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●「OVER THE HILLS AND FAR AWAY」
郷の果て。これが邦題だが、さほどよくない。まず、意味が曖昧だ。望郷を果てしなく続けるのか、望郷が果ててしまったのか、どちらかわからない。



d0053294_133742.jpg「丘を越えてさらに遠く」と直訳するのもよくないし、ここは「越える思い」とでもした方がいいか。さて、この曲を歌って演奏したゲイリー・ムーアは去年2月に亡くなった。当時そのことを知っていたが、このカテゴリーに書く機会を逸した。それで1年待った。まだ寒い2月の末日の今日を逃せば、また来年になってしまう。2,3週間前から今夜はこの曲を取り上げるつもりでいたが、ここ数日は気分が変わったその気が失せた。それで別の曲をと考えて昔のドーナツ盤を1枚選んだが、それも気乗りしないので、また本曲に戻った。本曲が収録されるアルバム『ワイルド・フロンティア』が発表されたのは1987年だ。日本がいよいよバブル景気に沸き始める頃だ。本曲を初めて聴いたのは、ヴァージン・レコードが発売したLP数枚組のボックス・セットであった。その中に本曲と、もう1、2曲ゲイリーのものが入っていた。そのセットものを、他のたくさんのLPとともに、レンタル・レコード店が廃業した時に格安で買った。1枚100円で、ボックス・セットも同じ値段であった。1988年か89年だった。当時CDが勢いを増し、アナログ盤は急速に人気がなくなり始めた。そういう関係でレンタル・レコード店も廃業したのだろう。商品をCDに入れ換えて再起を図る手もあったはずだが、店が入っていた大きな建物そのものが大きくリニューアルして、レンタル業から撤退した。そんなことはどうでもいい。まとめ買いしたLPの大半はほとんど感心しなかった。それはさほど聴かなかったことにもよる。筆者はどちらかと言えば耳慣れない音楽に喜んで飛びつく方ではない。関心があって買いはしても、数年あるいは10年以上も聴かないことがよくある。そのため、所有していることをよく忘れる。最近もいつ買ったのか記憶にないCDを棚に見つけ、しばしそれを聴いたが、今頃になって興味を抱いている。そんな具合なので、安いからといってまとめ買いしても、消化不良に終わることが多い。もったいない話だが、音楽をじっくり聴くには時間が必要で、これは贅沢な話だ。サラリーマンではなかなかそういう時間を持ちにくい。そのためにウォークマンやiPodがはやる。自宅でいつでも大音量で聴くことの出来る筆者は幸福と言わねばならない。
 話を戻して、ボックス・セットのLPの中で一番印象に残ったのはゲイリー・ムーアの本曲であった。ともかく一回聴いて即座に胸に響いた。だが、そういう曲はあまり信じないことにしている。耳障りのいい曲ほどすぐに飽きる。最初はあれほど熱中したのに、しばらく経つとけろりと忘れてしまう。そういう聴き方は責められない。大多数の人はそのようにして流行の音楽を聴く。本曲に痛く感心した後、取った行為と言えば、ゲイリーのCDを買うことであった。85年発売の前作『RUN FOR COVER』、83年の『DIRTY FINGERS』、そして89年の『AFTER THE WAR』、90年の『STILL GOT THE BLUES』などを次々に買った。結局のところ、格別にいいと思ったのは本曲が収まる『WILD FRONTIER』であった。前奏つきのロング・ヴァージョンのミニCDも買ったが、それら全部のCDを息子に聴かせた。すると、息子もどっぷりとはまった。そしていまだに返してもらっていない。ひょっとすれば全部中古CD屋に売り飛ばしたかもしれない。さきほアマゾンで調べると、『WILD FRONTIER』はリマスター盤や紙ジャケ盤が近年発売され、本曲のロング・ヴァージョンが途中に入っている。それを聴きたいが、一方ではすっかりこの曲の隅々までが脳裏にあって、もはや聴く必要がないとも思う。それほどにわかりやすく、また名曲というべきだ。筆者は最初に聴いた時から歌謡曲の世界を思い浮かべた。歌謡曲だけは買ってまで聴こうとは思わないが、洋楽でも歌謡曲的なものはたくさんある。特に民謡的なメロディを持ったものはそうだ。カンツォーネはその最たるものだろう。そのためにも、60年代に日本語でカヴァーされて多く曲がヒットした。だが、民謡を言えばブルースもそうだ。歌謡曲に何とかブルースと題がつくものがあるが、それらは見事に日本のヨナ抜きにブルースのコードを合体している。したがって、歌謡曲を洋楽より低く見ることは偏見と言うべきだが、それでもなお、何とかブルースという歌謡曲を聴くならば洋楽がよい。模倣や引用をしているものより本家を聴く方が安心出来るではないか。洋楽に色目を使った歌謡曲より、純日本的な歌謡曲の方がまだよい。それはさておき、去年ゲイリーが亡くなったことを知った時、ユーチューブでこの曲を検索してみた。すると女性を含む日本のバンドがコピーしていることを知った。その演奏を見ながら、本曲の歌謡曲っぽさを見事に引き出していると思った。歌謡曲を馬鹿にするのではないが、歌謡曲だけを愛好する人の中に知識人が多く存在することを想像するのは難しい。歌謡曲は一部の熱烈なファンを抱えるものではなく、好き嫌いを別にして、平均的庶民の大半に耳馴染むものだ。本曲はまさにそういう壷を押さえたメロディと歌詞内容で、大ヒットしたのは当然だ。本曲のわかりやすさは、『RUN FOR COVER』あたりから予告されていたが、厚みや完成度からすれば『WILD FRONTIER』は数段勝る。ところが、すぐにブルースに回帰し、当時筆者はがっかりした。『STILL GOT THE BLUES』はそれなりに泣き節が利いてよく出来たアルバムだが、ブルースなら他のミュージシャンでもやる。また、本曲での速弾き魅せられると、スローなブルースは気分が滅入るところがある。
