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●『天空の赤-アール・ブリュット試論』
製の、あるいは未耕、未加工のといった意味が、「アール・ブリュット」の「brut」というフランスの言葉にある。「アール・ブリュット」という呼び名は、「アール・ヌーヴォー」ほど有名ではないが、日本で比較的知られるようになったのは、10数年ほど前と記憶する。



平安画廊に友成さんがいた頃、彼女とアール・ブリュットについて少し語ったことがある。その後ますます注目されるようになって、日本でも同類の作品を集めた展覧会が開催されるようになった。以前このブログで取り上げた『現代美術の超新星たち アトリエインカーブ展』もそうだ。同展は4年前の開催だが、その後はもっと注目されるようになった。たとえば、まだ訪れていないが、近江八幡にボーダレス・ミュージアムとかいう美術館があり、そこでもアール・ブリュットの作品をよく展示する。今日取り上げる映画は、先日兵庫県立美術館で見た展覧会『解剖と変容』の会場で上映されていた90分ほどのドキュメンタリーで、劇場で公開されていない。NHKの教育TVや、『日曜美術館』の特別遍として放送されていいような内容で、絵画の展示とともに見ると、なおアール・ブリュットのことがよくわかる。チラシには『最先端がここにある!』と印刷されていて、アール・ブリュットの最も新しい動きがわかるかのような表現だが、アール・ブリュットは絵画の流行には無関係で、これはよくない。「アール・ブリュットに関する展覧会の最新の意欲的なもの」といったように捉えればよい。『解剖と変容』展の人気はどうであったか知らないが、会場はいつもどおりの入りに感じた。ただし、美術館近くの高速道路の高架下で日曜日ごとに菓子を売るOさんによれば、菓子はさっぱり売れなかったそうで、これは展覧会を見る人が少なかったことを意味している。筆者はアール・ブリュットのファンというほどではない。だが、見たことのない絵画は見たい。それに今回はフランス製作の90分の映画も見られるというので、出かけた。映画は金、土は5回、その他は4回の上映で、途中から見るのはいやなので、チラシの裏側を見て上映時刻を確認した。行ったのは23日の金曜日で、雨であった。Oさんは店を出していないが、電話すると、王子動物園近くの倉庫に正午までいるという。午後1まで待ってもらうことしに、家内と出かけた。ついでに書いておくと、同展を見た後は大阪に出る予定があったので、菓子はいつもよりたくさん買わなかった。Oさんは仕入れ先の親方が80歳で、しかも入院中、もし親方が亡くなれば廃業すると語った。以前にもそのことを聞いたことがある。廃業すればもう会えなくなる。神戸方面に出かける時はなるべく会って菓子を買いたい。
 「アール・ヌーヴォー」はフランスのデュビュッフェが言い始めた。これは今後何百年もデュビュッフェの名前を記憶させ、また彼の絵画も忘れさられることはないに違いない。昔『芸術新潮』で読んだところによると、デュビュッフェは守銭奴であったらしい。あまりにがめつく、相手に支払い能力がない場合、残っている金歯を抜けと言ったそうだ。それを書いていたのは、フランスの画家か評論家であったと思うが、デュビュッフェの作品が単に嫌いであったかもしれず、話はどこまで本当かはわからない。悪人であろうが、そうでなかろうが、作品だけが評価の対象にされべきだろう。大きなデュビュッフェ展は日本では20年かもう少し前にあったと思う。その作品が好きか嫌いかと言えば、答えに困る。嫌いではないが、好きでもないというのがふさわしい。作品の在感や独自性は強烈で、誰の模倣もしていない。流派を超えたところに立っている。それが何よりも大事と思うのであれば、デュビュッフェは紛れもなく巨匠だ。ピカソとは違う意味で、20世紀最大の画家であったと今後みなされる可能性もある。今回の映画で知ったが、デュビュッフェは40代ですでに丸坊主であった。風貌もまた独特で、善良そうには見えない。いかにもアクが強く、精力絶倫な雰囲気だ。今調べると、1901年生まれだ。長生きして1985年に死んだ。絵画よりも彫刻がより印象的で独創的だが、フンデルトヴァッサーはデュビュッフェの作品を有機的かつ色彩豊かにしたようなところがある。逆に言えば、デュビュッフェの作品は無機的であり、また未来の都市に似合う。それはフランスとウィーンの差とばかりは言い切れない。ともかく、20世紀に入ってすぐにデュビュッフがフランスで生まれたのは、フランス美術がまだ世界の先端を行っている気にさせる。アメリカに美術の本場が移ったとはいえ、フランスは侮れない。デュビュッフェは父親のワイン商を継ぎ、40歳を過ぎて本格的に描き始めた。戦後の活躍だ。また、職業画家の手にならない、「アール・ブリュット」と名づけた作品を多く収集し、やがてそれはフランス政府がほしがるものになったが、反骨精神旺盛な彼はそれを無視してローザンヌに寄附した。
