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●『高麗茶碗と土・炎の写真展』
しい季節になった。庭の草木がどんどん伸び、昨日から暇を見つけては手入れをしている。白の牡丹が今年は6つほど花を咲かせた。昨日が最高にきれいであった。



今日はほんの少し疲れが見えている。明後日あたりは雨のようで、それに打たれればもうおしまいだろう。見事に咲き誇るのはわずか一日だ。ゴールデン・ウィークはどこに旅するでもなく、家にくすぶることになるが、日本でも有数の観光地に住むので、近くを散歩するだけでもいいと思うことにしよう。さて、冒頭に「麗」の漢字を使ったのは、「高麗」に引っ掛けてのつもりだ。それは後述するとして、1か月ほど前、ネット・オークションで二匹の鹿が並んで歩く様子を描いた李朝民画を見つけて入札した。「麗」は二匹の鹿が並ぶ様子を意味する。鹿をよく描く日本において、二匹が対話しながら並んで歩く様子を描く名画があるだろうか。筆者の記憶にはないが、そのこともあって、その李朝民画がことのほか麗しく見えた。鹿の背後には背の高い松、そして旭日とたなびく雲、地面には霊芝が2,3本咲き出ている。実におめでたい絵で、そういう絵が似合う空間に住みたいと思った。入札価格は思ったより高くなり、買わなかったが、久しぶりに見る名品であった。図版をダウンロードしたので、同じ絵を、もっとうまく描くことが出来る。ところが、その上手さがかえって味を失う。素朴な味わいが李朝民画の力だ。それは知的さや技術的卓抜さでは模倣出来ない。それどころか、いやらしいものになってしまう。ここに芸術の大きな不思議がある。そういう素朴な、いわば「ヘタウマ」の作品を評価しない人もあるし、それはそれでいい。李朝民画にはよく出来たものとそうでないものとの落差があり過ぎて、いつどこで今までに見たことのない名品に出会うか予想が全く出来ない。これが筆者には面白いと同時に驚異をも感じさせる。無名の画工が描いたものだけに、どこにどういうものが埋もれているかわからない。それは「アール・ブリュット」と似ている。有名ないし、それに近い画家のものであれば、初めて見る作品でも、当人の特徴が出ているので、驚きといったものはない。そのような安心して見られることも大事だが、今までに見たことがない衝撃的な作品を常に求める者からすれば、どこか食い足りない。ネット・オークションに出た李朝民画で筆者が一番記憶に深いのは、これも落札しなかったが、3,4年前のものだ。画題は月並みで、ぱっと見ただけで李朝民画だとわかるが、画題とその構成がとても高度で、無名の画工としても、ほとんど天才の手になるものだ。ダウンロードした画像を持っているが、それを分析してその画家の個性を把握したいと思いながら、筆者に出来ることは、模倣して描くだけで、当人が持っていたはずの他の考えには想像が及ばない。こういう驚嘆すべき作品がどこにどれほど埋もれているかを思えば、有名としてもてはやされる画家の作品のつまらなさを感じないわけには行かないが、前にも書いたことがあるように、筆者は少々芸術家の作品といったものに食傷気味になっているのかもしれない。ロジェ・カイヨワは晩年にそのような境地に至った。
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 話が脱線するが、新潮社が70年代に出版した10数冊の「創造の小径」という叢書があって、それを出版当時筆者は数冊だけ買った。1冊4000円以上して、とても全部買う余裕がなかった。今は10冊ほど持っているが、全部揃えるのに後何年かかるだろう。ともかく、その叢書の1冊にロジェ・カイヨワの「石が書く」がある。今手元にあるそれを見ると、1977年6月12日に買っている。4400円だ。25歳当時月給をいくらもらっていたか忘れたが、130ページほどの薄さの本が4400円というのはかなり高価であった。珍しい、しかも美しい図版が豊富である割りには、カイヨワの知名度も低さもあってあまり売れなかったのか、古書でほとんど見かけないが、つい先日ネット・オークションに出た。それはさておき、人間が作る美と自然に内在する美との対比を考えさせる内容で、カイヨワは人間が苦心して作る美は自然に隠されていて、たまたま人間が見出す美に全部包含されると考えている。