 ゲイリーは北アイルランドの生まれだ。1952年というから筆者より1歳下だ。北アイルランドはイギリスに所属している。U2はアイルランドのダブリン出身だが、このアイルランド本国と北アイルランドは、宗教の違いがあって、流血の紛争が絶えない。それは日本ではあまり関心が抱けない問題だが、ビートルズにおいても、アイルランドは無視出来る要素ではない。ビートルズが解散した直後、ポールやジョンはアイルランド問題について作曲し、自ら歌った。また、ビートルズの曲にはアイルランド民謡の影響が少なくない。そして、日本は古くからアイルランド民謡を翻訳して学校で教えて来たので、日本がビートルズを歓迎したことには歴史的背景があった。また、そういう経緯の延長上に、本曲が日本のロック・バンドによってカヴァーされる。先に本曲が歌謡曲的と書いたが、歌謡曲にアイルランド民謡に通じるものがあると言うべきか。それは旋律の構造から言えば、どちらも五音音階という単純で覚えやすいメロディであるからだろう。もちろんその五音はアイルランドと日本とでは差があるが、単純で耳に馴染みやすい点では同じだ。だが、ゲイリーが本曲のようなアイルランド性を強く押し出したことは、以前も以後も例がないのではないか。当時北アイルランド問題のチャリティ・ライヴに出演したりしたものの、U2のようには国家にこだわらなかった気がする。そこに北アイルランドとアイルランド共和国という生まれの差があるのかどうか、筆者にはよくわからない。本曲が収録されるアルバムのジャケットを見てもわかるように、ゲイリーは細かいことに頓着しない不良のイメージが強く、U2のように政治的なことには関心を抱かなかったのではないだろうか。だが、流血騒ぎの紛争が多発することには心を痛めていたであろうし、何か自分が出来ることを考えてもいたろう。そのひとつの機を熟した行為が『WILD FRONTIER』であったかもしれない。先に前奏つきのロング・ヴァージョンがあることを書いた。その前奏は民族楽器の音色によるアイリッシュのメロディだ。アイルランドの民謡は哀愁を帯びた旋律が多い。それが短調の歌謡曲に通じるところ、本曲が日本でもヒットした理由がわかる。また、本曲の歌謡曲的なところは歌詞だ。
 ギタリストが歌って演奏することはよくあるが、ゲイリーは歌がうまい。それに加えてガンガン弾きまくるところが、とにかく格好よい。本曲を聴いて血が沸く思いがする人は、ロックの精神がわかるし、また歌謡曲の心も理解するだろう。ヘヴィ・メタが歌謡曲的と言われるこがあるが、それを言えばハード・ロックがそうだろう。スティーヴ・ヴァイの演奏はまさに歌謡曲ではないか。それはドラマティックと言い換えることが出来る。そのドラマ性が本曲には濃厚で、歌詞にもそれが盛られる。本曲の歌詞は物語なっているが省略が少なくないため、理解するには行間を読まねばならない。『WILD FRONTIER』の裏ジャケットは、丘にたたずむロング・コート姿の若い女性で、フードを目深にかぶっている。その女性が心で見つめているのは、丘をいくつも越えた遠く離れたところの監獄に入っている男だ。その男は女を愛するがゆえに、警察に隠し事をしたまま、罪を被って逮捕された。実際に目撃したことを正直に言えば、自分と女との仲が衆人に知られてしまい、女の立場がなくなる。それで何年収監されるかわからないが、男は黙って刑務所に入った。ざっと書けばそういう内容だ。そこにゲイリーの男心がある。実際のゲイリーはそうではなく、たとえば女に暴力を振るう粗野な性質であったかもしれない。仮にそうであったとしても、本曲では男のあるべき態度を書いた。そして、そういう男を待つ女を想定した。それは全くのロマンティストだが、これまた歌謡曲の世界だ。だが、ロマンを馬鹿にしてはならない。短い一生の間、せめてそんなロマンを抱いて燃え尽きることを男女ともに本能的に思い、遺伝子的に定めされている。そういう真実をゲイリーはストレートにかつ劇的に本曲に表わした。この1曲のみで、ゲイリーのすべてがわかると言ってよく、またこの1曲を放っただけでも歴史に長く名を留めるだろう。本曲でのゲイリーは、難しいことを言い、また技巧的策略に走りがちな知的な男性とは正反対に、無骨なまでの、そして肝心なことはただひとつといった覚悟を晒け出している。その点を筆者は高く買う。ユーチューブでは本曲を演奏するゲイリーのいくつかのライヴが見られるが、晩年の映像では皮膚が醜く弛み、不摂生さがあらわになっている。そのボロボロになったような姿がもっと若い頃よりも感動を誘う。老いても本曲が歓迎されたということだが、歌詞にあるように、老いさらばえても男がまだ収監されているとすれば、待つ女もまた老女になっているから、これは悲喜劇のようなものだ。それでもなお、その老いた姿のゲイリーは神々しい。その一方で、そういうゲイリーがいつ急死してもおかしくないことを感じる。ギターを演奏し、歌うことしか能がなかったゲイリーだが、その率直さはロック野郎が何にも増して持つべきものだ。
by uuuzen | 2012-02-29 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪


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