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●「災後」の気分
望を持つと同時に語り継いで行かねばならないという表現が、今つけっ放しにしているTVから流れた。東日本大震災からちょうど1年、今日のTVはその特集番組をどの局もやっている。



昼過ぎに2時間ほど自転車で右京図書館などに行ったほかは、ずっと家にいて、特集番組を数時間見続けた。「災後」という言葉を「戦後」に代わって用いようと、先日の夜9時のNHKニュースで言っていたが、確かに1年前の大震災は阪神大震災とは違って、津波と放射能汚染が重なって、人々の心に重い後遺症を残した気がする。深刻な気持ちに長らく耐えられないのが人間だが、関西に住んでいて、大震災について最初の3か月に比べてかなり忘れたかに見えて、実際は忘れたことがなく、すぐに当時のショックが蘇るというのが、ほとんどの人の心の状態ではないだろうか。そういう気持ちでいながら、一方ではどうしようもない個人の力のなさを知っているので、なおさら気分が落ち込む悪循環から逃れることが出来ない。そして、そんな気持ちで今日の特集番組を見ていると、どうも演出が過ぎると思ってしまう自分に気づき、この全面的に熱くなれない心境もまた地震がもたらした虚無感がなせるものかと思ってみる。最初に書いた「希望を抱く」という意見は、まことにそのとおりだが、どう希望を抱いていいのかわからないのが被災者だ。さきほど、長淵か長渕か、日本の歌手が被災者と話しながら、「物ではなく心ですよね」と意見していた。その心をどう被災者に届けるかとなれば、結局のところ震災前の生活に戻すことしかない。それがかなり不可能となれば、「心を」という意見も空虚に響く。34万人が避難生活を送っている。その大勢の人たちに、震災の被害に遭わなかった者がどう心を届けられるというのか。歌手が元気な歌を歌ってあげることもひとつの手だが、そのことで根本的に被災者が救われることはない。熱い心を与えたと思うのは勝手だが、そこに人気者の思い上がりが混じらないことを願う。また、何も行動しないより、その歌手のように現地に入ってさまざまな支援を行なうのは見上げた行為だが、何か行動したくても、それが出来ない人の方が多い。不況の日本で、震災に遭わずとも生活苦の人は大勢いるし、現地に行って瓦礫の処理を少しでも手伝いたいと思いながら、経済的にはもちろん、体力的にも能力がなかったりする。そういった人を思うだけで行動しないと責められない。
●「災後」の気分_d0053294_23522919.jpg
 日本のどこで大地震が起こっても不思議でないとするならば、国民全員から経済能力に応じて、被災者に強制的に財産の幾分かを分け与える法律でも作ればいいと筆者は考えるが、それにはきっと猛反対が起こる。金持ちほどそうだろう。そんな国は共産主義と同じという意見も出るに決まっている。そこで思うのが、最初に書いた「語り継いで行かねばならない」という意見だ。これは全くあたりまえのことであるし、そのこととは別の観点からも意味がない。というのは、東日本大震災は1000年に一度ほどの巨大さであったが、1000年前のことを日本人はすっかり忘れるという事実を、去年の大地震は白日のもとに晒した。そのためにも「語り継いで行かねばならない」は、1000年後に伝えて行こうという意見であるのかもしれないが、防波堤を高くする一方、今回津波に襲われた地域はすべて強制的に人を住まわせず、高台に移住させるべきではないか。住み慣れた土地に愛着があるという考えはわかるが、また巨大津波に襲わればどうするのか。そんな恐怖を抱きながら生活することよりも、土地への愛着の方が強いというのであれば、それは個人の勝手で、そこまで政府は介入出来ないが、ならば自己責任であって、津波に襲われた場合、政府からの援助を受けることを当てにするのはおかしい。こういう意見は無慈悲と言われるに決まっているが、危ないと言われているところに好きで住むからには、それなりの覚悟と自己責任は当然だ。それはさておき、1000年に1回という確率が微妙なところで、その規模の大地震による津波によって財産をすべて失うとしても、999年間には充分便利さや経済的にも潤ったのであるから、高台の不便なところに住み続ける選択はおそらくなされない。つまり、1000年に1回の割合ですべてを失っても、高台に住むよりよいという考えだ。それが大勢を占めているのであれば、それは危険よりも経済のことを優先していることを世界に示し、次の1000年後の巨大地震の際、はたして多くの同情を得ることが出来るだろうか。「語り継いで行かねばならない」という、その内容は何か。それが気になる。巨大地震から教訓を得て、1000年後のそれの被害から免れるという考えが基本にあるべきで、ならば、もう津波に襲われる低地には住まないことだ。その決意がなければ、1000年経っても同じことを繰り返している。だが、筆者の見るところ、日本人の意識には進歩がない。1000年前にも同じ津波の大被害があったのに、去年の大地震はその何倍もの大きな被害をもたらした。1000年前に学ばなかったどころか、かえって愚かになっている。そう思うと、1000年後はもっとひどいことになっているはずで、そういうことを想像しながら今日の特集番組を見ていると、心が冷めて来る。
●「災後」の気分_d0053294_235255100.jpg
