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●『生誕110年 芹沢銈介展』
副題として「用の美に魅せられた生涯」という月並みなものがついている。今年3月10日に静岡に日帰りで行って芹沢銈介美術館を訪れているので、今回は芹沢の作品を観るのが本来の目的ではなく、開催場所のMIHO MUSEUMに行きたいために、チケットを予め家族3枚分を入手した。



●『生誕110年 芹沢銈介展』_d0053294_23544995.jpgこの美術館では春と秋だろうか、年に2度ほど特別展があり、そのポスターが阪急電鉄にしばしば貼り出されるので、以前から一度訪れてみたいと考えていた。しかし、滋賀県は信楽方面の山合いにあって、自動車がなければなかなか訪れるのが困難で、長い間機会をうかがっていた。それに、特別展があまり食指をそそるものがなかったことも訪れなかった一因で、ここでしか観られない珍しい作品があれば、もうとっくに訪れていた。筆者の中学生時代の友人が息子に中古の自動車をくれたのが2年前で、つい数日前に車検を受けたが、2年間で走った距離は3000キロ未満、その間に支払った税金など全部の費用を合わせると50万円近いので、1キロ走るのに170円ほどかかっており、これならばタクシーを利用した方がずっとよさそうだが、息子の運転の勉強になっていると思えば仕方がない。彼女のいない息子は自動車をひとりで運転することは全くなく、もっぱら筆者の用事で使うのみだが、今回も滋賀県立近代美術館とこのMIHO MUSEUMの2か所を巡るために家族3人で出かけた。息子の車で滋賀県近美へはすでに4、5回訪れているが、この美術館のさらに南西方向に10数キロ走ったところにMIHO MUSEUMがあることを地図で調べていた。また、全く初めての山中の道を走るのは不安だが、2か月ほど前にある人に初めて信楽に連れて行ってもらい、その時にこの山間の道を走ってMIHO MUSEUMの看板を確認していたので、息子の車に乗りながら大体の感じを説明することが出来た。平日に出かけたこともあって、幸い狭い道は車の通りが大変少なく、何の支障もなく走ることが出来た。ただし、MIHO MUSEUMを観た後、滋賀県近美に行くのに道をひとつ間違えて、30分ほどあちこちうろついたため、アンデルセン展を観る時間が予定よりかなり少なくなってしまった。
 さて、MIHO MUSEUMについてはネットで調べて大体の印象をつかんでいたが、かなり予想とは違って、建物や環境が立派で驚いた。また、来場者はごく少ないと踏んでいたが、これも予想とは全然異なり、かなり多くの人出であった。山中の他に何も観るべきものがない地域でこれだけの人を集める施設は珍しい。アンデルセン展のざっと20倍ほどの入場者があったと思う。駐車場はさほど大きくはないが、満車状態で、またJRの石山駅から出ている美術館行きの民間バスが駐車場に停まっていて、その中にはかなりの人が乗っていたから、自家用車ではなくてバスで訪れる人もけっこういることがわかった。石山駅からはバスは1日5、6台が出ていて、所要時間は50分というから、この美術館を観るためにはほとんど1日を費やす覚悟がいる。それでも一度は訪れる価値がある。MIHO MUSEUMとは変わった名前で、ミホは女性の名前に違いないと予想したが、どうやらそうらしく、この美術館を紹介する図録を館内の売店で立ち読みすると、とある宗教団体が建てたもので、キモノ姿の女性が建物の設計者と一緒に並んでいる写真があった。設計者はルーヴル美術館にガラスのピラミッドの新館入口を設計したあの中国人の建築家で、そのピラミッドに似たガラスで作られた屋根が美術館の一部にあった。中国人の有名建築家に設計を依頼したり、またこの美術館が中国美術の紹介にそれなりに力を入れているようなので、ひょっとすれば中国と何らかのつながりがあるか、中国に好意を寄せる宗教団体なのかもしれない。そう言えば、中国人の来館者も目立った。