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●「YOU DON‘T HAVE TO SAY YOU LOVE ME」
入っている時は、その状態をどのようにして脱すればいいかがわからない。韓国ドラマでは屋台で酒をあおる場面がよくある。むしゃくしゃする気分を紛らわすのに酒が効果的かどうかと言えば、酔いが醒めてなおいっそう落ち込んで悪循環になりそうだ。



●「YOU DON‘T HAVE TO SAY YOU LOVE ME」_d0053294_2363786.jpg筆者はここ半月ほどは少しずつ気分のバイオリズムが下降線を辿って来ているように感じる。それでも去年の地震直後よりはましだ。と言いながら、また当時のことを思い出すと同じような気分にすぐに移行してしまう。それはともかく、今日は月末で思い出の曲を取り上げる番だ。どの曲にしようか正月あたりから考えていたが、昨夜決めた。女性ヴォーカルを取り上げる。先日から何度か書いているように、目下北欧のある女性歌手に心酔しており、そのつながりというわけではないが、女性の声がいい。慰められる。ところで、これは4,5日前のことだが、芦田さんがわが家に波動スピーカーを持参し、その音を一緒に聴いた画家のOさんが、オペラのDVDを2枚持参してくれた。今すぐ聴く時間はないので1か月ほど借りると伝えたが、その1枚が『カルメン』だ。その圧倒的な歌力が、気分の滅入りを発散してくれそうな気がした。そして、そういう効果のある曲を今日は取り上げるのがいいと思った。2時間近いオペラは重いが、2分半で終わるポピュラーなら手っ取り早い。そうして自然と、イギリスの女性歌手のダスティ・スプリングフィールドが歌う「この胸のときめきを」が思い浮かんだ。今日はこの曲を取り上げるが、その前に書いておくと、実は正月明けに、2枚組のCDで『カンツォーネ』を棚から取り出して久しぶりに聴いた。1,2年に一回は聴きたくなる。ジャケットは明るい陽射しの下のナポリだ。これに憧れてアクセル・ムンテもその付近に移住を決めた。気分が滅入ると人間は明るいものに惹かれる。今の筆者はそうだが、単純に明るいというのではなく、明るさの中に悲しみが混じる、あるいはその逆であるようなものがよい。とはいえ、心底気分が滅入ると音楽を聴く気分にもなれないだろう。そう思えば、悲しい音楽の中にも前向きの力があるはずで、そういった音楽を気分の滅入り期に聴くことも救いがある。気分の滅入りなどと、えらく深刻ぶったことを書いているが、こうして文章をいつものように綴る気分になるだけ、筆者のそれは高が知れている。本当は滅入っているのではなく、悲しみの気分に浸りたいだけかもしれない。あるいは、まさに「この胸のときめきを」で、もどかしい、もやもやとした思いをどこかに切々とぶちまけたいのだろう。
 この曲のオリジナルに関してはドーナツ盤の見開き歌詞カード内部の解説に書いてある。それを少し引用する。「ピーニ・ドナッジオとパラヴィッチーニのコンビが作詞・作曲、1965年のサンレモ音楽祭でドナッジオ自身が歌って入賞した曲です。原題は“Io Che No Vivo Senza Te”(あなたがいなくては生きられない私、日本題“この胸のときめきを”)。」 カンツォーネは、60年代は日本でも大変な人気があった。ビートルズの曲と同時にそういったヒット曲がラジオのヒット・パレード番組で頻繁に流れた。そのブームは数年しか続かなかった。これが日本だけのことなのかどうかは知らない。だが、ビートルズがアメリカで人気を獲得してからは、同じようなロック・バンドの時代となり、カンツォーネはおそらくイタリアだけの人気となったのではないか。サンレモ音楽祭で入賞した曲は日本のみならず、世界中でカヴァー演奏された。今にして思えばそれらのヒット曲は、1960年代という戦後の明るい時代に見事にマッチしていた。日本が50年後には高齢者が半分近くを占めると予想されているが、その時、日本の現代の黄金時代は1960年代と認識されていると信ずる。そして、その時代の日本の空気を再現する際に、カンツォーネはなくてはならないものだ。とはいえ、筆者より5,6歳下以降の世代はそれに共鳴しないだろう。彼らが音楽を聴く楽しみを知った時には、カンツォーネのヒット曲が次々と放たれていた時代は過ぎていた。前述のCD『カンツォーネ』は、90年代半ばの発売で、当時入手したが、35曲が収録され、その8割ほどを筆者はラジオで聴いて楽しんだ。CDであるのに音質はあまりよくなく、ほとんどアナログのシングル盤並みだが、これはオリジナルのテープから複製したのではなく、著作権切れをいいことに、レコードから音を録ったためではないか。ちなみにレーベルはSEVEN SEASだ。ブックレットには録音データの記載はなく、解説もない。かろうじて歌詞と対訳がついているだけだが、これはありがたい。とはいえ、イタリア語なので、対訳が正確かどうかはわからない。