 復興庁を東京にではなく東北に本部を置くべきだという意見がある。福島原発は東京を繁栄させるために作られたもので、日本は東京より断然福島を軽んじているのは言うまでもない。東京が元気であれば日本全体がそうで、福島にもそのおこぼれが届くという考えだ。したがって、福島県全体がごっそりと日本からなくなっても、東京は原発の立地の観点から困るだけで、それ以上の同情はしない。復興庁が東京に出来たのも同じことだ。地方は黙って東京の言うことにしたがっておればよいという考えだ。原発でさんざん利用したことと同じ図式が、復興庁や今後の日本の政治で行なわれ続ける。東北が元に戻ってもらわねば困るというのは、そこで生産される工場製品が日本の経済に不可欠な場合が多々あるからで、これも東北にそうした工場があっての話だ。復興の話になると、いつも原発を再稼動せねば経済が衰えるといったお金の話になるので、そのために先の歌手は「心ですよね」と言ったのかもしれないが、心があってもお金がなければどうしようもないことを忘れてはならない。1000年前の日本は今より経済的には貧しかったであろうし、津波でたくさんの人が亡くなっても、その情報が上方に届き、多くの人の同情を誘ったことはないだろう。それで東北の被害者たちは一時期は海に寄りつかなったであろうが、海の幸で食べて行かねばならない人たちは結局はまたその恐ろしい海の中から恩恵を蒙ることを選ぶ。そしてまた地震前と同じ生活が続く。1000年先のことなど、誰も考えない。明日か来月がよければそれでいいのであって、豊富な恵みが得られるのであるから、海に少しでも近いところに住む。自然は恵みを与える一方で危害を加える恐ろしいものであることを肝に銘じておくべきであるのに、科学が発達すると、その恐ろしい面を侮る。その結果が東日本大震災であったが、今後どう希望を抱いて、何を伝えて行くのか、今日の特集番組をあれこれ見ながらさっぱりわからなかった。阪神大震災で被害を受け、今は復興して店を営業する神戸人が出演し、「頑張ってください」と意見したところ、NHKの司会者は「どう頑張ればいいですか」と切り返した。神戸の店主は10数年も経てばどうにか収まるところに収まりますよとい楽観視を言いたかったのだろうし、それはわからないでもないが、東北の商店街は移住者が続出し、ひどいシャッター通りの現状に神戸の商店街のような活気が戻って来ることを半ば諦めている。そのために「どう頑張ればいいですか」という質問なのだが、神戸の店主にすればそれでもなお「頑張ってください」としか言いようがないことも事実で、そこには「心を」届けるしか、またそれを継続して励ますしか復興はないという一種の信念があるように見えた。だが、数年後にまた別の場所で巨大地震があれば、日本はどうなるだろう。そのことをまず念頭に置きながら原発をどうするかを考えるべきだ。文明が発達する分、1000年ごとの巨大地震の被害が大きくなるとすれば、それは文明が発達したとは言わない。退化していると見るべきだ。世界は1000年前よりひどいことになっているという見方をしてみることも大切ではないか。
●「災後」の気分_d0053294_11553044.jpg
 さて、今日の写真をどうするかと考えた。MOに未投稿の最近の写真がたくさん保存してある。以前の投稿に載せようと思いながら忘れていまったものが多い。在庫整理として今日はそういうものの中から3枚載せる。最初は「あしやウォール・ペインティング」という壁画道路で撮ったもので、これは『ジャクソン・ポロック展』の感想を書いた時に掲げるつもりであった。2枚目は名古屋に行った時、地下鉄で中村区役所駅で下車し、近くのスーパーでキャベツなどを買った後にまた地下鉄に乗って撮った。どうでもいい写真だが、なぜか没にするのが惜しいと思った。案外こういう写真を撮った時にことを長らく記憶する。人生は印象の強いことばかりが優先して記憶されるとは限らない。瓦礫が世界にたまに大規模に姿を見せるのと同じように、一見意味のないような映像が脳内に留まる。3枚目は松尾橋のバス停前からその南側に建設中のマンションを撮った。以前に撮った同じ角度の続きだが、画面左端に傘を差す家内が写る。加工の際にカットしてもよかったが、松尾橋のバス停から一緒に乗ることは10年に一度の珍しいことなので記念に載せておく。4枚目は松尾橋の上から桂川を見下ろして撮った。以前これと同じような三角洲の写真を数枚載せたことがある。その後も同じ砂州をたまに見下ろすが、以前のようなきれいな尖った三角形は見られない。上流から豪雨のたびに土砂がこうして堆積し、砂州の形も二度と同じものにはならないようだ。今日掲げるものは2週間ほど前に撮ったが、以前とは違って三角形が逆に現われていた。わずか数か月の間にも自然はそのようにすっかり違った形を作る。1000年前の恐怖をすっかり忘れるという方がもっともなことなのだ。デジタル時代になって、どんな情報でも半永久的に保存出来る時代になったが、それもいい加減なもので、残っていても誰も注目しないのであればないも同然だ。それと同じことが1000年前の地震だ。ごく一部の学者しかその被害の重要性を信じなかった。そうならないためには、ひとりの人間が1000年の寿命を持つことだ。人間がそれを望めばいずれそんな時代が来るはずだが、それで人間が賢明で幸福になるかと言えば、言わずもがなだ。
●「災後」の気分_d0053294_23531559.jpg

by uuuzen | 2012-03-11 23:54 | ●新・嵐山だより
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