美術館入口を入ってすぐの正面は大きなガラス壁面で、遠くに山並みが臨めるが、ガラスのすぐ背後にはよく手入れされた松の木が2本あって、まるで一幅の日本画を観るような趣があった。また、ガラスから500メートルほど向こうの山間には、鐘を3、4個つけた鉄筋コンクリート製の高い塔と、そのすぐ右横に茶色の屋根の大きな建物がひとつ見えた。建物は何かの記念館といった感じで、当然人が入れるのであろうが、そこまで行く道は見えず、きっと限られた人しか行くことが出来ないと思わせたが、前述の図録を見ると、どうやらそれらの塔や建物はこの宗教団体のシンボル的な存在であるらしかった。立派な松の枝を近景とし、中景にこの塔と建物、遠景には霞む山並みと空といった景色が、この美術館を入ってすぐの真正面に見えるわけで、その点のみ、この美術館が宗教団体の持ち物であることを知らない者に取ってはかなり異様なものに映った。
 また、美術館は駐車場からすぐのところにあるのではない。駐車場近くにはまず、レストランや売店のあるガラス張りの平屋の大きな建物があって、その出入口前で若い制服姿の女性が運転する7、8人が乗れる無料の送迎用電気自動車の到着を待つ。この車は合計3台を確認したが、5分も待てば次のがやって来るので、あまりいらいらさせられることもない。これに乗って美術館前まで行くのだが、800メートルほどの距離なので歩いてもかまわない。走り出してすぐに200メートルほどのトンネルがあり、そのトンネルを抜けてすぐの吊り橋をわたったところで、美術館の正面入口の大階段が姿を現わす。トンネルと橋はもちろん美術館専用のもので、トンネルは地下鉄にあるような殺風景なものではない。壁に凝った照明が施され、いかにもこれから異空間に向かうといったテーマ・パークっぽい雰囲気がある。トンネルと橋は、美術館が谷を越えたひとつ向こうの山に建設されたことを認識させるが、設計者の考えなのか、美術館を設置する土地に条件がったのか、いずれにしても他の美術館にはない独特の心の準備を与える作用をしている。また、美術館は地上1階、地下2階建てで、建物が山から聳え立っているのではなく、むしろ山に埋め込んで環境をあまり壊さないようにデザインされている。この点はなかなかよい考えで好感が持てる。図録を見ると、春の桜の季節はトンネルを抜けた景色が桜色で彩られ、四季それぞれに風景が楽しめる工夫もなされているようであった。桃源郷という言葉でこの美術館を形容していたが、さもありなんという気は確かにした。レストランは予想した以上に明るくきれいだ。そこで出されるメニューはすべて無農薬の有機栽培された素材を使用しているとのことで、価格もさほど高くはなく、こだわりが感じられる。売店で売られる品物も独自色を出しており、特別展の図録はどれもかなり分厚く、価格も予想外に安い。これだけでも美術館運営にかなりの力を入れていることがよくわかる。ちょっとした公立の美術館ではかなわないほどだと言ってよい。潤沢な資金があるからだと言えばそれまでだが、美術館を造るのであれば、今時の鑑賞者はかなり目が肥えているから、ちゃちな雰囲気を出さないようにそれなりの覚悟をすべきことをこの美術館はよくわかっていると見た。いい雰囲気の立派な美術館を建てれば、人はわざわざ遠い山中にまで足を延ばすということを実証していると言える。
 美術館は北ウィングと南ウィングに大きく分かれ、1階と地下1階の全フロアが展示場になっている。芹沢作品は1階の北ウィングだったろうか、つまり美術館の展示場全体の4分の1のスペースに飾られていた。残りは世界各地の美術品を展示する常設スペースだが、ゆったりとした展示で好感が持てた。展示し切れない所蔵作品があるはずで、それらは定期的に並べ替えられるのだろう。宗教団体が美術品をコレクションして展示するのは珍しくない。有名なものでは天理教の天理大学図書館が所有するもので、これは大阪市立美術館で特別展示されたことがあるが、古い書籍なども多く、実に有意義なコレクションで貫祿を感じさせる。