稀なものを見かけると得をした気分になる。旅行に行くのはそのためだ。市中を歩いてもさっぱり稀なものに出会えないと考えがちだが、変化の激しい都会であれば、思いがけない光景が出現することはままある。
外出時にはなるべくデジカメを持参してそういう稀なものを撮影し、ブログのネタにしようと考えているが、最近京都の御池通りでそういう場所を2か所見つけた。最初に見かけたのは1月17日の午後1時前、二度目が30日の午後2時過ぎだ。どちらも好天で、御池通り北側の歩道は日当たりがよく、歩いていて気分がよかった。数年前に同じ気分になったことを思い出した。大阪の御堂筋を歩いた時だ。それも冬だったと思う。冬の優しい日向はよい。人通りがあまりなく、幅の広い歩道をゆったりとした気分で歩く。何ということもない、平凡な散歩といった程度の時間だが、そういう経験がかえって記憶に強い場合がある。立ち止まって写真を撮る気になるものに遭遇した場合はなおさらだ。背の高いビルが立ち並ぶ御池通りを歩いて稀なものと言えば、都会にはそぐわないものだ。つまり、自然性だ。30日に歩いた時は、ビルの2階のテラスと言おうか、頭上3メートルほどに、ちょっとした緑の植え込みがある場所に差しかかった時、たくさんの雀の鳴き声が聞こえた。植え込みは数メートルおきに数か所あり、そのうちのひとつからのみ聞こえた。そこが雀のお気に入りの場所なのだろう。ちょうど陽射しが射していて、雀たちは気分がよかったに違いない。まだまだ極寒の日々は続くが、昼間の太陽はもう春めいた暖かさをもたらしてくれる。雀の鳴き声を聴くためにしばらく立ち止まって頭上の植え込みを見つめたが、雀は一羽も見えない。筆者がそうしている姿を通り行く人が見かけて、筆者の視線方向を見上げたが、雀は稀ではない。すぐに失望したような表情で去った。河原町界隈ではほかにも雀が夕方になると群がる街路樹がある。雀は減る一方らしいが、京都の繁華の都心に雀がたくさん生息するのは不思議ではないか。いったい何をどこで食べているのだろう。とはいえ、やはり雀は稀ではなくあまりに卑近で、誰も注目しない。
雀の合唱を聞いた場所から西へ200メートルほど行くと、突如一本の桜が開花していた。これには驚いた。寒桜という品種があることは知っているが、御池通り沿いにあるのは稀な光景だ。八坂神社まで歩けば、あるいはそこまで行かずとも、近くの高瀬川沿いに長くて立派な桜並木があるので、京都市内で桜は珍しくはないが、寒い時節に咲いているのを見るのは、季節感が狂うというか、変な気分だ。ところが、普通の桜ではなく、1月に咲く寒桜が、京都で一番幅の広い道路の御池通りに咲くことは、何となく似合っている。そう考えると、これは稀ではなく、ごく自然な光景ということか。ま、そんな理屈をその時には思わなかった。札が下がっていて、「御池桜」と書いてある。どうやらそれを大きく育てて御池通りの名所にしようということか。ビルを建てる際、建蔽率の問題から、空き地を設ける必要がある。そこにどうせなら桜を植えて道行く人を楽しませようと考えられたのだろう。そして、花見の季節に咲く普通の桜ではなく、意表を突くものがよいと判断されたに違いない。意表を突くことで、「ああ、あそこか」と記憶に強く残る。それはビルに入っている店にすれば大きな宣伝になる。同じようなビルが続く歩道では、そういう工夫が客寄せを左右する。さて、今日は展覧会の感想を書こうと思いながら、桜を思い出したのは、さきほど駅前の喫茶店らんざんで大きな会合があって、嵐山の桜が話題に上ったことも作用している。その会合の話を今夜は書こうとしながら、撮りためた写真を消化する方がよいと思い直した。それで寒桜の写真を連想し、ついでに同じ日に撮った別の写真も載せることに決めた。その別の写真とは、竹だ。松竹梅の「厳寒三友」ではなく、「桜竹」という、組み合せがあまりよくない二友とでも言うべきか、ともかく京都のど真中で竹が生えている光景は、寒桜以上に稀で珍妙な光景だ。竹を見かけたのは先月17日ではなく、30日だ。わずか12日間で、ちょっとした竹林が出現したのであるから、驚きは二倍であった。
河原町通りは昔市電が走っていた。筆者が20歳頃まではあったと思う。京都市内を舞台にした昭和20年代の映画で、この河原町を走る市電が映っているものがあり、市電の中から外を写した光景も見える。映画の題名は忘れたが、市電の中から撮影された場所は、河原町御池から二条までの200メートルとない区間で、それが現在とほとんど大差なかったことをよく記憶する。市役所、そしてその北側に島津製作所が建つが、そのふたつは全くそのままであった。そういう変わらぬ京都を映画で確認することは楽しい。17日と30日は、御池桜を見た後、待ち合せしていた人と会い、そしてまた御池通り北側の歩道を東へと戻った。そして、市役所前を通り過ぎ、河原町通りに出て北に少し歩いてバス停でバスを待った。どちらの日も島津の敷地内は工事中であったが、17日はそれまで見えなかった木造の変わった建物が奥にそびえていた。そのあたりはビルばかりで、そのような木造建築はかなり異様だ。いったい何の建物かと思ったところ、歩道際にパンフレットが置いてあった。それを見ると、どうやら結婚式場となるらしい。敷地内に木造のキリスト教会のような結婚式場を建てるとは、商魂がたくましい。工事関係者がたくさん動き回っていて、最終段階に入っての突貫作業らしいかった。映画の中、走る市電の中から瞬間映った島津の石造りのレトロ・ビルは、今までほとんどそのままであったが、このたびの工事では、汚れが落とされ、また玄関両側の照明は復元したものが取りつけられるのか、まだ壁に穴が空いたままになっていた。河原町通りに面した歴史ある建物がそのまま残されるのであるから、奥の木造は大目に見る必要がある。当日この教会を妹に話すと、もう知っていた。30日に島津前のバス停に立った時、竹がたくさん植えられ、歩道から教会が半分ほどしか見えなくなっていることに驚いた。市中にはこのような背丈の高い竹が生えているのは、たぶんここだけであろう。筍が生えて来たりするはずで、管理に手間がかかると思うが、市役所のすぐ横手に出現したこの竹林は、かなり妙ちくりんでありながら、考えて見れば江戸時代の市中を取り囲む御土居の上には竹が植えられていたから、京都は竹と縁がきわめて深い。そういう歴史ある竹がせめてこの一画に作られただけでも、自然が多少は戻ったと喜びたい。その竹に雀が集まって毎日さえずるのであればもっといいが、人工的な竹林であるから、雀が好むかどうかはわからない。今日は17日と30日に撮影した2枚ずつを載せる。