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●『無言館 遺された絵画展』
3年ほど前になるだろうか、伊丹市立美術館で同じような展覧会があった。それは結婚して間もない若い画家がフィリピンあたりに派兵され、そこで新妻に700通ほどの絵はがきを送っていたが、銃弾に倒れたか何かが原因で帰らぬ人となり、妻が長年保管していた夫からの絵はがきや作品としての絵や下絵を伊丹市の柿衞文庫に寄贈したことを受けて、伊丹市立美術館において真夏に特別展が開催された。



●『無言館 遺された絵画展』_d0053294_17563819.jpg絵はがきは夫が戦地で日記のように自分で絵と文章を書いたもので、それによって夫が死ぬ直前までの日常がわかるのであったが、会場では夫が描いた日本画の小品なども展示され、戦争によって中断させられた若い才能の悲劇をあますところなく伝えていた。予想したが、今回の展示にはその画家の絵はがきが柿衞文庫から特別に借りられて数点並べられた。名前は前田美千雄だったろうか。今回の展示はそうした同じ境遇の画家58人の作品が数点ずつ展示されたが、長野県上田市にある無言館という美術館の所蔵によるものだ。この美術館は戦没画学生の慰霊のためのもので、以前から有名だ。先日も夜のTV番組で菅原文太が出演してこの美術館を紹介していた。菅原は何年も前からこの美術館の作品に感じ入って個人的にこだわった活動をしているようであった。無言館は120坪というが、写真で見ると左右対称の、どこかアウシュヴィッツの収容所を思わせるたたずまいで、内部はコンクリート打ちっ放しで、その一種の荒々しさが作品の展示にはよく似合っている。今回の展示はNHKが中心になって主催したもので、ひょっとすれば毎年主要都市を巡回しているのかもしれないが、毎年8月の終戦記念日に合わせて多くのTV番組が特集されるので、それに合わせた企画展と言える。京都では立命館大学が平和記念館という名前だったろうか、戦争に関する資料を常設展示する珍しい博物館を持っており、先日試写会で観たヒトラーの最期の映画の際にも、同大学から先生がやって来て上映の前に少し講演をした。そんな土地柄である京都で今回のこの美術展は開かれるべくして開かれたものと言える。
 観る前から大体どのような展覧会かは誰しも充分に想像がつくし、実際予想どおりと言ってよいのだが、それでも実物の作品を観ると特別の感慨が湧く。それは、どの作品も決して有名画家の見慣れたタッチではなく、保存があまりよくないために絵具の剥落が激しい作品が多くて、絵が独特の雰囲気をかもし出していることによるが、額縁が簡素なこともそれに拍車をかける。絵はどれも荒れるに任せているというのではなく、遺族が保管している間に劣化したものを、無言館の所有になった時に可能な限り、裏打ちしたり、補強したりしていることはわかった。ただし、もはや除去出来ない染みが紙に出ていたり、下塗りが悪いのか油絵具が悪いのか、剥落がくい止められないものがしばしばあり、大金を費やせばどうにか修復出来るとしても、かえってそのままの方が作品の置かれている意味が照射されるとも言え、あたかも古い写真を眺めるのと同じ気分で作品を見つめることになってよい。通常、美術品は大切に保管されているものであるので、有名な作品ならば半世紀かそこらを経た程度では状態が悪いことはまず考えられない。数百年前のい油絵でもまるで今描いたばかりのような保存のよいものをいつも見慣れているから、保存状態の悪い作品をわざわざ美術展で観ると、それだけでも痛々しさが増す。そのうえ、描いた画家が戦争でわずか20代半ばで死んだとなれば、よけいに絵から感じるものは独特の色合いを帯びる。無名の画学生が描いた習作と言ってよい絵画が鑑賞に耐える美術品かどうかは大いに疑問があるが、描いた人物がみな無念のうちに死んだ事実を思えば、絵が通常の美術品とは違った迫力を持って訴えて来るのは当然と言える。戦争讃歌のような絵は1点もなく、むしろありふれた日常を描いているから、そうした日常ですら一瞬のうちに眼前から消えてしまわざるを得ない運命に置かれた画学生の境遇を、絵を観る者はわずかにしろ想像してみるから、単なる美術品としてではなく、人生最期の記念品といった遺品として観ることになり、誰しもそれなりに胸を打たれる。それは名画と評価された絵画だけが歴史に残すべきものであるかどうかという、絵というものに対する根本的な命題を改めて考えてみることにつながり、絵画鑑賞の常識となっている視線というものの再点検を自動的にしている自分に気づく機会と言ってよい。価格がつかない、売り絵ではない絵をたまにはじっくりと見つめてみることは必要だ。
 無言館は東京芸術大学教授の野見山暁治がかつての自分の同窓生の作品を集めて展示してみようという発案が元になっている。野見山が信濃デッサン館で有名な窪島誠一郎にそのことを話し、各地を訪れて画学生の遺品を集めた結果、この無言館の設立につながった。窪島は、去年だったか、亡くなった小説家の水上勉の実子で、水上もそのことを認めたと以前の新聞に記事が載ったことでも記憶しているが、そうした血を感じさせる立派な業績のひとつがこの無言館の設立だ。今回の展覧会で野見山がいみじくも書いていたように、こうした画学生の未熟な絵を一堂に展示することに意味があるのかと最初は疑問に思ったようだが、展覧会や作風の流行を意識することのないこうした絵画の方がむしろ本当の絵と呼べるものではないかと思うようになったという。これはよくわかる気がする。