貸し切りのバスに乗っての市内観光、まるでビートルズのマジカル・ミステリー・ツアーだが、そんな機会が定年を迎えたような世代の大人に1年に1回はあってよい。
その気分で参加したが、そんな思いをここで吐露すると、自治連合会からひんしゅくを買うか。遠足ではなく研修会で、学ぶために出かける。それが目的であるから、自治会の活動に関係した事柄のその根本に触れて知識を高めねばならない。だが、小学校の遠足ならば後で作文を書くのに、それがないから、実際は1年の間、お役目ご苦労さんという慰労が最大の目的だ。ああ楽しかったで終わってよい。それをこうして作文を書く筆者は、真面目も真面目、まさに学級委員長並みだ。そんな真面目はいつの世でも歓迎されない。それどころか煙たがられる。昨夜の投稿の際、『自治連合会』を含む題名はあまりに内輪の話題で、誰も興味を抱かないだろうなと一瞬考えた。予想は的中、訪問者は激減した。そのためでもないが、今朝は今夜のこの投稿を別の題名にし、カテゴリーも違うところにしようかと考えた。日づけが変わった深夜、どうしようかと迷いながらとにかく書き始めている。で、「その2」でおしまいにするつもりが、「その3」まで続けることにする。待ちくたびれているキャプテン・ビーフハートのCD『BAT CHAIN PULLER』は、アメリカから発送して1か月経つのに、まだ届かない。これほど遅いのは初めてだ。ひょっとすれば届かないかもしれない。前回のザッパの『カーネギー・ホール』は4枚組であるべきものが3枚しか入っておらず、連絡して交換してもらえたが、届かない場合はどうなのだろう。運の悪さは続くから、届かない可能性が大きいと思っていい加減だ。それはさておき、研修会の午前中のふたつ目の訪問施設はみやこメッセだ。ここは岡崎の京都会館の前にある。昔は勧業館という古くて大きな建物があった。その北隣りに京都伝統工芸産業会館が出来たのは30年ほど前で、ここでよくキモノの展覧会があったので、1年に2,3回は訪れた。インドのベージュ色の石をファサードに用いてそれなりにいい建物であったが、勧業館がみやこメッセというより大きな建物に建て変わる際に取り壊された。建っていたのは20年ほどではないだろうか。鉄筋コンクリートの建物の寿命の3分の1ほどで壊されたからもったいない。だが、インドの石は京都の風土に合わなかったようで、表面に黒い染みがたくさん出て、汚くなっていた。磨くのも費用がかかるのでそのままにされたのだろう。その伝統産業会館はみやこメッセの中に入ることになった。それが地下にある「京都伝統産業ふれあい館」だ。みやこメッセは大きな部屋がいくつもあるが、ここが一番大きな面積を占めているのではないだろうか。他の部屋は貸し会場で、企業が展示場に使われ、古書市にも使われる。
岡崎は三条河原町から15分ほど歩くかバスに乗らねばならない。付近は自転車を停める場所がなく、車は地下駐車場があるが、もちろん有料だ。この足の悪さによほどのことがなければ出かけるのが億劫だが、美術館に図書館があるので、筆者は毎月最低1回は訪れる。そのため、自治連合会として40人ほどで行くと聞いた時、筆者だけ図書館で調べものでもしておこうかと考えたが、小1時間の滞在というのでみんなにしたがった。というのは正確ではない。筆者だけ前半のみ別行動をした。全員自由行動が許されたので、それでもかまわなかった。筆者ひとりが気になって見たのは、訪れる1週間ほど前、図書館にあったチラシの「京陶人形展」だ。このチラシは裏面には印刷がなく、表側に小田益三という作家の「灯」と題する土人形が大きく印刷されている。これがなかなか見事で、他の作品を見たかった。カメラを持参していたので、それらを撮影したかったが、撮影禁止の札があった。「京都伝統産業ふれあい館」の入口の斜め向かい側の2部屋を使っての展示で、全部で30点ほどあったろうか。京都は人形作りでも有名な土地だが、その素材に土が用いられるのは伏見人形からの伝統と考えてよい。つまり、本来は安物で庶民のものだ。ところが、展示されていたものは予想どおり、品のよい芸術作品ばかりで、値段はついていなかったものの、庶民が気軽に買える価格ではないはずだ。伏見人形のように型で抜いて量産するものならそうではないかもしれないが、1点ずつ丹精込めて作った上品さを売りにしているので、気軽に手に持って量感を楽しむというものではない。伏見人形とはそこが大きく違う。