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●『韓 伽耶 ピアノ・リサイタルⅣ わざと祈りとつながりと-いま、ピアノにできること-』
●『韓 伽耶 ピアノ・リサイタルⅣ わざと祈りとつながりと-いま、ピアノにできること-』_d0053294_14316.gif耶は韓国南部にあった国の名称で、また伽耶琴(カヤグム)という、日本の琴に近いが、もっと図太い音を出す楽器の名でもある。ところが、ピアニストの韓伽耶の耶には人偏がつき、それがパソコンでは出て来ない。



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仕方がないので、韓伽耶と表示しておく。ついでに書いておくと、今回の演奏会のプログラムでは、「韓伽」がゴシック体であるのに、続く人偏つきの耶が明朝体になっている。不便なのは、ネットで検索する時だ。アマゾンでCDを買おうとしても、どう入力していいのかわからない。そこで「韓伽」とするが、これでは正確にヒットしないだろう。また、外国で録音し、発売されているCDならば、「韓伽」では駄目だ。日本語読みは「カンカヤ」で、それを「KAN KAYA」として入力すると、これもよくない。日本語読みは世界では通じず、韓国の名前なら韓国の発音で表記せねばならないからだ。それは「ハン・カヤ」か、あるいは「ハン・ハヤ」のはずで、その発音を入力すべきだが、そうしてもヒットしない。つまり、CDを探すことに非常に骨が折れる。そのため、ほしいと思いながらまだ入手していない。さて、今日取り上げるのは彼女のコンサートだ。ちょうど1か月前、2月26日の日曜日に堀川音楽高等学校ホールで見た。以前に書いたことがあるが、「光の音符」の主宰者のNさんから正月に案内をいただいた。「光の音符」は、最初に京都の盲学校でNさんを含む数人が声楽の演奏会を開いたことによる命名と思っていたが、Nさんが書いた「光の音符 ムンバイ「光の教室」プロジェクト」という文書には、「光の音符は、過去12年にわたり音楽を通じて交流を続けてきた岡山県の国立ハンセン病療養所「邑久光明園」入所者の人々からの協力により……」とあって、「邑久光明園」に由来しているようにも思う。「ムンバイ「光の教室」プロジェクト」は、同病院内で運営されていた事業を引き継いだもので、インド・ムンバイのダラヴィ地区のスラムに住む貧しい子どもたちへの教育資金支援だ。今回の韓さんの演奏会の会場のロビーの一角に、ムンバイの子どもたちの現状を示す写真などが展示されていた。一方、文書の裏側には、「光の音符」の設立趣意が書かれていて、「障害を持ちながらプロの演奏家をめざす若い才能を、物心両面から支援し、同時に障害を持つ人にも音楽を提供していく事を目的に、1994年(平成6年)3月に活動を開始しました。」とある。音楽を通じたボランティアということになるが、ムンバイの貧しい子どもたちへの支援は、Nさんの父親が亡くなった後、インドに遺骨を持って行ったというから、その関係もあるのだろう。現地のシスターと協力しながらの活動で、情熱も体力も欠かせず、筆者は門外漢を感じる。
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 封書で送られて来た演奏会の案内には、Nさん自筆の文章が添えられていた。それで家内の分と一緒に郵便局で入金し、2枚のチケットが送られて来た。当日券は3500円だが、Nさんを通じての前売りは2000円ではなかったか。安いのは、韓さんの母校で開催されること、また「光の音符」というボランティア団体の主催であるためであろう。さきほど自分のブログを検索すると、2007年4月17日の投稿に添えた紫色の文章の中に前回の韓さんのコンサートについて書いてある。それはまだパソコンを所有しない頃で、ワープロを使って書いていた日記だが、書いたのは2001年10月7日で、10年半前になる。その文章の中に「数年前にも聴いた」と書いてある。それは「光の音符」主催演奏会の第2回目で、1995年9月10日だ。筆者は第1回のクラウス・オッカーさんのバリトン・リサイタルからNさんとは知り合いになっているが、毎年見ているのではなく、興味のあるものだけだ。韓さんの演奏会は1995、2001、2009、そして今年の4回で、第3回目には行かなかった。オッカーさんについては、別のカテゴリーでシューベルトの歌曲を取り上げた時に書いた。今回Nさんと少し話したところ、最近Nさんはドイツに行き、85歳のオッカーさんと会ったそうだ。もう声楽はやめたとのことであった。年月の経つのは本当に早い。クラウスさんの姿を間近で何度か見て、とても溌剌としていたのに、もう85歳になって引退している。人との出会いは不思議なものだ。ごくわずかな時間しか見ていなくても、その時の記憶が数十年経っても色褪せないことがよくある。第一印象で相手のことを感じ取ってしまうとよく言われるが、まさにそのとおりだ。ただし、その瞬間の出会いがとびっきり印象に強いものである場合だ。それは人間ではなく、作品でも同じことだ。演奏家ならばその実際の演奏だ。レコードでもそういうことはあるが、音楽は瞬時ごとに消えて行くもので、録音は姿を見ながらの生演奏に勝るものではない。そう考えると、たくさんのCDを買うのは馬鹿らしくなるが、CDでしか接することの出来ないものがある。
