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●『世界遺産 ヴェネツィア展』
け持ちするのが癖になっていて、せっかく交通費を使うのであれば、なるべく多くのものを見ておこうという思いが筆者にはある。それだけ思い出も多くなるし、ブログ・ネタも集められる。



●『世界遺産 ヴェネツィア展』_d0053294_2285065.jpg母は筆者のそんな「ついで主義」を非難するが、いつも外出すれば3,4つの目的をこなすのが癖になっている。さて、もうそろそろ先月下旬に訪れた名古屋行きの話をせねばならない頃で、今夜は「ついでに見た」展覧会について書く。この『ヴェネツィア展』は、昨夜取り上げたウフィツィ展とのつながりとしてはなかなかよい。ウフィツィのあるフィレンツェの歴史地区も世界遺産であるし、この両都市はさまざまに張り合い、生み出した絵画も全く違った。それは後述するとして、せっかく名古屋へ行くならば、展覧会をなるべくたくさん見たい。ところが1月下旬では見たいと思うものがあまりなかった。前回行った時は、今度は博物館に行こうと漠然と決めていたので、そのホームページを見た。すると、『ヴェネツィア展』が開催中であった。京阪神に巡回するなら見なくていいが、調べるとどうも巡回しない。これは名古屋に行く目的が増えたと思った。ところが、つい数日前に、今秋京都で開催されるという予告チラシを入手した。名古屋博物館で本展の図録をぱらぱらと見た際、開催都市として、東京と名古屋のみ印刷されていた。京都展はそのページを印刷し直すのだろう。京都で開催しなければならないほど、東京と名古屋のみでは思ったより入場者数が伸びなかったのか、あるいは最初からこれら3都市を周ることになっていたのか、ともかく巡回に関しては情報が早々と出る場合とそうでない場合があって、今回は後者であった。ま、早く接することが出来たので、それはそれでよい。また、京都に巡回することがわかっていれば、名古屋では見なかったから、そうなれば名古屋で展覧会を掛け持ちで見ることにはならず、「ついで主義」の点からは敗北を喫した。だが、ついでと言いながら、そのついでをこなすにはお金がかかるから、何が損で得かはわからない。最大目的だけをこなせば、後はわざわざ時間と金を使ってまで見る必要がないというのが、本当は理想的な考えかとも思うが、まだ気力活力がある間は掛け持ち主義で行くだろう。
●『世界遺産 ヴェネツィア展』_d0053294_2184599.jpg
 ついでに見た展覧会であるからでもないが、本展はあまり印象に残らなかった。ヴェネツィア絵画展ではなく、工芸品や資料を見せる内容でもあったからだが、そのために博物館という場所が開催にふさわしかった。名古屋市博物館の内部の印象は、正面の様子を写真で見るのとはかなり違った。昭和30年代の建設だろうか、老朽化とまでは言わないが、正面中央に小さな窓口があってチケットを売っていて、その様子が昔の映画館のようだ。内部も古くて暗い感じがした。それが悪いと言うのではない。その独特の暗さは、ピカピカの新しい施設に慣れている者からすれば、懐かしく、どこか夢に出て来そうな感じがしてよい。1階が本展、2階が常設展、3階が貸しスペースで個展やグループ展が開かれる。今回は3階には上らなかった。2階はざっと見たが、縄文時代から現代までを紹介する。大阪の歴史博物館に似た展示で、小学生の団体がよく訪れるのか、ロビーの端に黄色や緑色のネットがいくつも丸め置かれていた。おそらく児童のランドセルなどの持ち物をまとめて保管しておくためのものだろう。京都では烏がゴミ袋を突っつくのを防ぐために、同じような網を同じようにして道の際などに丸めて置いている。そのため、このロビーの隅の網は、本当は何が目的なのかは知らないが、展示物よりも印象に強く、また異様に見えた。もっと目立たないようにすればいいが、ほかに置き場所がないのだろう。また、それほど児童が団体でたくさん訪れるものと見え、この施設が積極的に使用されていることが想像出来る。この博物館は桜山という街にある。