つまり、人間がやることは自然が古世代に全部実行済ということだ。そのような考えを一旦抱いてしまうと、作家が偉そうな顔をして「これは自分が全部作ったものだ。どんなもんだい!」と威張っていることが実にアホらしく見える。筆者はもうそうとうそういう境地になりつつあるが、かといって、まだ誰も作っていないような作品を生みたいと考えている。これはあがきかもしれないし、内面から常に涌き出る生への活力のなせるわざかもしれない。石を割ってみて初めて見ることの出来るその断面の絵の見事さは、割らなければ永遠に誰にも見えないが、かといって無限にある石を全部割って見ることなどとうてい出来ない。だが、カイヨワが例に挙げているのは、メノウや大理石など、断面が特有の模様を呈するものがほとんどで、それは驚きをもたらすとはいえ、おおよそどういう絵としての断面を持っているかはわかっている。筆者にとって李朝民画は、たまたま割ってみて、その断面に素晴らしい絵が見えていることに驚く石に似ているかもしれない。さて、以上はいつものごとく長い枕だ。今日書くのは今月14日、蹴上の国際交流会館で波動スピーカーの試聴会に出かけた際に見た個展だ。このカテゴリーには原則的には個展を取り上げないことにしているが、例外的に今日は書く。同会館の中に入る直前、前庭の片隅に立て看板があって、そこに個展案内のチラシが貼ってあった。その写真を撮っておいたので最初に載せる。この個展は波動スピーカーの音を堪能した後、2階の会場で見た。
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 劉吉三(ユ・ギルサム)という50歳(52かもしれない)の、韓国梁山市在住の陶芸家が作る高麗茶碗展で、作品は150点ほどであったと思う。見込みの浅い夏茶碗から筒茶碗まで形はさまざま、また釉薬もさまざまで、全部登り窯で焼いたものだ。ここ数年に焼いたものの中からよく出来たものを持って来たという。来場者はとても少なかった。そのために、係員のおばさんが話しかけて来た。通訳してもらって、民族服を着たユ氏とも話すことが出来た。茶碗ばかり焼くのかと聴くと、壷その他何でも焼くとのこと。ここ3,4年は毎年来日し、東京で個展をしていると言う。せっかく焼き物の地としての京都での個展であるのに、国際交流会館は目立たない場所にあって宣伝が行き届かない。もっとほかの場所で開催すればどうかと提案すると、つてがなく、どこでしてよいかわからないとの返事だ。京都は確かに多くの陶芸家がいるが、今では登り窯で焼く人はおらず、また日展や伝統工芸展といった大きな会に所属する作家は、小手先仕事ばかりうまくなって、見るべきものはほとんどないと筆者は思うが、それを言っては話が沈むので、口をつぐんだ。だが実際、ユ氏が清水坂界隈の大きな陶芸専門のギャラリーで個展をしても、まず完全に無視されるだろう。京都の作家はかように冷淡だ。それを思うので、なぜ京都で個展するのか不思議だが、逆に思えば、京都の陶芸家に作を問いたいのだろう。ところが実際に何人もの作家に見てもらえての話で、作家はもとより、陶芸店もやって来ないとなると、個展をした意味がない。国際交流会館を使うのは、会場費が安価であるからだが、それ以前に、ともかくどこで個展をすればいいかがわからないようであった。これは日本の知り合いや受け入れ側の知識不足だ。現在の不況の日本では、個展をしても、作品が売れることで経費くらいは元を取ることすら難しくなっているが、せっかく韓国から大量の作品を持って来ているのに、しかるべき人、つまり同じような陶芸家や茶碗がわかる人が注目しないでは、あまりではないか。ま、そんなことも口にしなかったが。
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 ユ氏は陶芸家には向く体格をしていた。がっちりとして、また貫禄があり、しかもどこか素朴でおおらかだ。京都の陶芸家には同じような人はいないのではないか。知的で手先が器用といった人は無数にいるが、そうした人の作品はどんぐりの背比べで、しかも脆い。ユ氏は絵つけをしないようだ。どれも釉薬をかけるだけで、器の形と色だけで勝負だ。絵つけをすればそれはそれで李朝時代の面白いものに似そうな気がするが、手をあまり広げないのがいいかもしれない。また、絵つけななくても釉薬のかかり具合で面白い景色が表面に出来る。