 韓さんの録音はあまり多くない。そのため生演奏に接する方が早いし、またよいと思える。ただし、その生演奏で得た感動をCDで追体験したいのは人情で、簡単に入手出来るのであればほしい。と書きながら、やはり彼女の生演奏はあまりにも強烈で、それはおそらくCDでは得られないはずで、普段自分がCDで音楽を聴いていることの意味を疑ってしまう。それほどに韓さんの演奏は印象深く、音楽という芸術が他の芸術に取って変わることの出来ないことをいやというほど知らせてくれる。何を大げさなと思われるかもしれないが、これは彼女の演奏に実際に接してもらわねばわからない。今回の演奏会で感じたことは、10年前の演奏会と全く同じで、その時の驚嘆が即座に蘇った。色鮮やかなドレス姿であったが、体全体から出ているオーラは変わらない。堀川音楽高校は堀川御池の東北の中学校を使って数年前に出来た。Nさんから言われたようにホールは響きがよい。CDでは絶対に得られない音の響きとして、演奏の間の短い休止の音符において、残響が1秒未満ですっと全部消える。これがとても生々しく、目の前でピアノが演奏されていることの実感を高めた。他のホールでは、また座席の位置が違えば、さらには観客の人数によってこれがどう違うのだろうと思ったが、今ここにいて演奏を聴いているという、再現不可能な経験に充実を覚えた。どんな経験でもそう感じると言えばそうかもしれないが、特に印象が強いのは、やはりこうした普段得られない体験だ。また、彼女の演奏は10年前より深みを増していて、さらに独自性が出ていた。演目はベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ、ハ長調、作品2-3」、石島正博の「レクイエム 2011.3.11」、モーツァルトの「ピアノ・ソナタ 変ロ長調 KV281」、そして15分の休憩を挟んで、リストの「超絶技巧練習曲 第10番 ヘ短調」、ジャレルの「フランツ・リストについてのエチュード(日本初演)」、リストの「パガニーニ大練習曲 第6番 イ短調」、そしてアンコールは二度あって、最初はショパンの「子犬のワルツ」、次に「別れの曲」であった。石島の曲は題名からわかるように、東日本大震災で亡くなった人々への鎮魂のためで、全6曲からなる。プログラムにある石島の説明の最後には、「……本曲を誰よりも理解し、さまざまな機会に弾き続けて下さっている畏友、私の最も信頼するピアニスト、ハン・カヤ氏に捧げます。」とある。石島は桐朋学園大学の教授で、著書に「ラヴェル・ピアノ作品全集」があり、このレクイエムにもラヴェルを思わせる部分があった。こうした現代曲を演奏するところにも韓さん魅力がある。ジャレル1958年生まれのスイス人で、「フランツ・リストについてのエチュード」は、2011年リスト生誕200周年記念の「国際リスト・コンクール」の課題曲として、ワイマール市とリスト・アカデミーから委嘱された作品で、コンクール1週間前に韓さんによって世界初演された。ベートーヴェンもリストも韓さんには似合うが、モーツァルトとショパンを演奏しても、『こんな響きもあったのか』と新鮮な驚きをもたらす。
 2月26日はとても寒く、てっきりあそこだと思っていた学校に行くと、どこにも演奏会の案内がない。開演が15分前に迫っていて慌てた。学校の敷地内に外から女子高生がやって来たのでホールの場所を訊くと、知らないと言う。そして中に入って訊ねて来るというので、外で待った。待っている間に、公衆電話を見つけ、チケットに印刷されていた運営会社に電話した。すると、数年前に堀川高校と同音楽高校は校舎が分かれ、もう少し北に行った場所にあることがわかった。わかった途端に親切な女子高生が戻って来て同じことを言った。ともかく、無事にホールに着き、一番いい席と思える場所に陣取った。下の写真は演奏が始まる前に撮った。上の写真とともにクリックで拡大する。司会はいつものとおり、Nさんが舞台に出て行なった。その中で、韓さんの演奏会が、何か大きな事件のあるたびに開催されるとあった。95年は阪神大震災、2001年はアメリカの同時多発テロ、2009年はリーマン・ショック、そして今回は東日本大震災の後ということで、大きな節目の時にはいつも京都で「光の音符」主催の演奏会に出ている。韓さんとNさんのつながりについては質問したことがないが、同じ京都人ということで接点があったのだろう。韓さんが京都生まれというのは、京都堀川音楽高校を出ているのでそう思うだけで、筆者の想像だ。4歳から父親にピアノの手ほどきを受けたいう。桐朋学園、そしてドイツ国立フライブルク音楽大を卒業し、もっぱらドイツに住んで音大の教授になっている。在日韓国人ということで、日本では待遇がよくないかもしれず、もっと自由な空気が吸える外国がいいと思っているのではないだろうか。ファン・クラブに入会すればそういう込み入ったことも質問出来そうだが、そこまで積極的なファンになる考えは今のところない。ファン・クラブの事務局はNさんの御主人のようで、これはその気になればいつでも入会出来る。今回Nさんと会うのは数年ぶりのことであった。しかも会場にはたくさんの人がいるので、そうそう親しく話す時間がない。筆者はコートに帽子を被っていたが、それを見たNさんは「宮澤賢治みたい」と笑顔で言った。京都大丸に『宮澤賢治展』を見に行ったのはそれが理由ではないが、Nさんの言葉で思い出しはした。
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by uuuzen | 2012-03-26 23:59
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