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●見られなかった『蟲魚圖譜』展
っては浮かぶを繰り返しているうちに日が暮れる。冬場はなおさらだ。何の話かと言えば、地下鉄の乗降のことだ。今夜は展覧会の感想について書くのは少ししんどいので、見ることが出来なかった名古屋での展覧会について書く。



名古屋に行ったのは1月20日だったか。地下鉄乗り放題の1日券を買ったはいいが、これが思ったほどたくさん乗り降りすることが出来なかった。『ジャクソン・ポロック展』を見る直前、美術館が入っている大きな建物、愛知文化センターという名前だったか、その地下か地上1階か、展覧会のチラシをたくさん置いてある情報コーナーをまず訪れた。これは地下鉄の駅から自然につながっている通路を入ってすぐのところにあるので、誰しもまずそこを見ることになる。『ポロック展』を見終わった後、個展も含めて何か面白い催し物があれば見るつもりでいたので、まずそこで情報を収集しようと考えた。目ぼしいものが見当たらなかったが、壁面に『奈良坂源一郎「蟲魚圖譜」 解剖学創始者のミュージアム』と題するチラシを見つけた。同じものが束になって用意されていればよかったが、見当たらない。開催場所は名古屋大学博物館だ。同大学には行ったことがない。それで、『ポロック展』への会場に通ずるエレヴェーター方向に歩むと、受付があって、きれいな若い女性がひとりいた。早速場所を訊ねた。さすがに美しく、また親切な女性を置いている。そういう機会でもない限り、そのような女性と話すことがないので、積極的に近づいて質問する。それで、パソコンですぐに調べてもらい、最寄りの駅を教えてもらった。『ポロック展』を見た後は『ヴェネツィア展』の会場に行き、その次に同大学に向かった。てっきり5時までと思っていたが、大学の門の前に着いたのが4時半ちょうどであった。すぐに門を入ってすぐ右手の管理室に行って訊ねると、30分前に閉館したとのこと。情報コーナー壁面のチラシをしっかりと見ておくべきであった。あるいは、チラシが置かれていれば一枚もらって閉館時刻を確認出来たのに、あまり人気がないと予想されたため、たくさん印刷されなかったのだろう。それにしても4時閉館は早いのではないか。学生はせいぜいその時間までに見るということか。仕方ないので、周囲を見わたしてしばし散策しようかと思ったが、小雨が降って来た。道行く学生はみな地下鉄に乗るために続々と地下に潜って行く。
●見られなかった『蟲魚圖譜』展_d0053294_052319.jpg

 それにしても、方向音痴の筆者であるのに、駅を降りてすぐにあった大学内の地図看板を眺めて目指す博物館の位置がわかり、迷わずそれがある場所のすぐ近くまでたどり着けたのは、われながら不思議であった。大学は大きな自動車道路を挟んで両側に広がり、初めて行くと誰しも右往左往するだろう。学生に尋ねればいいが、みな忙しそうに歩いている。大学内を入る大きな道路は、下り坂でしかも曲がっている。その風景が、大阪や京都にはなく、東京に近いと思った。博物館の位置を訊ねた管理室には、訛りのある60代の恰幅のある制服姿の男性が3,4人いた。全員が筆者を物珍しそうに見たところ、博物館の場所を訊ねて訪れる人が少ないことが想像出来た。門の前で大学の写真を撮ろうとすると、見たかった『蟲魚圖譜』展の大きな看板が目についた。チラシとほとんど同じデザインだ。次に土産代を引き出すために郵便局を探すと、幸いなことに看板から100メートルほど、大学を二分する幹線道路の坂を下がったところに見えた。郵便局のすぐ隣に銀行のATMがあり、10人ほどの学生が列をなしていた。郵便局に入ると、ほしいと思っていた『蟲魚圖譜』展のチラシが2,30枚ほど束になって、ATMの機械のすぐ近くに置かれているのが目についた。早速1枚もらうことにしたが、肝心の展覧会を見ることが出来ないので、その残念記念だ。おそらく次という機会はもうないだろう。そのように物事には縁のない縁というものもある。同郵便局の利用者は、9割が名古屋大生に違いないが、チラシの束はどことなく埃っぽくて、減っているように見えなかった。そういうものだろう。大学生の大半は遊ぶのに忙しくて、そういう催しに無関心だ。管理室のみんなが筆者をじろじろと見たのは、同展を見るためにわざわざやって来る人がきわめて珍しいからかもしれない。
●見られなかった『蟲魚圖譜』展_d0053294_0531454.jpg 奈良坂源一郎の名前は初めて目にする。チラシ裏面を見ると、『2011年は名古屋大学創基140周年、つまり名大の母体となる仮医学校・仮病院が創設された1871年(明治4年)から140年を迎えます。その10年後、愛知医学校に教諭として招かれたのが奈良坂源一郎です。奈良坂は、日本における解剖学や組織学草創期に教育に献身した一方で、本草学の流れをくむ博物家としての知識の社会普及にも努めた「名古屋文化史上不滅の人」といわれております。……』と説明があって、展示物は奈良坂による人体解剖スケッチや「蟲魚圖譜」の博物画などとなっている。チラシを見た時に、江戸時代の同類の図譜に奈良坂の名を見たことがないと思ったが、どういう理由からか、チラシには奈良坂の生没年が記されていない。今ネットで調べると、1854年生まれで1934年に亡くなっている。幕末の安政元年の生まれだ。それはチラシに印刷される鯛や蝶、海老の絵から何となく伝わる。若冲のように古くはないし、また明治生まれというには江戸の博物学を感じさせる。その意味で、ぜひとも見たかったが、名古屋が誇る偉大な人物であれば、図譜を印刷した本が出版されているのかもしれない。あるいは、今回の展覧会の図録としてそれが用意されたかだ。それにしても、それほど有名な奈良坂を筆者は知らなかった。これは博物学の図譜の歴史において、先人がたくさんいて、奈良坂まで時代が下ると、ありがたみが薄れるからかもしれない。人体解剖スケッチにしても、『解体新書』その他、もっと時代が遡るものがある。後発はやはり認知度は低下する。これは、奈良坂が活躍した明治時代には、写真が盛んになっていたから、図譜はそれに道を譲ったところが大でもあるからだろう。また、手描きで迫真的に描くことは、江戸時代の図譜に幾多の例がある。それにチラシにある奈良坂の絵は画家が描いたように香り高いものとは思えない。また、それまで誰もあまり見ないか、また描かないものを描きとめたのであれば、話は別だが、チラシの数点を見る限りはそうとも思えない。ただし、人体解剖スケッチはどのようなものか、これは確認しなければわからない。奈良坂のような才能を名大が顕彰して博物館で展示することには意義があるが、それが京都や大阪で展示されないのは、大学間の競争意識があるせいか。これは昨日取り上げた龍大ミュージアムが親鸞を取り上げ、禅僧については無視するであろうことと似ている。それを思うと、もう1時間ほど早く名大に行き、この展覧会を見ておくべきであったと悔やむ。
●見られなかった『蟲魚圖譜』展_d0053294_0533679.jpg

by uuuzen | 2012-03-29 23:59 | ●新・嵐山だより
●『釈尊と親鸞-龍谷ミュージアム』 >> << ●『解剖と変容 プルニー&ゼマ...

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