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●『インド ポピュラー・アートの世界-近代西欧との出会いと展開』
れも押し迫って来て、今年見た展覧会の総決算みたいなことを連日やっているが、どれをどの順で取り上げるか、当日にならないとわからない。今日を含めて今年は4日あるが、最終日は思い出の曲について書くので、3回しかない。



●『インド ポピュラー・アートの世界-近代西欧との出会いと展開』_d0053294_0481961.jpg先日書いたように、書こうと思った展覧会名を列挙した紙をパソコンのかたわらに置いているが、年内でそれら全部が終わりそうにない。年が明けると去年の展覧会ということで白けるはずで、さてどうしようかと思っている。また、題名を列挙しながら、そのどれについても書きたいという強い欲求があるのではない。むしろその反対だが、いやなことをなるべくきちんと済ませておきたいと思う性質で、それに無理にでも何か書き始めるとそれなりに書くべきことを思いついて、調子に乗ってしまう。で、今日は10月9日、『岡本太郎 地底の太陽展』を見た後にみんぱくで見た展覧会について書く。これは今年見た展覧会ではベスト3に入るか。「ポピュラー」と聞くとすぐに「ミュージック」を思うが、この展覧会は「美術」だ。また、開催されることを知って最初に思い出したのが、もう20年かそれ以上前に買った1枚の額絵だ。さきほどそれを探した。どこに置いてあるかはよく覚えていた。丸みを伸ばして目の前の扉にテープで貼りつけたが、なぜこれを買ったかと言えば、そこに描かれる女性の顔が好みであったからだ。理想というほどではないが、好きなタイプだ。画面右下隅にはSIVAと読める文字があり、破壊を司るシヴァ神であることがわかる。ポスターを買った時からそれは知っていたが、改めて見ると、おどろおどろしい雰囲気がまさに破壊の神で、部屋に飾っておきたくないものだ。だが、この顔は好きで、アイドルのピンナップのような思いで買った。ところで、この「破壊」を今日は徹底してやって腕が痛いが、話が脱線し過ぎるので明日に書こう。額絵に戻ると、シヴァ神の頭に三日月が描かれている。これについて思い出すことを今日書いておこう。一昨日、夕方5時50分頃、3階の部屋のカーテンの隙間からちらりと外を見た。カーテンはすっかり閉め切っているのに、たまたま30センチほど開いていた。窓の外を見てびっくりした。三日月と金星が紺色の空に輝いていたからだ。それにしても、夕方に南の空に三日月が見えるとは知らなかった。今月の満月は、同じ時間には反対に東山の向こうから昇っていた。寒い中、窓を開けて写真を撮ったが、その20分後にはもうどこにも見えなかった。山の向こうに沈んだのか。毎月満月の写真は載せるが、今日は例外的に三日月の写真を掲げておく。シヴァ神に因んでのことだ。
●『インド ポピュラー・アートの世界-近代西欧との出会いと展開』_d0053294_0475198.jpg シヴァ神はリンガすなわち男根で象徴されるから、男の神となるが、この額絵はどう見ても女だ。神が男女を超えた存在であることはよくあるし、女っぽく描かれるところに、いかにもインドらしい官能の世界を思わせもするが、こうした額絵は今でもインドではよく売られているであろう。そのいかにもアイドルのピンナップ風な表現が、いったいどこから来たものかというのが、筆者には長い間の疑問であった。もちろんイギリスの植民地であった頃に西欧のイメージが取り入れられたのはわかるが、それにしても色といい、形といい、どこまでもインド風ではないか。また、この額絵を見れば、世界中の誰でもインドとわかる。これはよほど圧倒的なことで、インドは文化的には西洋の支配を受けなかったと思える。逆に西洋に影響を与えたことが、先日見たジョージ・ハリスンのドキュメンタリー映画でもわかる。ビートルズはインドの要素がなければ、魅力が半減したかもしれない。