それはロジェ・カイヨワが賛美する自然の美と同じだ。それを知ってか、ユ氏の作品の肌をクローズアップ写真に撮る写真家がいて、今回はその人の写真が壁面に並んだ。それはユ氏の指示で撮らせたものかもしれない。写真の一部は絵はがきになって受付で売られていた。20種類ほどあったろうか。だが、どれも売れていないようであった。絵としての面白さはあるが、やはり絵はがきはユ氏の作品の全体図をそのまま印刷するべきだろう。微細な細部を見せたいのであれば、器は必要がないではないか。ともかく、その微細な細部の釉薬の固定は、まさに「石が書く」の中に収録される図版と同じで、人知を超えた美の世界だ。ユ氏は、自分が作った茶碗ではあるが、半分は土と炎が出会い、万にひとつの偶然によって得られる僥倖と思っているのだろう。そこには計算どおりに行かない、運を天に任せる思いがある。すべて自分の意思によって作り上げる芸術というものに、筆者は限界を見るという立場を取らないが、それでもそうした作品は傲慢さが入り込んで、見るに耐えない醜悪さを必然的に内蔵することを思うことが多い。年齢を重ねて来て、人間の無垢の美しさより、醜悪さが目につくようになったと言えるかもしれない。だが、親類が集まっての食事会の時間が迫って来たこともあって、ユ氏とはそこまで踏み込んだ個人的な思いを話さなかった。また、韓国で高麗茶碗を今も焼いて需要がどれほどあるかということも興味があったが、それは日本の茶道とは違って、抹茶をどれほどたしなむのかをまず知らねばならない。韓国における茶が日本とどう違うのか、そんなことは今までほとんど考えもしなかったことだ。ユ氏が日本で個展を開くのに高麗茶碗にこだわったというか、決めたことの背景がわからない。それで、ほかには焼かないのかと質問した。すると、高さ10センチほどの青磁の小さな壷を示してくれた。それも朝鮮の伝統的な形で、その大きなものを見たいと思った。
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 日本で高麗茶碗と言えば、国宝になっている井戸茶碗があって、絶大な人気がある。それを知って、それにあやかるために高麗茶碗をたくさん持参したのかと思わないでもないが、韓国での高麗茶碗の評価についても知らないので、何をどこから質問してもいいか困る。井戸茶碗が武将や大名たちに愛好されたのは、茶をたしなむ時代であったことと、茶碗の持つ豪放さによる。それらは朝鮮では無名の陶工が焼いたもので、また貧しい庶民が用いた飯茶碗で、きわめて安価なものであった。そういう茶碗が現代の韓国でどのように陶芸史に位置づけされているのだろう。ユ氏の茶碗はまだ新しく、井戸茶碗のような使い込んだゆえの美はない。その意味でまだ半製品と言ってよい。これが何年も使用され、使い込みの味が具わった時が本当の美しさを醸すに違いない。同会館は展示のみで、販売は許されていないが、説明してくれたおばさんによると、会が終わった後、別の場所で売るとのこと、また1個数十万円するとのことだ。価格についてはユ氏には直接訊かなかった。作品によって違うだろうし、また訊くと買う気があると思われる。また、筆者は抹茶をたまにしか飲まないし、数個所有している。1個数十万の茶碗は全く珍しくないが、日本で無名の韓国人作家のものとなれば、さてそれで売れるだろうか。今なら200年ほど経た骨董でももっと安価で買える。ユ氏はは全くの独学で、30年ほど仕事を続け、今は数百坪の敷地を所有し、そこで焼いて販売もしている。弟子というか、手伝いをする人が2,3いるらしい。韓国では人間国宝級の陶芸家が何人もいて、事情は日本と大差ないだろう。田舎で巨大な登り窯で焼くことに徹し、焼き物の神秘と美を信じているその態度は、一度現地で見たいと思わせるに充分であった。通訳を介しての話は限界がある。韓国語をそこそこマスターするのに1,2年あれば十分だろうか。
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by uuuzen | 2012-04-29 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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