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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『隠元禅師と黄檗文化の魅力 萬福寺開創350周年記念』
福寺は京都宇治にあるから、この展覧会は京都では開かれないだろうと思い、それで大阪難波の高島屋に見に行った。会期は1月19日から30日までであった。



●『隠元禅師と黄檗文化の魅力 萬福寺開創350周年記念』_d0053294_0393559.jpg東京と大阪だけの展覧であった。期待していなかったが、若冲の作品がたくさん飾られ、思わぬ収穫であった。展覧会についてはいつも前もって調べない。今回もどういうものが展示されるのか知らずに見たが、関西では初めて展示される若冲の珍しい作品もあったので、チラシを京都にまで置くなりして宣伝すればよかったのではないか。それでも大阪ではよく宣伝されたのか、観客は目立ち、やはり大阪と京都は近いにもかかわらず、全く違う土地であることを知らされた気分であった。これを契機に萬福寺に訪れたり、普茶料理を味わってみようという人が少しは現われるはずで、百貨店という制約のある会場であっても、それなりの意義はあった。萬福寺が開創されて350周年というから、本展は全国に巡回されていいが、九州国立博物館では黄檗展が先頃あった。黄檗は九州から東へと進んで来たので、その窓口になった九州が黄檗についての大展覧会を開くのは当然だ。それが大阪ではぐんと温度が下がるのはなぜだろう。東京ならもっとかもしれない。黄檗宗は東北を含めて江戸時代に全国に広まったが、本山は萬福寺であるから、京都で大規模展が開催されてしかるべきなのに、それがないのは、350年という区切りがあまりよくないか、あるいは現在京都国立博物館は新館を建築中で、少々雑然としているためか。まさかそれが理由ではないだろう。京都で開催せずとも、関心があれば萬福寺に直接来てほしいというのが寺側の思いか。だが、同寺に行っても若冲の絵画が見られないから、こうした展覧会の企画はそれなりの意義がある。ともかく、京都の高島屋でも開催されるべきと思うのに、それがそうならなかったのは、高島屋のつごうと言うよりも、萬福寺側の求めであった気がする。
 それにしても、黄檗宗について人々はどれほど関心や知識があるだろう。今回の展示で誰でもよく記憶するように思えたものは、会場の入り口にあった、大きな魚が宝珠をくわえた形の木の板である魚梛(かいぱん)と、出口近くにあった普茶料理の実物大模型だ。かいぱんは腹の中央が擦り減っていたので、萬福寺で実際に使用したものだろうか。そうでなかく、精巧な複製に見えたが、模型ならそうと断ってあるはずが、そうは書かれていなかった。ま、一種の消耗品であるので、予備に同じものをいくつか作って保持しているだろう。普茶料理は他の黄檗寺院で食べさせるところもある。肉を食べない禅僧のために、植物の食材で肉をそれらしく作ってある。それなら我慢せずに肉を食べてもいいと思うが、植物で肉らしく作るという技巧の面白さを喜んでいる禅僧というのもいいではないか。そういう騙し遊びも含んだところに禅宗があると思えば、一段と親近感が湧く。この普茶料理は一般に普及しているものもあるだろう。それほど日本の食事は禅の影響を受けたか、あるいは、元来質素な和食が禅と結びついて、日本の禅僧に取り込まれたかだ。そうそう、酒や肉を禅僧を摂らないと思うと、酒は薬と称して、わずかに飲むことはあるようだ。先日読んだ天龍寺の住持の本にそう書いてあった。だが、それも妻帯を許された明治以降のことかもしれない。それ以前の禅はもっと厳しく、妻帯はなかった。それだけ煩悩も少なかったということになる。抱えるものが多いと、より世俗的になるのは必至で、僧侶は妻帯しないからこそ、尊敬も集められたのではないか。明治政府は禅僧を堕落させるために妻帯を薦めたというが、それは半ば以上当たっている気がする。それはともかく、萬福寺と言えば、まずかいぱんと普茶料理をイメージするのが一般的で、それを今回はよく抑えてあった。もっとも、本当の見所はそのふたつに挟まれた間の絵画は仏像だ。チケットには、「うるわしの韋駄天さまを見参! 伊藤若冲を魅了したエキゾチック」を書かれて、その韋駄天像の写真が印刷される。この像は中国からやって来た仏師が他の仏像とともに彫った。それらは萬福寺に今もずらりと並ぶが、今回は韋駄天や十六羅漢像の数体が並んだ。萬福寺で最も有名な仏像は座る布袋像で、全身に金箔を貼ってある。これは萬福寺に行くといつでも見ることが出来るので、さすがこうした展覧会には持って来られない。この布袋像の向かって右に90度角度を違えた形で韋駄天像が立つが、5,6年前に筆者が訪れた際に見落とした。そのため、1回行っただけではあまり意味がないことを実感したものだ。人は現物を間近に見ても、それに対する知識や興味が欠如していると、見たことさえもすぐに忘れがちだ。たとえば、この展覧会では若冲の作品が10点ほど横並びに一列に並べなられたが、若冲についての知識に応じて、そのどれが珍しい作であるかがわかる。同じことは若冲の展示に対面する形で、同じようにそこそこまとまった数が並んだ鶴亭の作品だ。若冲は知っていても鶴亭は知らないという人は多い。そういう人が見ても感動は少ないだろうが、狂喜する人も一方にはいて、その意味で特に本展はコンパクトながら渋い内容であったと言ってよい。
