれば重文間違いなしと思える作品で、しばしたたずんで眺めたが、かつては寺院に置かれていたものであるはずで、それがどこをどう回ってアメリカにわたったのか、昔の骨董商の暗躍を想像してしまう。もう今では絶対にこのような作品は市場に出ないはずで、海外の美術コレクターは入手出来ない日本美術に無駄な目を向けず、今はもっと別なところに関心が移っているのだろう。アメリカには日本美術の名だたる収集家が何人もいて、それなりに日本では展覧会が開催されているが、このバーク・コレクションは古代から近世までまんべんなく収集しているようで、その点では珍しいのではないだろうか。大抵はごく一定のジャンルに焦点を定めるかして、それはそれで人柄を忍ばせるが、メアリー氏の場合は本当に日本の美術を幅広く愛好しているのがわかって好ましい印象を与える。
 今回の展覧会では屏風作品が多かったが、その中でも「大麦図屏風」はあまりよい出来とは言えないが、珍しい画題で、どこかベン・シャーンの絵を連想させる近代性がある。こういった無名の画家の屏風でも、メアリー氏がよいと思えば収集に対象になっているようだが、よいことだと思う。こんな展覧会の機会がなければ、なかなかこういった珍しい屏風には出会えないからだ。英一蝶の「雨宿り風俗図屏風」も印象に残った。この画題は一蝶はよく手がけて、もっと出来のよい、色も明るい作品があるが、一蝶の6曲屏風というだけで、なかなか珍しく、よくぞ入手したと思う。メアリー氏のコレクションは江戸時代までだそうだが、宗達の金泥下絵に光悦が書をしたためた作品は、断簡ながら、はっとさせられる。こういった日本独特の美にまで目を配っている点にメアリー氏の目の高さを思う。宗達、光悦と来れば次は光琳を期待するが、ちゃんと展示されていた。「布袋図」は墨の真っ黒がアクセントとしてよく効果が出ていて、若冲が光琳を学んでいることがよくわかる作品で面白い。光琳と来れば弟の乾山だが、陶磁器は比較的あれこれと来ていたが、乾山の作品はなかった。次に琳派の作品が並んでいたが、酒井抱一の桜を描いた6曲1双の金地屏風は図録では全く微妙な色が再現出来ていないのが残念だ。元々6曲1双の屏風を小さい図録で細部をあますところなく示すことが無理で、そう思えば今回の図録もかなり色褪せたものと思えて来る。抱一の描く桜はさほど特徴的でもないが、画題としては珍しく、これぞ桜といったはかなさがよく出たその色合いは、実作品に接するしか感得出来ないものだ。そのほか例を上げればきりがないが、酒井鶯蒲という、名前を聞いたことのない絵師の「六玉川絵巻」は高さが9センチというミニアチュールのような大変珍しい絵巻物で、トルコ石のような鮮やかな青い色彩が印象的だ。メアリー氏がこれを気に入ったことはよくわかる気がする。
 若冲は最後のコーナーの最初に2点掲げてあった。「月下白梅図」は思ったより黒々していた。印刷では地の金茶色が誇張されたように見えるが、現物は梅の枝の墨色がより目立つ。夜の光景であるから、黒い印象を与えるのが正しいわけで、これはいつか本当に白梅を月下で観る必要を感じた。もう1点は水墨の鶴図だ。これは画集でも知っている作品であるのであまりありがたみはなかった。もっと知らない若冲作品が来ていればよいと思っていたが、メアリー氏の所有する若冲作品はこれら2点のようだ。蕭白も2点来ていて、1点は若い頃の6曲1双屏風の水墨による人物像、もう1点はあまりに有名な「石橋図」だ。これは解説を読んで驚いたが、死ぬ2年前の作品とはとても思えない。これら2点は今春京都国立博物館で開催された蕭白展には出品されなかったので、今回はちょうどよい機会だった。最後は文人画のコーナーで、これが個人的には最も面白かった。宋紫石の作品に出会えるとは期待していなかったが、この展覧会が玄人にも喜ばれるように作品が選定されていることがわかる。同じことは彭城(さかき)百川の絵にも言える。こういった珍しい絵師の作品をもっと観られる機会がほしいものだ。さて、池大雅の作品は当然の展示として、妻の玉瀾の「牡丹に竹図」は生々しい野放図とも言える筆致に思わず見入ってしまった。さきほど屏風が多い展覧会と書いたが、池大雅、蕪村、それに呉春や応挙、浦上春琴の6曲1双の屏風がずらりと並ぶさまは圧巻と言ってよい。図録では辻惟雄が全く触れていないが、呉春の「山樵漁夫図屏風」はまるでコローの絵のような靄の雰囲気がよく描けていて、呉春ファンの筆者としてはいつまでも見入っていたかった。呉春のこの画題の作品は比較的たくさん伝わっているので珍しくはないが、6曲1双屏風という究極の大きな形によるものはなかなか観る機会もないだけに、今回は予期せぬプレゼントであった。作品はどれも保存状態がよく、表具も真新しく見えたが、今回の巡回展のために表装をやり替えたものもあるだろう。図録によればメアリーはふたりの保存修復専門家の名前を上げてねぎらっているが、実際の表具師ではなく、表具を指示する人物のようだ。日本美術は脆弱であるので、掛軸や屏風はどうしても定期的に表具をし直す必要がある。去年だったか、京都市立美術館で開催されたフィレンツエ展では、作品を日本に持って来ることの引換えとして日本側がある作品の修復費用を出したとあった。それと似たようなことは今回あったのではないだろうか。あちこち巡回する間に、ていねいに扱うとはいえ、それなりに劣化の危険性もあるから、日本側がある程度は表具を新たにするという条件を提示してもよい。日本美術は保存のうえからも本当は日本にあるのが望まれるが、こうした帰国展で作品の補修などが万全に行なわれるのであれば、むしろ作品にとっては幸福であると言える。
by uuuzen | 2005-08-19 22:21 | ●展覧会SOON評SO ON
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