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●今年の桜、その13
長で今日も今年の桜について書く。掲載の写真はどれも昨日撮った。昨日は午後1時に清水寺で人と待ち合せをした。午前中に家を出て岡崎に行き、展覧会、古本屋、画廊を見て回り、そしてバスに乗るより歩いた方が早いと思って神宮道を南下した。



三条通りから南に入ると急な上り坂で、すぐに左手道路際に青蓮院の大きな楠の大木が見える。並んでいるのは2本だったと思うが3本かもしれない。樹齢は1000年近い。根が地面から隆起して四方に張り、よく画題にされる。道路上を枝がすっかり覆うので、その付近を歩く時は、ひんやりとした雰囲気を感じる。昨日思ったのは、やがてその楠も枯れてしまうことだ。そうなると、また現在のような鬱蒼した雰囲気にまで成長するのに数百年要し、それまでの間、その付近はかなり殺風景のままとなる。だが、その数百年も間にその樹木が空を覆わない状態があたりまえと人々から認識され、巨木の楠への待望はなくなるかもしれない。現在の京都市内は江戸時代に比べて、道幅が広くなり、樹木の数は激減したはずで、あちこちにあった林と呼べるものはすっかりなくなった。そのため、江戸時代のそうした場所を想像することは困難であり、なくなった林の後に林立する建物の林の一軒に入って夏の暑さをしのぎ、またかき氷で喉を潤す方が快適でよいと人々は思う。変化は仕方がない。変わって行くその時その時の状態を楽しみ、それが一番いいと思うのがよいのかもしれない。とはいえ、そういう一種の投げやりとも言える達観は、今あるものを大切にしないことにつながりかねない。青蓮院の楠の大木にしても、その寿命を延ばす工夫をし、それがなくなった時の付近の殺風景さをなるべき先送りする意識が必要だ。一旦なくなったものを復活するのは大変だとよく言われる。樹木なら育てればいいようなものだが、数百年となれば、何代にもわたって意思を継がねばならない。また、樹木ならまだしもで、伝統工芸は一度途絶えると、復活は出来ても技術的向上は難しい。何より、その仕事で職人が食べて行く必要があるし、それは作ったものが、労力に見合う価格で売買されなければならないが、携わる人が少なくなった工芸は、目利きの人の激減を招き、ほしがる人も少なくなる。この悪循環からやがて消え去る、また消えてしまった工芸はいつの時代でもある。画家の場合はどうだろう。ある画家が死ねば、その人の個性は永遠に失われる。だが、個性は人の数だけ存在するので、どれほど有名な画家がいなくなろうと、代わりに有名になる画家が必ず見出される。画家に限らず、あらゆる有名人の職業がそうだ。この代わりがいくらでも存在するとの思いは、たとえば画家は考えない。「自分こそが」という思いがなければ描くことなど出来ない。それは傲慢になりかねないが、いくらでも代わりの者がいるからには、そんな傲慢も実にはかなく、かわいいものではないか。
●今年の桜、その13_d0053294_18145068.jpg
 楠の寿命と同じほど桜も長いのだろうか。7,80年で枯れるといったことを聞いたことがあるが、寿命の長い品種は存在するだろう。日本各地に桜の有名は古木があり、数百年を生きている。青蓮院を過ぎると知恩院で、その北端に桜の古木が数本植わっている庭がある。建物内ではなく、塀の外、道路際だ。遠目にも、それが桜色に染まっていることがわかったが、昨日や一昨日載せたような比較的狭い範囲の桜のじゅうたん状態ではない。長さにして30メートルほどはあるだろうか。その圧巻さに3枚つながりのパノラマで撮った。桜の花びらは落下して1,2日経った弱さを呈していたが、それを感じさせないほど大量に落ちている。普段は苔に覆われている地面が、今の時期だけ、数日の間は華やかだが、か弱い色に染まる。西行はそうした落ちた花びらが地面を覆う様子をどう思い、どう歌に詠んだであろう。西行に関する本で読まねばならないものがあるのに、今年もそうしなかった。それはさておき、どうやら筆者は、今年の桜は立派に咲き誇っている状態ではなく、根元の周囲に広がる落ちた花びらに注目している。これも筆者の心境を示すのだろう。上を見ずに足元に注意しろという気分からか。あるいは去った者に対する追憶か。昨日はこうして書く文章の背後に、書かない思いがたくさんあるとしたが、その全部を自覚しているはずはなく、無意識もまた覚醒に作用して、文章に影響を及ぼしているはずで、そう考えると、結局のところ、こうした文章は、筆者が抱える他の多くの思いや無意識とは無関係に読まれることがいいのかもしれない。早い話が、読んで楽しいのであればそれでよい。それを評論家は、作者が考えていたであろうことや、考えもしなかったことをあれこれと想像し、事実の確証が永遠に得られない、一種の勝手な作り話をでっち上げる。だが、そうした話や文章にしても、なぜ評論家がその対象に興味を抱くことになったのかという、評論家の内面の思いと結ばれているし、それは他人にはほとんどどうでもいいことで、やはりその評論文そのものが、読んで楽しいのであれば充分目的が達せられている。簡単に言えば、面白くないものはすべて駄目ということだ。歴史に残るものは、どれも面白いからであって、このブログにしても、筆者は面白く読んでほしいと思いながら書いている。時間を消費することは面白くあるべきで、人生は面白くなければならない。