 今は禅はブームとしてはどうなのだろう。中国からやって来た最も新しかった黄檗禅は、京都五山の禅とは違って、中国という特別区の印象があり、その特殊性に馴染みにくさを感じる人は多いのではないだろうか。お経も中国語で唱えるし、なぜそういう中国丸出しの禅がそのままの形で日本に存在しているのかと不思議がる人もあるかもしれない。また、なぜ350年前に日本に萬福寺が宇治に建てられたかだが、これは僧侶の要請があって幕府が認可したからだ。そこには長崎出島の存在がある。出島は中国人が出入りし、長崎には中国人がたくさん住みついていた。そうなると、そこで死ぬ人も出て来るし、またそういう人たちのためにお経を唱える中国の僧侶が必要で、寺も建てねばならない。そのようにして、中国の商人が金を出し合うなりして、長崎に現在もある祟福寺が建った。そうなると、そこを拠点に僧侶が次々とやって来るし、日本の僧侶にも関心を抱く者が出て来る。日本は鎖国状態であったものの、出島という小さな窓口から外国の情報を得ていた。キリスト教は禁止だが、仏教はそうでなかったから、中国の黄檗宗に隠元という偉いお坊さんがいて、しかもその寺が衰微していると聞くと、ぜひ日本にやって来てもらいたいといった考えも出て来る。今で言えば、外国で有名な歌手を日本に招いて歌わせるのと似ているかもしれない。それほど日本は外国の価値あるものに対して憧れがある。その性質は石器時代に遺伝子レベルで刻印されたもので、今後も変わらないだろう。ともかく、招かれた隠元は60代半ばにようやく腰を上げて来日し、九州や高槻にしばらく腰を据える。そして、せっかくやって来てもらったのであるから、大きな寺を作ってそこに収まってもらおうという考えを言い始める僧侶がいた。その僧侶の運動によって幕府は宇治に土地を与えた。今よりもっと広大な面積であったが、明治の廃仏棄釈の際に境内の周囲の大部分を失った。それでも建物は一度も燃えたことがなく、中国がそのまま宇治の一画に移転した格好だ。嵯峨の天龍寺は幕末に燃えていて、創建当時のままに保存されているのは庭園だけだ。そう考えると、萬福寺はもう200年ほどすると、建物全体が国宝になるのではないか。中国風のデザインの寺院で、しかも木材も中国の商人が寄附した東南アジアのチーク材だ。初代の隠元以降、一世紀ほどだろうか、中国僧が歴代の住持となって来たのが、やがて中国からの貿易船の出入りを幕府は激減させ、日本の僧侶が住職となるようになった。
 歴代の住持が中国人であったことは、中国に憧れがあった当時の画家や文人にとっては、萬福寺はちょっとした中国旅行をする気分に浸れる場所であったろう。もちろん若冲以前に狩野派の画家が出入りして、中国からもたらされた最新の絵画を学んでいる。一方、九州は黄檗宗に惚れ込んだ大名が多く、その膝元で黄檗僧になる者が出て来る。そういう人たちが全国に黄檗宗を広めて行ったが、本山が宇治にあるので、京都にこの新しい禅宗に強い関心を抱き、最先端の中国絵画を学ぼうとする画家も現われる。そういうひとりが若冲であった。また先に書いた鶴亭は、九州で黄檗僧になっていたが、京都に出て来た時には還俗して絵を教え、また黄檗僧に戻って江戸で死ぬ。人の動きが今と同じかそれ以上に活発であったと思わせられるのが、こうした黄檗僧だ。ま、思いつくまま書いたが、今回はそうした黄檗宗の歴史のようなことは何も紹介されなかった。図録も割合簡単なもので、学生の入門書程度にちょうどよいものであった。京都五山という、今なお健在でしかもたくさんの観光客を集める禅寺と違って、萬福寺はもとは中国人が中心になっていたうえ、京都市内ではなく、山を越えた宇治にあるため、京都にいても馴染みはうすい。市内に黄檗寺院は当然いくつもあるが、他の宗派に比べると目立たないし、また信者も少ないのではないだろうか。おまけに、日本と中国との関係は、満州事変とその後の戦争をきっかけに、それまでとは著しく変化した。中国が国力をぐんぐんつけて来ている今、中国を快く思わない人は多いだろう。そこには、人口の圧倒的な差に恐れを抱いての反作用もあれば、日本の方が文化も人の能力も上と見る侮りが混じっている。350年という歴史の間に、あまりに両国の関係にさまざまなことがあって、どの時期の見方が最も正しいのか、それを決めることが困難な状況にもある。だが、日本の美質のひとつとして、古いものは何でも保存して行くことがある。たとえば、中国と今後大きく敵対することがあっても、萬福寺を焼き討ちするような人は出ないだろう。一旦日本に入って来て、350年もそのまま保存されているものは、もはや日本の財産という意識があるからだ。これが中国であればどうか。その長い歴史を見ると、敵対する者が権力を握ると、以前の文化遺産を破壊する。これはヨーロッパも似ている。日本が「和」を重んじる国という意味はそこを考えてもわかる。日本が観光立国として今後世界に名だたる存在になれるとすれば、そこにヒントがある。萬福寺は350年前の正倉院のようなものだ。繰り返すと、今後100年200年と経つにつれて、なおさら価値を増す。
by uuuzen | 2012-02-17 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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