琵琶湖からよくぞ水を引くという大きな考えが浮かんだものと思う。岡崎の疏水べりを歩いていると、明治人の新しい国を作ろうという意欲が思い起される。
先日投稿した
「波動スピーカー、その7」に載せた疎水沿いの桜の写真には、右端に疏水記念館が小さく写っている。たまたまではなく、写り込むように撮った。昔から気になりながら、この施設にはまだ入ったことがない。京都の長年暮らしている者ほどそうかもしれない。疏水の水が山を越えた琵琶湖から運ばれていることを、おそらく外国から来る観光客は知らないだろうが、京都人も大同小異か。明治になって明治天皇が東京に移り、京都は産業が下火になったために活性化が求められた。京都は革新的とよく言われ、その一番大きなきっかけは明治時代にあるかもしれない。今年の桜は、気になりながらも平安神宮の神苑の枝垂れを見ることはなかったが、その庭には市電が一台置かれている。そんなところになぜと思う人が多いかもしれない。京都の市電は日本で最も早かった。京都駅や伏見ではなく、岡崎の平安神宮に展示するのは、平安神宮が、明治時代の遷都1100年記念に出来たもので、市電も同じ頃に開通したからだろう。江戸時代は一面の畑であった岡崎は、平安神宮や勧業館が出来るなど、がらりと趣を一新した。そういう急変ぶりの一端が、平安神宮神苑内の一台の市電に見られる。今や市電は走らず、また岡崎が明治時代とさして変わらない状態というのは、半ばは古きものが保存されてよいという見方と、もう半分は明治の気概がなくなって、もはや京都は革新をなす力がないと言うことも出来る。これは、疏水を引くことで電力を起こし、それで市電を走らせ、また産業に役立てるという意味からすれば、京都は古きままの姿では駄目で、変化して行かねばならないという考えがあったことを示すが、どこまで産業を大きくするかという目標が寺社の多い京都では難しく、また開発出来る場所に工場を誘致したくとも、企業がやって来るかどうかも問題だ。そのあたりをどうにか折り合いをつけながら京都はやって来ているが、疏水の水を発電に使うと同時に平安神宮などの池にも使うというふたつの相反するとも言える考えは、原子力発電に比べるときわめて素朴であり、また一石二鳥の方法でもあった。つまり、明治までの京都はまだよかったということだ。
京都に市電が復活するかどうかわからないが、電気を遠い原発から賄うのであれば、市電型の市バスの一種醜悪とも言える贋レトロ主義を思わせ、知恵が足りない行為ではないか。それでも車がたくさん走る光景より、市電がのんびり走る方が京都には似合う。それと似た考えからか、先の写真に写る疏水記念館のすぐ下に、小さく十石船の観光船が見え、疏水を20分ほど走ってくれる。筆者は数年前から知りながら乗っていない。まだあまり宣伝は行き届いていないのは、船がおそらく二艘しかないためもあるだろう。その細々と、ひっそりと運航するところは、『エンジンで走って贋江戸時代です』と言っているようで、どこか恥じらいがあってよい。先の写真の撮影場所から20メートルほど西でも同じ角度で撮影した。そこには向こう側の動物園が写り、これぞレトロという古くて小さな観覧車が見えていた。その写真とどちらを使おうと考えながら、疏水記念館と十石船の乗り場が見えるものにした。このように、筆者は写真を撮る時、また500×360ピクセルで加工する際、何を見せたいかを考えている。それはいちいち書かない。同じことはこの文章でも言える。文章は意識にある10のうち、半分も書いていない。残りの半分があることによって、こうして書く内容が左右されている。どのように作用しているかは、筆者しかわからない。それを読者に伝えられないことが惜しいかと言えば、そうとも言えない。何事も見えているものはその見えているとおりという考えがあるが、隠れていることの影響がわからなければ真実が見えない。