 『カンツォーネ』の1枚目の14曲目に「Io Che No Vivo Senza Te」は入っている。今それをリピートで聴いているが、ドナッジオの歌唱力は大したものとは言えず、ほとんど素人に思えるほどで、日本ではヒットしたとは言えない。ドナッジオの声が平凡なためか、高音部を女性歌手が受け持ち、またコーラスも付随する。全体にエレキ・ギターの伴奏が顕著だが、弦楽器のオーケストレーションもある。エレキ・ギターの伴奏はロック調で、1965年としてはいい先進的な演奏と言ってよい。歌詞はダスティの英語ヴァージョンと意味がかなり違う。ドナッジオのものは、毎晩一緒にいるにもかかわらず、自分から心が離れて行きそうな彼女を引き止める哀切の思いを訴えるものとなっている。ダスティの歌では少しニュアンスが違う。女が主役となるので、これは当然と言える部分もあるが、男はすでに去っており、女は過去を思いながらも男に対して、自分のことを愛していると言う必要はないし、気持ちを縛る気もないので、とにかく自分のもとに戻ってほしいと願望を訴える。つまり、原曲ではまだ完全に別れた状態ではないが、ダスティのヴァージョンではもう縒りを戻す可能性はほとんど皆無に等しい。その分、曲のアレンジは悲壮感が増し、素晴らしい録音となっている。特に冒頭のオーケストレーションは交響曲さながらで、その悲劇的でおおげさな始まりに対してダスティの歌声は一歩も引けを取っておらず、オペラのアリアのように迫力がある。このダスティのヴァージョンを聴くと、ドナッジオのものは学芸会の演奏に思えるほどだが、イタリア的明るさを言えば、ドナッジオの方に軍配が上がるのは言うまでもない。そして、それを好む人は多いだろう。ダスティのものは、いかにもロンドンという都会の産物で、しかもダスティの圧倒的な声量と、そのハスキーな声を最大限に聴かせるためにアレンジがなされている。間の取り方といい、ダスティの力量はこの1曲で充分にわかる。筆者はこのドーナツ盤を小遣いの余裕があった1970年4月12日に買っている。イギリスでヒットしたのは1966年4月で、第1位に昇りつめたが、それから数か月はアメリカでもトップ10に入るほどのヒットであった。ビートルズで言えば、来日公演、アルバムで言えば『リヴォルヴァー』の発売直前で、筆者はこういう曲も好んで聴いた。それは一緒に歌えるかどうかであった。そして、カンツオーネはまさに誰でも口ずさめるメロディで、そこがまた60年代の空気には似合った。音楽は聴くだけではつまらない。ともに歌えば楽しいし、そういう体力を使う楽しさは気分の滅入りを吹き飛ばしてくれる。カラオケが人気があるのは、それだけ気分の滅入りが多い時代であるからかもしれない。話を戻して、曲にもよるが、当時はヒット曲の寿命が今より長かった。そのため、4、5年経ってもレコード店で買うことが出来たダスティのシングルはこのほかに「風邪のささやき」を買ったが、この曲については以前取り上げた。ソロCDをいつか買おうと思いながら、まだその機会がない。
 ダスティのヒットの翌年だろうか、この曲はエルヴィス・プレスリーがカヴァーしてまた有名になった。日本では誰が歌ったであろう。歌唱力がものを言うので、日本にダスティ並みの力と艶のある歌手はいたであろうか。ダスティの声は特徴があり、聴いてすぐにわかるが、日本での人気はほとんどこの曲に負い、またこの曲だけで一般的な人気は終わった。ミルバのように日本語で歌わなかったので、カンツォーネ人気の陰に隠れたところがある。惜しいことだ。それはさておき、プレスリーのヴァージョンもそれなりにいいが、オーケストレーションが雄大で、声が透き通って派手、しかも迫力があるのはダスティの方だ。プレスリーは筆者が60年代半ばにラジオで盛んに洋楽を楽しむようになった頃は、人気は下り坂にあった。それなりにいい曲を歌っていてヒットもしたが、この曲を歌った時には、もはや懐メロ歌手という気がした。プレスリー・ファンには悪いが、実際そうであったろう。すでにロックを若者のように歌うことはままならず、中年太りした姿で大人向きの歌をラスヴェガスで歌った。そういう場にカンツォーネは最適であった。だが、60年代半ば、プレスリーのヒット曲はいくつかをよく記憶しており、いつかそうした中からこのカテゴリーに書くつもりでいる。あるいはもっと昔の曲になるかもしれない。筆者は10歳頃にラジオでプレスリーの「監獄ロック」を何度も聴いて不思議な音楽だなと思った記憶がある。さて、プレスリーのカヴァーは、ダスティとは違って原曲のように男心を歌うものに戻ったことになるが、歌詞がダスティのものと同じで、そこが原曲とは違うので、この点もっとどうにかならなかったのかと思う。だが、ダスティのヴァージョンが大ヒットしたので、今さら原曲を直訳した歌詞で歌うわけにも行かなかったのだろう。そこにプレスリー・ヴァージョンの弱さも見えている気がする。ダスティより先にプレスリーが歌ってヒットさせていたならば、その後のプレスリーの方向や人気も多少違ったのではないか。昨日この曲を取り上げることを思いついたので、YOUTUBEを調べていないが、今ならイギリスで当時放送されたダシウティがこの曲を歌う映像が見られるのではないか。筆者はこのシングル盤のジャケットなどでわずかにダスティの顔を知るだけで、歌う全身像、ましてや動くそれを見たことがない。中年を過ぎた筆者はようやく大人の雰囲気の女性のヴォーカルの味がわかるようになったのかもしれない。かわいこちゃんの甘ったるい声より、迫力のある技術確かな声が聴きたい。そういうものが気分の滅入りを払拭してくれる気がする。
by uuuzen | 2012-01-31 23:06 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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