インドの風味を少し取り入れてみようと思ったジョージは、結局インドにどっぷり染まってしまったし、それほどにインドの文化の力強さ、独自性があって、それは永遠に不変のように思わせられる。日本がインドの影響を受けているのは、たとえばヒンズー教の多様な神の考えに対抗して仏教の新しい密教が生まれたことからも言えるし、ジョージ・ハリスンどころか、日本は千数百年も前からインドの神の派手さぶりを知り、それを模倣していた。ま、そんな古い話は今回関係がなく、19世紀から20世紀までのインドの大衆的な視覚芸術についての展覧会で、話はまた額絵に戻る。そこに描かれるシヴァ神に、ピンナップの女性のイメージを認めたのは正しい。おそらくインドでもそうなのだろう。そうした神像を最初に描いた人物は、インドの画家ラヴィ・ヴァルマで、彼はそれまで細密画か素朴な木版画で表現されていたインドの神像を写実的に、しかも西洋の美人をモデルにして描き、それを多色の石版画で作った。ヴァルマは19世紀半ばから20世紀初頭にかけて活躍した画家で、当時はイギリスの植民地時代であったので、ヴァルマの行為は必然的なものであったろう。今回の展示はインド視覚芸術センター所長のジャイン博士が集めたものから140点が借りられたが、最初のコーナーにヴァルマ以前の大判の木版画による神像が数点あった。正直なところ、それが最もほしいと思わせるものであった。素朴ながらとても力強い造形で、色も黒と真紅、黄色などがいかにもインド的であった。そうした19世紀半ば以前の木版画は、数がとても少ないだろう。あるいは今でもそうした再生産され続けていると思えるが、これはインドをくまなく旅してみなければわからない。数年前、インドの素朴な印刷による漫画を古書市で見かけた。それも原色の赤や紫、黄色がまるで手彩色同然にかなり荒く塗られていて、紙質と相まって50年ほど前のものに見えた。かなり高価であったので買わなかったが、ひょっとすればそうした漫画はつい近年まで作られていたかもしれない。それほどに広くて多様なインドではないだろうか。
 さて、ヴァルマが石版画で作り始めたインドの神像はインド中で大評判になり、増刷に継ぐ増刷となった。一方では同様の絵を描く画家がたくさん現われ、ヴァルマの新しいインドの神像のイメージは一気にインドのものとなった。今回はヴァルマの作品がたくさん展示される中、そうではない一風変わったものも目立った。紙にスパンコールなどを貼りつけてきらびやかにしたものはいいとして、顔が白黒写真の肖像となっているものもあった。これはポピュラー化した神像にあやかって個人がそれ風にポーズを決めて撮ったものか、あるいは絵ではなく、インドの美人を撮影し、それを神に見立てたものだろう。曖昧なことを書くのは、1500円ほどであったのに、いつでもみんぱくで売られていることもあって、図録を買っていないからだ。そうしたインドのポスターなどは、見慣れないこともあって最初に見た時はとても驚くが、類型化されたものを次々に見て行くと、消化不良と拒否反応を起しがちだ。これはインドを旅すると、それが癖になって以降何度も行く人と、全くそうではなくなる人とに分かれることに似る。また、大衆向けの量産品であるので、名画のような風格には欠ける。そのため、最初は漫画か映画のポスターのように面白くても、収集するまでにはのめり込まない。筆者がシヴァ神の額絵を買った時、ほかに数種あったが、それだけがとても気に入った。インドらしい神像であれば何でもよいというのではない。それはさておき、ヴァルマの石版画はドイツで刷られたものも多い。これはその印刷技術がまだインドにはなく、また輸入されていても高度なものは無理であったからだ。10数色も使ったものは、やはり西欧が技術を圧倒していた。このドイツで刷られたインドの神像は、当時のドイツの人々をどう思わせたか。それについての説明はなかったが、そうした研究もされているだろう。ジョージ・ハリスンがインドに傾倒することになったその元になるものは、案外ヴァルマの作品ではなかったか。