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●『イジス写真展-パリに見た夢-IZIS PARIS DES REVE』
毯爆撃された東京を写したネガ・フィルムが900枚近く発見されたドキュメンタリー番組をさきほどNHKで見た。



●『イジス写真展-パリに見た夢-IZIS PARIS DES REVE』_d0053294_0532094.jpg「絨毯」は「じゅうたん」と表記した方がいいか。「じゅうたん爆撃」はもちろんじゅうたんを爆撃するのではなく、じゅうたんのように平らに街を破壊することを言う。B29に乗って当時東京に焼夷弾や爆弾を落としたパイロットへのインタヴューが含まれていて、アメリカがいかにすれば効率よく東京が焼け野原になるかを実験した様子、また軍需工場だけではなく、市民への無差別攻撃であったかが明らかにされていた。死者の正確な数は不明で、10万人ほどとされている。去年の大地震よりもっとひどい。アメリカは家財道具を含む日本家屋の家並みを砂漠に作り、そこに焼夷弾を落として焼け具合を研究したというから、やったことはナチと変わらないではないか。日本もまた国力があればアメリカに対して同じことをしたかもしれない。戦争はまことに狂気そのもので、その狂気の中で行なったことは戦勝国では美談的に語られる。だが、空高くから数万発もの爆弾を落とし、原爆と同じように街が焼け野原になって大量の死者が出ても平気、というよりそれが目的で出動するパイロットは、いかに上官の命令とはいえ、正気の沙汰ではないことを自覚してもらわねばならない。だが、出動拒否すれば牢屋にぶち込まれたであろうから、人間が大量殺戮を時として正当化する動物であることを忘れないでおく必要がある。昨夜書いた宮沢賢治は日本の大都市が絨毯爆撃されることを知らないで死んだ。それを経験していたならば、思想がどう違って行ったかそうでなかったか。ともかく、じゅうたん爆撃から100年経っていないにもかかわらず、東京の復興ぶりは驚異的だ。地球の歴史から見れば、人間が行なう破壊と建設は秒針がほんの少し移動する間の夢のようなものではないか。さて、今日取り上げる展覧会は京都駅ビルの伊勢丹で先月見た。昨夜書こうと思っていた展覧会のチラシを探していると、この展覧会のそれが見つかり、別の場所に移しておいた。今それを改めて手に取り、裏面を眺めている。いつも書くように、筆者は展覧会を見るより前にチラシを入手しても、それを読まないことにしている。読むのはこうしてブログに感想を書く時だ。つまり、ブログに書かないのであれば、チラシはあっても読まないことになる。
●『イジス写真展-パリに見た夢-IZIS PARIS DES REVE』_d0053294_058914.jpg

 それはいいとして、今日書く展覧会は戦後のパリで写真家として活動したイジスの展覧会だ。ヨーロッパではドレスデンが絨毯爆撃されて一夜で焼け野原になったのは有名だ。パリはそこまで破壊されなかったので、「パリに見た夢」という副題は、破壊し尽くされた街の悪夢ではなく、ナチに開放された明るいパリだ。いきなり紹介しておくと、この展覧会のチラシ裏面の一番上、しかも一番大きく印刷される写真は、この展覧会で筆者が一番いいと思った作品だ。筆者の目は名品を見抜く力を持っているというより、誰もがいいと思うものに反応するようだ。その写真は、雨の中、親子だろうか、ふたり並んで大きな傘の下で花を売る。花はすずらんで、季節は今頃だろう。男子と婦人がコートを着てベレー帽を被っている。そして疲れた様子はさして見えず、道行く人に視線を投げている。台上の花の数はさほど多くない。それで商売になるのかと心配するが、撮影された1950年ではこういう親子あるいは姉弟もいたであろう。当時は日本でもこのように路上販売する人がいたのではないか。この写真の面白いところは、左下隅に男性の靴先が写り込んでいるところだ。それに、背後にはシトロエンが数台写っていて、パリの一角の空気をうまく切り取っている。見事なシャッター・チャンスはアンリ・カルティエ・ブレッソンの作品を連想させるが、決定的に違うのは、ブレッソンの写真はどこか陽気であるのに対し、イジスはしみじみとした暗さのようなものがある。哀愁と言ってもよい。イジスはこの親子らしきふたりに断って撮ったのだろうか。少し高台に乗って撮影したことがわかるし、右下隅には植え込みらしきものが見え、噴水のような場所に登って望遠レンズで撮ったかもしれない。ともかく、この1枚の写真がとても気に入ったので、出口の売店でよほど大判に印刷されたものを買おうかと迷ったが、見たばかりの写真とはやはりどこかが違う。複製は大小いくつか種類があって、大半は左下隅の歩行人のつま先を切り取って、花売りの親子だけに焦点を当てた形となっていた。これはイジスの作品に対する冒涜ではないかと思い、それもあって買うのはよした。
 IZISというスペリングを最初見た時、人の名前とは思わなかった。てっきり写真家集団の名前と思って出かけ、会場に入って個人名であることを知った。Zが入っている名前は珍しいが、ユダヤ系には多い。その想像どおり、イジスはリトアニアのユダヤ系だ。本名は何とかイズラエルで、その本名を記したパスポートか何かが、SであるべきところがZと書かれ、イジスはその誤記を拝借し、また名前を短縮して単にIZISと称した。まるでスティングやボノのようにロック的で格好いい。人に記憶してもらうには短い方がよいと判断したものか。あるいは、先に書いたように、Zを含むことでユダヤ系であることを暗に示したかっただけか。ブレッソンと同世代の1911年生まれで、1980年に世を去った。ブレッソンらと並び称されているとのことだが、フランスでは2010年秋に初の大回顧展があり、今回はその巡回展と言ってよい。ブレッソンやラルティーグ、ブラッサイ、ドアノーなどに比べてイジスの紹介は日本ではこれまでほとんどなかったのではないか。戦争が終わって帰化したものの、ユダヤ系であることはそれなりに色眼鏡で見られたかもしれない。また、かなり内気であったらしく、売り込みが苦手であったとも思える。イジスがどのような顔をしているのか、それに気を取られながら見終わり、売店を出て入口に向かう壁面に、手に鳩を留まらせた横顔を捉えた写真があることに気づいた。想像どおりにきれいな顔で、また内気でさびしそうだ。20代で画家を目指してパリに出たが、第2次世界大戦が始まってナチの手から逃れるべく南方のリモージュに移住、そこでレジスタンスのポートレートをたくさん撮った。それが今回は最初のコーナーに10点ほど並べられた。もちろん無名の男性ばかりだ。銃を持った上半身で、どの人物も眼差しがとてもよい。鋭いのでもなく、何かを一途に信じている様子だ。そうそう、神々しいと言えばよい。こういう目の輝きをした男性は今はほとんど皆無ではないか。命をかけて国を守るという決意が、これほどに素晴らしい表情を作るのかと誰しも思うに違いない。イジスの最初期の作品に、こうした無名ではあるが、懸命に何かに対峙している人々を写したものがあることはきわめて暗示的だ。だが、そうしたレジスタンスを撮影する時代は、戦争という不幸が覆っている。そして、戦後イジスは別のものに目を向けなければならない。
●『イジス写真展-パリに見た夢-IZIS PARIS DES REVE』_d0053294_0534348.jpg

