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●沢辺さんの帽子、その後
と大黒を対にした若冲の水墨画があって、昨夜その図版を見ながら、ゑべっさんにいつ行こうかと思った。新年会であった昨夜は無理で、今日か明日ということになるが、今日は昼間は昨日同様寒くない。だが、夜は冷える。



それで十日が本番でもあるので、今日の午後に行くことにした。家内の仕事が今日は昼ちょっと過ぎまでで、四条で待ち合せをして一緒に行こうと朝に声をかけた。それで、午後1時半に電話をかけて来た。だが、もう2,3時間経ってからがいいと思い、帰宅させた。すると、もう四条には出かけたくないと言う。それで筆者ひとりで出かけた。ここ数年では初めてのことだ。出かける前、ふと四条大橋のたもとでアンデスのバンド、SOL DE LOS ANDESが演奏している予感があった。2,3分で電車が発車すると家内が言うので、慌てて着替えて改札口に飛んで行った。そのため、お金を持って行くのを忘れた。正しく言えば小銭入れと、ズボンのポケットにしわくちゃになった2000円があった。四条大橋を東にわたり切ると、予想どおりにアンデスのメロディが聞こえる。赤を基調にした派手な肩かけをしたふたりが演奏している。向かって左がSOL DE LOS ANDESのリーダーのエンリケ・ワイキさんだ。そのすぐ横で、ゑべっさんの飾りものをたくさんつけた笹を持った中年女性が演奏に聞き惚れていた。小さな犬も抱き、大きいトランクのようなものを背負っていたので、とても目立った。演奏場所は南座のすぐ向かい側で、信号待ちの人が常にたくさんいる。だが、数十人いるそうした人々は演奏を横目で少し眺める程度で、近寄らない。近寄れば小銭を投げ入れるか、CDを買わされると思っているのだろう。それに、その場所ではよくさまざまな演奏家が同じように野外ライヴを繰り広げているので、珍しくないのだ。SOL DE LOS ANDES の演奏に接するのは1年ぶりか。前にこのブログで彼らの曲を取り上げた。その時、次に生演奏に接することがあれば、「MUCHACHITA」をリクエストし、CDを買うと書いた。それをよく覚えていたので、信号待ちの人の群れには加わらず、犬を抱いた目立つ女性のかたわらに行った。1分ほどして曲が終わったが、エンリケさんは盛んにCDを買えと迫って来る。1枚2500円だ。情けないことにそれだけの持ち合せがない。ともかく、「MUCHACHITA」が好きで、その曲の入ったCDを持っていると伝え、そして、その曲が演奏出来るかと訊いた。もちろんという返事であったが、演奏してくれる気配はなく、CDを買えとなおも食い下がって来る。そこで横にいた女性に話を向けた。だが、彼女はすでに1枚買っているではないか。CDは2種類あって、エンリケさんはもう1枚買うと1000円割り引きして2枚で4000円にすると言う。また、筆者は女性に、彼らが大阪を本拠地とし、関西の至るところに演奏に出かけることを言うと、一気に興味を示し、大阪のどこでライヴが見られるかとエンリケさんに訊く。その合間に筆者は2種のCDが SOL DE LOS ANDESの名義ではなく、また以前は3人であったことを言うと、ひとりはペルーに帰っているとの返事で、CDの名義は、相棒のバンドであると言う。信号が2度目の青になったので、女性の笹を示しながら、ゑべっさんに行って来てからまたここに来ると言い、南座に向かってわたった。
●沢辺さんの帽子、その後_d0053294_11443601.jpg
