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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『アンパンマンとやなせたかし展』
アンパンマン展は関西では初めてのことではないだろうか。日本切手のカタログを今調べたが、やなせたかしは1979年8月発行の国際児童年の記念切手2種の図案を担当している。50円切手で、当時は封書がこの金額で送ることが出来た。



●『アンパンマンとやなせたかし展』_d0053294_22455315.jpgこの2種の切手デザインはそのまま同時に発行された小型シートの一部としても使われたが、当時としてはこれら切手や小型シートのデザインはとても印象に強かった。小型シートの左に配置された1枚は紫地に女の子、もう1枚は青地に男の子が描かれ、ふたりは宇宙遊泳をしながら花摘みや昆虫取りをしており、向かい合うように配置されている。印象に強いのは地色の紫と青の対比で、特に濃い紫の地色の切手は日本初ではなかったかと思う。この紫色はやなせが好きな色ではないだろうか。その後アンパンマンで突如やなせの人気が今まで以上に高まった時、バインキンマンが同じ紫を特徴的に使っていて、そのことがアンパンマン・ワールドをとても印象強いものにしていた。やがてTVのアニメや読売新聞の日曜版でのカラー印刷による漫画が始まって、やなせのカラリストとしての才能が改めてよくわかることになったが、やはり紫系の色の使い方が他の漫画家にはない美しいもので、やなせと言えば紫を連想してしまう。ついでだが、読売新聞に20年ほど前に連載されていたアンパンマンの漫画はずっと切り抜いて、全部を糊で綴じて自分で製本したほどだ。それがどこかに保存してあるのだが、さきほど探しても見当たらなかった。今回の展覧会ではその読売新聞で連載された漫画の一部がそのまま拡大されて宣伝用のパネルになっていた。読売新聞で連載されていたアンパンマンは全コマがパステル・カラーの水彩かフェルトペンのインクで着色されていて、その色合いが他の漫画にはない素晴らしさであったので毎週切り抜いたのであった。そのような経験は他の漫画やイラストではないだけに、よけいにアンパンマンには特別の思いがある。
 アンパンマンによってそれこそ日本中の誰でも知る存在となったやなせだが、アンパンマン以前の仕事を見れば、アンパンマンが生まれて来た必然性がわかるのではないかという期待もあって、この展覧会が開催されることを心待ちにした。夏休みであるので、きっと親子連れでいっぱいと予想したが、見事に的中し、会場内は保育園さながらのうるささであった。だが、小さい子を見るのは楽しい。子どもたちが大きなアンパンマンの像や絵を見て喜んでいるのを眺めていると心が和む。こういった展覧会は大人がわざわざ観るべきものではないという考えがあるかもしれないが、やなせは大人であるし、長年仕事をして来ている大人の仕事というものはどのようなものでも馬鹿には出来ない。子どもが楽しむものであっても、作るのは大人であるから、大人は大人なりの楽しみ方が出来る。子どもが喜ぶスタンプ・ラリーがあって、筆者もそれ専用の用紙をもらったが、その用紙とは別にチケットの半券にもスタンプを捺した。それを上部に掲げる。スタンプは全部で4個だが、場所が百貨店のあちこち離れたところにあるので、探してその場所に訪れるのもそれなりに時間がかかった。展覧会の副題は「みんな大好きアンパンマン!」となっているが、これは誇張ではないだろう。アンパンマンがあまり好きではなくても、色気のあるドキンチャンや、コミカルで人間的なガイコツのホラーマンを好きな大人は多いのではないだろうか。筆者はバイキンマンの紫と黒と白の配色はいつも絶妙と思っているが、アンパンマン・ワールドにひしめくキャラクターはどれも実によく出来ていて感心する。今日も改めてカレーパンマンがいいと思ったが、あの顔の形や口の波型の歪みなどは、まさにカレーパンそのもので、よくぞあれだけの単純な線と色だけで、単なるパンが生き物として変貌するのか不思議なくらいだ。バイキンマンは最初はもっと痩せていて、背中の羽根が大きく、しかも角に毛が生えていたそうだ。これは蠅から作り上げたキャラクターとのことで、なるほどと思った。カビをキャラクターにした柔体動物のような小さなキャラクターはやなせ自身が傑作と考えているとのことだが、ちょっと場違いな感じがして、あまりそうは思えなかった。名前は何と言うかも記憶していない。てんどんまんの顔は博多のハカタニワカという仮面を元にして作り上げたそうだが、あらゆるものに目を配りながらアンパンマンのキャラクターを作り上げていることがよくわかるエピソードだ。こうした仕事は大人にしか出来ない。