 イジスは社会の周辺にいるような人々を好んで撮った。先のすずらん売りもそうだろう。またサーカス好きで、その芸人を撮った作品が会場の最後近くには目立った。そうした人々もまた社会のアウトサイダーだ。イジスはそこに異邦人である自分の姿を重ねたのかもしれない。サーカス好きはたとえばフェリーニもそうであったが、芸術家はだいたい社会ののけ者的存在、あるいはそれを自覚しているものであり、サーカスに魅せられるのだろう。イジスのそれはもっと身につまされるもので、そうした人々を喜ばせる職業の人たちに同情したことが作品から伝わる。セーヌ川に靴が脱げた姿で横たわるホームレスは酔っ払った女性の写真が数点あった。それも同じ思いによるだろうし、パリの華やかな部分よりも下町的な人々に目を向けた。イジスが捉えたパリの街角は今はもうほとんどそのままの形では残っていないと思うが、街並みが変化するとそこに住む人々の生態も変わる。もうパリを撮ってもイジスの作品のような雰囲気は得られないだろう。画家を当初目指したこともあって、他の有名写真家と同じように芸術家を撮った。その中で特筆すべきはマルク・シャガールだ。パリのオペラ座に描いた天井画の撮影する許可を唯一本人から得、その製作の様子を撮ったカラー写真を雑誌に発表して大きな話題になった。これは1964年のことだ。アメリカの『LIFE』でも2,3年後にその写真が載った記憶がある。シャガールは白衣を着て描き、製作にしたがってそれが絵具だらけになる様子がイジスの写真からわかる。シャガールがイジスを選んだのは、同じユダヤ系ということが理由として大きいのではないか。この天井画製作光景の写真群の中にアンドレ・マルローが写ったものもあって、イジスが広く芸術家の知り合いを持っていたことが想像される。詩人のジャック・プレヴェールとは一緒に本を出したことがあり、日本での知名度以上にフランスではよく知られたのであろう。その作品の持ち味は、着飾った人ではなく、ごく普通の庶民や動物に向ける温かい眼差しで、カメラを向けることに恥じらいがあったように思えるところだ。カメラマンは人の心にずかずかと入り込んで行きやすいと以前書いたことがあるが、イジスの写真にはそういう感じがあまりない。
 イジスの時代は、写真は雑誌や新聞などに印刷されることを前提に撮ることが普通で、まだ絵画や版画のように、部数を限定してプリントを販売してそれで生活出来る者はごく少数ではなかったか。つまり、写真は金持ちが家の壁にかけて楽しむものではまだなかったであろう。もちろんそういう写真もあったろうが、イジスはそうした購買者を持たなかったか、目を向けず、かといって社会の貧しい部分を告発するという立場でもなく、撮りたいものだけを撮ったというところがある。そして技巧が前面に出ている作品というのでもなく、街を歩いていてたまたま目に留まったものをさっと撮ったという感じが溢れる。また、パリだけではなく、ほかの都市で撮影したものもあって、その中にエルサレムも含まれていたのは、ユダヤのルーツを忘れなかったからだ。そのエルサレムでも被写体はどこにでもいるような老人や少女で、社会の問題や矛盾といった影の部分に強い関心があったようには見えない。いや、それがあったとしても、写真に見えるのは生活する普通の人の内面だ。イジスが画家になっていれば、どんな絵を描いたか。画家家になるにはあまりに経済的に貧しく、写真は食うためにも手っ取り早かったのだろう。だが、画家になれるほどの腕前の人物が写真家になるべきで、結局は四角い画面の中に思いがどれだけ表現出来るかだ。
by uuuzen | 2012-03-18 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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