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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●「災後」の気分、さらに
という文字が東日本大震災の最も象徴的な言葉になっている。震災に遭った人々の心が萎えてしまい、親しかった人と疎遠になってしまうことを懸念しての言葉だろう。



●「災後」の気分、さらに_d0053294_23514367.jpg

だが、以前に書いたようにこの言葉があまり好きではない。気恥ずかしいというか、「絆」をどう行動で示していいかがわからない。現地に行ってボランティアをする人はいい。だが、大多数のそうでない人、したくても出来ない人は、被災者との絆をどう表現すべきか。『頑張ってください』と言ったり書いたりするのは簡単でも、昨夜も書いたように、何をどう頑張っていいのかさっぱりわからない人たちがあまりに多い。「絆」を言うのであれば、それこそ昨夜書いたように、被災者以外の住民全員が、1割程度の資産を強制的に分け与えるのがよい。これは貧しい人には大きい割合であるから、金持ちには3割ほど供出させる。それくらいのことをしても誰も死ぬことはない。そのようにして財産を分配でもしなければ、被災者の元の笑顔は戻らないだろう。いや、それをしても半分以上は戻らない。大勢の死者が出ているからだ。財産を強制的に分かち合う法律は絶対に出来るはずはないから、結局は現状の寄附、募金に頼らざるを得ない。それが「絆」の最も明確な態度表明だろう。ところで、「絆」で思い出す言葉に、1970年代初めにはやった「運命共同体」がある。愛社精神を煽るために企業がよく使った。筆者はその言葉も気に入らなかった。そもそも大勢が集まって肩を組み、合唱するといったことも嫌いで、「われわれ」という表現でさえ、自分の思いの表現としては今までに使ったことがない。自分が所属する団体があると思っていないからだ。いつもひとりであり、ひとりで責任を負って生きて行く覚悟のようなものが、若い頃からある。そういう人間が自治会長をしていることはおかしいが、頼まれたことの内容に対し、何らかの筆者なりの行為が可能と判断して承知した場合、集団の中で動くことは厭わない。それはともかく、企業が「運命共同体」を言う場合、その運命は他社はもちろん含まれない。それは蹴落としの対象だ。会社がそうであれば、個人も似たところがあり、また国家間もそうだ。「地球共同体」という概念を持ち出しても、それは宇宙全体から見ればエゴと言ってよい。東日本大震災以降の日本が「絆」を言う場合、そこに「運命共同体」ほどの強い響きが感じられないのは、この数十年で日本が冷めて来たからではないか。「運命共同体」は、共同体の中のひとりでも不幸を感じていると全員が浮かばれない、絶対的な、またであるからこその、べたべたした印象が強い。一方の「絆」は「友情」や「愛情」に近い言葉で、たくさんの人ではなく、個対個がつながり、しかもお互いが対等の存在で、意志の細い糸でつながっている様子を思わせる。大震災以降、もし「運命共同体」という言葉が流行していたならば、先に書いた財産を強制的に分割して被災者に配分するといった考えがもっと出て来るかもしれない。放射能汚染を思えば、「運命共同体」という言葉こそ定着させるべきではないか。その思いが希薄であるから、放射能を世界にばら撒いてもあまり恥じ入りもしていない。あるいは、日本が思う「運命共同体」はやはり1970年代のままのもので、他国は無視してよいのだろう。
●「災後」の気分、さらに_d0053294_2352854.jpg