 肝心のアンパンマンも確かによく出来たキャラクターだが、アンパンマンがよく頭を千切って人に分け与えた後、千切った面からあんこが覗いているのを見ると、正直なところ、あまりいい気分がしない。それは人に自分の何かを分け与えるというサクリファイスの精神が重要であることを子どもに植えつけるには手取り早い方法だと言えるが、動き回る存在であるアンパンマンの体の一部がごっそりと欠けたまま状態は、戦争の惨禍を知っている大人から見れば、どことなく陰惨なイメージを連想させもするので、もう少しどうにか描けないものかと思う。とはいえ、アンパンマンだけではなしに、スーパーで売られるお菓子ではたくさんの動物や人気者キャラクターをかたどったものがあり、それらはいつもかわいらしいと思われながらパクパクとかじられて口の中に消えて行く。弁当のおかずにしてもそうで、子ども用にわざわざウィンナ・ソーセージをいろんな動物の形に加工したりするし、ごはんとふりかけや海苔でたとえばアンパンマンの顔を作ったりする。かわいいキャラクターはそのまま食べられてしまうのが当然とでも日常的に思われているふしがある。実際大人がよく言うように、食べてしまいたくなるほどかわいい存在はあるもので、アンパンマンの頭の一部が欠けて描かれても、それは何とも思ってはいけないのかもしれない。子どもが1個の菓子やパンを千切って弟や妹、あるいは友だちに分け与えることはよくあることで、むしろ子どもにとってはそんな人助けの意味としてアンパンマンの頭の欠け具合は認識されるであろう。今日はやなせの絵本の原画もいくつか見たが、そこには子どもにとって物語がどの程度に意義とインパクトがあるかを熟考した跡がうかがえた。実際子どもにとっての絵本はその後の長い人生に大きな影響を与え得るものであるかもしれず、単純な話によってどういう思想を伝えるかは責任重大な仕事と言ってよい。そうした絵本での仕事と共通するものがアンパンマンの物語にもあるはずで、アンパンマンが日本中で人気があるとすれば、それは人間的に正しいことを語っているからに違いない。そしてそんなメッセージを発するやなせは、それ相応の経験を持っているからと考えるのは間違ってはいないだろう。
 会場の大半はアンパンマンのコーナーが半分ほど占めていたが、他は童話の原画や初期の4コマ漫画、それに作家としての詳細な年譜的紹介で、一応やなせの全貌が辿れるようになっていた。1919年生まれであるので、今年86歳になるが、晩年に至ってますます活動が旺盛になった。大器晩成型と言える。高知県の田舎に生まれ、17歳の時に東京高等工芸学校の図案科に入る。20歳で田辺製薬の宣伝部に入社するが、間もなく徴兵され、中国戦線へ送られる。そして26歳の時に上海で終戦を迎えた。まともに戦争を兵隊として過ごした経験を持つから、これはやなせの仕事を理解するうえではかなり重要と言える。一歩間違えば、やなせは無言館に絵が飾られていたかもしれない。戦後は三越の宣伝部に入社するが、35歳で退社してフリーになる。1954年のことだ。これは原画ではなく、週間誌の切り抜きが額に入れられていくつかが展示されていたが、1958年にサッポロビールの宣伝漫画として週間朝日に連載した『ビールの王さま』という題名の縦方向の4コマ漫画が目を引いた。吹き出しは一切なく,パントマイム漫画と呼んでいたようだが、そこに描かれる太った王さまの表情はまるでアンパンマンそのもので、アンパンマンの原型がすでにフリーになって間もない頃にあったことがわかる。将来有名になる仕事の原型はそういう形で作家のごく初期の仕事に姿を現わす。つまり、急に有名になるにしても、下積みとしての仕事がしっかりあることが条件なのだ。その後も週間朝日への仕事は続いたようで、1967年にはミスター・ポオというキャラクターを登場させる『ポオ氏』という漫画が週間朝日漫画賞を獲得し、100万円の賞金をもらっている。この当時の100万円はかなりの大金だ。それからやなせは勢いづいていよいよ有名になって行く。