その伏見人形も半世紀ほど前ままだそれなりにしっかりした手技で彩色されていたが、今はいかにも下手くそな描き方で、素朴さと拙さを混同している。柳が言った民芸はそのようなものではなく、技術もそれなりにしっかりしたものであった。伏見人形は昔と同じ型を使っているので、形だけはどうにか古いものを模倣出来るが、それでも昔のきわめて軽い造作と比較して、今はその数倍はあるかと思える鈍い肉厚のものとなって、やはり型抜き職人の腕も落ちていると言わざるを得ない。にもかかわらず、ほとんど独占企業なので、価格だけは高価になる一方だ。それならネット・オークションで古いものをそれより安価で買った方がよほどよい。伏見人形のそういう現状を、他の陶製の人形が反映しているのかどうか。そこが気になった。どれも作家の名を出して作っているものだけに、つまり伏見人形のような原則的には無名性に安住するものではないだけに、個性が溢れ、しかも隙のない仕上がりを見せていた。そこが面白いかどうかは判断が分かれる。伏見人形はいわるゆ「玩具」の一種だが、そういう子どもが楽しめる雰囲気はなく、あくまでも大人が鑑賞するものだ。また、土で作らねばならない必然性があまり感じられず、その点は伏見人形の伝統と貫禄に追い着いていない。今回初めてこうした土人形の作家仕事をまとめて見たが、期待した割には強い印象を残す作品がなかった。それは見慣れていないからでもあろう。最も気になったのは、作家たちがどのようにして食べているかだ。販路や一体の価格の問題など、よほどの人形好きの顧客をたくさん持っていない限り、人並みの収入が得られないのではないか。あるいは日本は広いので、こうした京都の土製の人形の収集家がそれなりにいるのだろうか。
「京都伝統産業ふれあい館」は、みやこメッセが出来た当時や、それ以降も2回ほど行ったことがある。だが、年々展示や実演が拡充していると見え、初めて訪れるような気がした。京都は伝統工芸の本場であるから、この施設に展示すべきものはあまりに多い。そのため、全部を紹介することは不可能だ。だが、それを案ずる必要はない。各分野ごとに大きな組織を持ち、自前で展示施設を持っているからだ。特に染織や陶磁はそうだ。ここではそれ以外の比較的地味なものが対象になっていると考えてよい。それでも染織は陶磁を無視することは出来ないので、それなりにスペースは与えられている。そのため、他府県から訪れた人が小1時間でざっと京都の工芸を知るには最適な施設だ。それは京都の工芸に携わる人にとっては物足りないことでもあるが、分野が違えば知らないことも多いので、他の工芸を概観しておくためにも一度は訪れておくべきだ。全20ページの小さなパンフレットをもらって来たので、それにしたがって紹介しておく。まず「京都の伝統産業の歴史」が簡単に書かれ、その後はまず「染織」が紹介されるが、1ページ内に「西陣織」「京鹿の子絞」「京友禅」「京小紋」「京くみひも」の6種の写真と説明が載る。実際はもっと多様で、それを示すかのように次のページは「染織/諸工芸」と題して、「京繍」「京黒紋付染」「京房ひも・撚ひも」「京仏壇」「京漆器」と続く。いかに京都が染織王国であるかがわかる。このようにいちいち書いて行くと大変なので、途中を飛ばして半ばあたりを見ると、「諸工芸」から「小規模産地」と見出しが変わる。この小規模産地の中に「かるた」というのがあるが、これは任天堂を誰しも思い出すだろうが、任天堂だけではない。ともかく、ニンテンドーのゲーム機はそういう京都の伝統産業の中から生まれて世界を制覇したことが面白い。注目したのはこの「小規模産地」の中に「伏見人形」があることだ。館内の最後は割合広い面積を取ったお土産コーナーで、そこに伏見人形が並べられているかと期待したところ、係員に訊ねてないことがわかった。それには理由があるはずだが、あまりに伝統産業の品目が多過ぎて全部を並べることは不可能というものも含まれるだろう。だが、それが最大の理由ではないはずで、この土産コーナーには伝統産業でない個人の商品がそれなりに目立った。おそらく特定の業者に任せているはずで、そこが独自性を出すために、ここでしか売っていないものを並べたいに違いない。その個人の作家商品はたとえば切り絵だ。はがき大の切り絵が数種類売られていた。それは技術的にもたいしたことがなく、また京の伝統工芸とも無関係なものだ。誰が買うのだろう。作家を自称しても、その技術でまともに食べて行くのは大変なことだ。まだまだ書きたいことはあるが、明日に回す。