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●「I REMEMBER HOME(A Peasant‘s Symphony)」
燭を灯してゴソゴソしていると、裏手に引っ越して来た人が泥棒と間違うかもしれない。そう思って、昼間に隣家に入ってレコードを1枚取って来た。LPはほとんど隣りに移動してある。



●「I REMEMBER HOME(A Peasant‘s Symphony)」_d0053294_23342186.jpg大晦日の今日にふさわしい思い出の曲は、今朝まで決めていた。ところが、急にリー・オスカーの曲を思い出し、それにすることにした。理由はわかっている。以前に書いたが、アクセル・ムンテの『サン・ミケーレ物語』のノー・カット版をゆっくりと読み返していて、昨日は本のほとんど最後、とても感動深い下りを読んだ。ムンテはスウェーデン人で、パリに学んで開業医になり、その後ローマで暮らし、晩年ようやくサン・ミケーレ島に落ち着くが、その姿は昔の中国の文人のようで、とてもうらやましいといったことを、今朝は家内に話した。それはいいとして、スウェーデンではないが、リー・オスカーはデンマーク人で、ムンテと同じように異国で成功した。ハーモニカひとつを持って1966年に移民として渡米、その10年後に今日取り上げる曲を含むソロ・アルバム『LEE OSCAR』を発売した。このアルバムについては思い出が深い。当時筆者は25歳で、家内と交際していた。だが、家内の両親にそれを禁じられ、ふたりは会えない状態にあった。家内の中学生からの友人であった女性はそのことに同情し、その女性を通じて筆者は家内と連絡を取り合っていた。電話も手紙も使えず、それしか方法がなかった。当時筆者はすでにザッパの音楽に夢中になっていたが、ある日、FM放送で物悲しいハーモニカのメロディを聴いた。曲名や演奏家の名前を聞かなかったが、当時はFM雑誌というのがあって、2週間分のFM放送の番組が載っていた。定期購読していなかったが、大阪の友人が買っていて、電話で当日の番組を伝え、レコード番号を調べてもらった。早速親心斎橋の三木楽器のレコード売り場に電話をかけると、「それはブルーノートですね。それなら全部うちは入って来ているはずですが、見当たらないところ、まだ輸入されていないのかもしれません」という男性の返事であった。早速取り置きを依頼し、それから1か月ほどしてからだったか、同店に出かけた。ブルーノート盤ではなく、ユナイテッド・アーティストのレコードであった。手わたしてくれた店員は、「資生堂ですね」と笑顔を言ったが、その意味がわからなかった。後で知ったが、曲がTVコマーシャルに使われていたのだ。結局筆者はそれを一度も見なかった。70年代から80年代、TVに関心がなく、流行歌もほとんど知らない。さきほどNHKの紅白歌合戦を見ながら、やはり同じことを思った。どれも初めて聴く曲ばかりで、しかも歌い手の顔や姿もほとんど初めてだ。日本の若者が聴く音楽について筆者は完全に無知だ。だが知りたいとも思わない。
 帰宅して聴くと、涙が出て止まらなかった。何度も聴いたのはA面の最初の3曲で、「故郷を思う(農民の交響曲)」と題される器楽の組曲だ。1曲目は「THE JOURNEY」、2曲目は「THE IMMIGRANT」、3曲目は「THE PROMISED LAND」で、どの曲も最初に情景を表わす効果音が入っている。家から旅立って、船に乗って約束の地となるアメリカに降り立つまでのオスカーの思い出を表現したもので、孤独と不安が入り混じった様子がよく伝わる。渡米は18歳だ。またミュージシャンとして成功する当てのない状態から、10年後にソロ・アルバムを発表し、その中の1曲が日本の化粧品会社のコマーシャルに使われ、日本でも名が売れたのであるから、大成功と言ってよい。当時ハーモニカでこの曲ほど叙情的に演奏出来る才能はいなかったのではないか。アメリカにはトゥーツ・シールマンスというハーモニカの大御所がおり、その演奏は筆者が子どもの頃からラジオで鳴っていたが、ジャズ世代でもあって、同時代的に曲を聴いた記憶がない。オスカーは名を遂げてシールマンスと共演もしたが、同じ楽器の新旧世代はよくそうする。また、シールマンスとの共演はオスカーの才能がいわば後継者の風格があると認められたと考えてもいいだろう。近年オスカーの名前を聞かないので、どう過ごしているかと思わないでもないが、ハーモニカの名手は少なく、それだけに競争相手がいなくて食べて行くには苦労しないだろう。食べて行くなどという表現を使ったのは、オスカーが渡米した直後はまさにどうして食べて行くかが切実な問題であったと想像するからだ。このアルバムのB面の最初は「BLT」と題するインストゥルメンタル曲で、今では誰でも知っているが、当時この「BLT」の意味がわからず、早速調べた。ベーコン、レタス、トマトを挟んだサンドウィッチで、それをB面の最初に掲げているのは、渡米直後によく食べたファスト・フードであるからだろう。ついでに書いておくと、B面はアメリカでのその後の生活を表現していて、2曲目「SUNSHINE KERI」はオスカーの彼女ないし妻で、そのことは中袋の最後に書かれる1行からわかる。そこでオスカーはウォーのメンバーふたりと両親、そしてmy sweet ladyとしてケリを紹介している。ケリはまだ売れない頃のオスカーを支えたのかもしれない。ジャケット中袋のイラストに見える表情からは優しさが滲んでいる。3曲目は「DOWN THE NILE」で、思いはナイル川を下っている。これは音楽で夢想するということで、音楽によって現実を忘れ去ることも出来ると読み取ることが出来る。最後の曲ではオスカーが歌うが、「STARKITE」という題名はナイル川から今度は空を飛び、夢は広がる。この御伽噺的な設定はオスカーの優しい人柄をよく表している。それはウォーのメンバーにもあるものだ。