●今年の桜、その13_d0053294_0395837.jpg
 青蓮院から500メートルほど南に行くと、円山公園の枝垂れ桜がある。昨日はそれを今年初めて見た。ここ数年、ますます無残な枝ぶりとなって来ていたが、昨日は驚いた。北側の大きな枝がばっさりと切られ、去年の3分の2ほどの嵩になっていた。あまりに憐れで、葉桜に近くなかっても、撮らなかった。観光者がその有名な桜を見てどう思うだろう。そんな惨めな姿になってしまった桜を京都一有名と思ってほしくない。去年にも書いたが、代わりの桜はどこかで育てられていて、数年先にはそれと入れ代えられるのだろうが、大きく育っている木であれば、移植してうまく根づくのか心配だ。その移植の年がいつなのか、またこの円山公園の枝垂れ桜の惨めな形についてネット上に書いている人がいるのかどうか、京都市が今後どう対処するのか注目したい。中心となる枝垂れ桜がそのような按配でも、公園内の他の桜はまだ満開を過ぎて間もないものもあって、あちこち青いビニール・シートを広げて花見をしている人があった。天気がよかったからでもある。花がなくても外で食べるのは気持ちがいいだろう。どこかで食べる必要を思いながら、清水に向かった。「ねねの道」の最南端だろうか、高台寺南端にさしかかった時、向こうからふたりの舞妓がしずしずとやって来た。一見して素人の贋舞妓だ。キモノも化粧も表情も安っぽく、田舎じみている。ふたりが筆者と擦れ違う瞬間、すぐ隣りの建物の前にいた女子高校生数人が、その贋舞妓の姿を見て驚き、とっさにひとりに質問した。「本物の舞妓さんですか?」 すると小声で「ニセモノ」と答えた。このやり取りが面白く、筆者は吹き出した。贋舞妓は半ばしぶしぶ答えたが、それが質問からすかさずであったので、正直と言えば正直だ。それがよかった。だが、まさか本物とは言えまい。いや、「ホンモノ」と返答しながら笑ったのであればもっと面白かったかもしれない。
●今年の桜、その13_d0053294_0403740.jpg 贋舞妓は厚化粧して素顔がほとんどわからない安心感からか、観光客がぞろぞろとやって来る方向にまっしぐらに進み、すぐに10数人の派手な中国人観光客に取り囲まれた。そして、歓声を上げて馴れ馴れしい彼らのいい被写体になって、舞妓を取り囲む場の雰囲気が春らしく賑やかになった。これは、贋であっても舞妓姿は風景に似合い、京都観光に尽力していることであって、贋であることに目くじらを立てるのは無粋であろう。中国人たちはおそらく贋舞妓とわかっていながら、物珍しさからたくさん写真を撮る。それでいいではないか。清水寺にさらに向かった位置から舞妓の後ろ姿を振り返り、そこで2枚撮った。それらを合成して載せる。なぜ2枚撮ったか。舞妓の左手に大きな枝垂れ桜があって、最初撮った時はそれに気づかなかったからだ。ブログに桜の写真を載せるつもりであるからには、舞妓も入れてその桜も写し込む方がよい。そう考え直した。ところが、桜を入れて撮った2枚目は、観光客のひとりが舞妓のひとりの背後に回り込み、ふたりであることがわからなくなった。それで最初の1枚に、左手の桜だけ切り取って合成した。清水寺の大きな駐車場には12時40分に着いた。あちこち立ち寄りながら、ひとりで観光客気分になって歩くのはいい。今日は書かないが、円山公園では珍しい光景に出会い、その写真も撮った。だが、ブログに載せる機会があるだろうか。1時少し過ぎて会うべき人がやって来た。そして、車を停めている、少し坂を下がったところにある駐車場に向かった。そこには大きな石垣があった。その石垣のてっぺんの敷地から駐車場に向かって、満開になったばかりの一本の枝垂れ桜が下がっていた。空を見ると雲ひとつない真っ青だ。電線などが邪魔をして撮影角度に迷ったが、どうにか最も適切な場所を見つけて1枚だけ撮った。それをほんの少しトリミングして載せる。左の上下隅に電線が写っている。これは構図としては面白く、あまり邪魔にならない。
by uuuzen | 2012-04-19 23:59 | ●新・嵐山だより
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