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●灰と薔薇
色は灰の色のことだと改めて思った。色の名前は、みんなが共通して思い浮かべられるものに即すのがいいが、灰の色とは味気ないので、それと同じ物を探し、その物の名前にすればよかったのではないだろうか。



●灰と薔薇_d0053294_0135278.jpgそう言えば、灰色は鼠色と同じようなものと思われている。だが、灰色は鼠色とは違って、もう少し淡く、微妙な雰囲気がある。鼠色は、今の子どもは絵具や色鉛筆で知るだろうが、筆者が子どもの頃は、町中にたくさんの鼠がいて、天井裏にもよく走り回っていた。京都に来てからも鼠はよく見かけた。都会ではどこにでもいるし、また田畑にも生息し、それを猛禽が捕獲する。今でも鼠は減っていないのだろう。わが家や近所でとんと見かけなくなったのは、あまりにも猫が多いからだろう。ま、鼠が増えるよりかはいい。それはいいとして、今の子どもは灰を見る機会が昔よりはるかに少ないのではないか。そのため、灰色が灰の色である実感がないのではないか。灰を見なくなったのは、まずマッチがない。あっても、小さな子どもは勝手に使うことが許されない。100円ライターも同じだ。つまり、何かを燃やすことがなくなった。台所ではガスを使うが、妹は、正しくはどう呼ぶのか知らないが、電磁コンロを使っている。炎を見ずに煮炊きが出来るので、手品のような印象がある。その調理器は高齢者には特に人気らしい。焼けどをしたり、火事を起す心配がない。だが、妹は鍋を載せて調理していたのに、数時間もそのままにして、鍋と中身を完全に墨にしたことがあると先日言った。火事にならなかったのが不思議だと言うが、高熱になるだけで炎が出ないのだろうか。それはないだろう。たまたま周囲に燃えるものがなかっただけではないか。炎が見えない調理器具の方が、調理していることを忘れ、かえって事故を生じさせやすいように思う。また、人間は炎を操って進化して来たし、炎を見ることは、何か根源的に満ち足りた気分に浸ることつながっている気がする。理想は暖炉だが、それは金持ちだけのものだ。囲炉裏を今はほとんどなくなった。今では庶民はガス・コンロの青い炎を見ることで満足する。その台所の炎が電磁調理器によってなくなる方向にある。いや、完全にそうなるかはわからない。炎を見ながら煮炊きするという楽しみを人間は知っている。煮炊きしているものの状態を見て、出来上がりを判断するのは言うまでもないが、その前に炎を調節しながら、もうそろそろ出来上がると思うのであって、その炎が見えない調理器具は、調理法の半分しか確認出来ない状態を強いている。
●灰と薔薇_d0053294_18554474.jpg
 灰色はあまりいい表現に使用されない。灰は燃えかすであり、いわばゴミであるからだ。炎が消え去った後に大量に残り、夢の後という思いに直結している。その灰色が本当に灰の色であることを実感したのが、3日に訪れた壬生寺でであった。2年前に行った時にもデジカメを持参し、何枚が写したが、確かみな没にした。それほど写すべきものがない。殺風景と言えばよくないが、町中にあるので、本堂前から背の高いマンションが丸見えで、それが興醒めさせる。その点に目をつぶっても、きれいな庭があるでなし、趣に乏しい。だが、3日に行った時には、寺の周囲に残る古い家並みの中に、実に味わい深い家を何軒か見かけた。家内に冗談で言ったのは、「この家に住みたい。買おうか。」であった。海老茶色の木造の2階建てで、京都ではさほど珍しくない昭和30年代、あるいはもっと古い時代の建物だ。ここ10年ほどで急速に増えた紙のような家より、はるかにそういうレトロな家がよい。先日家の改修前と改修後を比較して見せるTV番組の最後の部分を見て驚いた。女性ナレーターが、「なんと言うことでしょう」とお決まりの感嘆の言葉を発しながら示したのは、まさに灰色の四角い紙の箱のようなペラペラの張子のような家で、庭む含めて、改装前の昭和に建った建売住宅の方が数倍よかった。持ち主はそういう古い家が不便で、また老朽化を恥じてもいたのだろうが、時代の最先端である改装住宅は、20年もすれば無残な姿を晒すだろう。ま、その頃はまた新たな素材とデザインが流行している。そういう新しい家には紙のようなペラペラの人間が住み、ペラペラの人生を歩む。とはいえ、昭和の建売もまた当時はそのように見られたに違いない。数十年ですっかり家並みが変わることは避けられない。必ず老朽化するからだが、老朽化した部分だけ修繕すればいいではないか。ところが、電化製品からもわかるように、その方がすっかり新築するより高くつく。それはさておき、壬生寺から道を隔てて建つ家の中に、いかにも昭和を感じさせる家や店が並ぶことは、寺そのものよりも面白かった。そういう家の中の一部屋に、気に入った物だけに取り囲まれて住みたいものだ。そういうようにして生活している人が、京都にはまだたくさんいる。田舎に行けばもっとだろうが、京都市内という便利さがいいのであって、筆者は田舎暮らしは出来ない。
●灰と薔薇_d0053294_18561271.jpg