●「I REMEMBER HOME(A Peasant‘s Symphony)」_d0053294_233444100.jpg

 このアルバムはバックの演奏が実に手堅い。そのことがこのアルバムの魅力の半分以上を占めている。中袋を見ると、その演奏はWARとある。当時は知らなかったが、オスカーはウォーのメンバーであった。以前このカテゴリーに書いたように、いつかウォーの曲を取り上げたいが、オスカーとウォーのメンバーが収まった写真を見ると、ウォーの連中は太ったのから痩せたのまで、全員黒人ながら、どのメンバーも実に味わい深い顔をしており、音楽を聴く前からその持ち味が伝わる。オスカーにしてもバンドの中で居心地がよかったのだろう。ウォーを結成したのは、ビートルズの来日以前にアニマルズを率いて日本にやって来て、確か始まったばかりのTV番組『ミュージック・フェア』で生演奏を披露したイギリス人のエリック・バードンだ。オスカーの才能をいち早く認め、ウォーと組み合わせた。エリックは間もなくウォーから離れるが、オスカーはウォーとともに活動を続けた。つまり、オスカーの救いの神はエリックだが、ハーモニカひとつで身を立てようとしたその心がまえがよかった。今から思えば筆者はそのことから何かを学んだかもしれない。それはともかく、アルバムA面を20回ほど聴いてからか、家内にも聴かせたくなった。そして前述の家内の友人に連絡を取り、会って手わたした。もちろんアルバムの中には手紙を入れた。そうしなければ連絡が出来なかった。家内の手元に行ったアルバムが今筆者のかたわらにあるのは、家内が家出し、それから何年も経ってようやく家内が実家に戻れるようになってから持ち出して来たからだ。そうそう、家内にわたす前に、カセットに録音した。それをFM雑誌でレコード番号を教えてくれた友人に送った。そのカセットを友人は聴いたが、長年そのままにしていて、ある日思い出したようにそれを別の友人Nに聴かせた。Nもたちまち夢中になり、CDがほしいと言った。それから2,3年後にCDが発売され、Nは買ったが、Nと飲んだある日、NはCDはつまらなく、カセットで聴いた時の感動はもうなかったと言った。筆者はCDでは聴いたことがないが、確かにA面は飽きやすい。本当のオスカーの持ち味はそういった短調のメロディではなく、もっと活発で陽気な曲にある。それはB面に収まっている。だが、オスカーにすれば一度は心もとない18歳の頃を思い出して曲にしておきたかったのだろう。アルバム・ジャケットの裏面はトンボに乗ったオスカーと若い女性を上から見下ろしたイラストで、この別角度は中袋のジャケット表側に描かれる。女性はKERIで黒人だ。オスカーは愛する女性を見つけ、彼女をしたがえて空を飛ぶ。実に素敵なイラストで、そういう自分の幸福の出発点に、デンマークの農家から旅立った記憶が刻まれている。農民として田舎で生涯暮らすか、好きな音楽で身を立てるか。思い切ってアメリカ移民となり、人との出会いに恵まれた。そういう感謝の念がこの曲には込められている。
 今夜くらいは日づけが変わらない間か除夜の鐘の音が聞こえる前に投稿しなければ、来年もけじめがつかないことになりそうだ。今この曲を何度も聴きながらこれを書いているが、聴くのは20年ぶりかそれ以上だ。改めて聴かずとも、もう一音ずつが脳裏に刻まれている。オスカーはその後10枚近いアルバムを出した。筆者はそのどれも聴いていない。LPは1枚100円でも買い手がつかないほど中古レコード屋ではいくらでも見つけられた。それがさきほどアマゾンを調べると、CDはどれも高価で売られている。LPはまだ安価で入手出来るようだが、LPを鳴らす機器を若者は持っていないのだろう。LPをCD-Rに焼くことの出来るCDデッキがあるが、その中古を買おうかと迷いながら、LPはそのまま針を落として聴けばよいではないかと思い直す。死んだNにこの曲が収録されたCDを聴かせてもらえばよかったが、わずかな音の差を聴いても意味がない。それはそうと、今日このアルバムを思い出したのは別の理由がある。かつて筆者が家内に聴かせようと託した家内の友人とはその後ほとんど年賀状だけのつきあいになっているが、数年に一度は家内は会う。だが、九州にいて、また5,6年前に御主人が思いもかけない病となって、その看病をしながら働いていた奥さん、つまり家内の友人もまた最近入院したことをそのお姉さんから電話で聞いて知った。まだ60前であるのに、無理が祟ったのだろう。毎年年賀状でまた九州に遊びに来るようにと書かれていたのに、それが実現しないまま、夫婦ともに入院して、アメリカから娘が帰国して看病に当たっているという。見舞いに行くのは遠方過ぎるし、また行ってもどうすることも出来ない。それに入院で言えば家内の姉も先月そうなって、正月もない状態だ。昔の音楽を聴くと、昔のことを思い出すが、30年や40年も経つと、すっかり事情が変わる。あたりまえのことだが、それが不思議だ。ところで、家内はこのアルバムを筆者ほどに思い入れもない。耳ははるかに家内の方がよく、ピアノやヴァイオリンを多少演奏出来るが、家でずっと仕事して来た筆者の方が圧倒的にいろんな音楽を聴いている。それで家内が台所で料理をしながらでも音楽を聴きたいと先日言い始め、1階にもオーディオ装置を置くことを考えているが、来年のいつになるかわからない。
by uuuzen | 2011-12-31 23:35 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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