であるから、その隠れていることを務めて思えというのではない。務めなくても、何か隠されていると直感するだけでよい。その何か引っかかることが一種の魅力となって、さらにその対象に近づきたくなる。また、その直感があるかないは、人によって大きく違う。その直感を働かせない人が凡人で、そういう人がしばしばとんちんかんなことを言ったり書いたりしている。話があまりに脱線した。その脱線には理由や隠された意味があると考えてほしいと思って、あえて脱線した。さて、脱線させられた車両だけが展示される平安神宮の神苑内は、その市電のすぐ近くに枝垂れ桜が何本かある。枝垂れ桜は比較的遅く咲くので次の日曜日でも大丈夫かもしれない。今日も岡崎に行きながら、予定が詰まっていたので神苑内には足が向かなかった。そして、疏水を見ると、桜はもう見る影がなかった。水面にも花びらが浮かんではいなかった。
話を戻す。14日は先の写真は、今のバスよりうんとコンパクトな乗り物であった市電が、大正時代までは岡崎の疏水べりを走っていたその道路の歩道、つまり疏水際の道から北東を向いて撮った。その後、国際交流会館へとまた歩き始めた途端、向こうからやって来た40歳ほどの女性の数人連れのひとりが、擦れ違いざまに動物園の観覧車を見て、「古っ!」とつぶやいた。その古さを売り物にしているのか、それとも新しいものに交換する資力がないのか、そのどちらも理由だと思う。だが、筆者はその全部で10台ほどしか乗り台のない小さな観覧車がいい。まだ使えるものを修理しながら使うことは、京都の歴史的な社寺の建物と同じで、動物園の観覧車もいずれ文化財に指定されるか。そうなれば全国から観覧車ファンが駆けつける。話がなかなか本論に入らない。先の写真を撮る前に橋の上から疏水を流れる桜の写真を2枚撮った。それも1枚選んで加工し、それを今日載せる。あまりきれいではないので、載せないでおこうかと迷ったが、昨日の地面にくまなく散る桜の写真の次に紹介するものとしてはいいだろう。そうそう、これは撮っていないが、同じように立ち止まってしばし見つめた桜がある。それはアスファルト道路の直径80センチほどの丸い窪みだ。そこだけに赤土色がかった桜の花びらが無数に乾燥して溜まっていた。水溜まりが蒸発し、浮いていた桜がその平たいすり鉢状の凹みにへばりついたのだ。そこで思ったことは、また雨が降るとまたその乾燥し、変色した花びらは浮くが、水溜まりがなくなると、今度はもはや桜とはわからないほどしわくちゃの固まりになることだ。そうして桜は影も形もなくなる。地面に落ちたものはそうだ。ところが川面に落ちたものは下流へと流れて行き、その間にも底に沈むなどして見えなくなる。水中の魚は、「ああ、今年もピンク色のうすいものがたくさん空を滑って行くな」と思うだろう。つまらない空想を書いているが、川面の桜は、均等には広がらず、何かの模様のようになっているのが不思議と言えば言える。これは水流が均等に流れようとしても、花びらを吹き落とす風が均等ではないからだ。それで思い出した。筆者は市バスに乗る時、松尾橋のバス停は始発であるから、ほとんど好きな一番前、運転手の背後ではなく、進行方向に向かって左に座る。今日もそこに座った。二日前もそうであった。今日と二日前の違いは、二日前はバスに向かって桜の花びらが雪のように吹きつけた瞬間が二回ほどあったことだ。カメラをかまえようと思ったが、どうせ間に合わない。そして今日は同じ場所でまた同じことに出会えるかを考えて、前もってカメラをかまえた。ところが、桜はすでに8割以上が散っているうえ、風もなかった。地面、水面に落ちた桜の写真は簡単に撮影出来るのに、吹雪の桜は難しい。桜吹雪もいいものだ。それが言いたかった。2枚目の写真は16日に法輪寺で撮った。この桜の木のすぐ際に夏の地蔵盆ではテントをふたつ建てる。