 壬生寺の境内に入って本堂から10メートルほどのところに、線香を燃やす長方形の大きな箱がある。専門用語でそれをどう呼ぶのか知らないが、参拝者はそこで線香を点したり、線香の煙を身に振りかける。この大きな箱を覗き込んで驚いた。灰がびっしりと埋まり、その灰を土台に線香があちこちで点っている。それらの線香はまた灰になり、さらに参拝者は新たに点す。箱はやがて灰でいっぱいになるが、また減らして同じ行為が永遠に繰り返される。その箱の周囲と内部はもうもうたる煙で、線香の小さな炎はかすんで見えた。そして、その小さな赤い点が人の命に思えた。人は死ぬと灰になる。それをその線香箱は、短いアニメのように暗示している。今生きている人は、いわば線香のてっぺんの小さな炎だ。線香は確実に燃え、灰を生み、やがてなくなる。だが、また新たな線香がすぐそばで点される。箱の中の大量の灰は、過去の人々の命の燃え殻だ。それが灰色とは、全く味気ないが、厳然たる事実をも見せてくれている。「死ねば終わり」とよく言うように、まさに死ねば灰色で、それは輝く炎の色にはかなわない。ところが、線香では赤い点としての炎は順次下がって行き、絶えず灰を後方に残す。「過去は灰」と割り切って思うことはなかなか出来ることではないが、実際はそのとおりだ。過ぎ去ったことはどうしようもない確定した事実で、それは灰色と思うべきものだ。過去の灰色を懐かしむのではなく、今の明るく点る小さな炎を慈しむべきだ。人命は一本の線香のように細くて短く、またはかないが、確実に燃える時間がある。それは生きている間はずっとだ。本堂前の大きな線香箱で次から次へと老人がやって来ては線香を点し、その後は必ず本堂前に進み出て賽銭を投げ入れて拝んでいた。筆者も同じことをし、そして何か写して帰らねばと考え、本道の中央の階段を上って、境内を180度見わたしてパノラマ写真を撮った。それを下に掲げる。本堂から中央から4枚連続写真を撮った後、今度は本堂を撮ることにした。線香箱の横ではたくさんの人の邪魔になる。それで南寄り、屋台の前から撮った。本堂の南隣りには石仏を積み上げたパゴダが建っている。これが壬生寺のひとつの象徴になっている。写真を撮った後、さらに南に歩んで南門から外に出た。そして、西に向かい、四辻まで行って引き返した。その際、先に書いた昭和レトロの木造2階建てを見かけた。懐かしくて筆者の心は一気に半世紀前に戻ったほどで、自分が数歳の子どもであるような気がした。線香を人生と見立てて思ったことが影響したのだろう。
●灰と薔薇_d0053294_18564952.jpg
 南門を出たのは初めてのことで、その東西の道も初めて歩いた。壬生のその界隈が庶民の古い町並みであることは昔から知っていたが、夕闇迫る頃であったので、なおさら感傷的な気分になった。南門に戻って来て、また境内に入り、来た時のように東門から外に出た。その南北に入る道沿いに、数軒、壬生狂言で使用する炮烙が売られていた。正しくは売っているのではなく、その素焼きの大きな皿に、500円ほど払って墨で願い事を書く。護摩木と同じようなものだ。炮烙は燃えないので、たくさん積み上げたものを狂言の最中に勢いよく地面に落として割る。さして願い事がなく、また賽銭を放り投げたので、見物だけした。そうそう、思い出したので書いておく。奈良のある寺で、大きな瓦に同じように願い事を書かせる機会に遭遇した。10年以上前のことだ。積み上げた瓦の後方に、70歳ほどのむっつりとした男性がひとり座っていた。1枚書くのに1000円か2000円していたが、濃い灰色の瓦に墨で書いても目立たない。それに、まさか壬生狂言の炮烙割りのようにそれを割るはずはないから、筆者は意義がよくわからず、「いったい、瓦に書いてどうするのかな?」と横にいた家内にそれとなく言った。すると、瓦老人の地獄耳はその言葉を捉え、恐い顔をしながら、「何をするか? 納めるに決まってるやないか。」と吐き捨てた。文字を書いた瓦を、そのまま屋根の葺き替えに使うのであったが、そうだろうなと想像しながらも、あえて確かめたい思いでそういう疑問の言葉を発したのだ。ところが、瓦老人は、人を馬鹿にしたようなヤクザっぽい口調で筆者を睨みつけた。曲りなりとも、日本中の誰でも知っている有名寺院だ。そこにそういう老人がいて、御守りをしている。おそらく、偉い人には作り笑顔で毎日ペコペコしているに違いない。老人であるから、面白くないことが多いのだろう。かわいそうな人だと思って腹も立たなかったが、老人にますます接近する筆者は、まさかそんなひねくれた老人にはならない。さて、節分祭に壬生寺に行ったことは、「嵐山駅前の変化、その186」に書いた。今日は撮りためた在庫写真の整理のために、また壬生寺ネタを書いた。どうでもいいことだが、ブログに載せる写真は、当分載せないものはヤフー・ボックスに、近日中に載せる予定のものはMOに保存している。そして、載せ終わった写真は別のMOに移動しているが、かなりいい加減で、かなりの洩れがあるだろう。あまりに日が経つと、撮った写真への思い入れが失せる。ブログは新鮮なものだ。ついでながら、FACEBOOKは2年ほど前から知っているが、TWITTERとどう違うのかわからない。長文を書く筆者はブログに向く。灰色の話題ではなく、なるべく華やかな薔薇色にしたいが、旅するのはいつも自分の頭の中だ。特徴のない灰色のことばかり羅列しているのかもしれない。
●灰と薔薇_d0053294_015952.jpg

by uuuzen | 2012-02-11 23:59 | ●新・嵐山だより
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