 ゑべっさんに出かけたのはお参りが理由ではない。お参りは4日に八坂神社に行った。くじを引くと末吉で、去年と同じだ。一昨年もそうだったかもしれない。凶でないだけましで、また大吉はあまりよくないというから、末吉はちょうどいいのだろう。それはともかく、ゑべっさんは思ったより人出が少なかった。目当ては、去年5月にブログに書いた、1年でこのゑベっさんの数日間だけ、ガレージ・セールを開く沢辺さんの家が本当になくなったかどうかの確認だ。この1年、夷神社のある大和大路四条下がるは4回ほど歩いた。そのたびに沢辺さんのそのガレージを探したが、なかった。駐車場に変貌していて、沢辺さんに頼んでいた帽子が手に入らなくなった。そのことを家内に言うと、そそっかしい筆者のことであるので、まだガレージはあるはずで、正確な場所を記憶していないに違いないと言う。そう言われると自信も揺らぐ。それに、ゑべっさんの日には通りは人ごみや屋台で一変し、家内の言うとおり、店が見つかるかもしれない。あるいは筆者が何度も確認したように、家が駐車場に変貌していても、店はその前で開かれているかもしれない。ともかくこの目で確認するしかない。そう思って出かけた。やはり大きな駐車場があって、確かそこに店が開かれていた気がした。そのまま帰ろうかと一瞬思ったが、せっかくなので、もう少し歩いて神社に参ることにした。人ごみをかき分けてさっさと歩いていると、何と沢辺さんのガレージ店があるではないか。家内の言ったことが正しかった。このことは、花見小路四条下がるの道が、普段はとても地味だが、ゑべっさんに限り、見違えるようになることを示す。●沢辺さんの帽子、その後_d0053294_0274186.jpg 早速店内に入った。覚えのあるおばさんがいたので、まず挨拶。そして沢辺さんがおられるかと訊くと、家の奥で洗濯物を干しているが、もうすぐ出て来るとのこと。5分ほど待ったが現われない。100円から300円で、いわゆるガラクタが売られている。どの家にも探せばあるようなものだ。段ボール箱の片隅に、フクロウの小さな置物が見えた。そのフクロウは取っ手代わりで、呼び鈴であった。音の鳴る部分も小さなフクロウになっている。鳴らないように、あるいは割れないように、プチプチで包んである。どんな音か想像出来るが、フクロウのようにホーホーと鳴ってくれればいいのに、陶器ではそれは無理だ。先日神戸花鳥園で、インドネシアあたりの木彫りで、フクロウの中に小さなフクロウを表わしたものがたくさん安価で売られていたことを書いた。それとアイデアは多少似る。呼び鈴を必要としないほど狭い家に住んでいるが、花鳥園ではフクロウの飾り物を買わなかったのでちょうどよい。それで100円を支払った。その後さらに5分ほど待ったが、沢辺さんはやって来ない。それで先にお参りすることにした。
●沢辺さんの帽子、その後_d0053294_0314146.jpg
 通りに出ると、すぐに向こうから舞妓さんが年配の男性に連れられてやって来た。その付近では全く珍しくない光景なので、誰も振り向かない。筆者の自治会内では、一般人に舞妓の衣装を着せて嵐山を歩かせる店がある。そういう贋舞妓は見慣れているが、本舞妓はめったに見ない。それで写真を2枚撮った。人が邪魔をしてうまく写らなかったが、2枚を合成してパノラマにする。四条下がるの花見小路の道の狭さがわかると思う。舞妓は2枚ともに写っているが、先に撮ったのが右だ。舞妓は男性に連れられて屋台裏の、ゑべっさんの縁日だけに開店する、いわば屋台の大型店に入っていた。ジャンク・フードを舞妓が食べる光景は見物だろう。
●沢辺さんの帽子、その後_d0053294_0321449.jpg
 ゑべっさんに詣でて、賽銭を投げ入れ、そしてでんと据えられているマグロの写真を取り、例年とは違って、また大和大路に出た。いつもは人がいっぱいで、逆戻りは出来ないが、午後5時頃はそれが出来た。そのまま沢辺さんのガレージ店に舞い戻ってもよかったが、まだ日の明るさもあり、南に100メートルほどにある建仁寺の摩利支天に向かった。ここは猪が狛犬代わりに置かれている。なぜそこに行ったかだが、ゑべっさんに入る時、南を見ると、摩利支天の横断幕が目に入ったからだ。それに、猪は息子の生まれた干支で、そこに詣でておくと、今年は息子にいいことがあるのではないかと考えた。こういうことは、息子が参らねば御利益はないが、ま、家族で我慢してもらおう。