初めて訪れるが、館のすぐ近くに高校が2,3あるようで、たくさんの学生が下校しているのに出会った。また、博物館の近くに飲食店は少ない。あってもみな昼の営業が終わっていた。それで仕方なく吉野屋に入ったが、牛丼が有名なのに、より高価な豚丼を頼んで、帰宅後そのことを家内に話すと笑われた。それはともかく、その吉野屋はかなり広いのに、若い女性がひとりで切り盛りでいた。注文から調理、洗い、レジまで全部ひとりでこなしていた。客が少ない時間帯だけのことだろうが、店員の賃金はさほど高くはないはずで、今は目いっぱい人を働かせるようだ。また安いメニューばかりであるのに、その店員は実にさわやかな笑顔で、そこまで経営者はサービスさせるのかと思った。今までに吉野屋に入ったのは2回に過ぎないが、この店の人気が高い理由がわかった気がした。名古屋に行って昼食が吉野屋はないが、それほどに博物館周辺は営業している店がなかった。ま、どうでもいい話だが。
 海上都市のヴェネツィアを意識しているのが大阪で、「水の都」という名称を日本全国に植えつけようという思いがある。中之島あたりは確かに川面が目立って趣があるが、それでも頭上を高速道路が走り、市内の本町橋界隈でも同じ状態だ。「水の都」は江戸時代までの話で、今はかなり嘘が強い。川を埋め立てて道路にし、しかも埋め立てない川には太い杭を打ち込んでその上に高速道路を走らせたから、市内の河川はほとんど死んだも同然だ。ヴェネツィアは車が走らない。そのため高速道路は不要だ。日本にヴェネツィアがあれば、きっと大土木工事をして、環状高速道路を走らせ、海底には地下鉄を縦横に造ったはずだ。車を世界に売って儲けた日本であるから、京都市内でも高速道路を走らせて平気で、フィレンツェやヴェネツィアのように、古いままに街並みを残しておく意識がない。そのため、「水の都」などと嘘を言って観光誘致に懸命な姿を見ると、ヴェネツィアに対して恥ずかしい思いがする。韓国のソウルでは、高速道路を壊して元の川に戻した。それほどの勇気が大阪にあるだろうか。それどころか、京都ですら金閣寺のすぐ近くまで高速道路を走らせたがっている。今回の展覧会の副題は「魅惑の芸術-千年の都」で、これはそのまま京都を紹介する展覧会にも使っていいほどだが、丸ごと京都を紹介する展覧会をイタリアで開催するとして、その現在の街のたたずまいを誇って示すことが出来るだろうか。イタリア人に訊いてみないことにはわからないにしても、景観に対してどちらの国が敏感で、しかも国民の思いが一致しているかとなると、言わずもがなだ。「フィレンツェは今後100年、200年経ってもそのままで、いつかまた訪れても変わらぬ姿で待っています」といったことを現地の人が言っていたが、京都はそういう場所もあるが、ごくわずかで、大半は1週間で様子が変わる。この変化の速度の日伊の差は、建物が石造りでないからなどともよく言われるが、それだけが理由ではなく、景観を重視しない国民性による。市がいくら規制しても、派手な看板が歩道の上にはみ出た形で次々と取りつけられ、何でも目立ったもの勝ちとの思いが強い。
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 なかなか本題に入れない。今回最初に展示されたのは、ヴェネツィアの眺望を描いた横長の大きな油彩と、それより大きな、世界最大級の木版による同じく眺望の図であった。当時は気球もなかったので、こうした空から見下ろした街の景観図は、地図を元にし、また高い塔から眺めた一部の様子を意識の中で拡張合成したものだが、街全体がひとつの生き物のように色合いが整っている。つまり、自然で美しい。フィレンツェもそうだが、屋根瓦の色が同じであるからだ。日本も明治まではそうであったが、和洋が折衷されてからは京都も全滅で、むしろ田舎の歴史ある街の方が雰囲気がよい。ヴェネツィアは6世紀頃に海にたくさん松の杭を打ち込み、その上に街を作り始め、1000年後の16世紀には、交易によって莫大な富を築いた。当然街は変化したし、ある絵画に描かれる建物が、別の時代の同じ場所を描いた作にはなかったりする。