 今回の展覧会で初めて知ったが、『誌とメルヘン』という雑誌を創刊したのはやなせで、無名の詩人の作品を積極的に紹介するためのものであったそうだ。この雑誌はあまり興味がないので中を詳しく見たことはないが、有名な雑誌であるので、ずっと存在だけは知っている。まさかやなせが作ったものだとは知らなかった。やなせは採算がどうにか取れればよいと思って始めたそうで、現在も編集長におさまっている。この雑誌にやなせは詩や絵を無料で投稿しているそうだが、やなせが絵だけではなく、詩にも並々ならない関心があることがわかって興味深かった。それに雑誌を創刊して若い才能を紹介することなどは誰にでも出来ることではない。見上げたことだ。この雑誌が30年以上も続いているところを見ると、この雑誌によって世に出た才能がもうかなり多いのであろう。採算も取れているようで何よりだ。会場にはまるで相田みつをのような、平仮名が多い簡単な詩の書が数点あって、これも初めて知る仕事で感心した。文章はどこか宮沢賢治を思わせたが、やなせが宮沢の誌に絵を描いているかどうかは知らない。シェヘラザードの挿絵の原画が展示されていたから、自作の詩や物語だけに絵を描くことにはこだわっていないことがわかる。だが、チラシに書いてあるように、やなせの活動は作詞家、脚本家、部隊演出家、作曲家にも及んでいて、とても他人の童話などに絵を描く暇はなかったとも思える。絵も文章も書き、そのうえ作曲もとなると、なかなかの多彩ぶりであまり例がないと言えるが、やなせがヴァイオリンを演奏する姿の写真が展示されていて、音楽の才能もなかなかのものなのだろう。
 アンパンマンに話を戻すと、1973年に『キンダーおはなしえほん』で掲載が始まった。幼稚園で人気が高まるのは1980年頃からだったらしい。1985年に日本TVのプロデューサーがその人気を知ってアニメ化を計画し、3年後に『それいけ! アンパンマン』がようやく放送され始める。その後は誰しも知るとおりだ。会場ではアニメを上映する部屋があったが、遠目に見ると、パステル・カラーの美しい色合いは他のアニメにはない情感があって、筆者は色彩的にはTVアニメの最高傑作と思っている。漫画のアニメ化は例がとても多いが、カラリストとしての才能でうならせてくれるものはほとんどない。それに、漫画はよくしてもアニメ化すると貧弱なものになる場合が多いのに、アンパンマンはアニメの色合いは漫画よりさらに高まっている。やなせ自身が色つけをしていないことは確かでも指示はしているはずであるから、総合監督としての才能と要求が高いことがよくわかる。出口の売店ではあらゆる種類のキャラクター商品が売られていたが、どれもよく出来ていた。アンパンマンのキャラクターをアクリル絵具で描いた大きな作品がかなり多く展示されていたが、それと同じタッチで描いた小品が30数万円で売られていた。1点限りの絵であるので、ファンにすれば高くはない。御影石で彫った高さ10センチほどのアンパンマンのキャラクター人形は1万円であったが、これは安いと思った。重いので文鎮代わりになる。だが、中国かどこか人件費の安いところで作っているのではないだろうか。そう考えると高いか。何か買って帰ろうと思って、1978年に発行された絵本『チリンのすず』を探したが、売り切れであったのか目につかなかった。話はこういう内容だ。ひつじの子どもが母親が狼に殺される。ひつじの子どもは復讐のためにその狼に弟子入りしてやがて獰猛になる。そしてある日狼と一緒に村を襲おうとするが、ひつじは長年の復讐の夢をはたすべく、狼に襲いかかる。だが、狼はいつか育てたひつじからそういう目に会わされることを予想したと言い残して死ぬ。そこで初めてひつじも狼を父親だと思って愛していたことを悟る。子どもが読むにはかなり重い内容だが、やなせにとっては自信作なのであろう。原画が全部展示されていたが、よく出来た絵であった。ひつじが獰猛な狼のように変貌し、狼と肩を並べて丘のうえから村を見下ろしている場面には特に感心した。
by uuuzen | 2005-08-14 23:46 | ●展覧会SOON評SO ON
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