 デュビュッフェがいわば素人の描いた絵をたくさん集めたのは、自作の着想を求めてのことではないだろう。そんなケチなところがあるようには思えない。ただ美しく、嘘がないと感じたからだ。絵画が高額で取り引きされたり、また画家が公募展に出して賞を狙うなど、金がついて回るのは仕方のないところではあるが、高額であるから名画であるとは限らず、また受賞するから名画として歴史に残る保証もない。何が一番大切かと言えば、作品の真実味だ。ところが、それを感得出来る人は案外少ないのではないか。画家の周囲には、その作品を評論する人、研究する人がいるし、さらには商いの道具にする人たちもいる。そういう三位一体の世界では、画家の名声は恣意的に作られもする。それは画家も評論家も画商も、みんないい家に住み、おいしいものを食べたいからで、それが人間の真実と思っている。そんな強力な世界では、素人画家や素人の評論家が入る余地はない。絵画がすっかり現代文明に取り込まれ、自由の精神をますます失っていると見ることが出来る。美術は人間にとって最後の精神の自由な砦であるべきだが、素人は描くことが出来ても評価の対象にはされない現実がある。それでも描く人はいるし、そこにこそ自由があるのではないか。デュビュッフが思ったのはそういうことだろう。であるので、絵画をネタに生きる評論家や画商から嫌われる。いつの時代でも真実を唱えるものは排除される。それは言わない方が上品で、回り回って国家への忠誠にもつながる。デュビュッフは見出した「アール・ブリュット」を、そのためにもフランス国家の手元には置きたくなかったのであろう。「アール・ブリュット」は一昨日書いた3万年前の洞窟壁画と通ずるところがある。
 ところで、「アール・ブリュット」の作品が注目されたり、展覧会が開催されたりするのは、もう紹介すべきプロの作品が底をつきかけているからと筆者は皮肉で思う。美術館がこうもたくさん出来、しかも、不況になってもそれら全部が何か目新しい作品を展示せねばならないから、素人の作品に価値をつけて、「こういう絵画もありますよ」と、手を変え、品を変える必要がある。これは半分以上は真実だ。戦後の日本はフランスの印象派やゴッホ、ピカソといった有名どころを盛んに展覧会で紹介し、その次に日本画、そして工芸や仏教美術、その次が写真展た童話の原画展といったようにジャンルが広がって来た。その次を考えると、「アール・ブリュット」しかない。デュビュッフェが戦後「アール・ブリュット」の作品を盛んに収集したのであれば、彼の作品の紹介とともに、その展覧会があってよかったが、そうはならなかった。それはデュビュッフェがやったよりも、もっと広範囲の調査が必要であったためとも言えるが、「アール・ブリュット」に属すとみなされる作家たちは、みな孤立した状態で絵を描いたり、彫刻のようなものを作っているので、広範囲に調査することにも限界があり、またあまり意味もない。作家たちが集まって流派を形成しているのではなく、ばらばらに製作した、している人々をどうまとめるかは、そのまとめる人の思いによって差があるからだ。そのため、「アール・ブリュット」の作家は、これがまさにそうだとは言い切れない曖昧さがつきまとう。結局、そんな呼称はどうでもよくて、個々の作家の作品があるだけで、それをそのまま評価すればいい。そして、そのようにして、昔からそれなりに、たとえばこの映画でも取り上げられる、今は「アール・ブリュット」にまとめられる作家が本で紹介されて来たし、筆者もそれで知識を得て来た。つまり、この映画は、今まで「アール・ブリュット」とは呼ばれなかった作家を含めて、見出されて間もない現存作家までを含み、各人の作品と人物像を10分程度ずつ紹介する。また、その間に「アール・ブリュット」や、その作品を愛する収集家、評論家の意見も交える。当然デュビュッフェが最初に紹介され、またそこからすべてが始まったという持ち上げ方をしている。