その天理教の所有するものに比べると、MIHO MUSEUMの所有するものは世界美術、ただし西洋絵画を除いた、どちらかと言えば古代や中世美術を網羅的に集めようとするもので、いわばルーヴル美術館や大英博物館を模倣したところが感じられ、それでいて当然そうした世界的に有名な施設のコレクションとは比べようもないほど数も質も劣るから、酷なことを言えば、お金持ちが道楽で集めたといった感じが拭えない。もう価値あるものは収まるべきところに収まっているので、市場のオークションに出回るものを地道に待ちながら落札し続けない限り、こうした網羅的コレクションの拡充は図れない時代になっているが、結局は大部分はお金の問題でもあり、宗教団体としてそれなりに今後も資金が入って来るのであれば、まだまだコレクションは充実して行くだろう。そうした美術館が特別展にどのようなものを企画するかは興味ある問題だ。乾山展が開かれたことはよく知っているが、それはかなりユニークな企画展で、大規模なものとしては初めてではなかったかと思う。
 今回の芹沢銈介展は静岡の芹沢美術館と東北福祉大学の芹沢銈介美術工芸館の所蔵を借りて構成したものだが、生誕110年と銘打つだけあって、なかなか充実した展示であった。説明パネルもかなりお金をかけているように思えたし、各コーナーにそれぞれ場所にふさわしい作品を展示していて、静岡の芹沢美術館よりも恵まれた展示環境であった。作品をただ借りて来て適当に並べるというのではなく、どこにどの作品を展示すべきかを周到に考慮していることを感じさせ、来場者の入館料だけで経費がまかなえるのかどうか心配になったほどだ。関西では関東ほどには芹沢の人気がないと思うし、今までに芹沢展は何度も関西で開催されているし、また万博公園内の日本民芸館に出かければいつでも作品に接することが出来ることもあって、芹沢作品は珍しくはなくなっている。型染であるので、同じ作品が各地に所蔵されていることも珍しくないことの一因になっているが、逆に考えれば、同じ作品が各地にあることによって展覧会がよく開催されもし、それだけ有名度が持続しやすいとも言える。芹沢が型染でデザインしたマッチ・ラベル展示のコーナーがあって、そこには張り子や土人形がいくつかモチーフとして採り上げられていた。その中には伏見人形がなかったが、これは柳宗悦が伏見人形をあまり評価せず、民芸としてはあまり価値を認めていなかったことを反映しているのであろうが、実際芹沢や柳には京都の洗練された工芸に関してはほとんど興味を持たず、そこに筆者は一種の偏見を感じてしまうが、同じ思いは京都の人は暗に抱いているのではないだろうか。そのために染色の本場である京都ではあまり芹沢のファンがいないのだと思う。京都の雅びさは例えば民話にも通じていることだが、そうした感覚は民芸とは反するものであるという思想を柳は抱いていたと思うが、たとえば伏見人形がなければ地方の土人形の発展はなかったわけで、京都の工芸や美術は圧倒的な影響を日本全国に与えていて、その根本を無視すればおかしなことになるのではないだろうか。北大路魯山人が柳を嫌ったのも結局は雅び対そうではないもっと土臭い土着の造形という図式で説明出来るように思う。しかし、滋賀となればまた話が違って来る。柳は大津絵に関しては高く評価していて、独立した研究書もあるほどだが、その大津絵を芹沢も愛好したようで、今回の展示にも芹沢が集めた古い作品が並べられていた。芹沢は柳を唯一の師と尊敬したので、どうしても柳の愛好したものと芹沢のそれは共通するが、そこに京都的なるものが欠けているのはどうにもやり切れない。とはいえ、芹沢の型染作品の糊を落とした白生地部分や、あるいはそれと対照的な顔料が濃く挿された部分をじっと眺めることは実に楽しい。それは染色品を味わいをよく知っている者だけに限られることかもしれないが、そうした専門的な見所を除いて、純粋な造形作品として眺めても芹沢の作品は温かくそして洒落ていて、しかも懐かしく新しい。定期的にその実物に接することは大切だと思う。
by uuuzen | 2005-08-11 23:54 | ●展覧会SOON評SO ON
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