 大震災以降、まずTVが一斉に注目したのは福島原発であった。メルトダウンはしておらず、チェルノブイリの大被害と比べるのは失礼千万だという思いが、マスメディアにもそれを受け取る人々にもあった。危機意識のなさがそこに露呈していた。『メルトダウンしていました』と発表したのは世間のほとぼりが冷めてからで、TVも新聞も真実を伝えなかった。だが、それを「騙された」と感じる人は少ない。そういう優しき、しかも鈍感な人が大勢を占めていることを政府もマスメディアも昔からよく知っていて、どうにでも情報操作を行なえる。であるから、放射能の数値にしても何が真実かはわからない。おそらく国や地方自治体が発表している数値の数倍は危険と思っていていい加減だ。メルトダウンしたとはいえ、放射能が無味無臭無色であったことは何とも国や東電にとっては幸運で、どうにでも国民を欺くことが出来る。仮に数年後に癌患者が爆発的に増えても、誰かが出て来て頭を一度下げればそれで済む。金銭での保証は税金を使えばいいし、そのためには増税で、政府も東電も何ら困らない。こんなことは大震災後に何度も書いたし、書いていてむしゃくしゃするが、この気分こそ「災後」ならではのものだ。話題を変える。「運命共同体」の思いを企業が抱くことによって、日本は世界に稀に見る高度成長を遂げた。そのためもあって、この「運命共同体」は、戦前の「1億総玉砕」という言葉を思わせる。「戦後」は、焼け野原から日本が見事に復興したとよく言われ、「災後」も同じ気持ちになって頑張れば、大震災以前の生活を取り戻すことが出来るという意見がある。そのためにも「絆」を合言葉にしている。だが、「戦後」と「災後」が違うのは、戦後は日本中が疲弊状態で、またアメリカがどっと入って来て、アメリカ流の文化国家に憧れながら、電化製品や車など、前向きの夢、つまり明確な目的をもって生活することが出来た。震災以降は、震災に遭った地域と、そうではない地域とに分かれ、しかも溢れる物に取り囲まれて日本はもはやほしいものがほとんどなく、新たな夢を描くことが出来ないでいる。「1億総玉砕」が「運命共同体」にバトンタッチしたことは戦後の活力が1970年代まではまだ続いていたことを示す。そして「絆」という新たな表現は、「運命共同体」とは明らかに違って、ツイッター時代の個対個のつながりを基本としている。それは顔が見えず、かなり脆い部分を抱え込んでいる。筆者が「運命共同体」という言葉を気に入らず、今また「絆」を好まないのは、多数となって他を排斥することを嫌い、顔が見えない無名の個対個のつながりを信じていないからだ。
●「災後」の気分、さらに_d0053294_2353225.jpg さて、今夜もMOに保存しながら投稿の機会を逸した写真を載せる。最初は芦屋公園の松林だ。芦屋川が海に注ぐその左岸にこの林が続く。テニス・コートがそれを南北に分断していることは前に書いた。北側の林の北寄りに、古い石碑が建っている。明治時代のものだったと思うが、芦屋の発展に多大な寄与をした男性を顕彰したもので、惜しまれながら40歳ほどで死んだことが古い文体で書かれていた。議員といったような人物ではない。芦屋の歴史では有名なのかもしれないが、地元の昔の人たちだけが記憶するこういう人物を称える人たちがいたことは心温まる。南側の林には、川沿いの道路に面して、日中友好碑がある。これは70年代にブームであったようで、各地に見られる。その中国が今は驚異的な経済発展を遂げているが、半世紀経たずしてそうなることを70年代の人々が想像したろうか。それはさておいて、東日本大震災では津波で松林が大被害を受け、1本だけかろうじて残ったものの、それも塩害で枯れるのを待つのみだ。元の立派な松林が出来ることは地元の人々の切なる願いであり、それもあって一本松から子孫を増やす試みがすでに行なわれている。その松にこだわらなくていいではないかと言えば、人の思いとはそんな単純なものではない。大津波で1本だけ残ったことに希望を見出したいのだ。2枚目の写真は堂島ロールを売る店だ。オレンジ色の外観は、いかにもヘルメスの商品袋を真似たような高級趣味だが、この色は周囲からは浮き過ぎている。渡辺橋北詰めに交番があり、その西隣りがこの店だ。1年前はいつも10人や20人の行列が出来ていた。TVで若い女社長の働きぶりが紹介され、さらに売れ行きが増すかと思っていたところ、大地震が起こり、どうもそれからこの店に行列が途絶えた気がする。いつ行っても誰も並んでいない。震災のために関西もえらく不況だ。骨董屋がまず駄目で、伊万里焼は以前の3分の1の価格に下落していると聞く。また、人々があまり外出しなくなったようだ。そう言えば食べ放題の店が増えたのではないか。堂島ロールはあの手この手を使って限定商品を企画し、『草間彌生 永遠の永遠の永遠』展に際して、ロールケーキの皮がピンク色で、そこに直径3,4センチの白い水玉模様を並べたものを販売している。その写真を載せたいが、買っていない。3枚目の写真は高槻の「北欧館」だ。家内の姉の通夜に行く途中、少し時間があったので、以前行った時に閉まっていた店を再訪した。表にムーミンのぬいぐるみを置いていた。若い女店員がふたり中にいた。外から店内をざっと眺めると、女性の洋服や小物が中心で、筆者は門外漢のように感じた。京都の北欧館は京都市バスに大きな宣伝を貼りつけながら、人気が出ないままに閉店した。残っているのは高槻店だけだ。ところが、ネットで調べると、同じ会社は「わかさ生活」という名前で巻き返しを図り、京都市バスのバス停ではブルーベリーの大きな宣伝を掲げ、また同じキャラクターはアニメとなってTVコマーシャルに登場している。このブルーベリーは北欧の特別な品種らしく、高齢化に向かう一方の日本で、「若さ」を回復したがっている人々の心をつかもうということなのだろう。若さに勝るものはなしだ。それさえあれば前向きな夢を描き、せいぜい異性との絆を強化する意志も絶えない。「災後」の気分は、人によってさまざまであるのは言うまでもないが、世代によっても大きく違うだろう。高齢になるにしたがって、特に男は孤立するが、女は案外そうではなく、「運命共同体」的につながる。4枚目の写真は先月25日の北野天満宮で写した。本殿に向かう石畳の参道両脇に屋台がずらりと並ぶが、そのために参道脇に点在する牛の置物が見えない。数年前に新調された黒い子牛を探していた時、佐世保バーガー店を見つけた。それを買って頬張るには、参道を行き来する人々の邪魔になってはまずい。それで屋台と屋台の隙間に隠れるようにして食べようとしたところ、すぐ目の前に目当ての子牛を見つけた。その2メートルほど横でハンバーガーを食べた。大震災で東北の乳牛が放置され、野生化したというニュースがあったが、まだ生きているのがいるだろうか。
●「災後」の気分、さらに_d0053294_22563916.jpg

by uuuzen | 2012-03-12 23:53 | ●新・嵐山だより
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