そして、100年前のヴァルマの時代でも西欧ではインドの西洋人的な神像の絵画に注目する人はあったのではないだろうか。だが、ジャポニズムや中国趣味は流行したが、インド趣味がどれほどヨーロッパであったのかは知らない。ヴァルマの描く絵があまりにも異形で、まじまじと見つめるだけでに終わって、影響を受けることは当時の画家にはなかったのだろう。それは今でも言えるのではないだろうか。それほどにインドが強くて、その前にあっては他の国のイメージは吹き飛ぶ。つまり、インド的要素を取り入れながら、西欧が自国風を保つのは難しいが、その逆にインドは何でも取り入れてしまえる。それほどにヒンズー教の神々は包容力があるということか。
●『インド ポピュラー・アートの世界-近代西欧との出会いと展開』_d0053294_049172.jpg

 そうした何でも飲み込む強靭さは、今回の展覧会のチラシに印刷された絵を見るとわかる。これはかなり大判の作品だが、ドイツのライン川を描いた大衆向きの印刷画に、同じく大衆向きのインドの神像をコラージュしてある。この強引さはほとんど漫画的かつ、かなりかなりシュルレアリスティックで、西欧のその芸術を知らなかったのであろうが、芸術の難しさなど考えずに、とにかく本能の信仰心の赴くまま、そして大衆が喜んで飾るものをと考えた。同作は一例で、同類がたくさん展示されていた。それらはコンピュータ時代の今になっても新鮮で、時代を超越したところがある。ヒンズーの神は世界中どこにでも登場するといったところだ。さて、ヴァルマの絵とは別に、そうした西欧のイメージによる神像がインドに広く流布した原因がある。20世紀に入って大量に印刷されたマッチや石鹸など、日用品のラベルだ。マッチは日本でも印刷していて、日本製も展示されていたが、先の石版画と同様、当時の日本人はそうした小さな絵によってインドに思いを馳せ、その後のインド感をある程度決定づけたのではないだろうか。それにしても日用品にまで神像が使われるのは、日本で言えば仏像であるから、そういうことは考えにくく、現在の日本がインドに比べていかに宗教から離れているかがわかる。あるいは、インドのみが特殊なのだ。さて、インドは20世紀半ばにイギリスから独立するが、その独立運動にも神像の大衆化は大きな役割を果たす。今回の展覧会の結語はそのことに尽きると言ってよく、そういう文脈に沿って作品が選ばれた。つまり、インドの神像はヴァルマによってイギリスの上流階級の美女のイメージを借りて描かれ、しかもドイツで当初は刷られたが、そうした西欧に負って始まったものが、やがて西欧からの独立に寄与したという一種の皮肉だ。それは、まずインドの隅々にまで浸透したインドの新しい神のイメージが独立闘争家の思いをぶちまけるポスターに使用されたことに現われる。闘争家は、神に自分を犠牲に差し出す決意を込めて、自分の首が神の前で血まみれになって転がっているポスターをよく作る。いかにも過激な内容だが、ヒンズー教のたとえばシヴァ神の人間離れした風貌を見ると、充分に納得させられる。それほどに政治家も信心深かったのか、あるいはインドを独立させるためには、最もよく知られるそうした神の像の助けを借りる必要があった。そこまでヒンズーの神がポピュラーなイメージとなると、ジョージ・ハリスンがその宗教にのめり込むのは不思議ではない。インドを支配したイギリスであるのに、逆に支配されたといっていい部分があるのは面白い。展示の最後のコーナーは映画のポスターであった。そこにもヴァルマの影響が出ている。こうなれば今度はヴァルマの展覧会が開かれるべきだろう。そして、みんぱくではなく、京都の美術館でぜひやってほしい。インド関係の展覧会はみんぱくでは多いが、美術館が取り上げる時代が来ているのではないか。
by uuuzen | 2011-12-28 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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