猪の石像は全部で10はあるだろうか。どれも彫り手が違うようで、形や表情が随分違う。大和大路に面した西側から入り、南面する参道でも写真を撮った。ふと草むらに隠れて小さな地蔵の頭が見えた。首だけ転がっているようで、かなり不気味だ。誰がこんなことをしたのかと思ってしゃがみ込み、草を分けると、胴が見えた。まだ新しい像だ。両手で小さな宝珠を支えている。それで写真を撮った。宝珠の近く、胸に直径3,4ミリの穴が開けられている。線香を1本刺すのだろう。ということは、誰か小さな子が亡くなったための供養でそこに置かれたのだろう。地蔵の表情は、いわゆる「かわいい」風ではあるが、あまりかわいくない。それがかえっていいのかもしれない。また、そのことがなおさら亡き人の弔いのために思えた。
●沢辺さんの帽子、その後_d0053294_0341580.jpg
 ガレージ店に戻ると、さきほどまで沢辺さんがいたが、また奥に入ったと言う。それでまた5分ほど待った。1年ぶりに会った。挨拶もそこそこに、沢辺さんは早速帽子を奥から持って来た。去年の注文どおりに黒で仕上がっているのはいいが、つばが狭い。それにつばが筆者の思いのように形が固定しない。だが、2年ぶりに仕上がったものであるから、とにかく引き取らねばならない。また、沢辺さんにもし会えば、手わたそうとしていた黒い生地をようやくのことでわたすことが出来た。だが、その生地では制作は難しいらしい。ともかく、今日は電話番号も住所もわかり、これでいつでも会うことが出来る。思えば最初に注文したのは2年前のゑべっさんであった。去年それが一応は出来たが、わずかに気に入らないところがあって買わなかった。それで今回その改良品が出来たが、前述のように、また新たに満足出来ない箇所がある。去年のものを見せてもらおうとして、探してもらったが、どこにあるかわからないとの返事。満足の行くものは、何度か作ってもらわねば無理だろう。だが、いくつも帽子を持っているのに、さらに買うとは何事かと、家内は鬼になるに決まっている。案の定、帰宅すると、そのとおりになった。
●沢辺さんの帽子、その後_d0053294_035120.jpg
 夏用は木綿で作ってもらうつもりでいるが、生地を自分で染めるなりして凝ったものを考えている。帽子は夏だけのものとずっと思っていたが、冬は寒さしのぎにいい。一旦帽子を被る癖がつくと、帽子なしで外出するのが、何か物足らない。昨日会った大阪の友人は、筆者の髪が白くなったことを三度も言った。帽子は白髪を見せないで済む。それに家内が言うには、ここ2,3年でめっきり顔に染みが目立つようになって来たので、今さら遅いが、夏場は特に帽子は絶対に被るべしと言う。と言いながら、筆者が次々に買うことに文句だ。買っても気に入らない場合は洋服でも多い。帽子も気に入るものばかり被って、ほとんど被ったことのないものがある。この「沢辺さんの帽子」の話題は、満足の行くものが出来上がった時にもう一度書くかもしれない。ともかく、沢辺さんのガレージがそのままあったことがわかったのは、とても嬉しい。沢辺さんと1時間近く話をしたが、沢辺さんが読んで書き込みをしてくれるように、ブログに書いたことを伝えた。「また読みます」とのことだったが、今日も書くと伝えた。その約束は以上で果たした。ついでながら、四条大橋のたもとには別の演奏家ふたりが準備を始めていた。その場所は人気があって、1時間程度を使って、譲り合っているのだろう。次にSOL DE LOS ANDESの演奏を見るのはどこか。桜の季節に大阪で見たい。ついでのついでながら、帰りの阪急電車の車内から、オレンジ色の満月が見えた。写真を撮ろうと思ったが、揺れる電車からではぶれてしまう。満月は雲にかすんでいた。明日はしぐれるかもしれない。今日出かけてよかった。末吉の御利益か。
by uuuzen | 2012-01-10 23:59 | ●新・嵐山だより
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