 デュビュッフェは美術史に残る画家であり、その点で「アール・ブリュット」ととは同類とはみなされない。だが、美術にあまり関心のない人が作品を見比べると、デュビュッフェを「アール・ブリュット」とみなすのではないか。また、そうなると、デュビュッフェ以外の有名画家にも「アール・ブリュット」に近い者がいることに気づくはずで、美術史に名を残す作家とそうではない「アール・ブリュット」の作家をどう区別出来るかの問題を思う。「アール・ブリュット」ひとつの特徴は、ある作家の作風は時代とともに、あたかも蕾が開花するように変化して行かないことだ。また、あまり画面の構図を考慮せず、初めも終わりもないようなところがある。そして、きわめて緻密か、あるいは繰り返し表現を画面全体に適用する。おまけに、売ることが目的でなく、他人に全く見せないこともあり、作品づくりがただただ満足であるから、人の目を気にしない。それを嘘がないということも出来る。職業画家の作品は、確かに素人にはまねの出来ない高度な技術を駆使したものであるが、それだけにいやらしさが出る場合がある。『おれのこの技術を見ろ』といった自惚れが、作品から神々しさを減ずる。これはお金をほしがっているという意味だけで捉えてはならない。金銭の見返りを全く求めない製作であっても、何か邪な気分があれば、作品にそのことが滲み出るだろう。話題を変える。「アール・ブリュット」が世界的に有名になるには、やはりアメリカにもその定義が知られる必要がある。この映画では、「アール・ブリュット」がアメリカでは「アウトサイダー・アート」と翻訳されていることに異を唱えていた。確かに「アウトサイダー」は「ブリュット」な人と同一ではない。これは訳さずにそのまま「アール・ブリュット」を使うべきだが、英語圏はフランス語を使うことに抵抗がある。また、自ら意識してアウトサイダーとしての位置に身を置き、そして作品を作れば「アール・ブリュット」になるかと言えば、それはない。定義したことで、それに便乗する輩が出て来る。「アール・ブリュット」はそういう思いや行為からは遠い。そのため、現存のある作家をそう定義することは危険でもある。やはり、後追いであって、作家が作品を残して死んだ後、誰かが発掘してその定義を与えるしかないところがある。
 ところが、積極的に現存の作家にその定義を当てはめる場合がある。この映画でも紹介されたが、大阪の阿倍野に住むある男性の文字絵がそうだ。彼は最初に触れた『現代美術の超新星たち アトリエインカーブ展』で紹介された作家たちに含めてよい。知恵遅れで、昼間はそうした人々の集まる訓練所で作業している。夜に製作し、また家族が経営する中華料理店の皿洗いを3時間ほど手伝う。デュビュッフェが収集した「アール・ブリュット」の作品に知恵遅れの人々の手になるものが含まれていたかという質問は意味がない。作者がどういう状態であれ、作品が訴えるものだけに意味がある。知恵遅れがそうでない人と明確にどう区別出来るかも難しい。たとえばこの映画で紹介されたロシアのアレクサンドル・ロバノフという画家は、若い頃は暴力的で、30代になって精神病院で絵を描く楽しみを見出し、銃やピストルを持つ、あるいは随所に配する社会主義的な肖像画ばかりを数十年間描いたが、その線描や色彩はきわめてまともかつ真面目で、強暴なところも、また素人的ともあまり言えない。ただし、精神病院にいるからには、心を病んでいるのだろう。だが、作品からはそういうところは感じられない。ロバノフの作品が明かに心を病んでいるように見えるとするならば、デュビュッフェの作品はもっとそうだ。「アール・ブリュット」の展覧会で展示されるので、人は色眼鏡で見る。これが普通のロシア絵画展に並べば、誰も精神病院に入院していた男が描いたとは思わない。そのため、「アール・ブリュット」の呼称でまとめるのはよくないし、また「アール・ブリュット」を主張するのであれば、巨匠とみなされて美術史に名を連ねる作家たちにおける「アール・ブリュット」性を一方で紹介すべきだ。さて、『解剖と変容』展については日を改める。
by uuuzen | 2012-03-27 23:59 | ●その他の映画など
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