そのため、大阪や京都も変わらぬ歴史都市と言うことが出来そうだが、先にも書いたように、ヴェネツィアでは自動車が走らず、ゴンドラで行き交う昔ながらの生活が街を根本的に変化させなかった。そういう特殊で富を蓄えたが、一方ではその特殊性ゆえに時代の流れに対抗出来なくなって行く。まず、盛期ルネサンスの頃からオスマン・トルコが進出し、その勢力に次々に破れて行き、地中海の覇権を奪われる。また、当時のイタリアは都市国家で、都市間で戦ってもいたが、江戸時代の各藩のように、ヴェネツィアは独自の工芸品を作って輸出することで巻き返しを図った。有名なヴェネツィアン・ガラスだ。今回は大きなシャンデリアが一室の中央を占めていた。美術や美術工芸の発展は、結局のところ、経済力の問題で、どのようにして金を蓄えるかだ。そして、富の奪い合いによって、国の盛衰がある。巨万の富を得ていた時代はそう長くは続かず、周囲からよってたかってむしり取られるというのが、どのような経済成長を遂げた国における運命でもあって、その代わり、富んでいた時代に生んだ独自の文化によって後々まで記憶される。そういうヴェネツィア文化の粋をたくさん持って来る機会は今までにあまりなかった。今回は日本初公開の役140点の絵画やガラス製品、貴族の服など、多岐にわたる展示物で、栄光の時代のヴェネツィアを見せる。
 チラシ裏面の最初に載る図版は、カルパッチオが描いた油彩画の、翼のあるライオンだ。後ろ足を海に、前足を陸に載せている。本展ではこれの大きな木彫りも、先の鳥瞰図と同じ場所、つまり最初に飾られた。このライオンは「サン・マルコのライオン」と呼ばれ、ヴェネツィアの守り神だ。サン・マルコは聖マルコで、誰しも知るようにこの聖人を祀る寺院がヴェネツィアの中心にあって、ヴェネツィアを旅行する人は必ず訪れる。ヴェネツィアは、ルネサンスでは色彩豊かなヴェネツィア派を生んだ。それはよくフィレンツェの絵画と比べられる。ヴェネツィア派の絵画は奔放と言うか、快楽主義丸出しといったところがあり、それほど文化が爛熟し、頽廃的でもあった。ヴェネツィアと言えば、筆者はすぐに18世紀のカザノヴァを思い出す。まさに衰退して行くヴェネツィアが生んだ人物で、ヴェネツィアの本質を知るにはカザノヴァを知ればよい。今回チラシやチケットに大きく印刷された絵画は、『ルネサンスの巨匠ベッリーニ「聖母子」。日本初公開。』と謳い文句がつけられた、初期ルネサンスの、そしてヴェネツィア派を確立したジョヴァンニ・ベッリーニの作品だ。これは元は板に描かれたテンペラ画で、今はキャンヴァスに移されている。よくぞ日本に持って来たと思う。最後の別室の最初に展示されていて、そこだけ空気が違っていた。確かベッリーニはカイヨワが最も幻想的な絵画だとする油彩画を描いた画家だったと思うが、幻想を描こうとしたのではないにもかかわらず、幻想性がかもし出されているところに、またヴェネツィアの独特の魅力の影響があると思える。ヴェネツィアはまた美しい都市として有名で、そういう場所を克明に描いた絵はがきのような絵もよく売れた。その代表がカナレットで、今回も出品された。その中には、実際の場所を写真のようにありのまま描いたのではなく、現実にはない建築物を実在するかのように描いたものもあって、そこにも幻想性が出ていると言ってよい。娼婦が多かったヴェネツィアでは、貴族が身分を隠して行動する必要上、仮面が日常的に用いられた。それはお忍びで出かけるには不可欠なもので、またそのようにして動かねばならないほどに金持ちは秘密を持っていた。カザノヴァが登場する背景には、そういう世相があった。そうした風俗を描いた絵も歓迎され、その代表がピエトロ・ロンギで、今回は彼の作品や一派の作がそこそこまとまって並べられた。
by uuuzen | 2012-02-26 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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