貨幣鋳造にどれほどの職員が必要なのだろう。今日は大阪の造幣局にある桜の通り抜けに家内と行って来た。去年は行かなかったが、確か一昨年は行った。
JR環状線の桜宮駅で下りて源八橋をわたった。橋の上から下流側の景色を撮り、近景に橋の欄干にある説明プレートを取り込んだ。その写真はブログに載せなかったと思う。MOに保存しているので、探せば出て来るが、面倒でもあるし、今日載せることもない。橋をわたるとすぐにOAPの巨大な建物が右岸に見える。そこで家内がトイレを借り、その後造幣局に向かい始めた途端、新しい鉄筋コンクリートの小さな建物があって、写真展を開催していた。今調べると「OAPアートコート」という名称だ。開催されていた写真展は年1回の公募展で、入場無料、グランプリを初め、受賞作が並んでいた。それなりに面白く、このブログの「展覧会SOON評SO ON」で取り上げようと思ったが、機会がなかった。こうして書いていると、2年前のことでも昨日のことのように鮮明に記憶が蘇る。それはさておき、天気がよかったせいか、OAPが面する大川沿いは人がとても多く、造幣局の桜の通り抜けを見て来た人がほとんどであったのだろう。造幣局の北門に着くと、そこから入場出来ないことを知った。だが、屋台の並ぶ狭い道を通って南門まで500メートルほど行き、そこからまた北進する気はなかった。そこで少しでも見られればいいと考え、誘導員の目を盗んで混雑する人に紛れて北から入った。入場無料の通り抜けであり、また門は大きく開いているので、忘れものでもしたふりをすれば簡単に入ることが出来る。ところが、どんどん人がやって来る。それをかき分けながら進むのはあまり気分がいいものではない。それで50メートルほど南下し、踵を返して北門に向かった。そのため、写真を撮らず、またまともには見ていない。そして今日だ。どっちがついでかわからないが、造幣局に行く前に大阪で展覧会をひとつ見た。通り抜けの桜を見た後は、南森町まで歩き、梅田まで行くか天神橋筋商店街を歩くか決めかねながら、結局いつものように好きな商店街を歩いた。そして、今日の一番の目的は人との面会で、午後6時半頃に宿泊先の大阪のホテルに着いた。最終電車に近い時間まで、3時間少々話した。そのことについては書かず、今夜も昨夜に続いて「今年の桜」をやろう。それもあって造幣局に行った。天気が悪いが、金曜だというのに、通り抜けをする人は少なかった。去年の大地震か、あるいは不景気が響いているのかもしれない。あるいは、夜桜として有名で、午後9時までやっているので、暗くなってからの方が人は多いかもしれない。
枕に書いた「どれほどの職員」に戻る。通り抜けの道に沿って左手に4,5階建てのマンションが2,3あって、その建物の部屋からは桜を真下に見ることが出来る。その意味で絶好の立地だが、それが民間のものかどうかわからない。さきほど調べると、どうやら造幣局の官舎のようだ。だが、全室では数百世帯になるだろう。そんなにたくさんの職員が必要だろうか。だが、毎日貨幣を生産しているであろうし、小学校の遠足で見に行ったことがあるが、ベルト・コンベアに乗ってザクザク出て来る硬貨を検品する役目の人が大勢いた。その半世紀前に比べると、今の日本経済は比較にならないほど大きなもので、貨幣の製造量もそれに比例しているし、そのための職員も増加もある。そして、そうした職員の家族の住まいをなるべく一か所にまとめるとなると、それなりの規模になる。その住まいのすぐ隣りの工場で仕事となると、通勤に時間がかからず、便利はいいが、行動範囲が狭く、どこか囚人めく気分ではないか。それはいいとして、昔はそのように背の高い建物が桜並木のすぐ背後に建っていなかったはずで、桜の通り抜けにはとても目ざわりなこの建物は、気分を削ぐ。だが、桜の通り抜けのために造幣局があるのではなく、これは当然おまけであって、もっと建物が必要となると、桜並木はすぐに潰されるだろう。この通り抜けは500メートルに少し足りない。確か100種以上の品種が植えれられていて、今年は「小手毬」であることを一昨日のニュースで知った。また、毎年このように特定の桜に焦点を当てていることもその時初めて気づいたが、100種でも100年要する。立看板によって「小手毬」は南門に近いところに1本、北門のそばに2本あることがわかった。これら3本とも写真に撮り、1枚だけを今日載せる。この通り抜けの桜は、関西のどこの桜も散った後に始まることからわかるように、八重のぽったりした品種が大半だ。開花すると、花房が重いので、細い枝はたわむ。地面に花房をこすりつけている木が目立った。それほどに花を咲かせることは力を振り絞っていると見える。紫陽花のようにざくりとした花房が、花びらを地面にこぼしている様子は、風が吹くたびに花びらが飛ばされる一重の品種とは違って暑苦しく、またはかない感じがあまりせず、この造幣局の桜は背割桜とは全然違う。だが、それはそれなりの楽しみ方がある。通り抜けの道に沿って、フェンスひとつを隔てて東側の河川敷では屋台がずらりと並び、にぎやかさと派手な色合いを呈している。その俗さに似合う桜であって、そこが大阪らしさでもある。それに、金を造る造幣局の桜であるから、もともと俗っぽさがまとわりついている。であるから、人の少ない通り抜けは、気に抜けたビールのような感じで、面白くない。押すな押すなの人出があり、その活力の中で見ることこそが楽しみだ。その意味で、今日の桜はじっくり鑑賞出来たのはいいが、印象はうすかった。
安藤忠雄が大阪市内の川沿いを市民の寄付によって桜並木で埋めようと唱え始めて数年経ったが、それは今も続いているのだろうか。また、その寄附でどこに新しい桜並木が出来たのか、橋下市長の話題にかき消されたところがある。造幣局の桜とは別に、桜がたくさん見られる場所を設けるのはいい。ただし、それには桜の専門家に相談し、どういう品種をどこに、どれほど植えるかをしっかりと計画すべきだ。一度植わってそこそこの大きさになった木を移植することは、今の技術では簡単なようだが、それでもそれには費用がかかり、また木にもよくない。長く桜を楽しみ、また色の対比がよいとなれば、多くの品種をうまく配置しなければならない。そういう手間をかけることで、よそにはない桜の名所が出来るだろう。どの川沿いに植えるかとなると、まずは人が多く集まり、観光するのによい施設が近くにあるような場所だろう。造幣局はその点ではあまりよい場所ではない。大阪の有名な大きな川沿いとなると、中之島や道頓堀となるが、繁華な場所は桜を植えるに適切な場所がなく、また土もない。地面はコンクリートで覆われているし、それをどうにか工夫して土を入れても、その下に地下街や地下鉄が走っているし、また国土交通省が河川保全上から許可を出さないのではないか。東京に比べて緑が少ない大阪であるから、桜並木をたくさん作るのはとてもいいことだが、河川沿いにという点が、いかにも東京に比べて公園などの広場が少ないことを示していて、安藤忠雄の発案にある桜並木は、いかにも大阪の合理主義にかなっている。造幣局の桜も全くそうで、何かに付随しての、いわば「ついで」の産物だ。その「ついで」主義は、筆者も充分持ち合せている。今日の大阪行きは、先に書いたように、一番が人と会うこと、二番が展覧会、三番が桜の通り抜けであった。そして今日のブログもその「ついで」のことがあったおかげで穴埋め出来る。