有名画家の絵は見方を変えれば、その完成して手慣れた作風がいや味に見えることがしばしばある。プロの絵というものがいつもよい絵とは限らないのだ。絵の難しさはそこにある。有名になって手慣れてしまうと、その傍らからなくなって行くものも多いということを画家はいつも意識すべきであるが、なかなかそうは行かず、駄作を大量に描いてしまうことが少なくない。そうした有名な画家と関係のある人々がみんな死んだ100年ほど後になって初めてその画家の力量が問われると思うが、死んで間もなく忘れ去られてしまう画家が何と多いことかと思う。したがって、生きている間の有名というものもはかないもので、そんなことで自分の絵が永遠に残るなどと夢にも思わないことに限る。野見山の絵は新聞小説の挿絵や銅版画の小品でしか筆者はあまり知らないが、その独特の抽象画は落書きに見えるほどだが、時代の空気を確かに吸っていて、なかなか洒落たセンスをしている。その野見山が自分とかつて同窓であった学生の絵を探してみようと思うに至った理由は知らないが、なかなか見上げたことと思う。運命が少しでも違っていれば自分が死んで別の学生が生き残っていたはずで、それを思えば、生きている間に少しでも友人たちの埋もれた作品を発掘してどこかでまとめて展示出来る空間を用意するのは、残された者の義務であるとも言える。またそれに応える窪島がいてのことで、よくぞこうした施設を持つに至ったと思う。本来ならば国がやるべき仕事と思うが、藤田嗣治といった有名画家が描いた戦争画は国立近代美術館が所蔵はしても、無名の画家のものは遺族以外ほとんど誰も顧みない。
 戦時中に絵を描くということは非国民のすることで、そうした非難があっても絵を描きたくてたまらなかった若い人々の作品が、今回はその顔写真やちょっとした経歴とともに展示された。どの絵も素晴らしいと言うつもりはないが、はっとさせられるものが少なくない。思わず落涙させられそうな瞬間が何度もあった。後でますます効いて来るような味わいを個々の作品が持っている。そんな才能が、後20年や30年の制作時間を用意されていればどのように大成したかと思う。京大教授の会田雄二が言っていたが、戦争で優秀な者がみんな死んでしまい、戦後の京大はそんな優秀な人材を欠いた状態で出発したという。同じことは先日観たブルーノ・ガンツ主演の映画『ヒトラー』でもあった。映画の中でヒトラーは、もうドイツの優秀な人物はみんな死んでしまったと吐き捨てるように言うのであったが、笑い話のようでもこれは本当のことだろう。戦争とはそういうものだ。もし太平洋戦争で画学生が命を落とすことがなければ、戦後の日本の美術界はかなり様子が違ったものになっていたと言える。今回の展示に小野竹喬の息子の作品も並んでいたが、竹喬の息子が20半ばの年齢で戦死していることは知らなかった。もし生きていたならば、父親よりいい絵を描いたかもしれない。そんな思いがあるからこそ野見山は無念の思いを拭い去ることが出来なかったのだろう。東京美術学校の学生たちがずらりと並んだ写真などの資料もかなりあったが、ある集合写真の中に若き浜田知明の姿があった。浜田の銅版画の仕事はおそらく日本が生んだ最高のものと言ってよいが、そのモチーフをよく知る者にとっては、改めて浜田がなぜそのような絵を描くに至ったかが今回の展示からはわかる。戦争がなければ浜田の作品は全然異なったものになっていたはずだが、同期の学生がことごとく戦死し、自らも過酷な体験を経て作風は決定的に風刺的なものになって行った。そこには死んで行った画学生たちへの思いも込められているに違いない。今回の展覧会では、野見山やあるいは浜田、さらには竹喬といった残された画家たちの思いにも心を馳せることが出来た。
 美術品はただ造形的に優れているかどうかで鑑賞されるべきもので、作者がどう生きたといった付随することは知る必要がないという意見もある。だが、作品は人であるから、作品だけを純粋に造形的に評価するということがどこまで可能だろうか。死期を悟っている人が描いた絵は造形的に優れているかどうかといったことを越えてもっと真実に迫った何かを内にこめはしないだろうか。話は変わるが、昔筆者はある年配の知人の家にお邪魔したことがあり、帰り際に玄関ホールに置かれているレリーフ作品にひどく感激した。あまりに素晴らしい作品で、作者の純粋さが全体からほとばしっていた。出来るならば譲ってほしいと即座に考えた。誰の作品ですかと訊ねると、知人の奥さんのものだとの返事。傍らで奥さんがにこにこしている。奥さんとはほとんど話さなかったが、顔つきや物腰からはとてもしとやかで優しい人であることはわかる。そこで納得した。奥さんと話をしなくてもそのレリーフ作品の中に奥さんのすべてがある。素人の趣味程度の作品と言えばそれまでだが、紛れもない上質の芸術性がそこにはあった。芸術家のプロを自認する人の、他人にうまく見せようという独特のいやらしさとは無縁の、無限に純朴で愛らしい表情に満ちていて、今でもその時のことをしばしば思い出すほどだ。どうせどんなものかわかるといった侮った先入観で見ないことに限る。絵は一筋縄では行かないものだ。個人の小さな思いや理屈をはるかに越えた別のところで息づいて行くものなのだ。だからこそ人はいつまでも絵を描き続けるに違いない。誰しも一度はこの無言館所蔵の絵に対面する必要はある。文句があるならばそれからだ。
by uuuzen | 2005-08-12 22:58 | ●展覧会SOON評SO ON
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